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Home > スポンサー広告 > 翻訳記事:「AFRICOMによるスーダンでの密かな戦争」(キース・ハーモン・スノー)①

翻訳記事:「AFRICOMによるスーダンでの密かな戦争」(キース・ハーモン・スノー)①

 スーダンを含むアフリカの複雑な現代史を考える上で、必読の論考の一つは、キース・ハーモン・スノーによるものだろう。藤永茂氏はブログ「私の闇の奥」でルワンダ・ジェノサイドに関するスノーの言説を紹介している(例えば「サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(3)」)。ここでは2009年3月6日付で「Dissident Voice」に寄稿されたスノーの記事「AFRICOMによるスーダンでの密かな戦争」を何回かに分けて掲載する(英語記事を読むのが苦でない人は直接原文に当たっていただきたい)。

 現在のスーダン情勢について語るとき、反バシール政府軍SPLA(スーダン人民解放軍:Sudan People's Liberation Army)およびジョン・ガラン(SPLA前最高司令官。初代南部スーダン大統領、スーダン第一副大統領を歴任)をどのように評価するかは重要な分岐点になるが、スノーが指摘するように――また日本語版Wikipediaにも間接的な言及があるように――ジョン・ガランが、ポール・カガメと同じく「スクール・オブ・ジ・アメリカズ」(SOA)の卒業生であることは、極めて示唆に富んでいる(ガランはジョージア州フォート・ベニングの、カガメはカンザス州フォート・レヴンワースの、SOA出身である)。

 SOAはラテンアメリカで「クーデター学校」として知られる、外国人向けの米国内軍事訓練施設で、その悪評のひどさと抗議行動のために、2001年に「治安協力のための西半球研究所(Western Hemisphere Institute for Security Cooperation)」と改名された。改定新版「クーデター学校」として存続しているSOAの詳細は、「SOA Watch」などで知ることができる(ただしアフリカについての情報は多くない)。参考のため末尾に、ウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪全書』(益岡賢訳、作品社、2003年)から一部引用して紹介する。


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■「AFRICOMによるスーダンでの密かな戦争」(キース・ハーモン・スノー)

【原文】
 Dissident Voice [2009/03/06]: "Africom’s Covert War in Sudan"
 http://dissidentvoice.org/2009/03/africoms-covert-war-in-sudan/


 最近、オランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)の検察官付調査官と名乗るオーストラリア人男性が、私に電話をかけてきた。調査員と彼の同僚は、私の記事「死の商人:アフリカにおける企業金融ホロコーストを摘発する」を読んでおり、私が記事で簡潔に説明していた、コンゴ・ボゴロの大虐殺の背後にいる司令官たちに関して、より詳細な証拠を提供するよう、私に要請してきたのだった。

 数週間にわたって、散々悩んで手持ちのノートや写真を見直した末、私はその特殊な――彼らが言うにはICCで「多くの関心を呼んだ」――事例についての簡潔な「調査書」の報告期限とされていた刻限ぎりぎりにメールを送り、アフリカの黒人だけを告発する「国際刑事裁判所」に協力することは倫理的に躊躇われると正直に述べた。私は、証言者である「サンドリン」〔訳注:仮名〕――私の記事に登場する少女で、彼女は〔訳注:ボゴロの虐殺を指揮した〕司令官たちを名指し、虐殺が行われた日付を証言し、彼女自身、民族大虐殺の渦中にマチェーテ(大鉈)を使い、兵士たちにレイプされている――の安全に対する危惧を指摘した。私は、ルワンダ国際戦犯法廷(ICTR)のために身元が特定された証言者たちが、殺害されたり、不気味な失踪を遂げていることを強調し、ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷とルワンダ国際戦犯法廷が不正義であり、ICCが不気味な変遷を遂げているという自らの考えをはっきりと述べた。

 私は彼らに対して、世界中に野放しになっている白人の戦争犯罪者たちを、ICCが幾人か逮捕するようになるまでは、彼らに協力することは気がとがめると伝えた〔訳注:ICCの「取扱い案件」についてはWikipediaを参照〕。ICCが最近またもや黒人とアラブ人〔訳注:アフメッド・ハールーン(スーダン人道問題担当大臣)とアリ・クシャイブ(ジャンジャウィードの指導者)の二名〕を告発したことを考えれば、それは道理に適った決断だった。もっとも、他人に言わせれば、それはキャリア戦略上バカげた選択だったということになるのだが。

 2009年3月4日、ICCの検察官は、長らく切望されていた、現職の国家元首に対しては初となる、スーダンのアラブ人大統領ウマル・アル=バシールに対する逮捕状をついに発行したと発表した。一方、東アフリカ沖のソマリアの「海賊」は、ウクライナ貨物船――船舶登録はパナマ、乗組員はウクライナ人、船旗はベリーズ――を最近になって解放した。貨物船はダールフールに向けて戦車とロケットミサイル、軍需品を運ぶ途上にあり、貨物船の所有者はイスラエルの「ビジネスマン」――ヴァディム・アルペリンというコードネームの、モサド工作員と目されている人物――であった〔訳注:日本での報道についてはAFPの記事などを参照〕。

 ダールフールにおける戦争について理解するのは――それをバシール「政権」が行っている、アラブ人による黒人に対する一方的な「ジェノサイド」として見なす場合にはとりわけ――困難であるが、そうした見方は体制のプロパガンダである。現実に起こっていることは、遥かに多面的で複雑であり、比較的知名度は低いが怪しげな連中を中心に進行している。これから述べるのは、短く不完全ではあるが、スーダンをめぐる争いの裏側にある、より入り組んだ地政学的現実の一部をめぐる概略である。


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 以下はウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪全書』(益岡賢訳、作品社、2003年)からの引用(p.129, pp.131-134, p.137)である。


 クーデター学校「スクール・オブ・ジ・アメリカズ」

 ジョージア州フォート・ベニングの軍事学校「スクール・オブ・ジ・アメリカズ」(SOA)は、何年も前からスクールに抗議する人々に取り囲まれてきた。卒業生の多くが、ラテンアメリカで拷問や殺害などを含む非常に重大な人権侵害を犯してきたからである。

〔中略〕

 SOAの卒業生たちは、数多くの軍事クーデターを引き起こしてきた。一九六八年に、ワシントン・ポスト紙が、SOAは「ラテンアメリカではクーデター学校として知られる」と報じたほどである(▼4)。卒業生たちはまた、特に一九八〇年代に、何千人もの人々を虐殺した。コロンビアの「ウラバ虐殺」(◆1)、エルサルバドルでの「エル・モソテ村虐殺」、オスカル・ロメロ大司教の暗殺(◆2)、米国人修道女の強姦と殺害(◆3)、イエズス会士虐殺、ペルーの「ラ・カントゥタ虐殺」(◆4)、チリでの国連職員に対する拷問と殺害(◆5)などをはじめとする何百もの人権侵害を犯してきた。


 ◆1 一九八八年三月四日、アンティオキア州のウラバでバナナ労働者組合の組合員二〇名が虐殺された事件で、コロンビア軍第一〇旅団のルイス・ベセラ・ボホルケス少佐により実行された。

 ◆2 一九八〇年二月、オスカル・ロメロ大司教はカーター大統領に対し、エルサルバドルの軍事政権を支援しないよう求める手紙を送った。同年三月二四日、ロメロ大司教はミサの最中に暗殺された。この暗殺に関わったとされるロベルト・ダビッソンは、国家警備隊幹部として、米国や台湾で訓練を受けていた。

 ◆3 一九八〇年一二月二日、エルサルバドル軍に追われていた人々を支援していた米国籍の尼僧四人が、軍に強姦され殺害された。それ以前から、彼女たちは右翼の脅迫を受けていた。

 ◆4 一九九二年七月一八日、ペルー軍部が、ラ・カントゥタ国立教育大学で学生九人と教授一人を殺害した事件。

 ◆5 一九七六年七月一六日、スペイン国籍の外交官で国連職員であるカルメロ・ソリアが殺害された。チリの秘密警察「DINA」が関わっていたとされる。


 エルサルバドルのエル・モソテ村では、一九八一年一二月、七〇〇人から一〇〇〇人が殺害されたと言われている。そのほとんどが、老人や女性、子供で、殺害は極めて残忍でおぞましい方法で行なわれた(▼5)。虐殺を行なった一二人の兵士のうち一〇人までがSOAの卒業生だった。一九八九年一一月、六名のイエズス会士を含む八名が殺害された事件について、国連真実委員会は、これに関与した二六名のエルサルバドル軍士官のうち、一九人がSOAで訓練を受けていたことを明らかにした(▼6)。

〔中略〕

 「アクセス」――米軍と外国軍との緊密な関係づくり

 悪評もひどく、抗議行動もますます戦闘的になり、そして議会の支援も急減しているなかで、ペンタゴンが「スクール・オブ・ジ・アメリカズ」(SOA)に固執するのはどうしてだろう。軍にとって何がそんなに大切なのだろう。答えは、次のようなものと思われる。すなわち、SOAとその生徒たちは、世界中に提供される米国の軍事装備とともに、ある特別なかたちで米国の外交政策に奉仕するパッケージの一環だということである。これは「アクセス」(接触)と呼ばれる。装備とともにアメリカの技術者や指導員、部品などが送り込まれる。米国中央軍司令部(CENTCOM)総司令官ノーマン・シュワルツコフ将軍は、一九九〇年に議会で次のように証言している。

「治安支援はただちにアクセスにつながる。われわれの友人によるアクセスが提供されないと、一定の期間にわたってその地域に米軍を派遣し駐屯させることができない。〔……〕軍事援助プログラムがなくなると、影響力も低下し、武器の使用や紛争の激化を統制できなくなってしまうだろう。〔……〕われわれの戦略における第二の基本はプレゼンスである。プレゼンスは、その地域の安定に対する米国の関心とコミットメントがつづいていることを示している。〔……〕CENTCOMの戦略の第三は、共同軍事演習である。その地域に対するわれわれの決意とコミットメントを示すものである。さらなる協力関係をはぐくみ、われわれの友人たちと共同の活動を促すことになる(▼8)」。

 つまり、軍事援助や軍事演習、軍港訪問などは、SOAとともに、アメリカ軍兵士と外国軍兵士との間に緊密な関係――同志としての関係――をつちかう機会であり、同時に、何千人もの外国人についての情報ファイルを作成し、言語能力を身につけ、その地域の地図や写真を手に入れる機会でもある。要約すると、人間関係、個人情報、国に関するデータベースなど、クーデターや反クーデター、革命、反革命、侵略などの際に必須となるものを手に入れるのである。

 米軍の駐留は、実質的に「下見」の役割を果たしている。また、SOAに送るラテンアメリカ人候補を選ぶためにも役立つ。ほかの大陸でも、何十もの軍事学校で訓練するために米国に送り込む軍兵士や警察官を選ぶ役割を果たしている。「アクセス」のプロセスは循環する。


▼4 Washington Post, February 5, 1968.
▼5 Mark Danner, The Massacre at El Mozote (Vintage Books, 1994).
▼6 Washington Post, November 16, 1999, p.31. レオ・J・オドノバン・SJによる論説コラム。
▼7 「スクール・オブ・ジ・アメリカズ」ウォッチのウェブサイトhttp://www.soaw.orgを参照。ほかに、Covert Action Quarterly (Washington, DC), No.46, Fall 1993, p.15-19.
▼8 一九九〇年二月八日、兵役に関する上院委員会で。


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