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Home > スポンサー広告 > 「アジア主義」再評価論批判③――竹内好は歴史修正主義者ではないのか?

「アジア主義」再評価論批判③――竹内好は歴史修正主義者ではないのか?

 引き続き、竹内好の歴史認識と「論理」がどれだけ粗雑であるかを実証していこう。竹内は、岡倉天心の著書と同様に、樽井藤吉の『大東合邦論』が「日本ファシズムによって」「悪用された」(「アジア主義の展望」、『アジア主義』、筑摩書房、1963年、p.43)という主張を随所で繰り返している(強調は引用者による)。


 興亜思想の一典型として、樽井藤吉の『大東合邦論』(一八九三年刊)をあげることができるだろう。樽井の主張は、日本と朝鮮が対等合邦して、総名を大東とし、この大東国が中核となって、中国その他と連合して西方の侵略を食い止めよ、というのだ。今日からはいささか空想的にみえる議論だが、当時としては真剣かつ独創的な意見だった。そしてこの国家連合方式は、今でもまったく未来性がないわけではない。

 この興亜策に真っ向から対立したのが、福沢諭吉の「脱亜論」(一八八五年発表)だろう。福沢は、はるかに鋭く現実政治の上に立って、アジア連帯はなまぬるいと考えた。むしろ日本は、遅れている近隣諸国をふり捨てて、独力でまっしぐらに文明を取り入れるべしと主張した。

 「わが国は隣国の開明を待って共にアジアを興すの猶予あるべからず……われは心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり。」

 歴史の歩みは、一度は福沢の正しさを立証した。その後の日本は、ひたすら脱亜の道を歩んで、世界の三大強国の一つにのしあがった。樽井の理想は結局実現されなかった。一九一〇年の日韓併合は、まったく一方的な合併であって、樽井の当初の考えとは縁もゆかりもないものだった。(竹内好、「日本人のアジア観」、『日本とアジア』、ちくま学芸文庫、1993年、p.99)


 後述のように、樽井藤吉が「韓国併合」を絶賛していたことは、『大東合邦論』再版(1910年6月刊行)を読みさえすれば、容易に確認できることである(原文傍点は下線に改めた)。「再版の付録として付けられた「再版付言」において、自らを日韓合邦首唱者と誇称して、日本の韓国併合を手放しで喜んだ樽井にとって、合邦と併合の厳密な区別はなされていなかった」(長陵書林編集部、「大東合邦論覆刻に際して」、『大東合邦論(覆刻)』、1975年、p.208)のであり、侵略と民族差別を内包する樽井らの「興亜」を、福沢らの「脱亜」に対峙する「連帯」の思想として見出そうとする竹内の「思想」は、歴史的検証には到底耐えがたいと言わざるを得ない。「歴史の歩みは、一度は福沢の正しさを立証した」という言葉も、竹内が結局は侵略の「正しさ」を認める「思想家」であることを明快に「立証」していると思う。

 ところで、キムチョンミ氏は、竹内のこうした主張について、「「日本と韓国の双方に対等な「合邦」をもとめる動きがあった」という「ひとつの歴史的事実」(虚偽)の最初の発見者(宣伝者)は、栗原幸夫ではなく竹内好であった(キムチョンミ「国民国家日本、二〇〇一年  日本人は、いつ、どのように日本国家主義から解放されるのか」、『飛礫』32号、二〇〇一年一〇月)」と指摘されている。『飛礫』の当該号は絶版になっているため未読だが、「日本と韓国の双方に対等な「合邦」をもとめる動きがあった」という「ひとつの歴史的事実」が虚偽であることは、比較的簡単に確かめることができるだろう。

 まず『大東合邦論』の「再刊要旨」(第三条)を読んでみよう(▼4)

 「たとえ日韓聯合の約成るといえども、また韓人をして合成国の大政にただちに参与せしむべからず。何となれば、現今、韓国はわが保護の下に立ち、毎歳、一千余万の補助を受く。その富力なお未だ合成国の政費を分担する能わざるは明かなり。いやしくも政費を分担する能わざるものをして、その大政に参与せしむれば、則ちわれ自らわが国権を損ずるのみならず、あるいは不測の弊習を遺さざらんか。故に聯合の条規を協定せんと欲すれば、すべからく先ず、その富力充実して政費を分担するに至るの日を待ち、始めてその国民をして政権に参与せしむるの約を立てざるべからず。これ当然の事理なり。」(『大東合邦論(覆刻)』、pp.189-190)

 要するに、日本の朝鮮植民地化(支配)には金がかかるから、「日韓聯合」の暁には朝鮮人の参政権を認めるべきではない、と言っているのである。これが竹内の「発見」した「日本と韓国の双方に対等な「合邦」をもとめる動き」とやらの論理的帰結だというのだから、あまりにもひどい話ではないか。

 次に『大東合邦論』の「再版付言」(▼5)の終わりの部分を読んでみよう(なお、原文の片仮名を平仮名に、漢字および平仮名を現代表記に改め、句読点を追加した。原文傍点は下線に改めた)。

 「皇上は実に世界無比の盛徳者なり。我臣民は其盛徳者より爵位勲章等の栄典を賜る。又以て万邦無比の光栄を賜るものと言う可し。然るに未其盛徳者の盛徳を表すべき尊号を其盛徳者に上つらんとする発議者有るを聞かず。是唯賜る事を知て上る事を知らざるに由るか。」(p.204)

 ざっと現代訳すると、こんな具合である。

 「天皇陛下は実に世界に比類なき聖人君子である。我々臣民は、その聖人君子より爵位や勲章などの栄典を賜っている。つまり、これによって世界に比類なき光栄を賜っていると言える。けれども、いまだに天皇陛下の聖人君子ぶりを称える尊号を天皇陛下に献上しようと提唱する者はいないようである。我々臣民は天皇陛下から賜ることを知るだけで、天皇陛下に献上することを知らないからであろうか。」

 これまた岡倉天心に「おとらず」壮絶な天皇主義者ぶりであるが、樽井の本領からすれば、これでもまだ生ぬるい。引用を続けよう。

 「普国人は其国君に独逸皇帝の称号を上つり、英国人は其国君に印度皇帝の尊称を上つれり。我国民たる者又我皇上の盛徳を表す可き尊号を上らずして可ならんや。島国日本の名称をのみ冠し奉るは未其盛徳を表するに足らず。何ぞ大陸を兼有する尊号を上らざるや。思うに千里の行も一歩より始む。朝鮮の如き小国言に足らずと雖も之を合するは連合国創業の一歩なり。宜く適切なる尊号を以て之を上るべきなり。〔中略〕」(p.204)

 ――プロイセン国民はその国王にドイツ皇帝の称号を献上し、英国民はその国王にインド皇帝の尊称を献上した。我々国民たる者もまた、我らが天皇陛下の聖人君子ぶりを称える尊号を献上しないなどということがあってはならない。一島国にすぎない日本の名称だけをつけて献上するのでは、天皇陛下の聖人君子ぶりを充分に称えることができない。大陸をも支配する尊号を献上しなければならない。思うに千里の道も一歩からである。朝鮮のような小国など取るに足らないが、これを「合邦」するのは連合国創業の第一歩である。ぜひとも天皇陛下には適切な尊号をもってこれを献上すべきである。云々。

 「東方の気運尚余に黙示する所あり。曰く上らざる可らざるものは第二第三に止らず、第十第百其数無窮なりと。今や国運進行の初歩に方り昊天の明命即気運の黙示尚斯の如きものある事を我同胞に謹告して、其無窮数のものを上つる其人有ん事を仰望するものなり。

日韓合邦首唱者 樽井藤吉 拝識」(p.205)

 ここから明らかなように、樽井は日本の朝鮮植民地支配を、「第二第三」に留まらず「第十第百」から「無限」に続くらしい、天皇制国家によるアジア(世界?)支配の第「一歩」として、全力で礼賛しているのであった。「樽井の理想は結局実現されなかった。一九一〇年の日韓併合は、まったく一方的な合併であって、樽井の当初の考えとは縁もゆかりもないものだった」という竹内の言葉は、まさにデマとしか言いようがないものであり、樽井の思想を根拠に「日本と韓国の双方に対等な「合邦」をもとめる動きがあった」と断じる「ひとつの歴史的事実」が虚偽に他ならないことは、ひとまず確かめられたのではないかと思う(▼6)

 ちなみに、竹内は、前掲書『アジア主義』の「Ⅰ原型」という章で、樽井藤吉の「大東合邦論」を岡倉天心の「東洋の理想」に並べて「抄録」しているが、もちろん同書には上記の「再刊要旨」も「再版付言」も収録されていない。竹内が読者を原典から遠ざけて、岡倉の「真意をねじまげて」いることはすでに述べたが、ここでも同じ手法が用いられているわけだ(というか、これこそが竹内好の常套手段なのだが)。

 ところで、樽井が「侵略は、日本が侵略されるときには反対であるが、日本がやる場合には反対ではない」(旗田)と考えていたように、竹内は「史実の改竄は、他人がするときには反対であるが、自分がやる場合には反対ではない」と考えていたようである。再び「アジア主義の展望」から引用しよう。


 樽井藤吉の名は久しく埋もれていたが(田中惣五郎の研究を除いて)それを発掘した功績はやはり平野義太郎に帰せられるだろう。しかし彼は、発掘と同時に次のような改竄(かいざん)をおこなった。〔中略〕

 事実がすべてを語っているので、一々の歪曲(わいきょく)を指摘するまでもあるまい。樽井は、日本と韓国が対等合邦して「大東」という総称を冠する提案をしているので、中国(当時の清)との合邦などは考えていない。むしろ清とは合邦できぬと彼は考えて、清には大東国と合縦(がっしょう)することを奨めているのだ。樽井は、まさか後年、彼を侵略思想の道づれに引きずり込む思想家があらわれようとは予期していなかっただろう。

 日韓の紛争を解決するために、また韓国の近代化を推進するために、また列強の侵略を共同防衛するために、日韓両国が平等合併せよという主張は、樽井が誇っているように、たぶん彼の創見であって、しかも絶後の思想ではないかと思う。〔中略〕

 著者自身をふくめての解釈の変遷は別として、対等合邦という主張そのものは、空前にして絶後の創見だが、心情としては引きつがれている。そして全体としては不純な動機と、欺瞞にみちた「満洲国」のなかに暁の星ほどには隠顕している。(「アジア主義の展望」、『アジア主義』、pp.35-37)


 いい加減うんざりしてくるが、「事実がすべてを語っている」というのは、どの口で言えるのか、という突っ込みを抜きにすれば、なかなかよい台詞ではあると思う。まったく竹内は自説に都合の悪い「事実」をことごとく隠蔽して憚らない「思想家」であるようだ。これまであまり(まったく?)指摘されていないように思うが、竹内好は言葉の正確な意味において歴史修正主義者と呼ぶに相応しい人物ではないだろうか。

 竹内が評価する、「日韓の紛争を解決するために、また韓国の近代化を推進するために、また列強の侵略を共同防衛するために、日韓両国が平等合併せよという主張」とは、要するに朝鮮民族の自決権を全否定する主張である(当たり前のことだが、朝鮮民族は大日本帝国との「対等合邦」を望まなかった)。そして、その意味では、『大東合邦論』がとりわけ樽井の「創見」であったり「絶後の思想」であったとは言えないだろう。侵略を肯定し、アジアの他民族の自決権を根底では否定しながら、「連帯」を謳って恥じない樽井の思想は、竹内を始めとする人々に正統に「引きつがれている」のであり、欺瞞にみちた「平和国家」日本のなかにしぶとく生き延びているのだから。


▼4 原文は漢文であるため、ここでは旗田巍による和訳(「樽井藤吉の朝鮮観――朝鮮併合の前夜――」、『日本人の朝鮮観』、勁草書房、1969年、p.66)を参照した。なお、遺憾なことに、旗田も同書の論考「大東合邦論と樽井藤吉」で、福沢の「脱亜論」と樽井の「大東合邦論」について「両者は全く相反する方向をうちだした」(p.54)と評しており、竹内の見解を一部受け入れている。

▼5 『大東合邦論』は「再版付言」を除いては、すべて漢文で執筆されている。竹内が引用している樽井の伝記『東亜先覚志士紀伝』によれば、「この書は全部漢文をもって綴ったもので、その朝鮮人の繙読(はんどく)に便せんことを期するの意に出でしことは明らかである」(「アジア主義の展望」、『アジア主義』、p.34)とのことなので、「再版付言」では朝鮮人の「利便」は考慮されていないらしい。

▼6 もちろん、これに対しては、『大東合邦論』再版時の樽井が「変節」したのであり、「樽井の当初の考え」は「日本と韓国の双方に対等な「合邦」をもとめる」ものだった、と反論することもできるだろう。けれども、旗田巍が正しく指摘しているように、「元来、かれは日本政府の大陸発展政策、朝鮮に対する武力干渉に反対したことはない。そもそも侵略を悪とみなしたことはない。『大東合邦論』のどこにも、朝鮮への干渉反対、侵略反対の考えはない。逆に日本の朝鮮政策を謳歌している。侵略は、日本が侵略されるときには反対であるが、日本がやる場合には反対ではない。日本の侵略・膨張に反対するという考えは、かれにはなかった」(「樽井藤吉の朝鮮観――朝鮮併合の前夜――」、『日本人の朝鮮観』、勁草書房、1969年、p.67)。

 『大東合邦論』が、一進会のようなごく少数のウルトラ親日派を除いて、朝鮮民族にまったく相手にされなかったことは、竹内自身の訳による『大東合邦論』本文においてすら歴然としている。


 朝鮮人にして合邦の利不利を論ずるものは、余いまだこれを聞かず。〔中略〕朝鮮人この説を聞かばまさに言わん、これ日本人の詭弁(きべん)を弄してもって我を瞞(あざむ)くなりと。ああ。余を目するに詭弁の徒をもってするか。(「大東合邦論」、『アジア主義』、p.118)


 「帝国主義段階において、侵略と被侵略の民族間における連帯というのは、反侵略・反帝という共通の基盤のうえでしか成立しないものである。」(姜在彦、『朝鮮近代史研究』、日本評論社、1970年、p.364)

 過去においても現在においても、「反侵略・反帝という共通の基盤のうえで」闘おうとしない日本の「アジア主義者」たちが掲げる「連帯」や「対等な「合邦」」は、所詮は空虚な言葉遊びにすぎないだろう。

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