2011年10月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • Comments (Close): -
  • TrackBack (Close): -

翻訳記事:「仏大統領、チャドで逮捕された児童売買犯を釈放させる」(キース・ハーモン・スノー)

 最後に、2007年に発覚した「ゾエの箱舟」事件――スーダンの国連ミッションに参加していたフランス「人道」NGOが、チャドの黒人児童に対する組織的な人身売買容疑で現行犯逮捕された事件――をめぐるスノーの記事を掲載する。原文記事執筆時以降の事件の経緯については訳注に含めたので、ここではフランスがチャドの旧宗主国(侵略国)であるという歴史的経緯を改めて喚起したい。

 東西アフリカの中間に位置し、赤道アフリカと北アフリカを結ぶチャド湖の周辺地域では、ヨーロッパ帝国主義によるアフリカ侵略・植民地支配を決定的に加速させた1884年の「ベルリン西アフリカ会議」とほぼ同時期に、統一国家ラビーフ帝国が成立し、19世紀末のアフリカ民族解放運動の一大拠点が築かれた。ラビーフ軍は1891年3月に行われた最初の戦闘でフランス軍を大敗させ、以後も数度にわたって侵略軍を撃退し続けた。フランス軍の圧倒的な挟撃作戦による一方的な殺戮を受けて、1900年4月、ついに帝国がラビーフの死とともに崩壊すると、フランスはラビーフの首を斬り落として、フランス文明に抵抗した「野蛮人」の見本としてパリの博物館に展示した。

 日本帝国主義者は、台湾の(とりわけ先住民に対する)侵略・植民地支配にあたって、フランス帝国主義者のマニュアルを好んで参照した(一例としてルロア・ボリューの『マダガスカル殖民論』など)。これらの問題はすべて(反)植民地主義と(反)レイシズムを抜きに語ることはできない。

【参考】
 チワスアリ:靖国参拝違憲訴訟「意見陳述」
 http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/siten20.html


------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

■「仏大統領、チャドで逮捕された児童売買犯を釈放させる――フランスNGOチャリティ、子どもを誘拐するために『ダールフールを救え』インフラを利用」(キース・ハーモン・スノー)

【原文】
 ALLTHINGSPASS [2007/11/14]: "FRENCH PRESIDENT FREES CHILD TRAFFICKERS ARRESTED IN CHAD --French NGO Charity Used “Save Darfur” Infrastructure to Kidnap Children"
 http://www.allthingspass.com/uploads/html-239FRENCH%20PRESIDENT%20FREES%20CHILD%20TRAFFICKERS%20ARRESTED%20IN%20CHAD%5B2%5D.htm


 チャドとダールフールで活動するフランスの「人道」チャリティNGO、「ゾエの箱舟」(L'Arche de Zoé)が、フランスとチャドが関与した黒人児童の人身売買容疑――控えめにしか報じられていない「ゾエの箱舟事件」――で、国連の捜査を受けていると報道されている。ところが、仏大統領はフランス人を免責し、裁判すら無視してチャドから退避させるために干渉を行った。

 チャドでは制服姿の学生を主体とする抗議運動が沸き起こり、催涙弾と治安維持軍によって弾圧されている。

 チャド大統領イドリス・デビは、事件を暴露、批判して、〔訳注:「ゾエの箱舟」の関係者らが〕「小児性愛」と「臓器売買」に関わっていると公言し、6歳から10歳までの「ダールフール孤児」103人と共にフランスに出国しようとしてチャドの空港で拘束されたヨーロッパ人17人を逮捕したことで、バッシングを受けている。103人の中には、あたかも傷を負っているかのように見せかけるために、包帯を巻かれていた子どもたちもいた。

 臓器売買は、移植臓器のために何万ドルもの支払いが可能な、先進諸国上流階級の裕福な顧客のために駆動している、腎臓を始めとする臓器の取引――世界中にはびこる貿易――である。貧しい国々の子ども――時には大人――たちは、しばしば臓器「提供者」として密売を行うが、その殆どは強制的な「ドナー」であり、臓器の「提供」後には死んでしまう。

 「ゾエの箱舟」計画は、「確実な死に直面している一万人の孤児たち」をフランスと米国に「連れてくる」と称して、2007年4月28日に基金を立ち上げた。 約300人のヨーロッパ人が、孤児を受け取るための諸経費として、それぞれ2000ユーロ(3450ドル)を「寄付」していた。フランスの報道によれば、「ゾエの箱舟」は計画の実施にあたって55万ユーロ(80万2000ドル)の「寄付金」を費やしたという。

 飛行機がフランスへの出国間際に取り押さえられた後、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の調査によって、103人の子どもたちは「地域社会で家族と共に暮らしており」――ダールフール出身でも孤児でもなく――健康状態も劣悪ではないことが判明した。

 「ゾエの箱舟」はフランス軍からの物流支援も取り沙汰されており、ダールフールに隣接する村々に頻繁に出没しては、子どもたちを誘惑してさらっていた。「ゾエの箱舟」は、国際救援コンソーシアムへの参加と、フランス軍という治安装置を通じて、戦争で荒廃したチャド・ダールフール国境地帯へのアクセスを担保していた。

 事件に憤慨するスーダン国境地帯のチャド人たちは、ダールフールの難民に関与している膨大な外国の支援団体の動機に以前から疑念を表明していた。この話題を取り上げた数少ない欧米メディアの報道は極めて短いものばかりで、チャドの母親の「モンスター」ぶりを叩いている報道までいくつかある――要するに、彼女たちは、警備隊に守られた裕福な白人が自分たちの子どもを誘拐したとして、根拠のない怒りと主張を振りかざしている、手に負えないモンスターである、と暗に仄めかしているわけだ。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの国際的なNGOは、早くもイドリス・デビ大統領を攻撃し、チャドが決まって子ども兵士を将校に用いていると非難している。国際メディアは、イドリス・デビ大統領の偽善に関する物語を繰り返し宣伝することで、ヨーロッパ白人による黒人児童の人身売買をめぐる問題を圧殺した。

 「あの人たちは我々を動物のように扱っている」――デビ大統領は「ゾエの箱舟」のメンバーについて、このように発言した。口にしてはならない真実を語ってしまったデビ大統領のマナー違反によって、注目の的はチャドとその大統領の失政に移ってしまったのである。

 IRIN(国連統合地域情報ネットワーク)の救援ネットワークの通信社は、大々的に報じられたデビ大統領の批判をさらに繰り返した。いわく、「ヒューマン・ライツ・ウォッチのチャド調査員デイヴィッド・ブッフビンダー(David Buchbinder)を始めとする多くの援助ワーカーによれば」「『ゾエの箱舟』の子どもたちに対する扱いをめぐるデビ大統領およびチャド政府高官の発言は偽善的である」。

 IRINはヒューマン・ライツ・ウォッチ専門員の次の発言を引用した――「デビ大統領らは、自分たちが本来すべきように子どもたちを保護していないことが明らかなのだから、子どもたちの福利に関して何やら述べたところで、まるで説得力がない」。

 ジョージ・ブッシュやトニー・ブレア、ヒラリー・クリントンといった国際的な白人指導者が全国のテレビで垂れ流している無意味なコメントや真っ赤な嘘に対しては、偽善という発言が投げかけられることは、まずあり得ないだろう。ヒューマン・ライツ・ウォッチの「専門員」は、アフリカにおける白人の人権専門家としての権力的地位が保証してくれている特権を行使したのであり、彼の行動は、欧米の軍事的・経済的・政治的・イデオロギー的勢力の犠牲になっている「第三世界」経済の支配に、ヒューマン・ライツ・ウォッチが与しているという、不公正な権力構造の縮図を示している。

 一般的に、「子ども兵士」に対する国際的な批判は、いわゆる「第三世界」諸国に向けて、裕福な「第一世界」の政府や人権団体、シンクタンクからなされている。他方、「子ども兵士」を批判している人権組織を含む、第一世界の市民は、軍隊の将校に子ども兵士を使っている地域に米軍が軍事力を浸透させていることで、数え切れないほど多くの面で便益を得ている。欧米の軍隊は、18歳以上の「成人」を潤沢に入隊させており、入隊者をうまく養い、義務期間と引き替えに大学教育と「またとない冒険」を提供してくれる〔訳注:実際には、学費の「支給」を受けるためには前金が必要で、大学を卒業できる退役米兵は15%程度であると言われている〕。けれども、子ども兵士はしばしば、無秩序な地帯に展開する軍隊の将校に加わることがある。なぜなら、〔訳注:一兵卒であるよりも〕将校である方が危険が少なく、また子どもたちに主体的な感覚とリアルな権力感覚を与えてくれるからである。一方、米国の密かな軍隊と欧米の代理軍は、より脆弱な「反乱」軍や国軍――その多くは自分たち自身と家族を守るためのレジスタンスであり、子ども兵士は自らの土地と国を守るためにしばしば志願兵となっている――に一丸となって敵対している。

 国連も他の救援団体も、「ゾエの箱舟」のことなど一切知らないと言い張ったが、「ゾエの箱舟」はスーダン国連ミッションの国際チャリティに登録されているのであった。

 「ダールフールを救え」の大合唱に見事に呼応して、〔訳注:2007年11月14日〕現在の「ゾエの箱舟」のウェブサイト(www.archedezoe.fr/accueil.htm)には、「今すぐに救わなければならない、今日この瞬間にも命の危険にさらされている」子どもたちが80万人いると書かれている。〔訳注:2011年10月現在サイトは「工事中」である。〕

 猛烈な国際圧力を受けて、ニコラ・サルコジ仏大統領はチャドに飛び、逮捕された17人のうち7人の釈放を自ら実現させた。2007年11月11日、彼らは連れ立ってフランスに帰国した。〔訳注:2007年12月26日、チャドの裁判所は「ゾエの箱舟」のメンバー6人に懲役8年の実刑判決を言い渡し、被害児童の親に対する総額41億2000万CFAフラン(約10億円)の慰謝料の支払いを命じた。判決から3日後の12月29日、サルコジはチャドとの「相互協定」に基づいて6人をフランスに帰国させた。6人はパリで約3カ月間拘留された後、2008年3月31日にデビ大統領から「恩赦」を与えられた。〕

 イドリス・デビ大統領は、「ゾエの箱舟」のメンバーに同行していた3人のフランス人ジャーナリストと7人の搭乗員を含む、17人のいわゆる「人道」支援活動家――全員が人身売買容疑の共犯として起訴されている――を逮捕したことで強く批判されている。(ときには公平なこともある)メディア監視団体の「国境なき記者団」によれば、ジャーナリストのうち2人は「ゾエの箱舟」計画を取材中で、残りの1人は明らかに個人的な理由のために参加していたという。ベルギー人のパイロットも拘束されているが、罪は一切問われていない旨報じられている。

 米国の民間ニュース放送局MSNBCは、「起訴されたフランス人の運命よりも遥かに強く問われていることがある」と報道し、今や胡散臭くなってきてはいるが、依然として扇情的な「ダールフールを救え」キャンペーンに問題の焦点を戻すことで、事件の要点を歪曲した。

 事実、問われているのは、 欧州と北米、アフリカの国々の間の不公正な関係である。この事件は、被害者がどのように扱われるか、被害者が被害者であるがゆえにどのように罰せられるか、「国際援助チャリティ」の旗下での、密かな軍事作戦や民間軍事会社、児童売買に絡む殺人をも含む、アフリカにおける犯罪の真の加害者が、いかにして完璧に免責されるかということを端的に実証している。明るみに出たこの事件で問うべきものは、「アフリカ人には我々の助けが必要である」「アフリカ人は自分たち自身では何もできない」といった欧米の「文明社会」の言説を再生産しながら、欧米諸国がアフリカから吸い上げている利益なのである。

 チャド人の母親たちは次のように述べている。「もしも、米国の人々を支援するためにアフリカからチャリティ団体が派遣され、チャドの黒人NGOの参加団体の一つが、『ゾエの箱舟』のヨーロッパ人のように現行犯で逮捕されたとしたら、熾烈な国際捜査を受け、米国で長期にわたって裁判にかけられ、あの恐ろしいO.J.シンプソンの裁判のように、世界中のさらしものにされるでしょう。黒人で、しかもアフリカ人の加害者は――実際に罪を犯していようが、無実であろうが――死ぬまで刑務所に入れられて、チャドという国家全体と国民全員が「無秩序」と「テロ」の温床として攻撃されるでしょう。」

 この如何わしいフランスNGOの真の目的と、仏大統領サルコジとの関係をめぐっては、いくつかの深刻な疑惑が浮かび上がってくる――小児性愛と臓器売買について言及したチャドのデビ大統領の発言は、一部のメディアを刺激するための単なる即席のコメントではなかったのではないだろうか。

 調査報道記者でありアフリカ情報の専門家であるウェイン・マドセン(Wayne Madsen)は、「ゾエの箱舟」のフランス人たちがフランス国内でのコネクションについてチャドの法廷で告白してしまったことをサルコジ仏大統領が懸念しているようである、と報じている。大統領選挙運動の時期に〔訳注:2007年の大統領選挙は4月22日に最初の投票が、5月6日に決選投票が行われ、ジャック・シラクの後継者としてニコラ・サルコジが当選した〕、サルコジは小児性愛は適切に理解されていない〔訳注:端的には「小児性愛は生まれつきのものである」〕という意見を述べた。このコメントはフランスで大顰蹙を買い、サルコジはパリの大司教から強い非難を浴びた、とマドセンは報告している。軽はずみなサルコジに対する批判者の中には、サルコジを「ペドのサルコ(Sarko le Pedo)」と呼び始めた人々もいる。

 フランスNGO「ゾエの箱舟」は得体の知れない存在である、とマドセンは述べている。「ゾエの箱舟」は、2004年12月26日の津波の直後に「フランスのモニタリングマニアたち」が設立し、インドネシアのバンダ・アチェに、津波被害で避難民となった子どもを対象とする4つのキャンプを設置した。マドセンは以前にも、インドネシアとタイの津波によって孤児となった子どもたちの人身売買被害について報道しているが、その中には買春目的でなされたものもあった。

 フランスNGO「ゾエの箱舟」のウェブサイトはこの中に載っていたが――昨日まではここにあったのだが――すでにサイトから消されてしまった〔訳注:原文からのリンクがないため推測だが、おそらくスーダン国連ミッションに登録されている国際チャリティの一覧サイトを指すと思われる〕。

 国際メディアの報道によれば、10月24日には、フランス人家族の集団が、フランス・マルヌのヴァトリー空港で、子どもたちを乗せた第一便の到着を待っていたという。飛行機はスーダン国境に程近いチャドのアベシェ空港から離陸しようとしていた寸前に止められ、搭乗していた17人のヨーロッパ人は逮捕されていた。

 もっとも、事件をめぐって明るみに出てきた事実は、アフリカの子どもたちが良心的なフランス人「家族」の家庭に引き取られるはずだったという一連の報道――我々はアフリカの子どもたちを救い、よりよい人生を与えるはずだったという強固な筋書き――が、〔訳注:子どもたちが「ダールフールの孤児」ではなかったのと〕同様に虚偽であったかもしれないことを示唆している。「ゾエの箱舟」事件の全容を解明し、103人の子どもたちの到着をフランスで待ち受けていたのが実際には誰であったのかを究明するために、国際的な調査を迅速に開始しなければならない。


------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 リビアとスーダンの現在につながるチャドの現代史についても簡単に触れておこう。


 チャド――一九八一~八二年

 リビアのムアマル・カダフィ大佐に対するレーガン政権の強迫観念は、地理的にも、法的にも、倫理的にも、とどまるところを知らなかった。リビアは、武装蜂起にさらされていた隣国チャドの要請を受け、また、隣国に友好な政府があることを望むリビア自身のために、チャドに軍隊を駐留させていた。米国は、チャド政府を、反リビア的なものにすげ替えることを狙っていた。またチャド国内の反カダフィ派の亡命リビア人たちに、リビアへの越境攻撃を行なわせていた。

 米国は、チャドの旧植民地支配者であるフランスとともに、賄賂と政治的圧力によりチャド政府にリビア軍撤退を要請するよう仕向けた。リビアは不承不承撤退し、代わりに「アフリカ統一機構」(OAU)の部隊が駐留することとなった。OAUには、チャドの治安を維持する曖昧な権限が委任された。これがトロイの木馬となった。CIAはチャドの反対派部隊をスーダンで再結成し、資金と武器、政治的支援と技術支援を提供した。それから、OAUが何もしないまま傍観しているなか、イセーヌ・アブレ率いるこの部隊は、一九八二年六月、チャド政府を転覆した(▼48)。米国の援助を受けたアブレは八年間チャドを支配した。この間、彼の秘密警察は何万人もを殺害し、二〇万人におよぶ人々に拷問を加えたと言われる。失踪者の数はわかっていない。二〇〇〇年に、拷問の犠牲者たちはアブレが住むセネガルで彼を訴追することに成功したが、そのとき、犠牲者たちは、アブレを「アフリカのピノチェト」と呼んだ(▼49)。


▼48 Woodward, p.96-7, 157-58, 215; Jonathan Bearman, Quadhafi's Libya (Zed Books, London, 1986), p.216-225.
▼49 New York Times, February 11, 2000, p.30, editorial.

(ウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪全書』、益岡賢訳、作品社、2003年、p.248, p.271)


 1981~1982年当時のスーダンは、親米のジャアファル・ムハンマド・アン=ヌメイリー軍事独裁政権下にあり、リビアの怪しげな「反乱勢力」の一部――NFSL(リビア救済国民戦線:National Front for the Salvation of Libya)――も、同時期(1981年10月)に米国の支援を受けてスーダンで結成された〔リンク先記事では途中からFNSLと略されているが、これはNFSLの間違いである〕。カダフィは、ダールフールで起こっていることは、アラブ政権による黒人に対するジェノサイドではなく、欧米帝国主義による介入であるとして、繰り返しバシール政権を擁護してきた。

Home > 2011年10月

Recent Comments
Recent Trackback
Search
Meta
Links
Feeds

Page Top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。