加藤陽子 Archive

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大日本帝国bot――加藤陽子×佐藤優×福田和也(後編)

 中編は加藤陽子と佐高信の共著『戦争と日本人』の注釈でグダグダになってしまった感があるが(▼5)、次は佐藤優や加藤が評価する「統帥綱領」「統帥参考」について取り上げる。

●「統帥綱領」「統帥参考」

 「統帥綱領」(軍事機密扱い)は1928年に発行され、「統帥参考」はその解説書として1932年に編纂され、日本軍の教典として猛威を振るい、8・15後、例によって隠蔽・焼却されたが、大日本帝国時代を懐しむ天皇主義者団体たる偕行社(ホームページのトップに掲げられた「英霊に敬意を。日本に誇りを。」というスローガンから約一秒で理解できる)によって1962年に「原本のまま、限定複版」されている。「まえがき」を読む限り、その理由は殆ど冗談のようにしか思えない。


 最近、わが国の企業経営者の間に、経営の参考として「孫子」や「作戦要務令」等の兵書の研究が盛んになり、又、旧将校の間にも「統帥綱領」の入手を希望するものが多くなって来ている。ところが、終戦時機秘密書類は一切焼却を命ぜられ、本書も殆んど姿を消していたのであるが、幸にも、最近貴重な資料を入手することができたので、会員の要望に応えると共に、企業経営者及びそのスタッフの方々に、トップ、マネージメントのご参考に資するため、ここに原本のまま、限定複版することにした次第である。(偕行社『統帥綱領・統帥参考』、産業図書、1962年、pp.3-4)


 どうやら偕行社および佐藤や加藤は、「統帥綱領」および「統帥参考」が「企業経営者及びそのスタッフの方々」の「トップ、マネージメントのご参考に資する」と本気で考えているらしいので、東電を具体例として、さっそく教えを請うことにしよう(気分が優れない方は読み飛ばしていただいて構わない)。


第一 統帥ノ要義

4 統帥ノ本旨ハ常ニ戦力ヲ充実シ、巧ニコレヲ敵軍ニ指向シテソノ実勢カ就中ソノ無形的威力ヲ最高度ニ発揚スルニアリ。蓋シ輓近ノ物質的進歩ハ著大ナルヲ以テ、妄リニソノ威力ヲ軽視スベカラズト雖モ、勝敗ノ主因ハ依然トシテ精神的要素ニ存スルコト古来カワル所ナケレバナリ。況ンヤ帝国軍ニアリテハ、寡少ノ兵数、不足ノ資材ヲ以テ、ナオ能ク叙上各般ノ要求ヲ充足セシムベキ場合僅少ナカラザルニ於テオヤ。即チ戦闘ハ将兵一致、忠君ノ至誠、匪躬ノ節義ヲ致シ、ソノ意気高調ニ達シテツイニ敵ニ敗滅ノ念慮ヲ与ウルニ於テ始メテ能クソノ目的ヲ達スルヲ得ベシ。(「統帥綱領」、p.542)


 要するに、東電の「勝敗の主因」は「精神的要素」にあるのであって、「寡少の」「協力会社員」と「不足の資材」によっても、「協力社員」が一丸となって、東電幹部に忠誠を尽くし、テンションを上げて、放射性物質に「敗滅の念慮」を与えることによって、首尾よく「目的を達する」ことができる、というわけであった。どう考えてもバカすぎるが、おそらく佐藤が言いたいことは、「生命至上主義を超え」ているらしい「統帥権」の定義(▼6)に加えて、次の一節によく現れているのではないかと思う。


第一 統帥ノ要義

6 巧妙ニ適切ナル宣伝謀略ハ作戦指導ニ貢献スル所少ナカラズ。故ニ作戦軍モ亦一貫セル方針ニ基ヅキ、敵軍若クハ作戦地住民ヲ対象トシテコレヲ行イ、以テ敵軍戦力ノ壊敗等ニ勤ムルコト緊要ナリ。殊ニ方今ノ戦争ハ軍隊ト後方国民トノ間、形而上下共ニ彼此相関連シテ互ニ交感ヲ受クルコト益々多キニ於テ然リトス。(「統帥綱領」、p.543)



第一編 一般統帥
第八章 会戦
第二節 会戦準備

百五十七、会戦ノ実行ニ先タチ宣伝謀略ヲ用ヒテ予メ敵軍ノ交戦意志ヲ頽廃セシメ且作戦地住民ノ敵ニ対スル反抗行動ヲ誘発スルヲ得ハ我作戦ヲ利スルコト鮮少ナラス而シテ運動戦ニ在リテハ必スシモ完全ナル組織ヲ以テ十分効果アル宣伝謀略ヲ行フコト能ハサルヘシト雖全軍一貫セル方針ニ基キ功名適切ナル宣伝謀略ヲ行フノ奢意ハ常ニ必要ナリトス(「統帥参考」、p.256)


 佐藤であれば、市民に対する情報統制はもとより、福島県民を始めとする「作戦地住民」(▼7)の中から「反原発」に対する「反抗行動を誘発」させるために、「巧妙に適切なる宣伝謀略」が「常に必要」であると考えているとしてもおかしくないのではないか。この問題については別の機会に述べたいが、私が危惧しているのはむしろ、「反原発」運動の一部が、福島を始めとする東日本の農家らの反発を(主観的に)回避するために、自ら進んで「風評被害」という言説に乗ることで、かえって被害農家に対する補償を拒もうとする東電・政府の思惑を下から支えてしまっていることである(▼8)


●石原慎太郎へのエール

 ところで、大日本帝国といえば石原慎太郎もお忘れなく。というわけで、鼎談では石原に対する惜しみない無内容なエールが送られている。


佐藤 たとえば石原慎太郎は組織の動かし方がわかる人なんです。それは優れた文学者だからです。あの人も組織の中で仕事したことはないけれど、小説を読んで代理経験を積んでいるからですよ。でもみんな彼の使う言葉じりを捕らえてバッシングする。

加藤 批判された天譴論はずっとあるんですよね。天罰という考え方。天罰を受けたのは我々全体だというスタンスがより明瞭であれば、批判は浴びなかったでしょうが。(pp.147-148)


 加藤陽子、「血液型占い」に続いて、「天罰」について語る・・・。もうダメだわな。


●「食べ物の話」

 そして、鼎談の締めは「食べ物の話」なのであった。もちろん放射性物質の件はスルーされている。


佐藤 でも賄いで戦うって重要だと思いますよ。人は食わないでは生きていけない。唯物論の基本です。鈴木宗男さんにしても、森喜朗さんにしても、小渕恵三さんにしても、忙しくなると飯のことを心配する。あの橋本龍太郎ですら忙しいときにはアンパンを差し入れてきた。食い物の心配は人民の心配につながるんです。金日成は食い物に関する話がすごく多いんです。金正日は全然ない。だから金日成のほうが僕は信用できる。

〔中略〕

加藤 被災地で温かいものを、などと言いますと、また贅沢だなどといった批判も出そうですが、むしろそれは必然だと、精神科医で神戸の震災を体験された中井久夫さんが書いていました。お湯をかけて食べられるような即席食品は三日までが限界だと。それ以上になったらやっぱり工夫が要るのだそうです。〔中略〕いや、ほんとに申し訳ないのですが、震災以降かえって私は太ったのですね。一食一食が大切に思えて、味わって食べると残せない。(pp.154-155)


 基本的にくだらなすぎるとしか言えないが、「被災地で温かいもの」を食べるのが「贅沢だなどといった批判」は、少なくとも私は見聞きした覚えがないのだが。一体加藤はいつの話をしているのか(関東大震災か)?


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 以上が大日本帝国テイスト満載な鼎談のダイジェストである。残念ながら、福田和也はやや霞んでしまったが、福田が霞むほどの大日本帝国力(200シーベルト毎時くらい?)を放出する佐藤と加藤を、リベラル・左派メディアは好んで重用しているのだから世話はない。集団自殺をする際に、できる限り他人(世界)を巻き添えにしようとするのは、明治以来の日本のお家芸のようなものであるが(▼9)、日本が今なお無差別テロ国家であることは、どうやら疑いの余地がなさそうである。


(▼5) もちろんこの本自体がグダグダである。


佐高 私はよく、幸徳秋水と大杉栄のどっちに惹かれるかという質問をするんです。私自身は幸徳派ですが、どうも周囲の意見としては大杉栄のほうが分がいい。私の畏友、田中信尚なんかもあれだけ大逆事件を書いていながら、大杉だと言うんです。

加藤 うう~ん、難しい質問ですね。女性関係という視点から見たら、二人とも夫にはしたくないですからね。〔中略〕(p.34)


 ある人物に対する歴史的評価が、なぜか(加藤個人の)結婚談義にすり替わっているのが恐怖である。ここまで思考回路が違うと、推測すら憚られるほどだが、加藤にとっては歴史(的人物)を私的に消費(妄想?)するのが「歴史研究」の醍醐味ということになっているのかもしれない。これが単なる歴史オタクであれば(周囲の人間は辟易するだろうが)社会的害毒は比較的少なくて済むが、加藤のように著名な東大教授の発言なのだから勘弁してほしい。もっとも、加藤の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が「ベストセラー」(第9回小林秀雄賞受賞作品)になったように、日本人マジョリティが歴史を私的に占有・解釈することを好むのも事実である(この場合の「私的」の範囲は「日本人的」にまでは広がるかもしれないが)。

 おそらくこの問題にも関連して、以前、「ネット右翼も個人的に付き合えばよい人が多いのだから、彼ら・彼女らのことを個人的に知る努力もせずに、一方的に批判するのはおかしい」と主張する知人と言い争ったことがある。「個人的に付き合えばよい人が多い」というのは単に日本人同士の内輪の馴れ合いで、レイシストを「よい人」だと擁護するような日本社会や、一般的な(?)日本人の認識こそがレイシズムではないか、そんなふざけた主張を朝鮮人や中国人にも押しつけるつもりなのか、と私は反論したが、あなたは思いやりがないというようなことを言われて、まったく話は噛み合わなかった(他にもいろいろ言われたが、どうでもよかったので、あまり覚えていない)。

 レイシストに寛容な(私的な「理解」を示す)こうした主張は、日本のリベラル・左派界隈ではさほど珍しくないように思うが、どんなにくだらない人間でもジャーナリストがルポを刊行できる程度には個人史があるのだから、彼ら・彼女らがレイシストのことを「個人的に知る努力」を積み重ねているうちに、レイシストによる犯罪的行為はさらに積み重ねられていくだろう。

(▼6) 

第一編 一般統帥
第一章 統帥権

二、政治ハ法ニ拠リ統帥ハ意志ニ拠ル一般国務上ノ大権作用ハ一般ノ国民ヲ対象トシ其生命、財産、自由ノ確保ヲ目的トシ其行使ハ『法』ニ準拠スルヲ要スト雖統帥権ハ『陸海軍』ト云フ特定ノ国民ヲ対象トシ最高唯一ノ意志ニ依リテ直接ニ人間ノ自由ヲ拘束シ且其最後ノモノタル生命ヲ要求スルノミナラス国家非常ノ場合ニ於テハ主権ヲ擁護確立スルモノナリ(「統帥参考」、p.3)



(▼7) 無論、原文における「作戦地住民」は、日本の被侵略地域の人々を指している。「作戦地住民の敵に対する反抗行動を誘発する」という、当時のこの破廉恥さは、現代においては在日朝鮮人に朝鮮民主主義人民共和国(政府)を批判させようとする、リベラル・左派を含む日本人マジョリティの心性に、立派に引き継がれていると言えるだろう。

 なお、「統帥綱領」「統帥参考」は日本軍に対して侵略地域における略奪の常態化を義務づけている(「統帥参考」は三百三十二および三百三十三を参照)。


第四 作戦指導ノ要領

37 補給ハ実ニ兵站ノ主体ニシテ、兵団ノ大ナルニ従イ必ズシモ常ニソノ斉整円滑ヲ期待スルコト難シ。スナワチ高級指揮官ハ情況ニ応ジテ諸種ノ手段ヲ尽シ、少ナクモ緊要ノ時機、重要ノ方面ニ於ケル主要軍需品ノ補給ニ遺憾ナカラシムルト共ニ、情況ノ変化ニ伴ウ、作戦ノ指導ニ支障ヲ生ゼシメザル如ク諸般ノ措置ヲ定ムルヲ要ス。而シテ勉メテ戦地ノ資源ヲ利用シ、カツ為シ得ル限リコレヲ保護培養シ、以テ本国ヨリスル追送ヲ軽減スルノ着意ヲ必要トス。(「統帥綱領」、p.554)



(▼8) こうした傾向は一部の「反原発」デモにも見られるものである。一例を挙げれば、4月16日に渋谷で行われたPARC主催の「野菜にも一言いわせて!さよなら原発デモ!!」は、「食品衛生法の暫定規制値」を上回る(とされる)放射性物質を含む農産物以外に対する消費者の(正当な)買い控えを、すべて「風評被害」として片づけた上で、「放射能で被害にあったり、風評被害で迷惑している野菜や魚、牛や馬など生きものの声を代弁」することを謳っていた。


「福島県産のほうれん草、小松菜、かぶ、キャベツ、ブロッコリー、水菜、椎茸などから、
また茨城県、栃木県、群馬県、千葉県産のほうれん草などから
規制値を上回る放射性物質が検出されています。
これが報道されると、規制値を上回っていない農産物に対しても、
「福島県産の野菜は危ない!」「茨城県産も買うな!」と、
風評被害が猛スピードで広がり、農家は出荷もできず困っています。


〔中略〕

この集会とデモでは、放射能で被害にあったり、風評被害で迷惑している野菜や魚、牛や馬など生きものの声を代弁します。
「安全な土でのびのび生きさせろー」
「塩コショウはかけたらおいしいけど、放射能はまずすぎるぞー」
「うちの畑、放射能で汚さないでー」
「放射能漬けの海は泳ぎたくないぞー」
「ミルクに放射能入ってしまった。誰のせいだー」
「せっかく育ったのに!風評被害とんでもない!」


 PARC NPO法人アジア太平洋資料センター:「4/16(土)野菜にも一言いわせて!さよなら反原発デモ!!」
 http://www.parc-jp.org/freeschool/event/110416.html

 どこまで知られているか知らないが、現時点における日本の「食品衛生法の暫定規制値」は、食品1キログラムあたり、ヨウ素が2000ベクレル、セシウムが500ベクレルで、前者はWHO(世界保健機関)が「餓死を避けるために緊急時に食べざるを得ない値」の限界として定めている1000ベクレルの2倍である子どもを救え!(魯迅):「「日本は、食べ物がない飢餓状態より酷いのか」の矛盾」)。このデモの趣旨に従えば、「餓死を避けるために緊急時に食べざるを得ない値」の約2倍(実際にはプルトニウムも含まれるだろうから、とても2倍では済まないと思うが)までの放射性物質を含む農産物については、「せっかく育ったのに!風評被害とんでもない!」(→子どもも一緒にみんなで食べよう!)ということになりかねず、あまりにも犯罪的であると思う。

 このデモには約1500人が参加したとのことで、参加者が必ずしも主催者の見解に全面的に賛同しているわけではないだろうが、「飯舘村のトマト」のコスプレをしたスパイダーマンが、「デルモンテ、カゴメさんに、福島の農家全体が拒まれました」というプラカードを下げている写真に象徴されるように、このデモが「餓死を避けるために緊急時に食べざるを得ない値」の2倍以上もの「暫定規制値」を市民の側から正当化し、それを社会的にアピールする効果を持ったことは、否定しがたい事実だろう。強く批判したい。

(▼9) 「他人」は必ずしも外国人とは限らない。例えばこれなど。


@hanayuu 【都内小学校で牛乳拒否いじめ】給食の牛乳(千葉県産)をパスして水筒持参を担任に認めてもらいホッとしたのもつかの間、給食の時間にクラスメイトに「福島・千葉の人に失礼だ!あやまれ!」などとなじられ娘号泣。


 http://twitter.com/#!/LemonMama_Tokyo/status/73593220780658689

大日本帝国bot――加藤陽子×佐藤優×福田和也(中編)

 では次に、「生命至上主義を超え」る「近代の超克」の問題(佐藤優)について、その概要を押さえておこう。


●「近代の超克」

 「近代の超克」とは、いわゆる京都学派の<世界史の哲学>に代表される、<大東亜戦争>のうちにヨーロッパ的「近代の超克」の可能性を積極的に見出そうとした(すなわち<大東亜戦争>を積極的に正当化する役割を果たした)、大日本帝国知識人の言説を指す。ここでは高橋哲哉の1993年の論文「《運命》のトポロジー――<世界史の哲学>とその陥穽」(『記憶のエチカ――戦争・哲学・アウシュヴィッツ』、岩波書店、1995年。初出は『現代思想』1993年1月号・5月号、青土社)に倣って、「京都学派のなかでも際立った体系家」(廣松渉)とされる高山岩男の主著『世界史の哲学』を引くことにしよう(漢字は旧字体を新字体に置き換えた。以下同様)。

 『世界史の哲学』の本領は、その序文から遺憾なく発揮されている。


 今日の世界大戦は決して近代内部の戦争ではなく、近代世界の次元を超出し、近代とは異なる時期を画さうとする戦争である。前のヨーロッパ対戦は、世界戦としては画期的のものであつたが、その根本性格に於ては近代内部の戦争であり、近代の延長たる性格を超出するものではなかつた。〔中略〕今次のヨーロッパ大戦は近代に終焉を告げる戦争であり、またさうなければならぬ。このことは我が日本を主導者とする大東亜戦争では極めて明白であつて、何らの疑義をも挟まない。満洲事変、国際連盟脱退、支那事変と、この世界史的意義を有する一連の事件を貫く我が国の意志は、ヨーロッパの近代的原理に立脚する世界秩序への抗議に外ならなかつた。昨年十二月八日、対米英宣戦と共に疾風迅雷の如く開始せられた大東亜戦によつて、旧き近代の世界秩序を打破し、新たな世界秩序を建設しようとする精神ば、愈々本格的な姿を現し、これは今日の世界史の趨勢にもはや動かすべからざる決定的方向を越えるに至つた。世界史の転換がいはれるのは、今日の世界大戦がもつこの性格を捉へていはれるのでなければならぬ。(高山岩男、『世界史の哲学』、岩波書店、1942年、pp.1-2)


 高橋は、自著で<世界史の哲学>が「西洋の「帝国主義的哲学」に対抗するための武器とした<反帝国主義的>な論理」(p.179)――この哲学の<反帝国主義的>論理が、いかにして「事実上」の「帝国主義的哲学」に帰結せざるをえないのか。あるいは、この「事実上」の「帝国主義的哲学」が、いかにしておのれを<反帝国主義的>哲学に見立てることができたのか(p.180)――について緻密に論じているが、そもそも、「我が日本を主導者とする大東亜戦争」が「近代の超克」を「超出するもの」であることは「極めて明白であつて、何らの疑義をも挟まない」などという、反論や疑問を一切拒否した空虚なご宣託を序文に掲げる<世界史の哲学>が、<反帝国主義的>哲学としての内実を備えられるはずもない。高橋が引用する「序文の有名な一節」(p.267)からも、また高橋自身が強調しているように、「<世界史の哲学>が「<大東亜共栄圏>にたいする日本の事実上の支配を正当化」するものであったこと、すなわち、日本のアジアへの「帝国主義的」侵略を正当化するまさに「帝国主義的哲学」となったことに異論の余地はな」いだろう(p.179)。


 世界史の哲学に就いて私見を発表する勇気を生じ、またその義務を感ずるに至つたのは、支那事変の勃発後、日頃教室で顔を合わせてゐた学生で、卒業後戦地に赴く人々が出てきた頃であつた。彼等は支那事変の本当の意義が何処にあるかを訊ね、それを摑へることによつて戦場の覚悟への一助とするといふ風に見受けられた。私は率直にこの事変のたゞならざる所以を語り、その必然性を深く世界史の立場から捉ふべきであることを語った〔強調は高橋による〕。これが生死超越の境地を語る資格のない私の、彼等に贈るべきせめてもの餞別であった」(高山前掲書、pp.5-6)

 
 ところで、高橋は「往時から半世紀後の今日、<経済大国>日本の主導による事実上の<大東亜共栄圏>の実現というイメージがある種のリアリティをもって流布する一方、<世界史の哲学>の問題意識や諸概念をいわば<非帝国主義的>に「解釈」し、「建設的」に「継承」していこうという議論も登場してきている。そうした議論がはたしてどこまで成功しうるものなのか、わたしは懐疑的であらざるをえない」(p.180)と述べている。私も高橋の「懐疑」を共有する立場から、竹内好再評価ブームを批判してきたわけだが、少なくとも『en-taxi』の鼎談を素直に読む限り、佐藤や加藤は「<世界史の哲学>の問題意識や諸概念」をそのまま帝国主義的に「解釈」し、そのまま「継承」(復権)していこうという「議論」をしているようにすら見える。

 言ってみれば、「侵略はよくないことだが、しかし侵略には、連帯感のゆがめられた表現という側面もある。無関心で他人まかせでいるよりは、ある意味では健全でさえある」などという竹内好の「思想」を(再)評価している人々が、不気味に「論壇」を蠢いている傍らで、佐藤や加藤のような人物が、「(アジアへの侵略と植民地支配を可能にした)大日本帝国のマニュアル」は「非常によくできている」(加藤)、「新しい思想」である(佐藤)などと得意気に語っているわけである。

 どちらにしてもどうしようもないが、『週刊金曜日』を例に挙げれば、前者の立場をアピールしたがっているらしい中島岳志は同誌の編集委員であり(▼2)、後者の立場の佐藤は同誌の常連執筆者であるし、加藤は同誌社長改め編集委員の佐高信と共著『戦争と日本人――テロリズムの子どもたちへ』(角川学芸出版、2011年)(▼3)を出すなど、リベラル・左派メディアもこうした立場を積極的に容認している。

 話を<世界史の哲学>に戻すと、『世界史の哲学』の出版元が岩波書店であることは、今日的な視点から見ると、なかなかに示唆的であると思う。同書の第二章「歴史の地理性と地理の歴史性」の第一節(「歴史と地理との内面的関係」)には次のようなくだりがある。

 
我が国の愛国心が、必ずしも排他的性格を伴はず、愛国心が好戦的でないのも、また日本人が異民族に対して寛容であり、民族憎悪の心をもたないのも、国土の自然的な封鎖性や民族の自然的な統一性に基き、外国の侵略の歴史を経験しないことに基くところが多いと思ふ。従つて権謀術数に富む外交も発達せず、国家思想に於ても権力国家の思想は入る余地なく、道義国家の思想が入つても常に道義をも越えた神国観念を保持して動かぬのである。(この国民精神は他国からは容易に理解されないものである。)(p.110)(▼4)


 ・・・・・・念のため繰り返しておけば、同書の第一刷が発行されたのは1942年9月30日である。ちなみに、奥付には「小店の出版物に就ては永久に責任を負ひ度く存じますから落丁・乱丁の場合は直接小店へ御申出下さい」と書かれているのであった。もちろん、「小店」たる岩波書店は、「落丁・乱丁」どころでは済まされない(関連して細かい点を述べれば、高橋は前掲書で『世界史の哲学』の刊行年を「一九四五年」(p.267)としているが、これは「一九四二年」が正しい)、日本のアジア侵略における歴史的「責任を負」っているはずだが、今なお労使一体で<佐藤優現象>に邁進しているのだから、実に懲りない面々である。

 岩波原理主義は、高山の日本人原理主義ぶりと比べれば、いささか精彩を欠くかもしれないが(いや、欠かないのか?)、金光翔さんに対して、脱退の自由をまったく認めようとせず、その後ご都合主義的に「除名」してきた岩波書店労働組合の思想・行動原理は、朝鮮民族に対して、日本国籍からの離脱を一切許さず、その後一方的に日本国籍を剥奪した日本国家の思想・行動原理とあまりにも重なって見える。

 本来なら『統帥綱領・統帥参考』についても中編で取り上げる予定だったが、注3が無駄に長くなってしまったため、後編に回すことにする。

(後編へ続く)


【追記】(『統帥綱領・統帥参考』の代わりに)伊勢崎賢治が相変わらず酷い。



とりあえず、ゲリラ的に、ツーバイフォー仮設住宅資材を大量に積んだ船をアメリカから八戸港に送り込むか。ムーブメントの話題づくりに。


 http://twitter.com/#!/isezakikenji/status/49118900192944129


風評被害対策の第一歩。南相馬に大量のボランティアを送りこむこと。キャッチはどうしようかな?


 http://twitter.com/#!/isezakikenji/status/55481739136610304


キャッチ候補 「広島は福島にふるさとを捨てさせはしない」


 http://twitter.com/#!/isezakikenji/status/55214694536970240


とにかく、半径何キロ云々の問題ではないことは確か。少なくとも南相馬からアクセスした10キロ圏内までなら、ガイガーカウンターを普及し、累積被爆を考慮した生活パターンをモデル化し、避難訓練を徹底的に日常化すれば、忙しないが何とか住める、という印象を持った。


 http://twitter.com/#!/isezakikenji/status/57091051579654144

 とても人間の発言とは思えないが、仮にガイガーカウンターが普及すれば、首都圏からも避難者が続出することは間違いないだろう。大衆を情報操作の道具・対象としてしか見ることのできない伊勢崎には、いい加減、社会的にご退場願いたい。


(▼2) もっとも、中島岳志のTwitterにも有益な情報は存在する。


戦後、東京大学原子核研究所長・日本原子力学会長・日本原子力研究所長を歴任した原子物理学者・菊池正士の著書を読み進めている。菊池は科学者代表として 1942年の座談会「近代の超克」に参加し、苦悩しながら「科学の超克」を論じている。一方で、戦後は原子力発電を積極的に推進した。


 http://twitter.com/#!/nakajima1975/status/61399292140716032
 ↓  ↓  ↓

菊池正士の著書で一般に広く読まれたのは岩波新書の『原子核の世界』だろう。ここでは原子力発電の安全性を強調し、事故への懸念から推進に反対する議論に対して、「その論理は…結局近代文明の否定に終わる」と論じる。「近代の超克」論から原発推進に至る論理を追いたい。


 http://twitter.com/#!/nakajima1975/status/61401816738439168
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1970年代には、岩波新書でも原発の安全性を訴える本が出ていたことに、少し驚いた。


 http://twitter.com/#!/nakajima1975/status/61402515656294401
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 そして2000年代には、岩波ブックレットでも中島岳志の共著が出ている。

(▼3) この本も感動的な駄本である。ここまでズレていると最早突っ込みようもないほどだが、いくつか挙げておこう。まずは佐高の「おわりに」より。


 軽佻浮薄なベストセラーがはびこっている中にあって、加藤さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が読まれていることは救いだが、この歯ごたえのある対論〔注:同書を指すらしい〕が読まれることも期待したい。(p.235)


 次は「歯ごたえのある対論」第一章より抜粋。


加藤 私は、小沢さんが主婦層や若い正義感あふれる女性層に向かってもっとしゃべれる能力をもっていたら、世の中の小沢観はすごく変わるだろうなと思うんです。

 ネット配信動画で話すのも一つの方法だと思いますが、女性層に拒否感をもたせないような工夫も欲しいように思いますね。

佐高 原〔敬〕のように、もう少しおしゃれに気をつけるとか?(笑)

加藤 まあ、そういうイメージも大事ですからね(笑)。(p.56)


 同じく「歯ごたえのある対論」第五章。


加藤 中国がパンダをあげるときは、本気で相手を落としたいときです(笑)。〔中略〕あの可愛らしさを考えれば、ペ・ヨンジュンさん一人で日本の対韓国感情が劇的に改善されたのと同じ効果が、パンダにはあるということでしょう。(pp.182-183)

〔中略〕

佐高 私は、パンダに頼るよりは、人間同士のそういうコミュニケーションを上手に活用したほうがいいように思うんです。(p.185)


 一味違った「歯ごたえのある対論」第二章。


加藤 ようやくシベリア抑留者に対する、国家としての謝罪と補償が「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」の施行によって、なされるようになりました。

 ただ、細かいことを言いますと、同じ抑留者でも、日本人という国籍条項が付いている。当時は日本人だった朝鮮人の軍人さんなどが抑留されても、この法律では補償の道がないんですね。このような、積み残してきたもののデコボコを、できるだけ早くなくしていきたい。そうでなければ、戦争の記憶が少しでもある国民の側は、対外的な戦争責任を自覚するというところまでいかないでしょう。

 国内におけるそういったさまざまな気持ちの欠損が埋められていった暁に、日本人はようやく自分たちの戦争責任とも向き合えるようになるのではないか、私にはそんな期待があります。(pp.76-77)


 (これも加藤典洋の劣化コピーだが)「他人を殴った記憶が少しでもある加害者の側は、対外的な加害責任を自覚するというところまでいかないでしょう」、「自分の中でのそういったさまざまな気持ちの欠損が埋められていった暁に、加害者はようやく自分の加害責任とも向き合えるようになるのではないか」・・・・・・ってどういう意味ですか?

 それでも「歯ごたえのある対論」終章。


佐高 一九三六年のベルリンオリンピックのときにマラソンで優勝した孫基禎(ソンギジョン)という人がいました。当時、朝鮮は日本の統治下にあったので日本選手として出場して日の丸が掲げられた。当人はそれが本当に悔しくて、心の中では日の丸を破り捨てたかったというんです。

 その後、ベルリンにオリンピックの優勝記念碑が建てられ、彼の国籍は「Japan」と刻まれた。するとあるとき、韓国人の旅行者がその部分をノミで削り取って「Korea」と直した。それをIOCは、再び「Japan」に戻すんです。本人は「JOCが国籍変更を申し出てくれればIOCも理解してくれるはずだ」と語ったわけですが、私は本人の思いが「Korea」にしてほしいならばしてやるべきだろうと思う。

 それなんかも西部〔邁〕は反対しないんですよ。だから一緒に本を出したりすることもできる。私としては、西部と一緒に本を出すようになるなんて、我ながらずいぶん大人になったもんだ、という感覚です(笑)。

加藤 なるほど。大人としての包容力ですかね(笑)。


 ・・・・・・。

 やっぱり「歯ごたえのある対論」第四章。


加藤 生活の中でいろいろな青年運動がありましたが、その中の一つに、キリスト教の影響があったという点も見逃せません。

 今、満州移民の話をしましたが、終戦時に満州にいた日本人は約二〇〇万人。軍人が約五〇万人、民間人が約一五〇万人、この数の多さには驚嘆します。ではそれだけ多くの人がなぜ移民しようという気持ちになったのか。〔中略〕

 一九三〇年代、キリスト教的な人道主義を背景として、生活協同組合なども広まります。また、産業組合が、その機関誌『家の光』で、農村の生活改善キャンペーンに乗り出します。〔中略〕この『家の光』に、協同組合運動の父と称される賀川豊彦が『乳と蜜の流るゝ郷』(復刻版 家の光協会 二〇〇九年)という連載小説を書いていて、この人気小説のせいで、三五年からの『家の光』は一〇〇万部を超えたといいます。二年くらい続く連載でしたが、大ヒットするんです。

 「乳と蜜」という言葉は日本の語彙ではありません。聖書の言葉です。賀川豊彦は「出エジプト記」などに出てくるような言葉をうまく使いながら、貧しくもまじめな青年が、苦界に身を一度は落としてもけなげに働く農家の嫁となった女主人公とともに、満州をめざす話を書いた。新天地・満州へと青年層にダイレクトに訴えかけた小説でした。

佐高 ああ。つまり、ここより彼の地へということですね。ここにいてもあまり希望がない、もっと夢のある地へ行こう、と。〔中略〕そこは、本当は「乳と蜜の流れる郷」でないかもしれないけれども。

〔中略〕

加藤 じつはこの「乳と蜜」という言葉は、満州移民の悲劇だけにとどまらず、戦後、大陸から引き揚げてきた人々の苦労とともに語られることもありました。

 これは実際にあった話ですが、大陸から命からがら戻ってきても、村には戻る場所もない。よって、戦後の開拓として、郡上市高鷲町の「ひるがの」というところを開拓することとなる。大陸でも開拓、帰国しても開拓で、本当に胸がつぶれる物語です。(pp.137-139)


 侵略者の「苦労」に「本当に胸がつぶれる」加藤。しかし、佐高も負けてはいなかった。


加藤 例えば、在日特権を許さない市民の会(在特会)のメンバーを取材したジャーナリストの話ですが、実際に会ってみると普通の穏やかに見える人が、この運動を通じて初めて「団結と連帯」の場を見つけることができた、というようなことで運動に入っている。これは惜しいと思う。他に入っていくべき運動はなかったのかと思います。これはかつての『家の光』の喚起力に相当する話なのではないでしょうか。

佐高 そこで「乳と蜜」のある場所へと勇躍跳んでいくという意欲はない。(p.150)


 ・・・・・・スポーツ紙の見出しなら、「佐高、「在特会」に北東アジア侵略を煽動!」で決まりだな。念のため一番下には小さく「?」を入れておくよ。

(▼4) 「神国観念」については、同じく1942年に出版された高山岩男の著作『文化類型学研究』(弘文堂書房、p.242, p.249)を引用した、高橋の解説が参考になる。


〔中略〕日本では、その「島国的条件」のゆえに、皇室を「国民の大宗家」とする「血縁的統一性」および「民族と国民の合致」が成立し、国家観念の基礎が他者との「対抗関係」にではなく、「国民の血縁的起源」を直接さかのぼって「天孫降臨の神勅」に求められるから、権力と倫理との対立を超えてそれらに「所を得」させる「神国国家」の理念が、すなわち、「対立を越えた高き立場」から「よく対立者に所を得しめ」、「相違の根柢に深奥な統一性を実現する」「絶対至高」の「国体」の理念が確立された、というわけである。(高橋前掲書、p.230)

大日本帝国bot――加藤陽子×佐藤優×福田和也(前編)

 以前、扶桑社の「超世代文芸クォリティマガジン」こと『en-taxi』(慶應義塾大学・福田和也ゼミの同人誌的自称クォリティマガジン)で連載中の加藤陽子・佐藤優・福田和也の鼎談を紹介したが(「加藤陽子、「天皇は戦争責任の被害者」史観を語る」)、このシリーズ「歴史からの伝言」の最新号(2011年春号)が凄いことになっている。鼎談のタイトルは「危機下の宰相――原敬と「おとな」の政治」(「Series 歴史からの伝言 vol.5」)。タイトルから予想されるように福島原発「事故」後の情勢を踏まえた鼎談だが、各種の設定はデフォルトで大日本帝国になっている。佐藤の第一声を手始めに、主な妄言を抜き出してみよう(強調はすべて引用者による)。


●「統帥権の発動」


佐藤 三月十六日に天皇のビデオメッセージがありました。「人々の雄々しさに深く胸を打たれ」たと。この「雄々しさ」という言葉は明らかに明治天皇が詠んだ御製(天皇の作った詩歌)を意識していますね。「敷島の大和心の雄々しさは、事あるときぞあらわれにけり」。僕はあれを統帥権の発動と見たんです。事実その翌日からハイパーレスキュー隊が動き始めた。(p.146)


 台詞の前半は最早ネットや各誌で見飽きた感があるが、流石に「統帥権の発動」には仰天した。これまでも薄々感じてきたことだが、もしかして佐藤は自分が市民社会に生きているという現実に本気で気づいていないのではあるまいか?福田でさえ佐藤の「統帥権の発動」には深入りせず、次の無難な(?)大日本帝国トークでかわしている(ただし、しばらく後で加藤はあっさり深入りしている)。


●「皇室は怖い」


福田 皇室は怖いですね。被災者を那須の御用邸のお風呂に入れちゃうわけでしょ。

加藤 同感です。職員のお風呂とはいえ、やっぱりちょっとすごい。(p.146)


 「那須の御用邸のお風呂」どころか、皇室の財産は、アジアの民衆と日本国民に対する恥ずべき略奪・搾取の歴史博物館のようなものだろう。福田や加藤は「下賎」な被災者を「御用邸のお風呂に入れちゃう」皇室の「大胆さ」あるいは「寛容さ」に戸惑っているようだが(おそらくは嫉妬もあるのだろうが)、これなどはインドの高級ホテルのスイートルームに宿泊した際に信者を同室に雑魚寝させたという麻原彰晃の「畏れ多さ」に嘆息するオウム信者のようなメンタリティではないかと思う。つくづくどうしようもない連中である。


●「統帥綱領」「統帥参考」「軍人勅諭」


加藤 確かに天皇の言葉は、現場で命がけで働いている人に、強く訴える力がありそうですね。では、たとえば総理にそれを求めるとしたら、佐藤さんならどんな人が浮かびますか?

佐藤 浮かばない。僕は生命至上主義を超えろっていう感覚ですからね。これは「近代の超克」の問題だと思うのですが、合理主義、生命至上主義、それから個人主義、この三つによって融合した戦後のシステムの中だと変われないんです。今回の津波にしても二十三メートルの津波に対応できるように三十メートルの堤防を造ろうという思想とか、マグニチュード九・〇の地震が起きたから、今度九・四に備えろという、これじゃダメなんです。想定したことを超えたことが起きてる。それに対応するためには新しい思想が必要だと思うんです。恐怖を超えないといけない。〔「東電の幹部たち」などの「エリート」を〕萎縮させるのではなくて。そのへんの技法は旧日本陸軍の指導書である「統帥綱領」や「統帥参考」にあるんじゃないかと思うんですよ。(p.146)


 東電や東電を擁護する佐藤のような「原発文化人」による、「想定したことを超えたことが起きてる」という決まり文句が大嘘であることは、今では多くの人々が知っているが(もっとも、東電や政府、原子力安全・保安院、原子力安全委員会などの無能・無責任ぶりは、私たちの「想定したことを超え」続けているわけだが)、それはともかく、佐藤は「それに対応するためには新しい思想が必要だ」として、大日本帝国の「思想」を礼賛しているのであった。「近代の超克」と「統帥綱領」・「統帥参考」については後述するが、これらの大日本帝国の汚物が、なぜ「新しい思想」ということになっているのかは、目くるめく謎である。驚いたことに、佐藤の没論理極まりない一連の発言に対して、加藤は、福田のように話題を逸らすこともせず普通に応じている。伊達に「血液型占い史観」を語っていたわけではないのである(?)。


加藤 「統帥綱領」や「統帥参考」は、考える前に無条件にどう身体を動かせるようにさせるかという点で、非常によくできているマニュアルですね。特に、軍人の心構えを説いた「軍人勅諭」は、西周が書いただけあって、天皇と国家のために、頭と身体、双方がよく動くように、合理性とは別の次元で、感性に訴えるように書かれている。(p.147)


 「考える前に無条件に」「身体を動かせるようにさせる」というのは、端的に天皇制ファシズムの洗脳だとしか思えない。佐藤相手に同じレベルで一歩も引かない加藤には心底脱帽するが、「考え」ずに「身体を動か」すだけでよいのなら、もう人間ではなく昆虫か何かで充分ではないだろうか。加藤が褒め称えているらしい西周起草の「軍人勅諭」はネット上でも読むことができるので、試みに何節か紹介しておこう(▼1)。参考までにネット上にあった「現代語訳」を併記する。

原文:「我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある昔神武天皇躬つから大伴物部の兵ともを率ゐ中国のまつろはぬものともを討ち平け給ひ高御座に即かせられて天下しろしめし給ひしより二千五百有余年を経ぬ

現代語訳:「我が国の軍隊は代々天皇が統率している。昔、神武天皇みずから大伴氏(古代の豪族)や物部氏(古代の豪族)の兵を率い、中国(当時の大和地方)に住む服従しない者共を征伐し、天皇の位について全国の政治をつかさどるようになってから二千五百年あまりの時が経った。

原文:「朕は汝等軍人の大元帥なるそされは朕は汝等を股肱と頼み汝等は朕を頭首と仰きてそ其親は特に深かるへき朕か国家を保護して上天の恵に応し祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得さるも汝等軍人か其職を尽すと尽さゝるとに由るそかし我国の稜威振はさることあらは汝等能く朕と其憂を共にせよ我武維揚りて其栄を耀さは朕汝等と其誉を偕にすへし汝等皆其職を守り朕と一心になりて力を国家の保護に尽さは我国の蒼生は永く太平の福を受け我国の威烈は大に世界の光華ともなりぬへし朕斯も深く汝等軍人に望むなれは猶訓諭すへき事こそあれいてや之を左に述へむ」

現代語訳:「朕はお前たち軍人の総大将である。だから、朕はお前たちを手足のように信頼する臣下と頼み、お前たちは朕を頭首と仰ぎ、その親しみは特に深くなることであろう。朕が、国家を保護して、天道様(おてんとう様)の恵みに応じ、代々の天皇の恩に報いることが出来るのも出来ないのも、お前たち軍人がその職務を尽くすか尽くさないかにかかっている。我が国の稜威(日本国の威光)が振るわないことがあれば、お前たちはよく朕とその憂いを共にしなさい。我が国の武勇が盛んになり、その誉れが輝けば、朕はお前たちとその名誉を共にするだろう。お前たちは皆その職務を守り、朕と一心になって、力を国家の保護に尽くせば、我が国の人民は永く平和の幸福を受け、我が国の優れた威光(人を従わせる威厳)は大いに世界の輝きともなるだろう。朕はこのように深くお前たち軍人に望むのであるから、なお教えさとすべきことがある。どれ、これを左に述べよう。」

原文:「抑国家を保護し国権を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是国運の盛衰なることを弁へ世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ其操を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ」

現代語訳:「そもそも、国家を保護し国家の権力を維持するのは兵力にあるのだから、兵力の勢いが弱くなったり強くなったりするのはまた国家の運命が盛んになったり衰えたりすることをわきまえ、世論に惑わず、政治に関わらず、ただただ一途に軍人として自分の義務である忠節を守り、義(天皇の国家に対して尽くす道)は険しい山よりも重く、死はおおとりの羽よりも軽いと覚悟しなさい。その節操を破って、思いもしない失敗を招き、汚名を受けることがあってはならない。」

 ・・・・・・加藤先生、相変わらずお変わりないようで。


(中編に続く)

(▼1) ちなみに、影響力はほぼ皆無であると思われるが、Twitterには軍人勅諭や明治天皇の和歌や統帥綱領のbotまで存在する。

加藤陽子、「天皇は戦争責任の被害者」史観を語る

●加藤陽子、血液型占い史観を語る

 遅ればせながら、「超世代文藝クォリティマガジン」と称する『en-taxi』(扶桑社が年3回出版する福田和也のゼミ雑誌的な媒体)の最新号(vol.29)に、加藤陽子・佐藤優・福田和也の鼎談が掲載されているのを発見した。タイトルは「笠原和夫の『昭和天皇』から読む――皇室の母性と天皇の超越性」(強調は引用者による。以下同様)。加藤が「論壇」における自らの存在感を肥大化させるために佐藤や福田のような連中に全力で媚を売れる人物であることは以前から知っていたが(▼1)、まさかここまで素でホラーだったとは。


福田 〔裕仁が〕皇太后に戦争に負けますよという話をしたのは四五年六月十四日です。六月までは、まだ戦争をやめる気はなかったんだと思います。三月の東京大空襲で、もうまずいとは思っていても、そこまで腹は括れてない。で、六月に観念していく。皇太后に話をしに行こうとしますが、気持ち悪くて倒れて、吐いたりして、もう大変な思いをする。「文藝春秋」に掲載された「小倉庫次侍従日記」に書かれていますね。

加藤 天皇は、軽井沢への疎開を皇太后に薦めるのですが、脚本〔笠原和夫著『昭和天皇』〕では、「動くつもりはありません」「国民に対して、卑怯なことだけはあたしはしたくありません。その話はもう結構です」と、皇太后は、にべもない。天皇は、そのような厳しい人に、自分の代で戦に負けるかもしれないと告げなければならない。うちの夫は天皇と同じAB型で恐母でもあるためか、昭和天皇のこのつらさはよくわかるといっていました。

(一同) (笑)(pp.215-216)


 ・・・・・・「『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』がそれでも売れるわけ」(『en-taxi』を見て思い出したが、そういえば未完)で、私は加藤の言説と歴史修正主義の親和性を指摘しようとしてきたが(▼2)、どうやら加藤の言説は血液型占いとも相性抜群だったようである。こんな人物が「歴史学者」として通用している「論壇」とはいったい何なのだろうか(▼3)


●加藤陽子、「天皇は戦争責任の被害者」史観を語る

 さて、「(一同) (笑)」の後、鼎談は一挙に霊的世界へと雪崩れ込んでいく。


佐藤 皇太后にはやっぱり一つの大きな霊力みたいなものがあったんですよね。

福田 貞明皇后は、大正天皇の体が不調をきたすようになってから信仰にのめり込んでいき、祭祀を重要視するようになったと言われていますね。そこから、信仰の面で皇太子との確執が生まれるようになったと。

佐藤 僕は、この貞明皇太后の感じというのは皮膚感覚でよくわかるんですよ。これは沖縄だと聞得大君(きこえのおおきみ)です。〔中略〕(p.216)


 「皇太后にはやっぱり一つの大きな霊力みたいなものがあった」、「僕は・・・皮膚感覚でよくわかる」などという佐藤の信仰の表明は、単に天皇制(主義者)の気色悪さを際立たせているだけではないかと私には思えるが。けれども、この鼎談の恐ろしさは、福田と加藤が佐藤の独り勝ちをまったく許していないことにある。とりわけ裕仁を「陛下」と呼ぶ加藤の天皇制主義者ぶりは壮絶だ。


加藤 脚本では、マッカーサーは最初はちょっと傲慢な感じで、陛下が「すべての罪は私にある」と言った途端に「すべて陛下のお力添えによるものです」と、態度を変えるように描かれる。そこを国体の転移とみて、すべての精神の接受がなされたとみる。

佐藤 そうです。そしてこの昭和天皇の、すべての罪を一身に、というのは完全にキリストですよね。〔中略〕罪なき者が罪を背負うという構図、キリスト教文化圏の人にはわかりやすい。

加藤 日本というのは、昔から、日清戦争では清から賠償金をもらい、日露戦争ではロシアから東清鉄道をもらい、第一次世界大戦ではドイツから南洋諸島をもらい・・・・・・という具合にお金と物でもらってきたから、戦争責任というのは、基本的には敗戦国民全体が経済的に負うものだという考えが骨身に染みていたわけですよね。

 ところが、戦争中のアメリカからの宣伝もあって戦争責任を負うのは指導者だけでいい、との考え方が入ってくる。と同時に、そうした考えが自然なものとして受け入れられていくのは、空襲なり艦砲射撃なりがあって、防空壕のなかが真っ黒焦げになるというような被害が全国にあったからですよね。たとえばイギリスであれば、公共の防空壕を掘るのは国の仕事でした。だけど、日本は、個人の仕事として防空壕を掘らなければならない。だから軍の国防はあっても、民の防空はないという状況だったわけです。そうなると、戦争の悲惨を味わった国民感情として、戦争責任を具体的な個人が負うのを見てみたいという、復讐の気持ちが出てきたのかなと思うんです。(pp.221-223)


 前半の加藤の台詞は、残念ながら(幸い?)私には解読できないため、やむを得ず割愛するが、裕仁には戦争責任すらないと二人が考えているらしいことは極めて重要である(加藤の場合はそのように断言しているわけではないが、佐藤の発言を特に批判してもいない)。裕仁をキリストに喩える佐藤の妄言と比べれば、ヒトラーをキリストに擬える方がまだマシなのではないかと思うのだが(少なくともヒトラーは「戦後」を生き延びなかった)、仮に(「キリスト教文化圏」の)ドイツでそんな暴言を吐けば、どんな「論壇の寵児」も超絶レイシストとして言論界から即刻追放されるだろう。まったく日本はレイシストの楽園である。加藤にいたっては、日本国民による裕仁の戦争責任の追及を「復讐」とまで誹謗しており、裕仁がアジアに対する植民地支配・侵略戦争の責任を「不当」に問われる「被害者」であるという、倒錯し切った歴史観を展開している。血液型占い史観を恥ずかしげも晒してくれる加藤にとっては、歴史的事実というものは始めから科学的な検証の対象ではないのかもしれない。

 キムチョンミ氏が、「「竹内好の言説の一部分をとりだし、「今となってはチャンコロ時代がなつかしい」などという暴言を無視して、肯定的に語る文筆者が、「大逆事件」一〇〇年後においてもなお、あとをたたないのは、日本の思想状況の悪質さを示す事例のひとつである」(▼4)と指摘しているように、「日本の思想状況の悪質さを示す事例」は、現在出版されているどのような雑誌を読んでも見つけることができるだろう。

 佐藤優や加藤陽子の言説の一部分をとりだして、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」(佐藤)、「みずからが救われるかどうかという感覚、これに突き動かされて征韓論は主張された」(加藤)などという侵略を正当化する暴言の数々を無視ないし容認して、肯定的に語るリベラル・左派の居直りも、竹内好をもてはやしている人々の欺瞞と同様、とりわけ許してはならないものである。

 というわけで、次回から岩波書店批判シリーズを開始する。


▼1 その初期の例としては、『文藝春秋』2005年6月号に掲載された加藤の書評、「佐藤優『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』」など。面倒なのでいちいち突っ込まないが(文章も非論理的で意味不明な箇所が多い)、加藤にはそもそも書評と媚の区別がついていないのかもしれない(強調は引用者による)。


 深すぎる学識と的確すぎる表現によって、俎上に上げられた書物を語り倒してやまなかった、華麗なる三悪人による鼎談書評が先月で終わってしまった(注:『文藝春秋』誌上で連載されていた鹿島茂・福田和也・松原隆一郎の三人による鼎談形式の書評のこと)。読書は豪奢な体験なのだと骨の髄まで読者にわからせてくれた先生たちは、生ける風俗資料、キャバレー「ハリウッド」見学と称して夜の街に消えておしまいになった。ならば、先生たちが休息しタメを作り英気を養い再び戻ってこられるまで、しばし留守番をつとめることとしよう。

 今月の留守番のお供は佐藤優『国家の罠』(新潮社)。副題の「外務省のラスプーチンと呼ばれて」の文字を読めば、読者はあの「鈴木宗男事件」で二〇〇二年五月逮捕されたロシア専門家の外交官(外務省国際情報局第一課主任分析官)かと気付かれるだろう。〔中略〕背任といま一つの容疑で起訴された著者は、東京拘置所に勾留されること五一二日、今年二月一七日の第一審で、懲役二年六ヶ月執行猶予四年の判決を受け、即日控訴していた。落胆も怒りもせず昂然たる表情で逮捕された人物は、塀の中の長い生活を経て、何をその手記で語ろうというのか。〔中略〕いやしくもここ十数年、西側外交官としてトップレベルの対ロ情報活動に従事してきた人物である。一冊ぐらいのベストセラーの印税で溜飲が下がるレベルの暴露などするはずがない。

 著者が書いたのは、日本の国策レベルの話である。小渕政権下の九八年夏、官邸からの特命で、外務省欧亜局ロシア課の下にではなく、国際情報局第一課の下に「ロシア情報収集・分析チーム」がなぜ置かれなければならなかったのか。当時、自民党総務局長であった鈴木宗男氏の政治力はなぜ必要とされなければならなかったのか。〔中略〕

 この本は読んでいて実に楽しい。絶体絶命の場面で役立ちそうな洞察が満載されているからだ。いわく「利害が激しく対立するとき相手とソフトに話ができる人物は手強い」、「検察は本気だった。本気の組織は無駄なことをしない」云々。さて、国家がどれだけ人間に過酷になれるかを描きながらも、人間の偉大さをなぜかしみじみ語ってしまえる『死の家の記録』や『収容所群島』を生んだロシア、そのロシアを長年相手としてきた外交官であるからか、自分を担当した敵役・西村な尚芳検事とのやりとりを描くその筆致に独特の味わいがある。この魅力的な敵役を配したからこそ、国民のナショナリズムを刺激することによってではなく、玄人好みの政治手法で交渉困難な相手に対し国益の増進を図ってきた著者の姿勢が、正当かつ現実的なものであったとの印象がしっかりと読み手に伝わるのである。読後、表紙をよく眺めてほしい。霞ヶ関の外務省方向から、永田町の国会議事堂正面方向を撮った払暁の写真で富士山を遠くに配す。官僚、政治家、国家の絶望的な距離とともに、なおほのかな希望を感じさせる。 (加藤陽子著『戦争を読む』、勁草書房、2007年、pp.173-176)



▼2 扶桑社出版の「クォリティマガジン」に嬉々として登場している時点で、すでに語るに落ちている気もするが。

▼3 どうでもよいが、血液型占いを否定すると、「血液型占いが嫌いな人って、×型の人が多いけど、●●さんもやっぱり×型?」というようなことを言ってくる人が時々いる。あれも一体何なのだろうか?

▼4 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会:「一九一〇年・二〇一〇年 5」
 http://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/138a225a6dff68de716a99b088117705

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』がそれでも売れるわけ (3)

 前回、加藤は「日本近代史」と銘打った著作においてすら朝鮮・台湾の抗日運動をまったくと言ってよいほど取り上げていない、と書いたが、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の第3章には、「三・一独立運動」という節があり、堤岩里(チェアムリ)の虐殺についても取り上げられている。ところが、それがまたしみじみとひどい代物なのだった。加藤は、宇都宮太郎(朝鮮駐屯日本軍司令官)の当時の日記を引いて、次のように述べている。


 この日記を読んで、一つだけ、ああ、あの事件はやはり本当だったのか、と思いあたる記述がありました。日本軍が三・一運動の鎮圧に際して起こした残虐な事件の一つに、堤岩里(ていがんり)〔原文ルビ〕事件というものがあったのですが、日記にこの事件の詳細が書かれていて、事件の真相につき、政府に対してどのように弁明するか、どこまで真相を隠すかについて、朝鮮総督府と朝鮮軍司令部の間で調整していた事実が明らかになりました。(加藤陽子、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』、朝日出版社、2009年、pp.234-235)


 三・一独立運動を徹底的に弾圧し、かつ堤岩里(チェアムリ)に象徴される、朝鮮民族に対する虐殺を組織的に隠蔽した張本人の日記を読んでようやく、「ああ、あの事件はやはり本当だったのか」などと「思いあた」ってみせる加藤は、帝国主義者としては超弩級なのかもしれないが、歴史家としては、はっきり言って、ゴミである。堤岩里(チェアムリ)に、日本語読みで「ていがんり」というルビをご丁寧に振ってみせる振る舞いも、まさしく日帝そのものだ。チェアムリを「ていがんり」と呼んで(呼ばせて)恥じない歴史観に立つ加藤は、8.15以後もなお、いくつもの「チェアムリ」で殺されたアジアの民衆に敵対し続けていると私は思う。

 事実、加藤は、宇都宮があたかも「リベラル」な思想を持って朝鮮「統治」に当たっていたかのように、この人物を持ち上げて、史実を大幅にリニューアルしているのである。


 宇都宮太郎は実にまともな軍人でした。日記においては、数千から一万人以上の群集が「独立の宣言書を撒布(さっぷ)し、独立万歳を叫びつつ街路を練り」歩くさまが描かれています。宇都宮は運動の主導勢力を、天道(てんどう)教徒・キリスト教徒・学生をはじめとする「新進有為(しんしんゆうい)」(前途が楽しみな優秀で若い)の朝鮮人であると判断しており、これは研究史的にも正しい判断だと思われます。また、宇都宮は独立運動の要因を、日本が「無理に強行したる併合」に求め、併合後の朝鮮人への有形無形の差別に起因すると率直に書いていました。つまり、日本が無理に併合を強行し、併合後の朝鮮人を差別的に扱ったから独立運動が起きてしまったのだと分析していたのです。(p.234)


 三・一独立運動に参加した朝鮮人が「新進有為(しんしんゆうい)」であることを喝破して(?)、彼ら・彼女らを虐殺した責任者が「実にまともな軍人」である、という論理からしてさっぱり理解不能だが(とりあえず、加藤の脳内に人権という概念がないらしいことは確かだろう)、だいたい宇都宮の日記のどこをどう読めばこんな破廉恥な論理が展開できるのだろうか?あまりにも意味がわからない。

 「宇都宮は独立運動が始まると、日本政府の武断統治(軍隊や警察などの武力による強圧統治)を批判し、「朝鮮人の怨嗟動揺は自然」と日記で指摘した。また3.1運動は「キリスト教徒、民族宗教の天道教徒、学生らが主導し、外国人宣教師が後援して蜂起したもので、根が深い」と評価した。しかし抵抗が次第に激しくなると、宇都宮は「もはや姑息な鎮圧手段では到底効果を上げることはできない」とし、朝鮮総督に軍動員の承認を受けて鎮圧に乗り出したと、同紙は伝えた。

 その後、宇都宮は‘文化政治’(親日派育成・利用政策)導入を主張し、朝鮮人の民族運動家、宗教指導者らと会い、懐柔作業を繰り広げたことが分かった。翌年5月には日本陸軍大臣に書簡を送り「今後は朝鮮に日本式の‘府県制’や自治を認める‘自治植民地’を作らなければならない」と提案した事実も明らかになった。」

 中央日報:「日本の堤岩里虐殺隠ぺいを立証する朝鮮軍司令官の日記発見」
 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=85039&servcode=400%81%98code=400

 ちなみに、今日の韓国の冷戦勢力につながる親日派勢力が最初に拡大したのは、日本帝国主義による朝鮮民族分断政策が敷かれた、「文化政治」の時代においてであった。(軍事力の発動を前提とした)「文化政治」を礼賛しているらしい加藤のメンタリティは、大日本帝国と完全に地続きである。

 lmnopqrstuの日記:「姜萬吉の韓国冷戦勢力批判(1)」
 http://lmnopqrstu.blog103.fc2.com/blog-entry-2.html

 本書からの引用を続けよう。


 三・一独立運動

 〔ウィルソン米大統領の提唱した「民族自決」の原則に〕大きな希望を抱いた地域の一つの例が、日本統治下の朝鮮でした。ウィルソンは朝鮮に関して民族自決の原則が適用されるとは考えていませんでした。ランシング〔米国務長官〕の懸念〔「この宣言はダイナマイトを積んでいる。決して実現されない希望を呼び起こす。」(pp.232-233)〕が現実のものとなります。朝鮮独立運動が起こったのです。一九一〇(明治四十三)年以降、日本の植民地とされた朝鮮では、ウィルソンの意図を拡大解釈することで独立への希望をつなぎます。(p.233)


 行間を見ると、「民族自決」の原則を真に受けたおバカな朝鮮民族が舞い上がって、無駄に独立運動をした、と書いてあるように読める。三・一独立運動をウィルソンのダブルスタンダードからの「逸脱」として捉えるような帝国主義者には、三・一独立運動に参加した当時の朝鮮人のことも、そうした抗日の歴史を集団的な記憶の参照軸とする、同時代のアジアの民衆のことも、何一つわからないままだろう。さらに言えば、(日本の右傾化という)時流に無駄に舞い上がっているのは加藤の方である。


 同時期の一九一九年、高宗(こうそう)という、大韓帝国時代の皇帝だった人物が崩御(ほうぎょ)します。三月三日に予定されたお葬式を外形的なカモフラージュに使いながら、同年の三月一日を期し、数千から一万以上の人々がソウルで独立運動を起こしたのです。(p.233)


 本書では高宗(コジョン)は死後にようやく登場している。ここで加藤が高宗(コジョン)を突然持ち出してきた意図は、三・一独立運動への読者の理解を妨げ、得体の知れない「朝鮮」という表象を捏造することにあるとしか思えない(もっとも、本書以上に得体の知れない日本を表象する書物もあまりないと思うが)。

 三・一独立運動に限らず、基本的に加藤の叙述は、最良の場合でも官憲資料の忠実な反映にすぎず、そうでない(つまりたいていの)場合は官憲資料のご都合主義的な引用と歪曲に満ちている。上記で言えば、「数千から一万以上の人々がソウルで独立運動を起こした」というくだりが、後者の典型例である。日本官憲の資料によってさえ、三月中の検挙者が1万3157人、死亡者が553人、負傷者が1409人とされている(▼8)のだから、三・一独立運動の参加者が「数千から一万以上」どころではありえないことは明らかである。三・一独立運動のうねりを見くびり、その時間軸を1919年3月1日に、参加者を「数千から一万以上」に、主導勢力を「新進有為」の朝鮮人(いわゆるインテリ層)に、さらに舞台をソウルに限定するような矮小化は、すべて「研究史的にも正し」くない(▼9)

 アジアの民衆の抗日運動に対する加藤の眼差しが、大日本帝国の官憲のそれとほとんど変わらないことは、加藤が、義和団運動を、「一九〇〇年の北清(ほくしん)事変(清朝政府が、国民のなかから起こった義和団の排外主義運動に乗っかってしまって、列強に挑戦した事件)」(p.259)などと定義していることにも、端的に伺える。義和団はこれではまるで「在特会」ではないか。



▼8 「日本軍警の武力弾圧による朝鮮人の被害は当時の状況では調査が不可能であったし正確な統計数字はでていない。当時の外国人新聞記者、宣教師などの見聞調査などから資料を綜合して書かれた朴殷植の『韓国独立運動之血史』およびヘンリ・チョン(鄭翰景)の『朝鮮事情』(Henry Chung; The Case of Korea)に全国的な統計数字がある。これらの統計も多くの資料的制約があったから実際はそれ以上と思われる。

 『血史』にある被害数(三月一日―五月末日)は次の通りである。

 死亡人数 七五〇九
 被傷者数 一万五九六一
 被囚者数 四万六九四八
 毀焼教会堂数 四七
 毀焼学校数 二
 毀焼民戸数 七一五

 また鄭翰景の『朝鮮事情』にあるものは次の通りである(一九一九年三月―一九二〇年三月)

 死亡者数 七六四五
 被傷者数 四万五五六二
 被逮捕者数 四万九八一一
 教会焼失数 五九
 学校焼失数 三
 民家焼失数 七二四

  逮捕者処分

 憲兵の即決処分による笞刑 九〇七八  控訴受理 一八三八
 略式裁判による笞刑 一五一四  執行猶予 二八二
 懲役刑判決 五一五六  釈放 七一一六
 起訴 八九九三

 日本憲兵隊の資料として『朝鮮騒擾事件経過概覧表』などがあるが概して死傷数字は非常に少なく記されている。これは日本官憲による発表であるから意識的に対外的影響を考慮して少なく発表したものである。それによると三月中に検挙人員一万三一五七人、死亡人員五五三人、負傷人員一四〇九人となっている。

 また逮捕・検事処分数は次の通りである。

  逮捕・検事処分数統計(一九一九年三月一日―十二月三十一日)

 運動回数 三二二〇回
 逮捕総数 二万八四四三名
 検事処分数 一万九五二五名
 起訴者数 九四四一名

  (保安法違反六五二七、大正八年制令違反三五五、騒擾罪二二七五、その他九八)」(朴慶植、『日本帝国主義の朝鮮支配 上』、青木書店、1973年、pp.191-193)

▼9 「独立運動は三月一日ソウルをはじめとして、平壌、鎮南浦、安州、義州、宣川、元山などの地域で同時におこり、つづいて同じく民族代表の出身地である北朝鮮の平安南・北道、黄海道、咸鏡南・北道へと全国一三道に波及していった。また三月六日には中国の西間島で、一三日には北間島でおこり、さらに沿海州、アメリカでも展開された。このように急速に、全国的に、国外にまでも独立運動が広汎に展開できたのは基本的には朝鮮人民の民族独立を希求し、決起するだけの主体的条件が熟していたからである。しかしそれが殆ど時期を同じくして全国的に決起できたのは決して自然発生的にではなくて前述したように民族代表の準備計画が綿密に進められ、天道教、キリスト教、仏教などの宗教団体及び学校などの組織があずかって大きな役割を果たしていることは疑いない事実である。独立宣言書は宗教家、学生らを通して組織的に配布されたが、高宗国葬参加者の帰郷と宣言書伝達の影響が大きい。宣言書の枚数の少ない地域ではさらに謄写で数百、数千と増刷をしているので全体で数十万ないし数百万ともいわれている。檄文、新聞あるいは宣言書もソウルをはじめ地方で独自的につくったものも多く、これらの動員的役割も無論無視できない。〔中略〕

 全国的に運動展開の傾向をみると、初期には都市を中心に宗教家、学生、教師らのインテリが運動の中心となっていたが、三月中旬以後から四月にかけて運動が広汎に、そして激烈になるにつれて、農民、労働者、商工人、官吏、両班らのあらゆる階層が参加し、またその指導もインテリに限定できなくなった。特に農村では地域によってはインテリの指導がなされていたが、農民らの主導的力量で闘争がつづけられている。全般的にみて天道教は主として中・北部の六道で、キリスト教は北部地域、学生・農民は南部で中心的に活動している。また地方での蜂起では必ずといっていいくらい大衆動員の条件のいい市日が利用されており、それも一回だけでなく、市日のある毎に繰り返される場合が多かった。」(朴慶植、『在日朝鮮人・強制連行・民族問題――古稀を記念して』、三一書房、1992年、pp.417-418)

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