2010年10月

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教えて!浦野起央――尖閣=釣魚島はほんとに日本の領土なの?

 前田朗氏批判に先立って、前田氏が(別に前田氏に限らないが)井上清の『「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明』「過去のもの」として切り捨てる際に、その有力な根拠としている、浦野起央著『尖閣諸島・琉球・中国――日中国際関係史』(三和書籍、2002年/増補版は2005年)を読んできた。初版はしばらく前に読んでいたのだが、増補版は図書館の予約が埋まっていたので、人目を憚りながら増補部分を本屋で立ち読みしてきたのだった(ある書店の軍事エリアに在庫を発見したが、定価は10500円であり、あらゆる意味で購入は論外である)。

 結論から言えば、浦野の著書は、ただ井上の論文に対する実証的な反論になっていないというだけでなく、一冊の本としても読むに耐えない代物であったと思う。以下に、これが言いがかりではないことを示していこう。


●教えて!浦野起央――尖閣=釣魚島(Diaoyu Dao)はほんとに日本の領土なの?

質問:『「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明』はどこが間違ってるの?
回答:反帝国主義の立場から歴史を語ることが間違っているんだよ。


 『「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明』の要旨の詳細については、「ヘイトスピーチに反対する会」の記事(「釣魚台/尖閣をめぐる日本の国ぐるみの排外主義に抗議します・前編(歴史編)」)を読んでいただくとして、さっそく同書に対する浦野の「反論」を見てみよう(強調は引用者による。以下同様)。


 井上清説の要点は、以下の二つにある。

 第一は、釣魚諸島は、明の時代から中国領として知られ、清代の記録も中国領と確認している。日本の先覚者林子平も中国領と明記しており、したがって無主地に対する先占の法理は成立しない。

 第二は、日本は、日清戦争で、琉球の独占を確定し、釣魚諸島を盗み、公然と台湾を奪った。したがって、日本の尖閣列島領有とその先占の法理は、帝国主義の発露であり、国際法的にも無効である。(浦野起央、『尖閣諸島・琉球・中国――日中国際関係史』、三和書籍、2002年、p.21)


 尖閣=釣魚島の歴史的経緯を問い、中国で広く参照されている井上の実証的な論文を、あたかも一個人の特異な見解にすぎないかのように読者に印象づけようとする、「井上清説」という用語の妥当性にも疑問を覚えるが、それ以上に問題なのは、「要点」がいきなり歪曲されていることである。井上は、日本が尖閣=釣魚島を(朝鮮・中国に対する侵略戦争の)「戦勝に乗じて、いかなる条約にも交渉にもよらず、窃かに清国から盗み取」った経緯を批判しているのであり、「日本の尖閣列島領有」が「帝国主義の発露」であるから「国際法的にも無効である」といったナイーブな議論をしているわけではない。論文を読みさえすれば(浦野のような人間以外には)誰にでも明らかなように、井上は国際法が「強国につごうのよい論理」であり、「植民地主義・帝国主義の利益に」「奉仕するものである」ことを認めた上で、それでもなお「日本の「尖閣」列島領有は国際法的にも無効である」と述べているのである。

 これだけでも浦野の言説にまともに付き合う意欲が削がれるが、さらに驚かされるのは、「井上清説」は「一般的に受け入れられていない」から正しくない、と浦野が主張していることである。もちろん、この場合の「一般」とは日本人マジョリティを指している。


 こうした井上見解については、以下のとおり一般的に受け入れられていない。

 明治政府による琉球併合は「侵略的統一」であったとする井上の見解に対しては、これを日本の侵略とみることはできないとする立場が一般的で、井上の原則的立場は、日本現代史や琉球現代史の研究者の間でも十分な理解が得られていない(→4章Ⅵ)。(pp.21-22)


 ちなみに、4章を読むと、「明治政府による琉球併合」は「伊波普猷のいう「奴隷解放」に等しいともいうべき劇的な事件であった」(p.115)と書かれている。浦野のような人間が、日本の明治以降の琉球侵略を天皇から「下賜」された「奴隷解放」としてありがたがっている(▼1)からといって、歴史的事実としての侵略が否定されるはずもない。浦野の論法は、日本人マジョリティに「一般的に受け入れられて」おり、それゆえ一層粘り強く批判していかなければならない差別や偏見を無条件に肯定するものであり、到底私たちが「受け入れ」るべきではないだろう。では続きを読んでみよう。


 いま一つは、日本が日清戦争の勝利に乗じて尖閣諸島を領有したとする見解についてである。この領有は、以前から日本軍国主義者山県有朋が企図していたところで、清国に対して一方的に押し切ったものであると、井上は解する。井上も、それが国内措置であることを認めているが、無人島であっても歴史的に先占は成立するものではないし、それは琉球支配と同じく帝国主義行動にほかならない、としている。これに対する一般的立場は、その帝国主義的盗取に対して否定的で、人の往来と開拓を確認して、政府が行政的編入措置をとったにすぎない、と解されている(→5章Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)。日清戦争の時期には各種の事件や措置が同時的に起きたが、これは、この地域一帯の辺境処理が国内措置の帰結としてなされたにすぎないところである(→4章Ⅶ)。したがって、この井上見解は、歴史認識の文脈――井上は反帝国主義闘争として釣魚諸島闘争を進めなければならないとの前提に立脚している――の相違に派生している。(p.22) 


 正直、この部分は一見して何が書いてあるのかわからず、何度も読み返してしまった。日本が日清戦争の勝勢と混乱に乗じて尖閣=釣魚島を盗み取った(尖閣=釣魚島の領有をこっそりと閣議決定し、その内容を1952年まで公開しなかった)ことは以前に述べたが、要するに、ここで浦野が言っているのは、日本による尖閣=釣魚島の「領有」は帝国主義的略奪ではなく、あくまで国内的な行政措置であり、その時期が日清戦争中だったのも単なる偶然にすぎない、尖閣=釣魚島の日本領有が不当であると主張する井上は、反帝国主義的イデオロギーで目が曇っているので、同じ歴史的事実から(誤った)別の結論を引き出しているにすぎない、ということである。もっとも、これでは詭弁にすらなっていないので、他にも解釈の余地があるのだろうか、と私も不審に思ったが、次の一節を読むと、どうやらそれは浦野に対する買いかぶりであるらしかった。


 そして、最後の問題は、明治以後の歴史的検証をもって、現在の日本の尖閣諸島に対する実効的支配を否定することはできないという点である。いいかえれば、歴史の現在性を、旧い歴史的記録や特定のイデオロギー的立場によって否定することはできないとする反論がそれである。いうまでもなく、それは、前記の反帝国主義闘争の文脈での議論でしかなく、その理解は得られない。(p.22) 


 つまり浦野は、帝国主義だろうが侵略だろうが何だろうが、日本による尖閣=釣魚島の「実効的支配」は正当であり(なぜなら日本は実際に尖閣=釣魚島を「実効支配」しているから)、それが侵略による不当な行為であるという反論は無意味である(なぜなら日本国民の「理解は得られない」から)、と居直っているのであった。先ほどまでの詭弁が一瞬で色褪せるほどの暴論だが、それでは尖閣=釣魚島の「領有」が帝国主義ではないと言い張っていた先ほどの詭弁は一体何だったのだろうか?相互に矛盾する詭弁と暴論を並び立てられても、個々および全体の詭弁および暴論の信憑性(?)は暴落する一方だと思うが、まあこのあたりは歴史修正主義者が『ワシントンポスト』に出した広告("THE FACTS")のようなものなのかもしれない。

 ところで、「明治以後の歴史的検証をもって、現在の日本の尖閣諸島に対する実効的支配を否定することはできない」というからには、明治以前の歴史的検証はどうなっているのだろう、という疑問が当然湧いてくる。結論を言えば、明治以前の歴史的検証についても、浦野は特に何もしていない。井上が挙げた文献は否定できないので、とりあえず開き直ってみました、という感じである(▼2)。いずれにせよ、日本(国民)が侵略によって得た既得権を、歴史的検証によって批判・解体しようとするあらゆる試みを、浦野が必死で阻止しようとしていることは、これで間違いないと言えるだろう。


●教えて!浦野起央――じゃあ日本はどうすればいいの?

質問:じゃあ日本はどうすればいいの?
回答:中国の侵略に備えて、急いで沖縄に自衛隊機を配備しないとね。


 では、浦野が言うように尖閣=釣魚島という侵略の遺産を手放すべきでないとすれば、日本にはどのような「努力」が求められるのだろうか。浦野は増補版のあとがきで宮古島・下地島への自衛隊機の配備を極めて積極的に主張している(▼3)。浦野は自著の最終章最終節(8章Ⅲ「実効的支配の現実と解決」)で次のように述べている。


 〔中略〕尖閣諸島をめぐる事件への対応の主張は、歴史認識の問題ではない。その対応は、現に存在している「実効的支配」の実態を確認した上での現実的な処理でしか方策はない。

 そこでの領土権の変更は、あるとすれば、「力の行使」しかない。尖閣諸島に対しても、そうした議論が起きている。(p.201)


 浦野は「領土権をめぐる対立とその解決は、運動の次元ではなく、関係国による既成事実の確認の下での交渉、国益の調整によるしかない」(p.201)としているが、日本による尖閣=釣魚島の「実効的支配」という「既成事実」の「確認」を、日本が中国に一方的に押しつけようとしているからこそ、「領土権をめぐる対立」が起こっていることは明らかである。言ってみれば浦野は、「残業代未払いをめぐる労使の対立とその解決は、運動の次元ではなく、関係者による(サービス残業は当然であるという)既成事実の確認の下での交渉、利害調整によるしかない」と述べているようなものだ。今さらながら、この人物は一体何を言っているのだろうか。

 もっとも、浦野はこうした「既成事実」とそれに基づく「解決」(の強制)が理不尽極まりないことは流石に自覚しているためか、こうした「既成事実」を覆すために中国が尖閣=釣魚島に「侵攻」してくる「シナリオ」を得々と語っているのであった。付章「中国の尖閣諸島戦争シナリオをめぐるコメント」から抜粋しよう。今しばし忍耐心を涵養しながらお付き合い願いたい。


中国は、一九五〇年の朝鮮戦争への参戦以来、一九七四年一月の西沙群島の軍事回復作戦、一九九五年一月の南沙群島の美済環(ミスチーフ環礁)作戦を含めて、計一一回の軍事力の対外行使を行なってきており、必要であれば、軍事作戦を辞さないとする国民性の国家であることのスタイルをみせてきており、その軍事力行使の意図と決断を見抜くことが、われわれの課題となっている。

〔中略〕実際に、中国の尖閣諸島への侵攻可能性はどうなのか。中国は、日本に対して一度も軍事展開をしていない。それは、日本が国際紛争の解決において軍事力の行使をとっていないこともあって、日本に対しては、中国にとり軍事力の行使の敷居がとても高いということであろうが、中国の軍事容認思考に対して、日本は非軍事の思考にある。このことから、中国の思考・認識について日本が十分な判断ないし理解できない以上に、日本として、中国の軍事容認思考を理解できないでいる。だが、一般的に、中国が釣魚島は「中国領土」であると主張し続ける限り、「軍事行動による回復の可能性は否定されていない」と解することが重要である。(pp.204-205)


 朝鮮戦争には日本の海上保安庁も参戦しており、設立当初からアジアに敵対する軍隊としての面目を発揮している。(とりわけ左派に受けのよい)「平和国家」日本の欺瞞についてはここでは繰り返さないが、中国の「国民性」が「軍事容認思考」であり、日本の「国民性」が「非軍事の思考」であるという本質主義にもとづいて中国脅威論を喧伝するのは、端的に言ってレイシズムであり、浦野は心情的には「頑張れ日本!全国行動委員会」の連中とたいして変わらないのではないかとさえ思えてくる(▼4)。そうだとすれば、もう一つ疑問がある。浦野の「学説」(=日本政府見解)を手放しで支持する左派とは、差し詰め何者なのだろうか?


●補足

 浦野の著書を図書館に返却する前に若干補足をしておく。

(1)浦野は、井上の論文について、「尖閣諸島の・・・併合を日本帝国主義の犯罪と断定することで、帰属の非合法性を取り上げることはできない」(p.199)とする(これが詭弁であることはすでに述べた)一方で、日本による尖閣=釣魚島の「領有」が合法であるという検証は特にしていない。

(2)浦野は(「先占の法理」などについての)中国側の主張も歪曲して論じている(日本政府および中国政府の公式見解については、浅井基文氏の「尖閣諸島(釣魚島)見解対照表」を参照)。また、村田忠禧が指摘しているように、浦野は「北京大学の研究者と交流してきたことを・・・公言しているが、一年以上も前にすでに中国で出版されている鞠徳源の著作についてはまったく触れ」ていない(村田忠禧、『尖閣列島・釣魚島問題をどう見るか―試される二十一世紀に生きるわれわれの英知』、日本僑報社、2004年、p.17)。鞠徳源著『日本国窃土源流 釣魚列嶼主権辨』は、「日本や中国に保存されている史料・図版を詳細かつ豊富に紹介した大部の書籍で、この問題を論ずる際の必読書と称すべき内容である」(p.16)。


▼1 本書では琉球に対する天皇(制政府)の「恩恵」がやたらと強調されている。例えば、廃藩置県の翌年の琉球史は以下のように記述されている。


 翌七二年一月鹿児島県庁の伊地知貞馨と奈良原繁が来琉し、琉球のこれまでの薩摩藩に対する負債四八五〇万両、銀八万五〇〇両、銭三四万七〇〇〇貫文が鹿児島県の棄損として処理され、政府は三万円を下賜し、紙幣五〇〇〇円が孝子、寡婦、不具者、不治者に給った。六月の通達を受け、七月の朝命で国王尚泰は明治天皇に代表、王政一新祝賀正使伊江王子朝直(尚健)、副使宜野湾親方朝保(向有恒)を派し、彼らは九月一四日天皇に拝謁した。政府は九月二八日、琉球王国の締結した条約を外務省所管とする太政官布告をもって、琉球王国の条約締結件を剥奪し、対外的権利は消失した(→4章Ⅲ)。そして一〇月十六日(旧暦九月一四日)天皇は尚泰を琉球藩王に任じ、華族に列し、ここに琉球藩が成立した。(p.104)



▼2 

 先占の法理(→8章Ⅰ)に対する領有権の主張は、歴史的記録による申し立てである。中国は、歴史的文書・記録を根拠に、「釣魚嶼は古来、中国領土」とその領有を主張することで、日本の尖閣諸島の奪取は正統でないとしている。

 冊封使の記録、その他では、古くこれら島嶼が琉球領でなかったことは、確認できる(→3章Ⅰ、、4章Ⅰ)。また、中国が海洋を制し、この辺境の防衛に関心があったことは事実であったろう(→3章Ⅶ)。

 この地域は、永らく中国―琉球間の海上航路の目標であった。その記録は、季節風と黒潮の道筋からも、この地域が重要な地点であったことを確認づけている。これは、歴史的な公海指針の文献『順風相送』以来、いわれてきたところである(→3章Ⅰ)。

 にもかかわらず、こうした記録からは、この地域が、防衛の辺界、つまり版図を確認するものだと断言することはできない。これまでの中国による辺界の防衛問題は、航海と海上の匪賊に対する防衛行動の一部にすぎなかった(→3章Ⅶ)。〔中略〕

 これと並んで、歴史的根拠とされるのが、日本人林子平の『三国通覧図説』〔漢字は現代表記に改めた。以下同様〕の付図「琉球三省并三十六島之図」である。その色分けから、尖閣列島は中国と同色をもって中国領土と認定したとする見解である。台湾の国際法学者、丘宏達も、同様の指摘をする。だが、この『三国通覧図説』それ自体も、中国の文献に従ったものであり、それは一つの説明材料にすぎない(→3章)。(p.197)


 いちいち挙げないが、一方で日本側に都合のよい「歴史的事実」には「一つの説明材料」以上の価値が置かれているのが、浦野の「歴史観」の顕著な特徴である。

▼3 ただし、浦野は『週刊金曜日』2010年10月8日号の記事では、尖閣=釣魚島をめぐる日本政府見解と中国脅威論を垂れ流してはいるものの、下地島への自衛隊機配備の持論を語ってはいない。浦野は例の「フォーラム神保町」の東郷和彦ゼミに登場していることからも伺えるように、佐藤優や下地島「移設」案を推進している(いた)鈴木宗男らともおそらくつながりがあり、左派メディアの利用手引きも入手済みなのではないだろうか。

▼4 浦野は「本書は客観的立場で記述されており、特定のイデオロギー的立場を代弁していない」(p.269)と断っているが、これまで見てきたように、浦野の歴史観は右派のものと言ってよいのではないか。実際、浦野の著書は、「関白秀吉の朝鮮征討」(p.94)、「征台」、「日本軍は牡丹社を降した」、「日本の台湾進出」(p.109)といった、日本のアジア侵略を正当化する言辞にまみれている。

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