改憲/解釈護憲 Archive

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「護憲派」にとって譲れない一線とは何か?

●海上保安庁・特殊部隊による「武装船制圧訓練」の実態

 5月28日、国会で臨検特措法が成立し、さらに北朝鮮国籍船舶の入港禁止および全面禁輸などの一年間延長が全会一致で承認された。翌29日・30日にはさっそく海上保安庁の「武装船制圧訓練」が実施され(もともと「訓練」に間に合うように審議日程が組まれていたのだろう)、「海上テロやシージャックへの対処を任務とする海保の特殊部隊「特殊警備隊(SST)」が初公開され、黒いタクティカルスーツ姿で自動小銃を携えた隊員が武装密輸船を制圧する訓練も一般応募者ら4314人に披露された」という。私もニュースを見たが、自衛隊の「訓練」だと言われても殆ど違和感がないほどだった(実際に海上自衛隊の「護衛艦」も同行していた)。

 毎日新聞:「海保:特殊部隊SST初公開、武装船制圧訓練を披露」
 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100530k0000m040049000c.html

 「一般応募者ら」の克明な報告によれば、海上保安庁の特殊警備隊は、陸上自衛隊と同じ89式小銃や、米軍御用達の重機関銃(GAU-19/A)を使用して、「容疑船」を制圧している。(公海上の)北朝鮮国籍船舶を威嚇弾で追い詰めておいて、反撃を受けたら重機関銃をぶちかますという想定は、もう完全にタガが外れているとしか思えない。これでは人を殺さない方が難しいのではないか。こんな卑劣な法律の成立に加担した社民党は恥を知るべきだ。


今度はCL93 さるびあ演じる容疑船が、なつぐも、ふじ、しらはぎ、しょうなん(警察艇)、みょうこう(税関艇)、複合型ゴムボート6隻に追われてやってくる。ファンファン、ピーポーピーポーとサイレンが鳴り響き、さながら海上のカーチェイスといった感じ。

威嚇弾で進路を塞ぎ、容疑船を追い詰めていく。

複合ゴムボートが猛スピードで容疑船の側面へ回り込む。

小回りの利く複合型ゴムボートから威嚇弾を発射。ドパムッ!! オレンジ色の光が眩い。

容疑船からテロリストが小銃を乱射。使用するのは89式小銃。こちらの小銃もエイムポイントやイオテックのドットサイトが装着されているのがわかる。

しらはぎ船上からSST隊員が89式小銃で応戦。

しらはぎ船体にテロリストの射撃した銃弾が当たり、火花を散らす。

PC109 なつぐも巡視艇が装備する、目標追尾型遠隔操縦機能を備えた12.7mm多銃身機関銃GAU-19(ガトリング砲)をブロロロローッと容疑船へ射撃!!

もちろん空砲なのだがその迫力たるや。

さすがにガトリング砲で撃たれてはたまらんと、テロリストは降参。

しらはぎが容疑船へと近づく。

船首にSST隊員が大盾と拳銃を構える。

拳銃はSIG P228を使用しているといわれているが、この写真からだともう少しスライドが長いオートマチックにも見える。

容疑船へと慎重に近づくしらはぎ。

船体を密着させSST隊員が一気に容疑船へと展開する。
このときの隊員はすべて拳銃を使用していた。

船尾から船首へテロリストを取り押さえる。

容疑船を制圧!! テロリストは白旗を揚げた。


 ハイパー道楽:「平成22年 海上保安庁 観閲式 及び 総合訓練 パート2」
 http://www.hyperdouraku.com/event/jcg100529/part2.html


●「護憲派」にとって譲れない一線とは何か?

 北朝鮮国籍船舶の入港禁止や全面禁輸などの措置を延長し、さらに政府が北朝鮮との送金や全面禁輸の取り締まりの強化を決定するにあたって、引き合いに出されているのが、天安号沈没事件である。ブログ「河信基の深読み」で詳しく報じられているように、天安号沈没の原因は座礁と衝突である可能性が高く、北朝鮮の関与を断定した韓国・軍民合同調査団の調査結果には疑わしい点が多いのだが、この調査結果(を受けた李明博政権の強硬策)に便乗している面では、政府も共産党も変わりないわけだ。

 北朝鮮の「脅威」を理由に辺野古「移設」をあくまで正当化しようとする、鳩山の厚顔な辞任表明を歓迎するリベラル・左派は、さすがにあまりいないだろうが(例によって、『マガジン9条』は「少し目に涙を浮かべながら想いのたけを述べていて、それなりに立派な演説でした」(vol.259)などとお茶目な解説をしているが)、彼ら・彼女らの多くは社民党的視点から民主党政権を批判しているのであり、在日朝鮮人への弾圧を含む対北朝鮮「制裁」(の強化)に反対しているわけではない(それにしても、日本人マジョリティが平気で口にする「制裁」という言葉のニュアンスは、かつての「征韓論」と非常によく似ていると思う)。

 前回のエントリーで、「それでも護憲派は社民党にまだ何かを期待できると考えるのだろうか」と書いたが、一週間前の私はあまりにもナイーブだったようである。「護憲派」の多くは、むしろ今こそ社民党に本気で何かを期待しているように見える(いったい何を?)。彼ら・彼女らに「譲れない一線」というものが仮にあるとすれば、それは侵略国の国民としての特権を享受したまま、「人権」や「平和」を主張するダブルスタンダードを手放さない、ということに尽きるのではないだろうか?

自衛隊の任務は臨検ではなく武力行使――臨検特措法の成立に抗議する

【5/28 追記】周辺事態法と自衛隊の臨検の関係について一部修正・加筆しました。

 臨検特措法案が本日参議院で可決された。おそらく明日にも本会議で成立するだろう。改めて強く抗議したい。

 今日はちょうど時間が空いていたので、参議院・国土交通委員会の審議中継を聞いていたのだが、今さらながら状況の凄まじさを確認できた。いくつか列挙してみよう。

1.臨検恒久法制定への動き

 前原誠司・国土交通大臣は、「日本の安全保障あるいは警察活動の充実」のためには、今回のような特措法では充分でなく、恒久的な臨検法の検討と制定が必要であると明言している(佐藤正久・自民党議員の質疑に応じて)。前原は、臨検特措法が公海での臨検を可能にしていることについて、「こういうものは曖昧な方がいい・・・不審な船が出てきたときに、どこでも対応できる」と述べ、さらに「いつでも対応できる」ための臨検恒久法制定への意気込みを表明しているわけである。もちろん、前原の意気込みは民主党政権の意思そのものであり、自民党などの右派も共有している。


2.自衛隊の任務は臨検ではなく武力行使である

 臨検特措法案では「関係行政機関は、第一条の目的を達成するため、相互に緊密に連絡し、及び協力するものとする」(第9条)と規定されているが、「関係行政機関」たる自衛隊の出動目的は、臨検ではなく端的に武力行使である。榛葉賀津也・防衛副大臣も、自衛隊には臨検を実施する法的根拠がないという佐藤の指摘を認める答弁をしている(具体的には、自衛隊の出動根拠となる自衛隊法第82条は、自衛隊が「とること・・・ができる」「海上において必要な行動」として、臨検を想定していないとのことである。ただし、ただし、周辺事態法が適用される場合は、自衛隊が臨検を行うことも法的に可能。具体的には、海域を指定した上で、自衛隊と海上保安庁が棲み分けをして臨検を行うことになる)。要するに、自衛隊への出動が要請されるのは、すでに海上保安官が北朝鮮国籍船舶(商船)への武力行使を開始している場合なのであった。再び(佐藤に対する)前原の答弁を引いてみよう(ただし、発言は正確な書き起こしではなく、要約や省略を含む。以下同様)。

前原:「〔自衛隊法第〕82条というのは、〔北朝鮮国籍船舶が臨検への同意を〕拒否し続けて、そのまま北朝鮮の船が体当たりをしてくるとか、発砲してくるとか、そういう場合は、海上保安庁として対応・・・正当防衛をしますが、それを超えた何かが起きようとしているときには、自衛隊に出てもらう。そういった状態において〔自衛隊が〕貨物検査をするという前提を取るのはおかしい。それを超えているから自衛隊にお願いするわけです。

 (佐藤に対する)榛葉・防衛副大臣の答弁も合わせて見てこう。

榛葉:「〔北朝鮮国籍船舶から〕激しい抵抗があった場合、海上保安庁では対応できなかった場合、自衛隊が対応します。海上自衛隊が護衛をしながら〔海上保安庁が〕貨物検査をすることは法的には可能ですが、現実的には難しいと思います。」

 まさに語るに落ちている。臨検特措法案における自衛隊の任務が、海上保安庁に代わる臨検ではなく、さらに海上保安庁による臨検の「護衛」ですらなく、純粋な武力行使であることを、政府自らが認めているのである。


3.臨検特措法で終わらない対北朝鮮強硬策

 李明博大統領の韓国哨戒艦沈没事件に関する「国民向け談話」を受けて、5月24日に開催された安全保障会議では、「まず、第1点、韓国を強く支持していくという立場から、国連安保理での対応を含め国際社会との連携、特に日韓、日米、日米韓の連携を強化していくこと。2つ目、我が国として、新たな対北朝鮮独自措置の検討を早急に開始をすること。3つ目、いわゆる貨物検査法案の早期成立に向けて全力で取り組むこと。〔中略〕最後に、引き続き、この予断を許さない状況下のもとに情報収集を強化するなど、国民の安全・安心の確保に万全を期」すことが決定されている。草川昭三・公明党議員などは、北朝鮮への送金の全面停止や資産移転禁止、北朝鮮寄港船(中国籍船が四割)の入港禁止などを政府にけしかけており、その一部が現実化する恐れもある。


4.武力行使をするのは自衛隊だけではない

 法案に賛成票を投じた渕上貞雄・社民党議員の質疑も紹介しておこう。内容はほとんどない、というかひどいのだが、最後のやり取りは重要である。

渕上:「政府が北朝鮮籍船舶の入港禁止や北朝鮮からの輸入禁止等の追加制裁を延長した理由をお伺いします。」

西村智奈・美政務官:「〔前略〕諸般の情勢を勘案して、対北朝鮮措置を継続することが必要と判断しました。〔後略〕」

渕上:「制裁を実施する中で北朝鮮との関係についてどのような努力をなされているのでしょうか?」

西村:「〔前略〕諸懸案の解決にとって重要なのは、北朝鮮に対して解決に向けて具体的な行動を取ることが利益になると理解させることです。〔後略〕」

渕上:「制裁を延長することによって理解するのでしょうか?それによる北朝鮮との関係改善はどの程度実効性を持つのでしょうか?」

西村:「特定船舶入港禁止特措法に基づいて・・・北朝鮮船舶の我が国への入港はゼロになりました。北朝鮮の厳しい経済状況と合わせて考えたときに、これは一定の効果を出していると考えられます。制裁を延長することによって、我が国の立場を明確にする効果があります。」

〔中略〕

渕上:「臨検に際して必要な旗国や船長の同意とはどのようなものなのでしょうか?書面で行うのでしょうか?それとも口頭でよいのでしょうか?」

西村:「〔前略〕なかなかどちらと限定はできないところでございます。〔後略〕」

渕上:「検査は必ずしも安全な状態であるとは限りません。相手の側からの抵抗や武力の行使も考えられますが、そのような場合どのような対応をするのでしょうか?〔中略〕海上保安官の安全確保はどのように行うのでしょうか?」

鈴木久泰・海上保安庁長官:〔海上保安官が〕武器を使用することも可能です。〔中略〕不測の事態も予想されるので、〔海上保安官には〕防弾防刃救命衣と防弾ヘルメットを装備させ、武器も携行させることで対応します。

 海上保安庁によるものであれ、自衛隊によるものであれ、北朝鮮国籍船舶への武力行使を前提とした法案について、社民党がそれを明確に認識した上で、確信犯的に賛成票を投じていることは、決して軽視するべきではないだろう。それでも護憲派は社民党にまだ何かを期待できると考えるのだろうか?

侵略を侵略と見なさ(せ)ない「護憲派」の退廃

 最近あまり時間がとれず、すっかり出遅れてしまったが、この間の状況の悪化について、簡単に書いておきたい。

 いきなり結論を述べるが、私は、リベラル・左派の大半が国会法改定に対して反対のポーズさえ取ろうとしていないのは、そもそも「対テロ戦争」への直接的加担――端的には自衛隊の海外派兵と武力行使――が侵略であり、侵略は悪いことであるという感性と判断力をほとんど失ってしまっているからだと思う(▼1)。彼ら・彼女らの多くは明文改憲には反対しており、5月18日の国民投票法施行を受けて、いくつか反対声明も出されているから(もっとも、社民党でさえ国民投票法の施行には反対しているくらいで、どこまでも白々しい「声明」や「談話」も多いが)、国会法改定に関する「護憲派」の沈黙は、彼ら・彼女らの解釈改憲――すなわち実質的な改憲――に対抗する(無)意思と(無)能力を測る有効な指標であると言える。もちろん、これはすでに衆議院を通過した臨検特措法案についても当てはまるだろう。「護憲派」の多くは、自国の軍隊が朝鮮民族を直接殺傷しうる事態の再来をひたすら静観しているのであり、さらに一部はそれを歓迎しているようにさえ見える(▼2)

 本気で不思議に思うのだが、ソマリア・ジブチ共和国、ハイチへの侵略に反対せず、アフガニスタン侵略を可能にする国会法改定にも沈黙し、さらに再び朝鮮侵略にもつながりかねない臨検特措法案を容認している「護憲派」の人々は、大日本帝国のアジア侵略に対抗しようとしなかった当時の日本人と同じ、というよりそれ以上の、罪を犯していることに気づいていないのだろうか?侵略を「国際貢献」と言いくるめるのは、侵略を「大東亜共栄圏の建設」と称するのと同程度に神がかっているように私には思えるし、現在の日本国民は大日本帝国の臣民よりもはるかに多くの権利を手にしているのだから、それに見合う政治的責任を負っていることは明らかである。

 もっとも、彼ら・彼女らがそのことをどれだけ自覚していようがいまいが、自国の軍隊がアフガニスタンや朝鮮の民衆を殺しかねない法律を容認することには、さすがに多少の後ろめたさが伴うだろうから(ただし『マガジン9条』界隈は違うらしいが)、それを合理化するためにも一層歪んだアフガニスタン、北朝鮮、および「平和国家」日本の表象が強く求められることになると思う。具体的には、伊勢崎賢治はこれまで以上に「護憲派」メディアにはびこることになるだろうし、北朝鮮を「ならず者国家」と言い放つ寺島実郎などは『世界』でますます重宝されるのではないか。天安号沈没事件をめぐる報道もそうした文脈で捉えるべきだと思う(これについては韓国の市民団体による「天安号沈没事件の調査結果と発表に対する記者会見文」を参照)。

 さて、国会法の改定案を衆議院に提出したのは、小沢一郎を筆頭に、民主党の議員四名(海江田万里、牧義夫、岡島一正、樋高剛)と、重野安正・社民党幹事長、下地幹郎・国民新党国対委員長の計七名である。重野と社民党は、「〔国民投票〕法施行の今再び、自民党を中心に改憲策動が強まり、改正原案を今国会に提出しようとする動きが出ている。憲法を尊重し擁護すべき義務をかなぐり捨て「米国に追従し、戦争のできる国づくり」を進めようとするタカ派の危険な策動には、断固として対決していく」(日本国憲法の改正手続きに関する法律(改憲手続法)の施行にあたって(談話))などと言いながら、国会法改定案と臨検特措法案の成立に積極的に加担して、民族差別と侵略を正当化しているのであった。社民党自身が「改憲策動」を「強」め、「〔国会法〕改正原案を今国会に提出し」、「憲法を尊重し擁護すべき義務をかなぐり捨て」、侵略「を進めようとする」「策動」の要にあるのだから、これほど人をバカにした「談話」もないだろう。

 ちなみに、国会法改定案には、衆院の定数480人の過半数にあたる、連立与党議員241人が賛成者として名を連ねているという。衆院の連立与党議員は全部で317人だから、実に四人に三人が法案の賛成者になっているわけである。これほどの執着を見せる法案の今国会成立を小沢が簡単に諦めるとは考えにくいので、あまり根拠のない楽観的な報道は真に受けない方がよいと思う。もっとも、それでも「護憲派」の多くは法案に反対しようとしないのかもしれないが。


▼1 「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会」のブログに公開されているキムチョンミ氏の論考「一九一〇年・二〇一〇年」をぜひお読みいただきたい。


 他地域・他国に侵入し、その地を占領し、その地の生産物や資源を奪い、抵抗する民衆を殺傷することは、犯罪である。それが、人道に反する犯罪であることを、一九四五年八月以前の日本民衆のほとんどは、自覚していなかったのだろう。だから、コトバでは表現できない凶悪な侵略犯罪を、当時の日本民衆は、継続していたのだ。
 一九四五年八月ののちに、日本民衆は、国民的規模で、侵略犯罪をくりかえさないという倫理を回復しただろうか。
 最悪の侵略犯罪者ヒロヒトを病死するときまで天皇としつづけ、いまなお「紀元節」やヒロヒトの誕生日を日本国民の祝日としている日本国民は、侵略犯罪をくりかえさないという倫理を確立できていないのではないか。


 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会:「一九一〇年・二〇一〇年 3」
 http://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/277772177cedc1b88233869e9c4b17bc

▼2 例えばこれなど。http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-448.html

 「超左翼おじさん」というブロガーは、自分がネット右翼と同様の言説を増殖していることに気づかないのだろうか。【5/27 ご指摘を受けて表現を訂正しました。】

ハイチPKO参加はアフガン派兵の前哨戦

 昨日ハイチのPKOに陸上自衛隊が派兵された。現在ハイチは米国の文字通り軍事占領下にある。日本でも連日報道されている、受刑者の脱獄や市民による支援物資の「略奪」といった、「治安の悪化」に便乗して、米国はハイチ政府に圧力をかけて、国内の治安維持を米国に一任する緊急法案を成立させており、米軍は「侵略戦争さながらの空母カールビンソンまで派遣し、沖からハイチ情勢を伺っている」という。

 ハイチへの自衛隊派兵について、左派はすっかり沈黙を決め込んでいるらしく、共産党や超少数の護憲派団体(▼1)やブロガーだけが、異議申し立てをしている状況である。沈黙しているだけならまだマシな方で、中には、「ハイチ大地震被災者支援全国カンパ運動」と称して、国連の軍事部門にも流れかねない(と文面を読む限り解釈できる)「カンパ」を募っている「護憲政党」や、「米国に復興利権を掠め取られるな」として、民主党政権の帝国主義外交の「未熟」さを嘆いている、左派系(ということになぜかなっている)ブロガーまでいたりする始末である。

 ひたすら沈黙を決め込んでいる大多数の左派にしても、まさか本気で自衛隊が「人道援助」に専念するとは思っていないだろう。昨日出発した先遣隊が「対テロ戦争」部隊であることは、各紙の報道からも明らかだし、ハイチに対する米国の(軍事)介入の歴史を多少なりとも知っていれば、今回の自衛隊派兵の主要な目的が、地震にかこつけた米国のハイチ再占領への協力にあることは、誤解の余地がないように思う。まずは、2月5日付の朝日の記事を引用する(強調は引用者による。以下同様)。


 鳩山内閣は5日の安全保障会議(議長・鳩山由紀夫首相)と閣議で、国連平和維持活動(PKO)協力法に基づき、大地震で甚大な被害を受けたハイチのPKOに、陸上自衛隊の施設部隊350人と司令部要員2人を派遣する実施計画を決定した。活動期間は撤収も見込んで11月末までの約10カ月間。PKOへの施設部隊の派遣は、2002年の東ティモール以来、8年ぶりとなる。

 実施計画の決定を受け、北沢俊美防衛相は5日、自衛隊に派遣命令を出した。先遣隊として、国際平和協力活動やテロへの即応を目的に編成された陸自中央即応連隊(宇都宮駐屯地)中心に約160人が6日、出発し、8日(日本時間)に現地入りの予定。13日にさらに40人が出発し、計200人で宿営地造成、がれき除去などにあたる。

 本格的な復興支援にあたる2次隊は陸自北部方面隊の第5旅団(北海道帯広市)を中心に編成し、2月下旬にも派遣する。2次隊が活動を開始すれば、先遣隊は帰国する。


 朝日新聞:「ハイチPKOに自衛隊350人が10カ月 6日先遣隊」
 http://www.asahi.com/politics/update/0205/TKY201002050454.html

 続いて「超少数の護憲団体」のブログより。


 そもそも米国は、2004年2月、ハイチの政情不安に乗じてハイチ情勢に介入し、米軍を侵攻させてきた経緯がある。今回も米がハイチにいち早く大規模な軍隊を派兵したのは、「反米国家」ベネズエラとキューバをにらむ絶好の地理的条件にあるからに他ならない。ハイチの治安の悪化を阻止し、巨大な米軍の支配下におくことは、米国にとっての死活の利害なのである。北沢防衛相は26日の記者会見で、「(ハイチは)米国の玄関口みたいなところなので、米国世論も非常にいい感じで受け止めている」と述べた。この言葉こそ、まさに米国の政治的利害が絡むハイチに自衛隊を派遣し治安維持に関わりたいという意図を露骨に表明したものである。


 リブ・イン・ピース☆9+25ブログ:「ハイチへの自衛隊PKO派遣をやめよ!」
 http://www.liveinpeace925.com/latin_america/haiti_quake100126.htm

 ハイチ(に対する米国の内政干渉)の歴史については、以下のブログを参照していただきたい。そもそも、これが自公政権下での派兵であれば、さすがの左派もここまでのヘタレ感をさらけ出してはいなかっただろう。つくづく破廉恥なダブルスタンダードぶりである。

 私の闇の奥:「ハイチは我々にとって何か?(1)」
 http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2010/02/post_bd2d.html

 スーパーゲームズワークショップエンターテイメント:「ハイチの災害は人災」
 http://sgwse.dou-jin.com/Entry/19/

 益岡賢のページ:「ラテン・アメリカ/カリブ」
 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/places.html#americas

 ところで、私は、ハイチPKOへの自衛隊の参加は、民主党政権にとって、アフガン派兵の前哨戦として位置づけられているのではないかと思う。アフガニスタンでの「対テロ戦争」への参加も、今回のハイチPKOのように、「破綻国家」への「人道的介入」という論理で正当化されるのではないか。実際、「左派」内部においても、こうした落としどころが着々と準備されており、伊勢崎賢治などがその代表的イデオローグになっている。


 昨日も、伊勢崎さんの話を聞いたという方から、私の職場に電話がかかってきた。何か手助けしたい、伊勢崎構想を支援する市民運動みたいなものは、どこかに存在しないのかと。

 まあ、そんなものは、まだない。それどころか、構想が動き始めたら、非武装自衛隊派遣反対の市民運動が起こりかねないわけだから、是非、本を購入し、周りの方々にひろげ、世論を喚起してほしいとお願いした。

 アフガンの現状、打開策を考えてる人にも、まだあまり知られていない。だから、この本、世論形成のうえで不可欠なものとなる。


 超左翼おじさんの挑戦:「ようやく出来たアフガン伊勢崎本」
 http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-342.html

 この人物に論理的な思考を期待するのは(他のエントリーを読む限り)ないものねだりというものだろうが、それにしても、「非武装自衛隊派遣反対の市民運動が起こりかねない」って・・・もう意味がまるでわからない。仮に自衛隊がアフガニスタンに派兵されることになった場合、その先遣(中心)は、今回ハイチで「対テロ戦争」の実践を積むことになる、中央即応連隊(およびその関連部隊)が務めるはずである。

 自衛隊のハイチPKO参加に反対しようともしない左派は、自衛隊のアフガニスタン派兵による「対テロ戦争」への全面協力を拒否することもできないだろう。民主党政権下における改憲をめぐる前哨戦は、「護憲派」の連続不戦敗であるとしか言いようがない。

 
▼1 例えば、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」のブログでは、関連記事がいくつか紹介されているが、ハイチへの自衛隊の派兵に反対するとは一言も書かれていない。普通に考えれば、新聞記事の単なる転載は、アリバイ作りにすらならないだろう。

「人間の安全保障」/「人道的介入」/「東アジア共同体」

 せっかくなので、この機会に高橋哲哉の最新の著作についても紹介しておこう。高橋哲哉、山影進編『人間の安全保障』(東京大学出版会、2008年)である(2009年には鵜飼哲との共訳でジャック・デリダ著『ならず者たち』が刊行されたが、高橋の著作としては『人間の安全保障』が『状況への発言』に続く最新作である)。

 本書は、編者の高橋と山影進を含む、東京大学大学院の「人間の安全保障」プログラムに関わっている18人の教員が執筆している。山影進はネットで検索すればすぐにわかるように「東アジア共同体」論者であり、本書の執筆陣のうち17人は東大大学院に所属しているが、大江博は外務省国際協力参事官である。もちろん、本書の執筆者の政治的立場を一括りにすることはできないが、本書の基本的な方向性をまとめれば、それは、「人間の安全保障」という大義名分によって、NATOのユーゴ空爆のような「人道的介入」を正当化し、自衛隊の海外派兵および改憲を全面的に肯定して、「東アジア共同体」構想につなげるための理論的枠組を(受講生および社会に)提供する、というものになっている。

 というわけで、以下に18本の論文の内容を簡単にまとめてみた。本書の特徴がもっともあからさまに示されているのは、序(山影)、Ⅴ「平和の実現」、結(高橋)の諸論文だろう。何はともあれ読んでいただきたい。


序|地球社会の課題と人間の安全保障 山影進

 「自助の能力を備え,文明的な国家のみが主権を主張できた」時代は終わった。植民地から無駄に独立した「擬似国家」、「欠陥国家」、「破綻国家」は自国の治安と社会保障も守れない。それらに(武力)介入して「人間開発,平和構築そして保護責任」を果たすのが人間の安全保障であり、国際社会の責務。



Ⅰ 歴史の教訓


〈誰〉をめぐる問いかけ――マダガスカルの歴史から 森山工

 「〈人間の〉安全保障」とは「〈誰の〉安全保障」なのか?旧植民地諸国では「「部族」対立という言説」と単一の「「国民」という言説体制」は「相互に共約不能な物語の拮抗」だ。かれらをいかに分類し同定するかに正解がないとしても、その理由を「政治的・社会的・歴史的」に検証していくべきである。




なぜ独立国家を求めるのか――ギリシアからコソヴォまで 柴宜弘

 「アルバニア人はなぜこれほど独立にこだわる」のか?「NATO軍のユーゴスラヴィア」「空爆によって」コソヴォが「和平を迎えた」以上、コソヴォは「バルカン・ナショナリズム」に特徴的な「過去の栄光の歴史」を強調する「感情論」と決別し、人間の安全保障の観点から多民族社会を構築するべき。




ジェノサイドという悪夢 石田勇治

 ジェノサイドを防ぐためには国際人道法や国際刑事司法制度の整備だけでなく、旧日本軍によるシンガポール・マレー半島での華人虐殺や台湾先住民虐殺など、「実際に起きたさまざまなジェノサイドとそれに類する行為を実証的に明らかにし,そこに見られる共通のメカニズムを析出することが必要」である。



Ⅱ 文化の潜勢力


差別・暴力の表象と他者――エドワード・サイードのメッセージ 林文代

 「人間の安全保障に対して人文学は何ができるか.グローバル現象という圧倒的力に,人はどのように対抗しうるのか.「2001年9月11日」以降を生きる」ために、「人間の安全保障」からサイードを再読する。『人文学と批評の使命』『オリエンタリズム』『文化と帝国主義』『知識人とは何か』など。




読み書きと生存の行方 中村雄祐

 大雑把に言えば「貨幣経済的に豊かな国ほど紙をたくさん使って読み書きしながら暮らしており,その方が長生きできる」。もっともホロコーストでナチ・ドイツが大量の文書を作成したのも事実。「中途半端に紙の消費量を数え」るのではなく、読み書きと人間の安全保障を繋ぐ「繊細なアプローチ」が必要。




点字の歴史と構造――声調言語と××を巡るリテラシー 吉川雅之

 点字は国家語や公用語である「墨字の綴字や文字要素を強く意識した設計がなされることがあ」り、視覚障害者を「当該公共圏の標準的なリテラシーに従属もしくは同化させる役割をも演じてしまう」。「「人間の安全保障」にとって,安易なリテラシーを標榜することは」「国家主義的な画一化」につながる。


注:××はあからさまな差別用語なので伏字にした。それにしても、これをスルーできる編者の高橋には驚かされる。こんなに差別に鈍感な人たちが「国家主義的な画一化」に対抗できるとは誰も期待していないと思うのだが・・・。

Ⅲ 経済発展の未来


貧困削減をめざす農業の試練 木村秀雄

 農業生産者の利益を上げるには、機械化やインフラ整備、品種改良等が必要だが、「緑の革命」などの農業の近代化は必ずしも貧困削減にはつながらない。開発援助においては、貧困層向けのマイクロファイナンス事業やフェアトレード、持続可能な有機農業など、貧困層のエンパワーメントが不可欠である。




環境と向き合う知恵の創造――沖縄農業の挑戦 永田淳嗣

 石垣島の農家が大規模機械化に頼るよりも生態・社会環境を最大限生かした「ゲリラ的農業」を創造したように、「人々が,自らを取り巻く」「環境と向き合いながら,より望ましい生のあり方を実現していくための知恵やヒントは,しばしば,現場での環境と人間との複雑な相互作用の中から生み出され」る。




サステナビリティと地域の力 丸山真人

 「市場と国家を両輪とする経済統合が地域共同体の潜在能力を抑圧した結果として生じた」「現代社会の問題群」に取り組み、「エコノミーのエコロジー的基礎を作り直す」ためには、地域通貨を導入して「互酬パターンによる経済統合」を進めるなどして、コモンズを再生しなければならない。



Ⅳ 社会の再生


越境する人々――公共人類学の構築に向けて 山下晋司

 人類学的視点から難民を論じる際には、「日本社会に愛想をつかして,事実上逃げ出してきた」「日本からの難民」をも含めた「広くディアスポラ的な生き方」の分析が必要。日本では少子高齢化により外国人労働力が一層必要となるが、「重要なことは,彼らが」「「人間」でもあるということである」。




深化するコミュニティ――マニラから考える 中西徹

 「貧困層にとっての「人間の安全保障」を実現するためには」、単に「開発援助などによって外部から経済的な安全網の整備を目的とした新しい制度を導入する」のではなく、「貧困層に固有な「人間の安全保障」」であるコミュニティ資源を評価・活用して、その両立を図る政策を講じるべきである。




「つながり」から「まとまり」へ――中国農村部の取り組み 田原史起

 中国内陸農村の問題は、構造的な貧困に加えて「貧困を緩和する社会的条件の欠如,つまりコミュニティの組織化の程度の低さ」にある。原子化に向かいつつある農村社会の「つながり」を見出し、「共有財産という物質的基盤の上」に成り立つ、コミュニティ大の「まとまり」に拡張・再編することが課題。



Ⅴ 平和の実現


崩壊国家のジレンマ 遠藤貢

 「崩壊国家」ソマリアと、その領土内で独立を宣言し「実質的には」「国家の基本要件を満たしているものの」「国家承認を得られない」ソマリランドの事例を通じて、「「崩壊国家」がその状態のまま継続して存在し続けられていること」が人間の安全保障にとって「大きな課題」となっていることがわかる。




平和構築論の射程――難民から学ぶ平和構築をめざして 佐藤安信

 「ルワンダにおける難民の保護という「人間」の安全保障が,難民キャンプに隠れている武装勢力を支援」し、「紛争を長期化することも少なくない」ことは「人道支援のジレンマ」だ。「本来,被害者である人間は潜在的に加害者でもありうるという両義性を持つことに由来する宿命とも言えよう」。




新しい日本外交――「人間の安全保障」の視点から 大江博

 日本は「戦後処理の一環」として「純粋に経済発展の観点から」アジアに経済援助をしてきたため、「日本は政治的なものや紛争にはできるだけ距離をおいているとのイメージ」が作られた。しかし、イラクに自衛隊を派遣したように、近年は日本も「「平和の定着」に対して,積極的に取り組んでいる」。




平和構築の現場――日本は東ティモールで何をしたのか 旭英昭

 「日本の平和構築支援の中核の1つは,自衛隊が保持する多面にわたる機能を現行法の下でより弾力的に駆使することであり,また,そのことを通してリスクをとらないとの日本に関する国際的な受け止め方を打破すること」である。「いわゆる「恒久法」の是非を含めた柔軟な政策論」が求められる。




結|人間存在の地平から――人間の安全保障のジレンマと責任への問い 高橋哲哉

 「すべての人は,それぞれの他者との関係の中で,錯綜した責任を負っている」。「どの声に応答し,どの声に応答しないのか,応答しなくてもできないのか」は、「その人の「責任」の問題」だ。「どの問題に,どのように取り組んだか.そこにその人の人となりが,その人の人生までもが現われる」のでは?



 以上である。ちなみに、高橋は、沖縄への米軍基地の押し付けを例に取って「「国家の安全保障」――日米安全保障条約による軍事的安全保障――と,沖縄の人々の「人間の安全保障」とがぶつかり合う問題」(p.259)を論じているが、その落としどころが上のようなヌルい結論になっているのだから、本書において高橋がアリバイ的な役割を果たしていると考えることすら、好意的にすぎるかもしれない。高橋の論文に直接明示されているわけではないが、本書全体を読めば、「「国家の安全保障」――日米安全保障条約による軍事的安全保障」の「オルタナティブ」として提唱されている「人間の安全保障」とは、おそらくNATO的な「東アジア共同体」構想でしかないと思う。本書にやたらと登場する「崩壊国家」として北朝鮮が名指された(ている)ときに、本書が何を正当化することになる(正当化している)かは自ずと明らかだろう。

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