2011年03月

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アジアへの被爆「輸出」――福島原発「事故」前史

 アジア・太平洋戦争末期における米軍の日本本土空襲が、ある日突然――日本によるアジア侵略の歴史と無関係に――始まったわけではないように、現在の福島原発の事故(人災)をめぐる一連の事態も、日本によるアジアおよび第三世界への被爆「輸出」――被害に先立つ加害の歴史的経緯――と無関係に論じることはできない、と私は思う。樋口健二著『アジアの原発と被曝労働者』(八月書館、1991年)からその一例を引いておくが、そもそも「原子燃料サイクル」はその始まり(採掘)から他国の労働者の被爆を前提とするものである。

 「四日市公害裁判」に敗訴した翌年1973年にマレーシアに進出した三菱化成は、現地企業(ベー・ミネラルズ社)との共同出資により、錫鉱石に含まれるモナザイト鉱石を原料として希土(レア・アース)類金属を抽出・精製するARE(エイシアン・レア・アース)社(▼1)を設立した。ARE社は1982年4月にペラ州・ブキメラ村(▼2)の住宅街間近で操業を開始してから1986年に至るまで、モナザイト鉱石から希土類を抽出する過程で生じる放射性廃棄物――放射性トリウム(放射性トリウム232の半減期は約140億年)が14%――を大量に不法投棄することで、地元住民を被爆させてきた(▼3)。ペラ州はかつての抗日運動の拠点でもあり、三菱化成も住民の粘り強い裁判闘争によって最終的(1994年)に撤退を余儀なくされたが、ブキメラ村の人々が受けた健康被害は決して取り返しがつかない。

 以下、前掲書より引用する(強調はすべて引用者による)。


 この希土類金属は、カラーテレビの赤色発光体や半導体の原料、カメラの光学ガラスの収差補正から、ミサイル、スペースシャトル、レーザーの素材、SDIなどの電子制御、さらに原子炉の制御棒および中性子遮蔽材などの部品や触媒として広く用いられている。ARE社の製品は欧米へも輸出されるが、塩化希土は全量が日本へ輸出されている。つまり、日本が「経済・技術大国」であり続けるためには、こうした希土類金属が必要不可欠ということである。(p.116)



〔中略〕重松氏〔引用者注:AREの経営責任者である元三菱化成肥料無機事業部課長代理の重信多三夫総支配人(当時)〕自身、「モナザイト鉱石はトリウムやウランを含んでいるため、放射能や薬品などの公害問題(放射能)の対策を十分に考慮されねばならない」「公害発生防止の立場から、他国で化学処理済みの中間原料を輸入する方針に切り替えた」と『レア・アース』誌(新金属協会編、技報堂出版)で明言している。つまり、日本国内では避けますが、海外ではやりますと、「公害」発生の予言をしているかのように思える。しかも、マレーシアでモナザイト鉱石を精製することを明らかにしているのである。〔中略〕

 また、トリウムは現時点では実用化されていないが、原発の燃料にもなるため、原発推進に躍起になっている三菱グループにとってみれば、精製によって生ずる小さな村の危険性など、ものの数にも入らないとでもいうのだろうか。(p.120)



 当初、ARE社はマレーシア政府より試運転の許可しかもらえなかったにも関わらず、貯蔵施設を完成させないまま、見切り発車的に操業を開始したといういきさつがある。
 放射性廃棄物の貯蔵施設の完成を待ってから稼動するというのが、最低限の良識であろう。廃棄物貯蔵施設もないまま操業に入ったら、結果は火を見るより明らかではないか。
 どんどん排出される廃棄物が、あたりかまわずその周辺に野積みされてゆく中で、ブキメラ村民たちの平和な生活は、あっという間に破壊されていったのである。(p.122)



 ARE社は、試運転の段階からすでにフル稼働に入り、生産物を輸出すると同時に、三〇〇トンから五〇〇トンに及ぶ放射性トリウムを含む廃棄物を吐き出していたのである。
 当時の状況はまさに“トイレなきマンション”と同じで、廃棄物を工場の広場やサッカー場に野積みしたり、池や草地にばらまいたり、トラックで運んで行っては公道にまでぶちまけたりと、まさにやりたい放題であった。(p.124)



 八三年から八五年まで、放射性廃棄物とは知らずにダンプカーを使って運搬した業者の話は次のようなものだった。
 「工場からさほど離れていない野原や池、道路脇などに捨てました。会社から『トリウム・ケーキ』と聞きましたので、お菓子を想像しました。食べたっていいと思ったくらいでしたから……。また、化学肥料だとも聞きましたから、親類や友人にまで配って、畑にまくよう勧めました。花や木が育つならいいことだと思い、わざわざサッカー場にも捨てました。この話、何人もの日本人にしました」〔中略〕

 この事実からも明らかなように、放射性廃棄物は八六年まで放置され、問題になってからやっと暫定貯蔵所が建設されるというずさんな管理であったから、必然的にブキメラ村の住民たちの健康はむしばまれていった。そしてそれは、深く静かに進行していったのである。
 まず子どもたちの体に、異常が現れだした。その典型は、白血病の子どもが三人も見つかり、妊婦の流・死産が続出したことである。一万人の人口のブキメラ村で、白血病の子どもが三人も出たというのは驚くべき数字ではないか。そして、ダウン症児が一二人生まれている。また、母親が妊娠中に、放射性廃棄物を扱う所とは知らされないでARE社の工場拡張のための整地作業に携わったためという理由しか考えられない、ゼリーのようにぐにゃぐにゃで、自分で体を支えるのもやっとの「ゼリー・ベビー」と呼ばれる子どもが生まれた。(p.128, p.130, p.132)



日本の大企業は、利潤の追求にかけては世界一を誇るかも知れないが、産業公害に対する社会的責任をとることに対しては皆無に等しいと言ってもいいだろう。
 かつて私は七年間、四日市の「公害」を追い続けていたので、その実感を込めて断言したい。
 その根拠は、「四日市公害裁判」の被告六社の中に、三菱グループ三社(化成・モンサント・油化)が入っていたことである。一九七二年七月二四日、九人の原告(判決当時二人死亡)は、三菱化成を含む被告六社に対して「全面勝訴」をかち取ったわけだが、その教訓は何ら生かされることがなかったのだ。つまり、三菱化成は再び利潤を追い求めマレーシア進出を決め、七三年には現地企業との「合弁会社」を作ったのである。(p.141)



 一九八五年一〇月、一〇〇〇人を越す住民に取り囲まれたイポー高等裁判所は、ARE社に対して、操業停止と廃棄物除去、管理を命じる「仮処分」を下したのである。
 ARE社は、一一月になってからやっと操業を停止した。そして、投棄所から放射性廃棄物を除去し、暫定貯蔵施設を現場に建てたのである。
 そこで、ARE社は国際原子力機関(IAEA)の科学者フォウラーを招致し、現地の放射線値の測定を依頼した。
 予想していたこととはいえ、その結果は「周辺は国際基準以下で安全」と発表された。ちなみにARE社側の「測定」なるものは非公開で行なわれ、しかもデータの公開もなされなかったという、実にあやしげなものだったという。(p.148)



 一九八七年の二月に入り、重信総支配人は八五年の一〇月にイポー高裁から下されていた仮処分命令を無視し、「マレーシア原子力安全審査局より仮操業許可を得たので、工場の運転を再開」すると発表したのである。この時期、マレーシア政府はブキメラ村から約四キロの地点にあるクレタン・レンジ丘陵を廃棄物の永久貯蔵施設用に斡旋、その工事が始まっていた。
 原告弁護団は“三権分立のもとでは、司法の執行命令を行政を覆すことはできない”と激しく抗議したが、ARE社は、
 「暫定貯蔵所を建設し、そのうえ、永久貯蔵施設も確保した。マレーシア原子力安全審査局の定める条件を全て満たしているので、正式許可が下りた。したがって、正式許可されたAREは新工場であり、八五年一〇月に仮処分命令を受けた工場とは違う」
 と詭弁を弄して稼動を再開し、裁判所命令に背いていないと完全に開き直ったのである。
 この後、住民たちは怒りをあらわにし、反対運動は一段と激しさをましていった。
 「それは四月一二日のことでした。周辺七村から二万人が結集し、『ペラ反放射能委員会(PARC)』として、操業再開に断固反対の意志を固めたのです。道をはさんでARE社の工場のまっ正面の土手に闘争小屋を作り、炊出しをしながら、二四時間体制で監視・抗議行動を始めました。
 五月二四日には、AREを三〇〇人で包囲し、座り込む非暴力の抗議行動を行なったわけです。この時、警察が襲いかかったので、二〇人が催涙弾でやられ、村民一一人、警官六人の負傷者が出る流血の惨事となり、一七歳や一九歳の未成年者を含む六人の若者が公務執行妨害罪で逮捕されたんです」(p.150, p.152)



 第一回の公判は、八七年の九月であった。早朝からイポー高等裁判所への約七キロの道のりを、三〇〇〇人の住民たちが歩いていった。
 ところが、これが無届デモだとして、証人三人を含む九人が逮捕されたという、初回から大変な裁判の幕開けとなったのである。
 続いて第二回公判が一一月に予定されていた。ところが、マレーシア政府は「近年の自由化が、国内の不穏な動きを助長している」と、民主主義にもとる国内治安法を発動し、一〇月二七日から二八日にかけ、与党の反主流派や野党指導者、人権擁護さらには環境保護に関わる学者・弁護士・活動家など六三人を逮捕した。そのうち四人が『ペラ反放射能委員会』のメンバーで、ヒュー・ユン・ター委員長まで含まれていた。しかも、PARCに協力していたマレーシア環境保護協会の生物学博士とミーナクシ・ラマン弁護士も逮捕された。まさに政府ぐるみの反対運動つぶしといってもいいだろう。〔中略〕

 私の取材に協力を惜しまず動いてくれたパン・クイ・ヨウさんは、
 「私は一〇月二七日に逮捕され、一二月一日までイポーの刑務所の独房に入れられていたんです。容疑は、操業反対のデモンストレーションをやったからというものでした。日曜日をのぞいて、朝から晩まで尋問を受けました。刑務所には人権などありませんから……」
 と、声を震わせていた。
 そしてさらに、
 「前の戦争では日本軍が侵攻して来て、ヤシの実をドンドン倒したものだから、マレーシア人は食料としていたヤシの実がなくて飢えに苦しんだのです。日本人は、実をつけるのに二〇年もかかることを知らなかったのです」
 と言って、第二次大戦の飢餓にまで話が及んでいった。平和の時代に引き起こされた公害の恐ろしさと、戦争でこうむった飢えの苦しさを、同一線上でとらえる視点を忘れてはならないと、私は思い知らされたのである。
 一〇月二七日から二週間のうちに総計一一九人の逮捕というからすさまじい弾圧だ。その後も逮捕者は増え続けており、まだ獄中につながれたままの人もいるという。そればかりか、八八年の三月には憲法までが改悪されてしまったのである。政府は、司法より議会と内閣の決定が優先だとして、三権分立という民主主義の根幹までも崩壊させてしまったのだ。
 それがARE問題を押え込むためのものだった、と人びとは言うのである。(pp.154-156)



 『第一回核被害者世界大会』で原告側の弁護士のC・S・ニジャールさんが、世界中からかけつけた平和運動家、核被害者、弁護士、ジャーナリスト、市民などを前に訴えた言葉を、私は忘れることはできない。
 「マレーシアで日本の三菱化成が、高レベル放射性廃棄物を工場周辺に不法投棄したのです。工場の操業停止を要求しているのですが、政府・AREが認めません。それに素手で処理をした労働者もあり、被曝線量も決して少なくありません。周辺住民の白血球の減少は子どもに顕著です。
 多国籍企業が自国でできない操業を第三国で、知識も与えずにだまし、強行していることを強く弾劾します。開発の名のもとに、利益を得るのは日本のみで、住民は被害だけを受けています」(p.165)


 AREによるマレーシアへの被爆「輸出」は「現代の侵略」と名指されている。それにしても「広島の平和」とは一体何だったのか。


(▼1) 

 ARE社が設立されたのが一九七三年とは、前述したとおりであるが、三菱化成(出資比率三五パーセント)が技術面でも実質的な主導権を握っている。形式的にはマレーシアの企業形態をとってはいるが、技術管理はすべて本社から派遣された日本人技術者があたっているのだ。だから、精製に関わる技術提携面からみても、貸付・保障債務の面からみても、三菱化成が支配しているといっても過言ではない。(p.118)



(▼2) マレーシア北西部に位置するブキメラ村には、約一万人が住んでおり、その八割に当たる8000人が中国系住民である(p.114)。

(▼3) マレーシアの環境保護団体を通じて住民の要請を受けた埼玉大学の市川定夫理学部教授(放射線遺伝学)が測定を実施した。


 「第一回目の測定は八四年一二月下旬から一月三日、第二回目は八六年一〇月、第三回目は八八年一二月と、三回現地測定を行ないました。測定には、線量計と、全方向からの放射能を二ミリレントゲンという微量線量まで計測できる高精度のTLD(熱蛍光線量計)が用いられました。

 第一回測定(表1)では、自然放射線量の平均値とされる一〇〇ミリレム(一ミリシーベルト)に対し、ARE社周辺、特に廃棄物投棄場あたりの線量は四八倍でした。

 国際放射能防護委員会が勧告する一般公衆の線量限度(当時は年間五〇〇ミリレム=五ミリシーベルトだったが、八九年より一〇〇ミリレム=一ミリシーベルトに改定)と放射線作業者の年間許容量(五〇〇〇ミリレム=五〇ミリシーベルト)を大きく上回っているのが明らかになったんです。

 ここで留意してほしいのは、TLDはほとんどのベータ線とガンマ線が計測できるんですが、アルファ線はその能力外だということです。つまり、トリウム二三二やその系列である娘核(トリウム二二八、ラジウム二二四、ラドン二二〇……)はアルファ線放出核種ですから、それらの放出線量は、この数値に含まれていないということです」(p.144)


 なお、第二回測定では「トリウム廃棄物を取り除いたはずの野原からは八〇〇倍の、また廃棄物を運搬したダンプの荷台からは五〇〇倍という驚愕するほかない線量が計測された」(p.150)。

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