スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Comments:-

「サヨク」は「左翼」に立ち返れ URL 2010-07-08 (木) 21:00

天心の「アジアは一なり」という言葉には、各々の国の多様性を無視した粗雑なものがあると愚見します。「アジア」といっても一つに括られるものではない。そもそも「アジア」という呼称自体、欧米側からの視点によるものです。「アジア的後進性」等の表現からもわかるように、「文明人」を自称してきた欧米人にとって、「アジア」という言葉は否定的な意味合いしか持たない。「亜細亜」という当て字には、そのような彼らの偏見に対する、日本人の「媚び」を感じます。

>「日本の現代の政治家、国民、軍人をして、英邁なる天子の御統率の下に、忽ち一等国として諸国民の班に加わることを得しめた知的及び道徳的特性は如何なる所に拠るものであるか」を説明するために書かれたとある。

そう、「名誉白人」国家である「大日本帝国」の下に、「アジア」の諸民族は「黙って一つになれ!」ということなのでしょう。

m_debugger URL 2010-07-11 (日) 17:34

>「サヨク」は「左翼」に立ち返れさん

お返事遅れてすみません。岡倉の著作については最新エントリーで改めて取り上げました。

>「亜細亜」という当て字には、そのような彼らの偏見に対する、日本人の「媚び」を感
じます。

岡倉も「東洋の理想」で米国に対して思いっきり媚を売っています。

「〔中略〕アメリカの武装した使節に対しては、長く感謝を捧げるべきである。アメリカの国策はわが国の門戸を開いたが、それは自己の勢力拡大にあらざる啓蒙(けいもう)の精神をもってしたのであった。」(「東洋の理想」、『岡倉天心集』、筑摩書房、1968年、pp.52-53)

>そう、「名誉白人」国家である「大日本帝国」の下に、「アジア」の諸民族は「黙って一つになれ!」ということなのでしょう。

要するにそういうことですよね。つくづく底が浅いと思います。

Comment Form

Trackback+Pingback:-

TrackBack URL for this entry
http://mdebugger.blog88.fc2.com/tb.php/103-cd7ec416
Listed below are links to weblogs that reference
スポンサーサイト from media debugger

Home > スポンサー広告 > 「アジア主義」再評価論批判①――岡倉天心は「日本のシオニスト」

「アジア主義」再評価論批判①――岡倉天心は「日本のシオニスト」

 やや間が空いてしまったが、前回のエントリーに登場した、進藤榮一らの「岡倉天心と東アジア共同体」といった言説(「アジア主義」再評価論)について、何回かに分けて批判してみたい。

 先日紹介した『環』2008年秋号(Vol.35)の「小特集 岡倉天心と21世紀のアジア」は、「国際アジア共同体学会」(代表・進藤榮一)が同年2月23日に有楽町朝日ホールで主催したシンポジウム(「東アジア共同体と岡倉天心:21世紀アジアを展望する」)を受けて組まれたものである。ご覧の通り、このシンポジウムは政官財・マスコミ(朝日、NHK)・大学に加えて、中韓の大使館、さらにEU代表部まで抱き込んだ(▼1)一大イベントであり、その社会的影響力は一マイナー季刊誌の枠を遥かに超えている。


「東アジア共同体と岡倉天心」国際会議委員会

会長・西原春夫(早稲田大学元総長、アジア平和貢献センター理事長)
実行委員長・進藤栄一(筑波大学名誉教授、国際アジア共同体学会代表)

主催:国際アジア共同体学会
共催;東アジア共同体評議会、日中関係学会、北東アジア研究交流ネットワーク、日本ビジネスインテリジェンス協会
協賛;藤原書店、アジア創造美術展実行委員会

後援;朝日新聞、日本放送協会、筑波大学、EU(欧州連合)代表部、中国大使館、韓国大使館、(財)日欧産業協力センター、 (財)日本アセアン・センター、桜美林大学、茨城県

助成:国際交流基金

開催日時;08年2月23日(土)午後2時~6時15分。

場所:有楽町朝日ホール(マリオン内)
 大会委員長挨拶;西原春夫(早稲田大学元総長、本学会顧問)
 来賓挨拶;青木保(文化庁長官)「都市中間層文化が促す東アジア共同体」


 国際アジア共同体学会:「岡倉シンポ」
 http://www.soc.nii.ac.jp/isac/001/isac.files/Page485.htm

 というわけで、今さらながら放置しておくには実害が大きいので、この場でまとめていくつか批判しておこう。「東アジア共同体」の歴史的参照軸(の一つ)に岡倉天心らの「アジア主義」を担ぎ出してこようとする進藤らの言説は、論理的にも倫理的にも異論の余地なく最低であると私は思うが、それだけに彼ら・彼女らが企図する「東アジア共同体」なるものの実体を饒舌に語ってくれていることも確かである。

 岡倉の「アジア主義」を持ち上げる「リベラル」の頽廃については、(かつての)高橋哲哉が的確に批判しているので、『前夜』2005年秋号(5号)から転載しておこう(引用部の強調および注釈は高橋による)。長文の引用で恐縮だが、未読の方はぜひご一読いただきたい。とりわけ岡倉天心は「日本のシオニスト」であるという鄭敬謨氏の指摘は大変重要であると思う(▼2)

 「岡倉天心は一九〇四年二月十日、まさに日露戦争開戦の日に米国へ出発。ボストン美術館東洋部(中国・日本部)部長となり、同年十一月にニューヨークで『日本の目覚め』(The Awakening of Japan)を出版した。この書の「原著出版者の序」には、「日本の現代の政治家、国民、軍人をして、英邁なる天子の御統率の下に、忽ち一等国として諸国民の班に加わることを得しめた知的及び道徳的特性は如何なる所に拠るものであるか」を説明するために書かれたとある。全体の結論ともいえる最終章「日本と平和」を見れば、この本の狙いが事実上、日露戦争に際して欧米諸国に日本の戦争理由を説明することにあり、とりわけ日本の朝鮮支配を正当化することにあったことは否定しがたいであろう。

 天心はここで、「我が文明の真の性質は、外国民への侵略を禁止することである」から、「戦争への我々が最後の依頼は、我が国民的生活保護の必要によって、我々の上に強いられるものだ」という(以下、岡倉天心『日本の覚醒』聖文閣、一九三八年より引用。旧字体は現代字体に変更)。平和主義的に聞こえるが、要するに、日露戦争も朝鮮支配も「侵略」ではなく、「我が国民的生活保護の必要」から「強いられ」たものであるから正当だ、ということである。天心が日本の朝鮮支配を正当化する「論理」は、現代日本の歴史修正主義者のそれとなんら変わらない。


 何処かの敵対国がこの半島〔=朝鮮半島〕を占領せる暁は日本へ軍隊を送るのは容易に出来ることであろう。何となれば朝鮮は、いつも尖っている懐剣の如く、日本の真の胸に向って横たわっているからである。その上、朝鮮及び満州の独立は、経済上からも、我が人種保全に必要なのである。何故かと言えば、若し常に増加しつつある我が人口は、これらの国々の耕作稀なる面積に於て、若しその合法的な捌け口が奪わるるならば、そこには飢餓が待っているからである。今日ロシア人は、我々を措いて誰も何等盾をつく者なきこれらの地方にその手を掛けた。これらの事情の下に我々は、余儀なく我が古代の領土たる朝鮮を、合法的・国民的防御の我が線内に入るものと見做すに至る。我々が支那と開戦するの余儀なきに至れるのは、一八九四年にこの半島の独立が支那によって脅かされたときであった。我々が一九〇四年にロシアと戦えるのも、この同じ独立のためであった(一二二頁)。


 日清戦争でも日露戦争でも日本の目的は朝鮮半島の「独立」を確保するためであり、その「独立」を確保しなければならないのは朝鮮半島が日本の「生命線」だからである。朝鮮半島は日本の「生命線」だから、「合法的・国民的防御の我が線内に入るもの」と見なしてよいのであり、つまりはその「独立」とは日本の支配下に入ることなのである。天心はさらに、「我が古代の領土たる朝鮮」は「元来日本の領土」だったのだから、それだけですでに日清も日露も「開戦の名分は欠けてはいなかった」のだという。そして朝鮮が「元来日本の領土」であったことを欧米人に示すために、あらゆる無理を積み重ねていく。


 多分朝鮮半島は、元来有史以前の時代の間に我々によって植民地を開かれたらしい。朝鮮における考古学上の遺物は、我々の原始的のドルメンに於て見出されたるそれらのものと全く同型のものである。朝鮮語は今日でさえも、総てのアジア語の中で我々の言語に最も近く類似している。我々の上代の伝説は、我が皇祖の御弟君、素戔鳴尊(すさのおのみこと)の朝鮮御移住を物語っている。そして朝鮮の始祖檀君王は、或る歴史家の中には、素戔鳴尊の御子であったと考えている者もある。第三世紀は、我が神功皇后が、幾多の小独立王国の勃興によって脅かされたる我が主権を再興せんために、この半島の征伐軍を導き給えることを語っている。我が年代記は、第八世紀までは、植民地の上に加えられたる我等の保護の記事に充ちている(一一九頁)。


 素戔鳴尊が朝鮮に移住して檀君を生んだなどという奇説まで動員して「論証」されなければならないのは、朝鮮半島が「元来日本の領土」であったこと、だから現代にあっても日本は朝鮮半島を支配する権利を有するということである。

 鄭敬謨(チョンギョンモ)はつとに一九八〇年代から、こうした思想を持つ岡倉天心を「日本のシオニスト」と呼んでその問題点を指摘してきた(「窮極の悪の枢軸」『粒』第四一号、三〇頁以下参照)。鄭の言うように、「元来ありうべくもない荒唐無稽な歴史を根拠として縁故権を主張し、よその国の国土を奪い取ろうとする思想」を「シオニズム」と呼ぶならば、天心の主張がそれに当たることは明白だ。鄭の指摘によれば、朝鮮を標的にした「日本版シオニズム」は、『武士道』を著して日本を米国に宣伝した新渡戸稲造にも見られ、米国の覇権主義を取り込むのに成功した。それは、一九〇五年七月、米国のフィリピン支配を日本が認めるならば米国も日本の朝鮮支配を正当と認めるという「桂―タフト密約」にもつながっているという。「戦後」の東アジアにおける日米同盟の意味を考える際にも、忘れることのできない指摘だ。」(高橋哲哉、「「不気味な日本人」について」、『前夜』2005年秋号、pp.14-15)

 では、岡倉の「論理」をこのように押さえた上で、次にそれを持ち上げる側の「論理」を見ていこう。


▼1 「国際アジア共同体学会」の共同代表は、進藤榮一と、金泳鎬・韓国通産資源省元長官、蒋立峰・中国社会科学院日本研究所長の三名である。ちなみに姜尚中も同学会の役員(評議員)を務めている。

 ところで、「姜尚中 国際アジア共同体学会」をGoogleで検索したところ、次の記事に遭遇してしまった(強調は引用者による)。


 和田教授は「姜教授はスーパースターになった。多くの日本人が姜教授を通じ韓国系日本人の存在を再認識している」と述べた。保守主義が根強い日本社会で、時に急進的な主張をする韓国系有識者の社会的地位が高まり影響力が増すということは、非常に珍しいことだと説明した。


 聯合ニュース:「日本の「姜尚中ブーム」に注目、和田春樹東大名誉教授」
 http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2009/11/27/0400000000AJP20091127001400882.HTML

 ・・・・・・なかなか突っ込みどころが多くて困るが、「多くの日本人が姜教授を通じ韓国系日本人の存在を再認識している」という発言は、普通に解釈すれば、姜尚中が(も)「韓国系日本人」である(日本に「帰化」した)、ということにならないだろうか?その後の「韓国系有識者」という表現も、「韓国系日本人」に対応しており、単なる言い間違いとしては片付けられない問題を含んでいると思うのだが、これは翻訳ミス(誰の?)か何かなのだろうか?それとも和田のリークなのか?

▼2 この点については、ZEDさんが詳しくまとめてくださっているので、ぜひご覧ください(鄭敬謨氏の日本語訳記事も読むことができます)。


岡倉天心というどこに出しても恥ずかしくない立派なアジア侵略主義者を、アジア平和・友好論者であるかのように捏造・歪曲し、それを以って軍事同盟たる東アジア共同体を平和的な関係であるかのように歪曲する…。何もかも一から十まで全て嘘とデタラメで塗り固められているのが、岡倉天心を利用した東アジア共同体推進論に他ならないのです。
しかし彼らがいかにイカサマじみた事を言おうと、そんなものは内輪の日本人かそれに媚びて協力する「親日派」朝鮮人にしか通用しないでしょう。朝鮮半島本国の民衆の間では、今でも岡倉天心は新渡戸稲造、福沢諭吉、伊藤博文、西郷隆盛、原敬らと同様の侵略論者・侵略主義者として認知されているからです。


 スーパーゲームズワークショップエンターテイメント:「日本のシオニストと東アジア共同体」
 http://sgwse.dou-jin.com/Entry/137/

 冒頭のシンポジウムでは、孫歌が「アジア主義の光と影」という「問題提起」をしたようである。「アジア主義」の「光」というのは、端的に言って侵略の「光」でしかないと思うのだが、竹内好の再評価に便乗・加担する孫歌のような「研究者」にとっては、日本の「論壇」の「光」にも見えるのかもしれない(「論壇」自体が暗いと思うが)。ちなみに、パネリストの岡倉登志(大東文化大学文学部教授)は岡倉天心の曾孫なのであった。あまりにもZEDさんの「内輪の日本人」という指摘そのままで驚く・・・。

Comments:2

「サヨク」は「左翼」に立ち返れ URL 2010-07-08 (木) 21:00

天心の「アジアは一なり」という言葉には、各々の国の多様性を無視した粗雑なものがあると愚見します。「アジア」といっても一つに括られるものではない。そもそも「アジア」という呼称自体、欧米側からの視点によるものです。「アジア的後進性」等の表現からもわかるように、「文明人」を自称してきた欧米人にとって、「アジア」という言葉は否定的な意味合いしか持たない。「亜細亜」という当て字には、そのような彼らの偏見に対する、日本人の「媚び」を感じます。

>「日本の現代の政治家、国民、軍人をして、英邁なる天子の御統率の下に、忽ち一等国として諸国民の班に加わることを得しめた知的及び道徳的特性は如何なる所に拠るものであるか」を説明するために書かれたとある。

そう、「名誉白人」国家である「大日本帝国」の下に、「アジア」の諸民族は「黙って一つになれ!」ということなのでしょう。

m_debugger URL 2010-07-11 (日) 17:34

>「サヨク」は「左翼」に立ち返れさん

お返事遅れてすみません。岡倉の著作については最新エントリーで改めて取り上げました。

>「亜細亜」という当て字には、そのような彼らの偏見に対する、日本人の「媚び」を感
じます。

岡倉も「東洋の理想」で米国に対して思いっきり媚を売っています。

「〔中略〕アメリカの武装した使節に対しては、長く感謝を捧げるべきである。アメリカの国策はわが国の門戸を開いたが、それは自己の勢力拡大にあらざる啓蒙(けいもう)の精神をもってしたのであった。」(「東洋の理想」、『岡倉天心集』、筑摩書房、1968年、pp.52-53)

>そう、「名誉白人」国家である「大日本帝国」の下に、「アジア」の諸民族は「黙って一つになれ!」ということなのでしょう。

要するにそういうことですよね。つくづく底が浅いと思います。

Comment Form

Trackback+Pingback:0

TrackBack URL for this entry
http://mdebugger.blog88.fc2.com/tb.php/103-cd7ec416
Listed below are links to weblogs that reference
「アジア主義」再評価論批判①――岡倉天心は「日本のシオニスト」 from media debugger

Home > 「アジア主義」批判 > 「アジア主義」再評価論批判①――岡倉天心は「日本のシオニスト」

Recent Comments
Recent Trackback
Search
Meta
Links
Feeds

Page Top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。