2009年09月

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ドイツ・右翼の系譜と在朝日本人 (1)

■目次
(1) はじめに
(2) 恐るべし、ドイツの右翼?
(3) BdV(強制移住者同盟)と在朝日本人

(1) はじめに

 27日の総選挙の結果、ドイツでは、キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と大連立を組んでいた社会民主党(SPD)が惨敗し、同党に代わって自由民主党(FDP)が与党に入って「中道右派政権」が成立する見込みとなった。東京新聞などによると、大連立によってSPDの「独自色が薄められて右寄りに変質した」ことが、「党離れに拍車がかかった」原因であるらしい。とても他人事とは思えないが(SDP=社民党ではなく、日本のリベラル・左派である。念のため)、それにもかかわらず(というより、だからこそ)、日本を含む「先進国」のリベラル・左派の間では、新自由主義的政策の浸透による国内格差の拡大への対抗言論が、保守派や右派にまで支持されて(きて)いる現象をもって、社会全体の左傾化と見なす論調が少なくないように思う。

 もちろん、「先進国」の「積極的な福祉・雇用政策」は、多くの場合、排外主義とセットであるため、社会全体は右傾化している。とりわけ、排外主義に対する制度的・社会的な歯止めが一切と言ってよいほど存在せず、外国人人口の極端に少ない(全人口の2%以下である)日本では、社会の右傾化は、ドイツとは比べ物にならないほど、スムーズに、かつマジョリティの無自覚(な装い)のもとに、推進されている。

 例えば、平野洋著『ドイツ・右翼の系譜―21世紀、新たな民族主義の足音』(▼1)は、ドイツの右傾化を検証することで、「A級戦犯の祀られる宗教施設に首相が参拝するというドイツの極右をして夢想だにできない」(▼2)日本の様相を際立たせているので、本エントリーで取り上げてみたい。

 なお、始めに断っておくが、私は、「なぜ多くのナチ被害者の中でユダヤ人だけがドイツ政府からいつも優遇されるのか、といったことに関する質問」(▼3)を「取材」と称してユダヤ人にぶつけるような著者の姿勢を、評価しているわけではまったくない。著者は、「近年の独・ポ関係と日・中韓関係は驚くほどの共通性がある」(▼4)と述べているが、そうであればなお、著者自身の行為と、「なぜ多くの在日外国人の中で朝鮮人だけが日本政府からいつも優遇されるのか」といった「質問」を在日朝鮮人に向けることとの相似性を、問わないわけにはいかないからである。


(2) 恐るべし、ドイツの右翼?

 さて、本書は『ドイツ・右翼の系譜―21世紀、新たな民族主義の足音』というルポルタージュなので、基本的には「恐るべし!ドイツの右翼!」という話になっているのだが、冒頭を読むだけでも、「もっと恐るべし!普通の日本人!」という事実が再確認できるようになっている(強調は著者による。以下同様)。


 右翼の動きがやまない。

 ドイツ憲法擁護庁の報告によると、二〇〇六年の極右による犯罪件数は一万七五九七件(〇五年・一万五三六一件)、うち暴力事件は一〇四七件(〇五年・九五八件)である。(憲法擁護庁報告二〇〇六年)。まさに「悲しむべき記録」で、「これは二〇〇七年にはさらに更新されるだろう」と反差別に取り組む市民団体代表U=ヘイ氏は語る。(日刊紙『フランクフルト・ルントシャウ』〇七年十一月二十七日)。(▼5)


 言うまでもないが、日本には憲法擁護庁は存在せず、歴代の政府は率先して解釈改憲を繰り返してきた。また、政府は日本にレイシズムが存在することを公式に認めておらず、したがってレイシズムと戦うための施策をまったく講じ(ようとし)ていない。だから、日本にはドイツのように「悲しむべき記録」さえも残らないのである。

 より正確に言えば、ドイツであれば刑法によって裁かれる言動は、日本では「言論の自由」として堂々とまかり通っている。例えば、ドイツでは極右の「デモに参加した人が会社に知られクビにな」ったり、「親戚から義絶をくった」(▼6)り、団体自体が解散させられたりすることは珍しくないが、日本では、街中を徘徊するレイシスト集団(あれは「外国人参政権に反対するデモ隊」などという牧歌的なものではないだろう)が、「排外主義断固反対」のプラカードを掲げた抗議者を取り囲んで集団リンチを加える映像が、臆面もなくネット上にアップされ、また賞賛さえされている。「在日特権を許さない市民の会」関係者は「普通の日本人」ではないのではないかという抗弁は、かれらが刑事罰を受けることもなく、「普通の日本人」としてレイシスト活動に励むことを可能にしている現実の前では、限りなく無力であると思う。


 ライプチヒから電車でおよそ二〇分の所にある人口約一万八〇〇〇人(〇六年)のこの町は、ドイツでは「ちょっと有名な町」であった。〇四年の町議会選挙(総数三一議席)で三人のNPD(国家民主党)議員を誕生させ話題を呼び、また同町の「ナチの店」――極右ロック音楽のCDやナチの象徴をほのめかす記章や服などの販売――もメディアが注目する由縁だ。(▼7)


 すごいなドイツ。日本じゃ『マンガ嫌韓流』が一般書店で平積みだよ。いつの間にか自分の地域の図書館にも置かれてて、最新刊(4巻)は予約で数ヶ月待ちだったよ。君が代は極右賛美歌じゃなくて国歌だし、植民地支配と侵略戦争の象徴そのものの日の丸も、今じゃすっかり国旗として浸透してるし。


 社会主義時代の東ドイツにおいて、<四月二十日>という日はある意味を帯びていた。
 この日をめぐり若者たちの間でしばしば次のような会話が交わされた――。

 「四月二十日、家で飲み会をやるからこないか」
 (相手はニヤっとする。)しかし、ちょっと心配でもある。
 「家には誰もいないんだろうな」
 「大丈夫、親はいない。たとえいても僕の部屋でやるんだ。気づきはしないよ」
 「そうか。じゃあ、行こう」

 四月二十日――アドルフ=ヒトラーの誕生日だ。
 この日は、多くの東ドイツの若者たちによって密かに総統の誕生日会が催される。SED(共産党)政権下、シュタージ(秘密警察)に知られたらたいへんだ。しかし、その緊張感がまた彼らを魅了する……。(▼8)


 日本では、「昭和の日」と「みどりの日」と「天皇誕生日」が、国民の祝日(「旗日」か)として定着しているので、東ドイツ(時代)の極右より、やはり普通の日本人の方が恐ろしいと思う。


 日本のように南京大虐殺を公の場で否定しても、言論活動の一つと認める"寛容"さはドイツにはない。それは死者を死んでからも侮辱するものとして、死者またはその遺族あるいはその民族に対し許されない犯罪として断罪される。同国が「戦う民主主義」といわれる所以だ。

 日本では一九九五年、月刊誌『マルコポーロ』(文藝春秋社)二月号に"アウシュビッツは捏造"との記事が掲載された。同誌の花田和凱編集長は「その見識を疑われ」解任、雑誌は廃刊されたが、ドイツならこの編集長は数年間の監獄生活は免れなかった。――余談だが、この花田和凱という人物は、現在、『WiLL』(ワック出版)という月刊誌の編集長となり従軍慰安婦はなかった(「従軍慰安婦」と断固戦う! 〇七年八月増刊号)という論陣を張っている。(▼9)

 
(次回に続く)


▼1 平野洋、『ドイツ・右翼の系譜―21世紀、新たな民族主義の足音』、現代書館、2009年

▼2 前掲書、p.221

▼3 前掲書、p.7

▼4 前掲書、p.185

▼5 前掲書、p.9

▼6 前掲書、p.124

▼7 前掲書、pp.10-11

▼8 前掲書、pp.27-28

▼9 前掲書、p.196

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