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Home > スポンサー広告 > 尖閣=釣魚島をめぐる諸言説批判――(3) 侵略国の「国民の正史」を担う沖縄と「オール・ジャパン」現象(前半)

尖閣=釣魚島をめぐる諸言説批判――(3) 侵略国の「国民の正史」を担う沖縄と「オール・ジャパン」現象(前半)

(3)侵略国の「国民の正史」を担う沖縄と「オール・ジャパン」現象(前半)

 エントリーの構成上、前回はあえて触れなかったが、前田朗氏の一連の発言で私が最も興味深く思ったのは、実は次の部分である(強調は引用者による。以下同様)。


E)『尖閣研究――高良学術調査団資料集』(上下巻、尖閣諸島文献資料編纂会、
2008年)

F)『尖閣研究――尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告』(尖閣諸島文献資料編纂会)

BやDの登場によって、井上説は過去のものとなったと見られています。また、昨日の産経新聞では、EとFこそが日本領土論の最大の根拠として取り上げられています。いずれにしても、井上説は過去のものとなっています。


 CML[005959]:「尖閣諸島問題の基本文献について」
 http://list.jca.apc.org/public/cml/2010-October/005852.html

 結論を先取りして言えば、尖閣=釣魚島(Diaoyu Dao)をめぐる「オール・ジャパン」現象の最大の特徴は、沖縄が侵略国の「国民の正史」を積極的に担うことを、右派が絶賛し、左派も歓迎することで、文字通り挙国一致の排外主義が貫徹されている点にある、と私は思う。つまり、佐藤優の提唱する「国民戦線」が、<佐藤優現象>に反対している(いた)はずの左派を重要な構成要素として、ほぼ完全に実現しているのである。

 周知のように、沖縄県議会や那覇市議会、石垣市議会は、中国漁船の船長の解放を受けて、全会一致で日中両政府への抗議決議(意見書)を可決しているし、石垣市議会は10月20日にも、石垣市長や市議らの尖閣=釣魚島への上陸視察を求める決議案を全会一致で、さらに海上保安庁の監視態勢や警備強化に伴う石垣港の整備を求める要請決議案を13対8の賛成多数で可決している。前田氏自身はこうした抗議決議(意見書)を歓迎されているわけではないようだが、一方で(沖縄県市議会に対してはもちろん、大阪市議会に対しても)具体的な批判をされているわけでもない。また以下の理由からも、前田氏が、尖閣=釣魚島をめぐる「オール・ジャパン」現象において顕著な、沖縄と左派のこの共犯関係と無縁である、と言うことはできないだろう。

 再び前田氏の発言に注目してみよう。


以下は、2つのML――[CML]および[pmn-ml]――へのある的確な投稿、及びそれに対するいく人かのリプライを読んでの私の感想、情報提供です。


 ここで前田氏が「ある的確な投稿」として評価されているCMLの投稿は、ほぼ間違いなく、井上清の論文を「沖縄の視点」から割り引こうとする坂井貴司氏のものである。坂井氏は10月8日に次のように投稿されている。


 野田様[CML:005872]は、「尖閣諸島こと釣魚諸島は、 中国固有の領土であったのを、日本が強奪したのだから返還すべき」という井上清の論文の存在を知らせてくださいました。
 
「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明
井上  清 Kiyoshi INOUE
http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html

 実はこの井上論文は、私は先に他の方から教えてもらいました。

 読んだところ、確かに井上論文は「説得力があります」。

 ただ、現実の問題として、地元沖縄、ことに石垣島の漁業にたずさわる人々は、今回の事件で中国に対し大きな不安を抱いています。

 沖縄の地元紙「琉球新報」に以下の記事があります。

 琉球新報

 尖閣沖漁船衝突事件
「地元に不安渦巻く 中国人船長処分保留で」 2010年9月25日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-167964-storytopic-227.html

 日本本土の新聞とは比べものにならないほど、基地問題の記事を継続して掲載している琉球新報が取り上げています。

 ここから、井上が言うような、尖閣列島は中国固有の領土という論は沖縄の人々に受け入れられるのでしょうか。「尖閣諸島と琉球の関係は薄かった」という井上の論は、今の沖縄で説得力はあるのでしょうか。

 私は、この尖閣諸島問題は日本と中国(そして台湾)の国家だけでなく、沖縄の視点も加えて論ずるべきだと思います。


 CML[005876]:「尖閣諸島、地元沖縄の反応」
 http://list.jca.apc.org/public/cml/2010-October/005769.html

 坂井氏は、10月13日の投稿(「井上清の政治的立場」)でも、「井上清の政治的立場」や、現代中国で「少数民族に対する対するひどい抑圧が行われ、拝金主義が蔓延し、政治的弾圧が行われている」ことに加えて(▼1)、「もう一つ、私が井上論文に違和感を感じるのは「七 琉球人と釣魚諸島との関係は浅かった」と、断言しているところです。その箇所を何回読み返しても、それは本当なのかという疑問はわいてきます」と述べ、改めて「井上論文は全面的に支持できない」と結論づけている。坂井氏は要するに、尖閣=釣魚島の帰属問題を日本のアジア侵略の歴史の中に位置づけることは、(「日本本土の新聞とは比べものにならないほど、基地問題の記事を継続して掲載している琉球新報」などの沖縄メディアを含む)「沖縄の人々」が受け入れ(てい)ないから、するべきではない、と主張しているのである。

 前田氏が沖縄の「尖閣諸島文献資料編纂会」を有力な根拠として、井上の論文をほぼ全否定されていることからも、「ある的確な投稿」という前田氏の坂井氏評価は、このような坂井氏の主張全体に及ぶものであると解して差し支えないだろう。(これも前回は書かずにいたが)前田氏が「ちゃんと読んでい」なかったり「入手してい」なかったりする文献に依拠して、「井上説を持ち上げている「政治学者」」は「ニセ学者と言っていい」、「いずれにしても、井上説は過去のものとなっています」と公言されるに至った今一つの理由は、おそらく前田氏の「沖縄の人々」への「連帯」にある、と私は思う。そして、尖閣=釣魚島をめぐる「オール・ジャパン」現象は、こうした左派の沖縄への「連帯」――(アジアから見れば)侵略国日本の国民内部の共犯関係――なしには成り立たないものである。この点について、もう少し具体的に検討していこう。

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 では冒頭に戻って、尖閣=釣魚島について、産経新聞が「日本領土論の最大の根拠として取り上げ」、前田氏が「少なくとも」「検討する必要があ」る著作として挙げておられる、「尖閣諸島文献資料編纂会」の文献とはどのようなものなのだろうか。『尖閣研究――高良学術調査団資料集』(上巻、尖閣諸島文献資料編纂会、2008年)の「発刊の辞」を読んでみよう。


〔前略〕地元沖縄側は、終戦直後からいち早く、尖閣の学術調査に乗りだしていた。琉球大学を主体に面々と調査研究を行い、大きな実績を積み上げていた。〔中略〕

 これら事実を正しく把握し、全国に紹介すべきでは、しかも自国の島だったから調査した。(他国領土なら調査しないし、できない)。これこそ確固たる実効支配ではないか〔後略〕。(p.-)


 ・・・・・・というように、どう見ても侵略国の「国民の正史」そのままなのであった。「実効支配」の及ぶ範囲はすべて「自国領土」であるという無理がまかり通るなら、植民地も実は宗主国の「固有の領土」(のようなもの)だった、ということになってしまうのだが(大日本帝国では実際に、「古代日本国家が四世紀から六世紀まで二百年にわたり加羅地域を中心とする南朝鮮一帯を植民地経営してきた」などという、朝鮮植民地支配を合理化する「臣民の正史」が成立していた)。

 本書は侵略国の「国民の正史」に相応しく、「台湾総督府政治顧問」「台湾総督府工業研究所研究員」の経歴を持つ人物による寄稿(高岡大輔、「尖閣列島周辺海域の学術調査に参加して」、「尖閣列島一帯の学術調査について」/兼島清、「尖閣列島の水質」、「ボーリングの地下水ならば、好結果が期待できたかも?!」)や、(元)「琉球石油社長」で「元満鉄にいた稲峰一郎」ら「沖縄経済人」への礼賛記事(「一癖も二癖もあった戦後の沖縄経済人――尖閣初期調査は、経済人の支援で成し遂げられた」)といった、大日本帝国との連続性がやたらにあからさまな記録が目立つ(他方で井上の論文を実証的に覆す新たな知見は特にない)(▼2)

 1970年7月に、「尖閣列島」「海域における台湾漁民の不法操漁、不法上陸などの」「領有権侵害行為に対する」「警告板」の設置に携わった、元琉球政府出入管理庁警備課長の比嘉健次は、当時を回想して以下のように語っている。


 1970(昭和45)年7月初旬、私はいつものように、職場の琉球政府出入管理庁に出勤した。

 同庁は、琉球列島米国民政府(USCAR)の予算で那覇市与儀の国有地に建設された単独庁舎で、民政府公安局の直接の管理下に置かれていた。

 警備課長席に着くや庁長室に呼ばれた。大城実庁長は、海軍兵学校出身のばりばりであった。おもむろに口を開き、「民政府の資金援助で、尖閣列島に不法入域を防止するための警告板を設置することになっているが、作業現場の監督と違反調査を兼ねて警備課長を派遣することになった。出発までに体調を整えておくように」とのことを言われた。

 当時、私は44歳の働き盛りの年代であったので、躊躇なく承諾し、やりがいのある仕事を与えてくださったことに感謝した。

 ところで、「尖閣列島」と聞いたとき、15年前の「第三清徳丸事件」が心をよぎった。1955(昭和30)年、魚釣島領海内で国籍不明のジャンク船2隻に銃撃され、9名の乗組員中3名が行方不明となった、琉球住民を震撼させた事件である。

 物騒な所へ赴くからには、それ相応の覚悟がいることを自分に言い聞かせた。〔中略〕

 いわば、戦場へ向かう兵士の完全武装といった出で立ちである。(比嘉健次、「警告板設置の思い出」、『尖閣研究――高良学術調査団資料集』、下巻、尖閣諸島文献資料編纂会、2008年、pp.283-284)


 この皇軍兵士の回顧録じみた比嘉の「思い出」は、8.15以後も「完全武装」の「兵士」としてアジアの民衆に対峙しようとする思想と感性が、沖縄にも深く浸透していたことを、わかりやすく教えてくれている。比嘉らによる「警告板」設置から間もない、1970年8月31日に琉球政府が出した声明(「尖閣列島の領土権について」)を確認しておこう。


 琉球政府立法院は,尖閣列島が我が国固有の国土であることから,他国のこれが侵犯を容認することは,日本国民である県民として忍びず,ここに「尖閣列島の領土権防衛に関する決議」を行ないました。

〔中略〕歴然たる事実を無視して国府が尖閣列島の領有を主張することは,沖縄の現在のような地位に乗じて日本の領土権を略主しようとたくらむものであると断ぜざるを得ません。

 残念ながら琉球政府には外交の権限がなくどうしても日本政府並びに米国政府から中華民国と交渉をもってもらう外ありません。よって両政府あての要請決議を行った次第であります。

 わが国の国土を保全する立場から,何卒日本政府におかれても,アメリカ合衆国政府及び中華民国政府と強力な折衝を行なうようお願いいたします。


 データベース「世界と日本」:「尖閣列島に関する琉球立法院決議および琉球政府声明 」
 http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19700831.O1J.html

 沖縄が、尖閣=釣魚島という日本のアジア侵略の遺産をアジア民衆から防衛するために、日米両政府(の軍事力)に依存する道を選んだ(▼3)からには、侵略国日本の「国民の正史」を進んで担わざるを得ないのは、むしろ当然の帰結ですらある。琉球新報が、「尖閣領有の院決議の意義」と題する1972年3月6日の社説の中で、「わずか百年前までは沖縄は人種的にも言語的にも日本人が住んでいながら独立王国であった」と主張し、単一民族神話を肯定している(▼4)のは決して偶然ではない。沖縄にとって(もまた)、日本のアジア侵略の遺産をアジア民衆から防衛することは、反侵略・反民族差別の立場を放棄したり大幅に後退させたりしない限りは不可能だからである。

 沖縄では今回の事件を受けて、沖縄における米軍と自衛隊の強化には反対、海上保安庁による警備強化には賛成、という声が強いようであり、左派も概ねこのあたりを落としどころにしているように見えるが(▼5)、(自衛隊とは違って軍隊ではない)海上保安庁による「警備強化」であれば、「国益」と「平和国家」日本の面目が両立して一石二鳥である(?)といったような国内(左派)向けの論理は、当の海上保安庁によって尖閣=釣魚島海域から排除され(てい)るアジアの民衆には到底通用しないだろう(▼6)

(後半に続く)


(▼1) それにしても、中国政府による少数民族弾圧を理由の一つとして、「尖閣諸島は中国に返還すべきという論には強い抵抗感を感じます」と述べる坂井氏は、北朝鮮政府が自国民の権利を制限していることを理由の一つとして、日本は北朝鮮に戦後補償をすべきという論にも「強い抵抗感を感じ」、そうした論を支持する人間に対しては、(そうした論を支持しない人間とは違って)その「政治的立場」を取り沙汰しなければならない、と考えているのだろうか?

 なお、この機会に書いておくが、私は井上清の『「尖閣」列島――釣魚諸島の史的解明』を高く評価しているが、井上の「政治的立場」の一部でもあると思われる、「日本歴史をかえりみると、日本人は活力豊かな民族であるといわねばならない」(p.241)、「〔幕末開国以後は〕不完全ながらも単一の国民に結合したこと・・・によって、日本人の活力は倍加せられた」(p.243)などといった井上の歴史観には極めて批判的である(井上清、『日本の歴史』下、岩波新書、1966年)。

(▼2) 『尖閣研究――高良学術調査団資料集』(上下巻、尖閣諸島文献資料編纂会、2008年)の目次と紹介文は、「尖閣諸島文献資料編纂会」のサイトで読むことができる。

 尖閣諸島文献資料編纂会:「成果物紹介 尖閣研究」
 http://pinacles.zouri.jp/datm0lequios.htm

(▼3) 浦野起央は、こうした事実によっても、日本による尖閣=釣魚島の「領有」を正当化しようとしている。


 琉球政府は、尖閣諸島に対する米民政府の指示のもと、その巡視と立ち入りにつき警告を発し、実効的支配を維持した(→6章Ⅶ)。(『尖閣諸島・琉球・中国――日中国際関係史分析・資料・文献』、三和書籍、2002年、p.145)




一九七〇年七月米民政府は、軍用機による哨戒行動、警官・ボートによる巡視、尖閣諸島における不法入域者に対する警告板の設置などの措置をとった。同時に、琉球政府は、巡視艇ちとせによる毎月一回の定期的な巡視を実施し、不法上陸者に対し検挙し、不法操業の漁船には退去命令を出すなどの取り締りを行った。(p.152)



(▼4) 参考までに全文を書き起こしておく。


琉球新報社説「尖閣領有の院決議の意義」

 立法院は〔一九七二年三月〕三日、再度尖閣列島領有に関する決議をした。昨年八月三一日についで二度目である。昨年の決議と、今回の決議をめぐる状況はいささか趣が違っている。昨年まではおもに台湾の国民政府に対するものだった。今回の場合は中国もはいり、状況は複雑になっている。にもかかわらず立法院が全会一致で決議したことには大いに意味がある。

 それはここ一、二カ月、尖閣の領有権を主張する国府や中国の動きが、従来とは比較にならぬほど活発になり、具体的行動や要求に出てきたことだ。台湾では国民党系の日刊紙中央日報が尖閣列島が台湾省宜蘭県の行政区域に編入され、三月には調査団も派遣されることを伝えた。さらに同列島に管理事務所も設置する準備が進められていると報道した。

 一方、中華人民共和国では数年前の日本側の調査団による同列島近くに豊富な海底油田が発見されていらい、尖閣が中国固有の領土であるとの報道をしてきたのであるが、ことしの一月にはいってから、より積極的に、より具体的に尖閣をめぐる歴史的事実を述べて明らかに尖閣の領有権を主張するようになってきた。国民政府が尖閣を宜蘭県に編入したのは北京に一歩先んじて具体的行動に出たものと思われる。

 尖閣列島が沖縄県に属する日本領土であるということは、現在通用する国際法的見地からして疑うことなき事実であり、また沖縄県民も含めて一般国民の常識であった。このような国民のあいだにおける普遍的知識はおそらく台湾や中国大陸ではみられなかったところだろう。ということは、台湾や中国では国民の“頭越し”に、歴史的事実をふりかざして尖閣領有を主張したといえる。

 なるほど歴史的事実の記録の古さを競おうとしたら、沖縄が現代史をひもとけば中国は近代史にさかのぼるだろう。さらに日本が近代史に照らそうとすれば中国は近代史あるいは中世史にさかのぼることができる。歴史的事実の記録の古さを根拠にした尖閣列島の領有権争いはまさにこのようなたぐいなのではないか。

 なるほど尖閣列島が正式に日本領として日本政府によって宣言されたのは日清戦争後のことである。中国側の主張は、魚釣島などは明時代から中国領土であって、日本の倭寇(わこう)にそなえるために一五五六年、倭寇討伐総督を任命したとき尖閣列島はその防衛範囲に含まれていた。また明や清朝時代の本のなかにもこれら島々が中国領であったことが明らかであるとする。

 しかしながら、ただ単に歴史的事実の記録の古さだけで、近代世界を支配する国際法の概念が通用するかどうか。日本側でも記録の上では明治十八年に古賀辰四郎が尖閣に借地権を申請し、同諸島の帰属不明のため留保された例がある。しかし一体だれが最初に発見したかということになると、これは漢民族ではなくて、恐らく黒潮にのって北上してきた海洋民族だろう。

 ことほどさように歴史が古いということ自体は、近代社会においては領有権を主張する根拠としては希薄である。わずか百年前までは沖縄は人種的にも言語的にも日本人が住んでいながら独立王国であった。歴史をひもとけばかつてスペインが、あるいはポルトガルが世界を支配したことがあった。それ以前は漢民族がヨーロッパまで支配したこともある。

 現代を支配するのは現代に通用する国際法である。第二次大戦後琉球列島は日本の施政権から分離されて米国の統治下にはいった。国民政府はこの対日平和条約を承認している。この米国の施政権下には尖閣列島も含まれている。さらに奄美大島返還に伴う米施政下の琉球列島の地理的境界の再編成のさいも尖閣は含まれているが、国民政府も中華人民共和国も反対の声は表明していない。

 そればかりでなく、難破船解体作業で尖閣にはいるために国民政府は入域許可を米民政府に申請するというみずからその法的地位を認める行為に出ている。台湾の国民政府にしろ中華人民共和国にしろ、戦後四分の一世紀も尖閣の領有権に対しては発言しなかったのに、急に領有権を主張しだしたのは、明らかに海底油田が日本の調査団によって探知されたからである。

 海底油田そのものは沖縄にとっては果たしてどのていど開発の可能性があるか未知数であり、県民としてはしいて拘泥(こうでい)はしていないと思われる。しかし現代社会に通用している法や常識を打ち破って、急に国民政府や中華人民共和国が尖閣領有を主張してきたことにわれわれは“さもしさ”を感じる。



(▼5) 例えば、『週刊金曜日』2010年10月8日号の滝本匠(『琉球新報』東京報道部)による記事(「沖縄からみる尖閣諸島問題 「米軍基地の強化と尖閣は関連しない」」)など。滝本は、「県議会や石垣市議会などの決議に共通するのは、事件発生への抗議に加えて船長釈放という日本政府の対応への疑問だ。警備強化の要請も、あくまで警察権たる海上保安庁の監視強化だ」、「日米同盟強化や普天間移設問題と絡めた言論が出ていることに、琉球大学の我部政明教授(国際政治学)は「日米安保第五条で尖閣も適用だと言っても、自動的に日本を守ることにはなっていない。日本政府が米軍基地維持に支払ってきた対価を考えると、日米同盟は本当は機能していないのではないか。普天間が存在しても、移設問題の有無にかかわらず米側が対応しないというのは、『抑止力』になっていないということだ」と指摘する」(p.19)などと述べ、「国益」論的立場から、事件をめぐる日本政府の対応と、沖縄における米軍基地の強化の双方を批判している。

(▼6) 一部リベラル・左派による自衛隊の国境警備隊への改組論が、必ずしも反侵略の立場からなされているわけではないことも、今回の事件を通じて改めて判明したのではないか。

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