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福祉排外主義とは何か――その言説構造を問う(前編)

 日本の反貧困運動とレイシズムの関係性を考える上で、欧州で近年――とりわけ9・11以降――顕著に見られる福祉排外主義について、その特徴と(日本国内の)言説構造を分析することは、なかなか興味深いテーマになると思う。今回は手始めに、宮本太郎と水島治郎の言説(の変遷)を通じてその概観を探ってみたい。


1.水島治郎「オランダにおける反移民政党の躍進――「ポストモダンの新右翼」の出現?」

 福祉排外主義(「福祉ショービニズム」)とは、福祉国家体制の改革・再編にともなって出現する、福祉国家を擁護する立場から移民などの民族的マイノリティに対する抑圧・排斥の必要性を唱える言説・運動である。水島治郎は、2002年の論文「オランダにおける反移民政党の躍進――「ポストモダンの新右翼」の出現?」(「海外事情」2002年10月号、pp.64-79)で、オランダにおける「「リベラル」かつ「リバタリアン」な価値を承認する「ポストモダン新右翼」の登場」(p.78)と福祉排外主義の台頭を分析している(ただし、水島の分析の重点は「ポストモダン新右翼」にあり、論文には福祉排外主義や福祉ショービニズムといった用語は出てこない)。前編ではまずこの水島論文を紹介する。

 外国系市民の比率が18%に達する移民大国オランダ(▼1)は、「ドイツやベルギー、フランスなどの周辺国と比較して」、従来「極右の弱さ」が「きわだってい」たが、2002年5月の総選挙では突如として、移民排斥による福祉の充実化を選挙公約とする新党フォルタイン党(正式名称はピム・フォルタイン・リスト Lijst Pim Fortuyn)が、「一五〇議席中二六議席、得票率で一七%を獲得して、第二党に躍進し、連立与党入りを果たした」(p.64)。総選挙直前に党首ピム・フォルタインが「オランダ人の動物愛護運動家によって射殺され」(p.64)たため、フォルタイン党自体はその後事実上崩壊していくが、「フォルタイン現象 Verschijnsel Fortuyn」(p.72)はオランダにおける福祉国家体制の維持と排外主義の全面化を端的に表すものであった。フォルタインへの「弾丸は左から来た」(p.78)という主張が、それまでフォルタインを批判してきたリベラル・左派を沈黙させている事情も手伝って、オランダ社会の「フォルタイン化」はフォルタインの死後もなお進行中である。

 (2002年当時の)水島は、「フォルタイン現象」の背景として、(1)1994年から2002年まで続いていた保革連合の長期政権――「労働党、自由民主人民党(自由主義右派)、そして民主六六(自由主義左派の小党)の三党」(p.65)――のもとでの主要政党の「オール中道化」(p.67)、(2)「移民・難民問題」(p.67)――政府による「マイノリティ統合政策」の費用対効果をめぐるマジョリティからの批判と、9・11以降に噴出したマジョリティの「反移民感情」(p.68)――、(3)新自由主義的改革による公共セクター全般の劣化を挙げている。このような状況下で、フォルタイン党(▼2)は既成政党の政治家を「ハーグの寡頭支配階級」(p.67)=「政治的・社会的エリート」(p.73)と呼んでひとまとめに批判し、国民マジョリティをターゲットに福祉排外主義を唱えて躍進したのであった(強調は引用者による。以下同様)。


 〔引用者注:フォルタイン党の選挙公約について〕移民政策では、人口密度の高いオランダで「秩序を保つために、移民を最大限防止することが絶対に必要である」とし、従来移民や難民のために支出してきた費用は「オランダのすべての合法的な住民の状況改善のために充てるべき」とする。従来の主要政党の政策と大きくかけ離れた公約だったことは言うまでもない。

 三月には自治体選挙が行われたが、フォルタインの住むロッテルダムではフォルタイン党の支部というべき「住みよいロッテルダム」が三五%の得票率を獲得し、驚愕が走った。しかも労働者やマイノリティが多く、伝統的に労働党が強固な基盤を築いていた同市で同党が大敗北を喫したことも衝撃的だった。フォルタインは選挙戦で、貧困な移民が多数を占め、治安も悪いロッテルダムの問題を明確に指摘し、「このままでは健全な中産階級が逃げてしまう」と主張して支持を集めたのである。選挙後同市では、キリスト教民主アピール、自由民主人民党、そして「住みよいロッテルダム」からなる市執行部が発足し、治安強化などが約束された。これ以後総選挙にいたる二カ月間、選挙戦は事実上「フォルタインか否か」をめぐって争われる様相を呈した。

 もちろんフォルタイン党は、移民問題のみを争点にして支持を拡大したわけではない。むしろフォルタインは、上述したような紫連合〔引用者注:保革連合政権〕の問題点、特にその公共セクターの軽視を容赦なく批判した。(pp.72-73)



〔中略〕フォルタインは、この合意形成なるもの〔引用者注:「多極共存型」あるいは「合意型」デモクラシーと呼ばれるオランダ政治に特徴的な合意形成モデル〕は実は一握りのエリートによる、内輪の取引きに過ぎないと厳しく断じる。「全員で〔決める〕、というその全員は、もちろん普通の市民ではなく、政治的・社会的エリートのことである」〔中略〕

 「オランダに住む一七〇〇万人になろうとする住民のうち、わずか三〇万人に過ぎない政党の党員」が排他的に主要職を独占していることは、「才能の無駄遣いであるばかりか……民主主義に対する侮辱表現だ」という。「政治を市民に近づける」ためとして、選挙綱領には市長公選はもちろん、首相公選の導入も掲げられた。「オランダの寡頭支配体制との戦い strijd tegen het Nederlandseregentendom」を呼びかけるフォルタインのスタイルは、コンセンサスや妥協を重視してきたオランダの政治文化そのものへの挑戦であったといえるだろう。(pp.73-74)


 ところで、この論文で水島が重点的に分析しているのは、フォルタイン(党)が近年特に注目を集めたイスラム(系移民)批判についてである。やや長めに引用するが、ここには単に福祉排外主義の特徴を考えるという以上に重要な論点が提起されていると思う。


 ここで注意すべきは、フォルタインは人種差別・民族差別的な主張に基づきイスラム移民を排撃するのではなく、あくまで西洋啓蒙の伝統に由来する普遍的な価値観に立って「遅れた」イスラムを批判する、という論法をとっていることである。たとえば彼は自らが同性愛者であることを公言し、女性解放や同性愛者への差別撤廃をなしとげた六〇年代以降の西欧諸国の社会運動を高く評価するが、それとあわせて女性差別・同性愛者差別を認めるイスラム社会を厳しく批判する。「女性は自らの意思でベールをかぶり、全身を覆っているというのか……そのような女性たちの住む遅れた地域に対しては、全面的な差別撤廃政策を進めたい」。「(イスラム社会では同性愛者であることを)公言する勇気を持つ者には、社会的にも、家族からも完全に孤立する状態が待っている。これほど野蛮なことはない!」。オランダ国内のイスラム社会においても、「異性愛者の男性」が「絶対的な地位」を占めている状態が存在するが、イスラムの女性や同性愛者たちにも通常のオランダ人が享受しているのと同じ人権が保障されねばならない、と彼は主張する。

 このようにフォルタインは、男女平等や人権・自由といった近代的価値を積極的に認め、議会制デモクラシーの存在なども自明視した上で、その「普遍的な」価値に立脚するがゆえにイスラムを批判するという手法をとる。これは周辺諸国の新右翼、たとえばフランスの国民戦線やベルギーのフラームス・ブロックのようにファシズムや暴力的極右運動に由来する部分を持ち、民族的・国家的価値を重視して排外主義的主張を行ってきた勢力とは一線を画している。フォルタイン党も議会外の過激な移民排斥運動とは一切関係ない。むしろフォルタイン党は、デンマークの進歩党、国民党、ノルウェーの進歩党のように、やはり西洋的価値を唱えつつ移民規制を説く新右翼と共通する点が多い。国民戦線やフラームス・ブロックと異なり、「リベラル」な価値に立脚する論法をとるフォルタイン党や北欧の新右翼政党が、「極右」と呼ばれることがほとんどないのはその結果である。

 しかもフォルタインは妊娠中絶などの女性の権利、同性愛者の権利を積極的に擁護するのみならず、安楽死や麻薬も容認する立場をとっており、むしろリバタリアンにも近い。その点で中絶に強く反対し、伝統的家族の価値を重視する国民戦線などの極右とは対照的である。その背景には、そもそもオランダや北欧では、議会制デモクラシーや人権・自由といった近代的価値が幅広く根付いているのに加えて、リバタリアンな価値観もかなりの程度浸透しており、これ自体を批判する勢力が支持を集めることは困難という状況がある。むしろ「リベラル」かつ「リバタリアン」な価値を認めた上で、しかもその価値観を逆手に取る形で「遅れた」宗教を批判し、移民を排撃する方法には可能性が残されている。その意味でフォルタインの運動は脱産業化した先進国における新しい形の右翼、いわば「ポストモダンの新右翼」と呼べるかもしれない。(pp.70-71)


 水島はフォルタインの言説を「人種差別・民族差別」(レイシズム)として名指してはいないが(もっとも、水島は「二〇〇一年の同時多発テロ以降」のオランダ国内における「モスクやイスラム学校への脅迫」についても、レイシズムではなく単に「反移民感情」という表現を用いているのだが)、それがどれだけ「リベラル」なものであっても、イスラム系移民の自己決定権や民族自決権を事実上否定しているからには、フォルタインの言説が植民地主義的・レイシスト的であることは疑いようがないだろう。水島論文は、まさに自らをリベラルかつ「普遍的」価値の担い手として規定する、レイシスト的な国民マジョリティによって福祉排外主義が促進することを示唆している。

 さらに言えば、自国がかつて侵略・植民地支配し(インドネシア)、現在も新たに侵略を重ねている(イラク、アフガニスタン)国家における(国家を横断する)民衆のアイデンティティの紐帯(イスラム)を、人権や自由といった「普遍的」な立場から攻撃する言説は、欧州の「ポストモダン新右翼」の専売というわけではなく、むしろ反植民地主義を抑え込むことに共通の利害を持つ先進諸国に広く見られるものだろう。日本国内における朝鮮民主主義人民共和国バッシングは、こうした「普遍的」な言説によって(も)煽られ続けているし、在日朝鮮人の民族教育を「普遍的」な見地(実際は日本人原理主義)から批判するリベラル・左派の言説――朝鮮人社会における民族教育の「後進性」から子どもたちを「守る」という「日本人の重荷」――は、そこら中に転がっているように見える。こうした言説は、朝鮮人の民族自決権を否定したり(教育内容への介入)、逆にその言説を裏返したりすることで(▼3)、朝鮮学校に対する「無償化」排除批判を展開することさえある。

(中編に続く)


(▼1) 

オランダでは、移民一世、および両親のいずれかが外国生まれである移民二世を合わせて「外国系市民 allochtonen」として分類し、統計を作成しているが、二〇〇二年現在でこれは二九六万人、全人口比で一八%に達している(なおオランダ国籍の取得が比較的容易である結果として、外国人人口じたいは四%に過ぎない)。特に多いのはトルコ系(三三万人)、モロッコ系(二八万人)、スリナム系(三二万人)である。しかも移民の流入が依然として続いていること、出生率も高いことから、外国系市民の総数は過去五年間だけで四〇万人以上の増加を示している。

 オランダは、移民関連の政策には相対的に熱心な国として知られている。外国人は通常オランダ滞在五年、家族招致による入国の場合は三年で永住許可を取得できる。また五年以上滞在している外国人には市町村の選挙権・被選挙権が与えられる。難民についても七〇年代以降広く解釈して受け入れる運用方法が続いており、難民として庇護申請を行った者の半数以上は、最終的に何らかの在留許可が与えられている。さらに一九九八年までは、違法滞在の外国人であっても生活保護など社会保障給付を受ける道が開かれていた。

 住宅や教育・文化面の配慮も進んでいる。マイノリティを対象とした低家賃の公共住宅が大規模に建設されており、多くの移民は都市部で安価な住宅に居住することが可能となっている。公費によってまかなわれるイスラムやヒンドゥー系の小中学校も次々建設されており、移民の多い学校には追加予算が配分され、児童はオランダ語と並んで母語による教育を学校で受けることができる。これらの政策の背景には、自らの文化的アイデンティティの保持が自己イメージを高め、社会的統合を促進するものとする考え方がある。(p.67)


 やや長めに引用したが、これは植民地支配の結果として日本に定住せざるを得なくなった在日朝鮮人の諸権利を執拗に侵害し続けている日本国家・日本社会との彼我の差を際立たせるためというだけではなく、マイノリティの「社会的統合」を目標に掲げる移民・難民政策がいつでもマジョリティによる「仕分け」の欲望に晒されうることを示すためでもある。事実、上記引用箇所の続きは次のようになっている。


 しかしながら、従来の政策が現実にマイノリティの統合に成功しているとする見方は少ない。マイノリティのほとんどは都市部に居住し、しかも特定の地区に集中することが多いが、これらの地区は往々にして貧困・犯罪といった問題を抱えており、「後進地区 achterstandswijk」とも呼ばれている。特に四大都市ではマイノリティが多く、非西洋系の外国系市民の比率はアムステルダムで三一%、ロッテルダムで三〇%、ハーグ二八%、ユトレヒト二〇%に達しているが、いずれもこの「後進地区」問題は深刻である。しかもマイノリティの子弟には中途退学者が多く、十分な教育を受けないまま、失業者の比率は平均の三倍に達している。

 紫連合政権〔引用者注:労働党、自由民主人民党、民主六六による連合政権。労働党と自由民主人民党のシンボルカラーがそれぞれ赤と青であることから「紫連合」の名で呼ばれる〕は、むしろマイノリティ統合政策に積極的に取り組んできたといってよい。移民に対するオランダ語講習の提供や職業教育、企業のマイノリティ採用の促進など、移民の社会的地位の向上をめざす政策が進められた。特に政府は二〇〇〇年には中小企業団体、二〇〇二年には大企業と協定を締結し、マイノリティ社員の採用の促進を約させている。他方では、違法滞在外国人への社会保障給付を廃止し、難民の庇護申請の審査を厳しくするなどの措置もとっている。しかし、これらの施策の多くは効果が出るまで時間がかかる上、経済状況が好転したにも関わらず都市の犯罪はほとんど減少していない。オランダ人の多くが身体的危険を身近に感じているなかで、移民と治安の悪化を結びつける議論が増えていく。そして住民の安全を守ることのできない政府への批判が高まり、移民・難民の流入が依然として続いていることとあいまって、不満を増大させる一因となった。さらに二〇〇一年の米国同時多発テロ以降、モスクやイスラム学校への脅迫といったかたちで反移民感情が表出することになった。(pp.67-68)



(▼2) ピム・フォルタインは当初「住みよいオランダ」――90年代半ばから既成政党と距離を置いた住民参加重視の政策を掲げて都市部を中心に市議会へ進出していた地域政党(「住みよいユトレヒト」、「住みよいヒルフェルスム」等々)の勢いを受けて、2001年に結成された全国政党――から出馬することになっていたが、「結局彼の移民・難民制限を求める急進的な主張は執行部の許容範囲を超え、二〇〇二年二月、執行部はフォルタインを筆頭候補者から外すことを決定」し、「地方支部も、フォルタイン自ら率いる「住みよいロッテルダム」を除いてほぼすべてがこの決定を支持した」ため、「フォルタインはただちに個人政党フォルタイン党を結党し、独自に五月の選挙に参加すること」(p.72)になった。「住みよいオランダ」――「党の中心人物は労働党を離党したヤン・ナーヘルら左派出身者が多く、政党的にはむしろ中道左派政党というべき政党」――が、「右寄りでも人気が高く、既成政治批判という点で共通するフォルタイン」を「選挙戦の顔となる筆頭候補者」(p.72)に選択するほどポピュリズム化していたことは注目に値する。

(▼3) 例えば、以下では民族教育が「愚行権」(!)として擁護されている。

 Togetter:「朝鮮学校が無償化されて当然である理由」
 http://togetter.com/li/53096

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