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ZED 長文すぎてすいませんが URL 2009-10-15 (木) 23:31

日本では様々なマイノリティ集団が「求めるマイノリティ」から「求められるマイノリティ」になるために切磋琢磨している (させられている)
我々在日朝鮮・韓国人社会で言えば天皇制を容認するにまで至った姜尚中の転向はまさにそうですし、無頼派・アウトロー作 家の割には最近妙に右翼にビビって腰の引けた梁石日(作品が 売れて金持ちになった途端これです)、一時は在日社会の歴史 や在外朝鮮人社会の取材でいい仕事をある程度しながらも今は 単なる狂信的な反北朝鮮・反総連の輩に成り下がった金賛汀(総連の全盛期に働き、後に北朝鮮本国と組織の腐敗に幻滅して 去った在日二世にはこの手の転向者が少なくありません。総連の組織腐敗に憤った心情は理解出来なくもありませんが、だか らといってなぜそこまで同胞を困らせて日本の右翼を喜ばせる ような言動が平気で出来るのか。彼らのそうした現在の言動に は理解も同情も出来ません。日本人で言えば全共闘世代の右翼 転向者に通ずる救い難さがあります)、同胞の和解や団結に何一つ尽力した事もないくせに総連と民団の和解を嘲笑するだけ に終始した辛淑玉&趙博(通称パギやん)の偽善者コンビなど、無闇やたらとある種の日本人に媚びる者が目立つようになりました。そうした精神を断ち切る事が今の在日同胞にとっては重要な事だと思っていますが、果たしてどれだけの人達に理解してもらえるやら…。
日本のマイノリティは今ややたらと「求められるマイノリティ」になりたがる。
では原爆被爆地の広島・長崎は? 此度の広島・長崎のオリン ピック候補地立候補もまたその一例ではないかと。「石原のようなレイシストは駄目だが、自分達のような『平和都市』なら五輪開催地になれる」などと考えているならばそれは大いなる勘違いも甚だしいでしょう。そもそも五輪と核廃絶の間に一体何の関係があるのやら。それどころか1945年の原爆投下から64年になるというのに世界は核軍縮どころか年々核大国(その筆頭は言うまでもなくアメリカとイスラエル。我が偉大なるネオ大日本帝国もその一角を占めたくて仕方がないようですが、アジア人民にとっては幸いな事に今の所その野望は叶えられていないようです)の軍事的圧力に世界各地の小国が脅かされる状況はひどくなるばかり。これまでのようにアジア侵略と切り離して日本だけが被害者ぶる「広島・長崎的反核運動」の失敗と敗北は明らかでしょう。北朝鮮に在住している被爆者の補償と治療すらまともに行われない現況で何がオリンピックでしょうか。今回の一件は明らかにオバマのノーベル賞に便乗した動きですが、だからこそ下心が見え見えで余計に嫌らしく、真に核廃絶を願う者にとっては有害無益以外の何者でもありません。これでは原爆に焼かれて死んだ人達も浮かばれないし、今も生きて原爆の悲惨さを訴える被爆者達自身が仮にどれだけ誠実な人間であってもその心は踏みにじられるだけではないでしょうか。いや、「広島・長崎的反核運動」自体が世界的にはもう片田舎の村興しのテーマ程度の価値しかなくなってしまったというべきでしょう。現実にアメリカやイスラエルの軍事的脅威に晒されている国や民族にとってはお笑い種でしかありません。
それ以前にノーベル賞もそうですが、オリンピックなどというものがそんなに素晴らしいものなのか? 選考委員の買収で開催地が決まり、その地では開催の度にスタジアム建設でとてつもない自然破壊が起こる。そんな腐敗したイベントで核廃絶を訴えようという事がそもそもの間違いです。「現地視察に来たIOC関係者相手に札束が飛び交い、芸者が密着した」言われた長野の事を思い出すべき。だいたい反核オリンピックというなら、広島・長崎こそ道を譲ってチェルノブイリ原発事故の当地であるウクライナやフランスが核実験場にしてきたアルジェリア辺りを推挙した方がはるかに有意義ではありませんか。それでこそ被爆地として世界から真に尊敬を受けるでしょうし、本来のオリンピック精神に適うというもの。
ついでに言うと現在の広島・長崎両市の市長もまた核廃絶を訴えるには資質を問われる問題人物である事も指摘しておかねばならないでしょう。長崎市は山口組のヤクザに刺されて死んだ伊藤前市長までは例の「原爆しょうがない」発言の久間章生が仕切っていた土地でしたが、それに取って代わった田上現市長は同じ自民党系でも町村派に連なる人脈に過ぎず、先の市長選挙は結局自民党内派閥によるたらい回し政権交代に過ぎませんでした。田上現市長の勝利を「長崎市民の良識の勝利」などと評した意見を当時腐るほど見かけましたが(特に左派・リベラ ルを自称するブロガーに多かった)、それはあまりにも浅はか過ぎる見方です。広島の秋葉忠利市長は旧社会党系の政治家である事から過大評価する人達が多いようですが、政治的に逆の偏見を以って見る必要はありません。この人は同じ社会党・社民党系の政治家でも保坂展人とは全く違って漫画の表現規制に積極的で、秋葉市政以降の広島では条例によるエロ表現規制が一時の東京以上にひどくなった事で悪評高いです。同じ社会・社民党系でも保坂展人と違って秋葉忠利は完全に言論・表現の自由を理解しない統制派であり、ある意味で「広島の左派版慎太郎」とすら言えるでしょう。日本の左派の中では特に反核を語るに相応しくない部類の人間です。
日本でも一昔前の左翼や反戦反核運動では「オリンピックやノーベル賞のような権威などクソだ」という意識が当たり前だったのに、それをありがたがるなんて隔世の感があります。
マガジン9条は今や岩波や金曜日以上のトンデモお笑い集団ですね。このレベルの低さと論理のトンデモぶりは右派に例えると「新しい歴史教科書を作る会」に相当するんじゃないでしょうか。昔、旧噂の真相の投書欄で週刊金曜日の事が「左のサピオ」と揶揄された事がありましたが、マガジン9条はさしずめ「左の作る会」でしょうか(笑)。

m_debugger Re: 長文すぎてすいませんが URL 2009-10-16 (金) 22:45

>ZEDさん

梁石日の『めぐりくる春』は友人に勧められて途中まで読んでいたのですが、「慰安婦」の朝鮮人女性が日本軍兵士に「恋」をする展開になり、もう読めなくなりました。

私自身、証言集会で被害者からこうした話を聞いたこともあるのですが、これに対して、戦後補償運動に関わる人たちの中にも、「ハルモニが、日本人にも良心的な人がいることを知って、日本人全員を憎まなくて済んだことに希望がある」という声があることを知り、希望どころか絶望を見ました。
朝鮮人に「癒し」を求める日本人マジョリティの心性は、あまりにも醜悪すぎると思うのですが・・・。

>日本人で言えば全共闘世代の右翼 転向者に通ずる救い難さ

いや、日本人の方がはるかにひどいでしょう。
「転向」しなかった新左翼の一部も、今では<佐藤優現象>の礎(?)となっているようですから。
しかし、全共闘世代って全然マイノリティじゃなくないですか?

>北朝鮮に在住している被爆者の補償と治療すらまともに行われない現況で何がオリンピックでしょうか。

そうですね。本当におっしゃる通りだと思います。

>現実にアメリカやイスラエルの軍事的脅威に晒されている国や民族

日本人の場合は、パレスチナには思い至っても朝鮮にはまったく思い至らなかったり、せいぜいイスラエル―パレスチナの関係を通じて日本―朝鮮の関係を問うことが多く、最初から日本―朝鮮に直接向かう回路が非常に希薄な気がします。

フィルタを通す必要など本来ないのに、なぜか別のモデルを持ち出してきて、それを日本―朝鮮の関係に当てはめて理解しようとする人が、リベラル・左派の中にも多いのではないでしょうか(逆はあまりいない気がします)。
このあたりに日本の思想・運動の致命的な弱さがあるように思います。

>日本でも一昔前の左翼や反戦反核運動では「オリンピックやノーベル賞のような権威などクソだ」という意識が当たり前だったのに、それをありがたがるなんて隔世の感があります。

オバマをありがたがっている時点で終わりですけどね。
単に自分たちが「主役」になれない権威に反対していただけなのかもしれないという話もありますが。

>昔、旧噂の真相の投書欄で週刊金曜日の事が「左のサピオ」と揶揄された事がありましたが、マガジン9条はさしずめ「左の作る会」でしょうか(笑)。

どちらも言いえて妙ですね。
あまりにもレベルが低すぎるので、「マガジン9条」ネタはしばらく封印しようかとも思っています。
まあ、またすぐに突っ込みたくなるかもしれませんが。

おぴょぴょ URL 2009-10-17 (土) 00:45

1964年の東京五輪も最後の聖火ランナーは1945年8月6日に広島で生まれた人でしたね。
選ばれた理由は建前は戦争でぼろぼろになった日本の復興を世界中に知らせるため、
実態はまともに戦争の後始末もせず「資本主義」を謳歌する日本を近隣国に魅せしめるため。
45年前ですでに広島長崎なんてこんな噛ませ犬なんですよ。

jimpower 長崎は今日も雨だった URL 2009-10-17 (土) 02:38

どうもこんにちは。

日本の反戦・反核運動が加害者としての視点を欠くという類の言説は別に何も目新しいものではなく、例えばホンカツ氏も確か30年くらい前にそんな事を言っていたはずなんですが、結局それが特に顧みられることのないまま今日まで来てしまったという感があります。
「平和」と「オリンピック」で町おこしをしようという腐れた発想も、「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬ」と公言して憚らない某タモガミ氏の講演が他ならぬ広島で催されるにまで至ったのも、突発的・突然変異的な出来事ではなくむしろ逆、その流れの延長線上に起こるべくして起こった必然として捉えるべき事柄なのでしょう。

> 日本人の場合は、パレスチナには思い至っても朝鮮にはまったく思い至らなかったり

残念ながら、そのパレスチナへの思い至りの方も結構あやしいのではと……。
"The Heart Of Jenin"(ジェニンの心)という映画が「UNHCR難民映画祭」で上映されるというニュースがあった時も、イスラエル兵がパレスチナ人をいつでも射殺し得る状態にあること自体がそもそも間違いだという人がほとんどいなくて愕然としたものですから。

m_debugger >おぴょぴょさん URL 2009-10-18 (日) 22:37

コメントありがとうございます。

>1964年の東京五輪も最後の聖火ランナーは1945年8月6日に広島で生まれた人でしたね。
>選ばれた理由は建前は戦争でぼろぼろになった日本の復興を世界中に知らせるため、

知りませんでした。
聖火は東南アジアや台湾を通ったので、日本軍に家族や友人を殺された人もいたのではないでしょうか。

>実態はまともに戦争の後始末もせず「資本主義」を謳歌する日本を近隣国に魅せしめるため。
>45年前ですでに広島長崎なんてこんな噛ませ犬なんですよ。

韓国の民衆運動を弾圧して(させて)翌年には日韓基本条約を結びますしね。
↓の田母神の「ヒロシマの平和を疑う」という講演は、タイトルだけなら悪くないと思います。

m_debugger Re: 長崎は今日も雨だった URL 2009-10-18 (日) 22:39

>jimpowerさん

コメントありがとうございます。

>日本の反戦・反核運動が加害者としての視点を欠くという類の言説は別に何も目新しいものではなく、例えばホンカツ氏も確か30年くらい前にそんな事を言っていたはずなんですが、結局それが特に顧みられることのないまま今日まで来てしまったという感があります。

そうですね。
本多勝一がその典型だと思うのですが、かつて「戦後民主主義」を積極的に批判していた人たちが、今では<佐藤優現象>をお膳立てしているというのは、結局は加害者としての視点に徹しきれなかったからなのでしょうね。

>「平和」と「オリンピック」で町おこしをしようという腐れた発想も、「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬ」と公言して憚らない某タモガミ氏の講演が他ならぬ広島で催されるにまで至ったのも、突発的・突然変異的な出来事ではなくむしろ逆、その流れの延長線上に起こるべくして起こった必然として捉えるべき事柄なのでしょう。

あれは、核による「平和を疑」わないという主張なので、某氏が日米安保を容認・黙認するリベラル・左派からそれほど遠い場所にいるわけではないでしょう。
「在特会」と同じだと思います。

>残念ながら、そのパレスチナへの思い至りの方も結構あやしいのではと……。
"The Heart Of Jenin"(ジェニンの心)という映画が「UNHCR難民映画祭」で上映されるというニュースがあった時も、イスラエル兵がパレスチナ人をいつでも射殺し得る状態にあること自体がそもそも間違いだという人がほとんどいなくて愕然としたものですから。

そうだったのですか。
難民映画祭は、「平和と繁栄の回廊」構想なる植民地主義プロジェクトを進めている外務省が後援に入っていたり、日本国内のディアスポラはほぼスルーされるなど、いろいろ問題があるとは思うのですが、それにしてもひどいですね。
植民地主義と臓器移植を所与の前提とした「美談」として消費されてしまった、ということでしょうか。

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Home > スポンサー広告 > オバマのノーベル平和賞受賞と「核兵器不使用条約」

オバマのノーベル平和賞受賞と「核兵器不使用条約」

 オバマのノーベル平和賞受賞をめぐって、日本の一部リベラル・左派が大いに盛り上がっているようである。海外の論調はあまりチェックできていないが、ホワイトハウスの補佐官は「今日は4月1日じゃないよな?」と動揺していたらしい。そりゃそうだろう。一方、日本では受賞決定の翌日に、さっそく広島・長崎両市による2020年夏季オリンピック招致構想が発表された。なんだか日本の「平和運動」はしみじみ帝国主義者(オバマやら佐藤優やら)の取り巻きじみてきた気がする。

 さて、今週(10月14日)号の「マガジン9条」は、オバマの受賞に関連して、先週(10月7日)号に引き続き、「核兵器不使用条約」について触れている(強調は引用者による。以下同様)。


 そういえば、先週の「マガジン9条」のトップページに面白いことが書いてあったね。「核兵器不使用条約」の締結を求めていた。つまり「核兵器保有国は、非保有国に対して絶対に核兵器を使ってはならない」という単純極まりない条約なんだけど、これは凄く重要な指摘だと思ったな。日本のような核兵器を持たない国は絶対に核攻撃を受けない、ということだからね。


 マガジン9条 [2009/10/14]:「「マガ」と「ジン」のコラムリコラム 第20回」
 http://www.magazine9.jp/koramuri/091014/

 「マガジン9条」のバックナンバーは、奇数号と偶数号がなぜか別々の場所に保存されているらしく、サイト上に先週号へのリンクが存在しないようなのだが、問題の文章はローカルに保存していたので、以下に一部を紹介しておこう。


 ある尊敬する企業家と話をしました。彼が、とてもユニークな発想を聞かせてくれました。

「核軍縮機運が高まっているけれど、それはどうも大国間の駆け引きに終わるような気がする。そこで『核兵器使用禁止条約』というのを日本が提案する、というのはどうだろうか」

「核兵器使用禁止条約ですか? それは当たり前のことのような気がしますけど…」

「条約の中身は、『核兵器保有国は核兵器非保有国に対して、絶対に核兵器を使用してはならない』ということ。つまり、核兵器保有国同士が勝手に核攻撃し合うのは止めようがない。だったら、核を持っていない国に対しては絶対に核攻撃してはならないということを、条約ではっきりと義務付ける。こうすれば、少なくとも日本などは核攻撃の不安から解放されることになるだろう」

 なるほど。これは、少し見方を変えただけでとても先進的な考えです。アメリカが主導している核軍縮は、経済的に重荷になっている核兵器を、なんとか少しでも減らして不況脱却につなげたい、という意図が見えています。それではなかなか「核廃絶」にまでは到達しないでしょう。ならば次善の策として、とにかく核非保有国の安全を守ることを優先させるための条約を作る。まことにユニークな提案です。

 もしこの条約が発効すれば、狙われることのないように、現保有国の中からも核兵器を放棄する国が出てこないとも限りません。

<第一章 核兵器保有国は核兵器非保有国に対し、絶対に核兵器を使用してはならない。>

 たったこれだけの条文が、世界を変える可能性だってあります。我が尊敬する彼は、ニコニコと笑っておりました。


 マガジン9条 [2009/10/07]:「核兵器使用禁止条約」

 もういちいち突っ込むのも嫌なのだが、こんな理屈が通るなら、世界を平和にするためには、世界中が、米国の核の傘下にあり、国内においては地方に米軍基地を押しつけ、隣国には徴兵制を強いる、日本のような「平和国家」になりさえすればよい、ということになる(もっとも、「マガジン9条」編集部あたりは本気でそう考えていそうで恐ろしいが)。自分たちは何一つ変わる気はないが、「平和」を享受し、かつ旧植民地国に対して倫理的な「優位性」を確保しようという思考は、日本人にとっては「ユニークな発想」/「先進的な考え」というより、むしろ「ステレオタイプな発想」/「伝統的な考え」ではないのだろうか。

 「狙われることのないように、現保有国の中からも核兵器を放棄する国」云々というのは、明らかに北朝鮮を指している(米国でもイスラエルでもないだろう)と思われる。要するに、かれらは、北朝鮮が核を放棄しないなら米国から核攻撃を受けても自業自得だと言っているのではないか。これは、日本のまさに「平和国家」という表象によって、北朝鮮への核による先制攻撃を(結果として)正当化しようとする、あまりにも最低の「発想」であると思う。

 ところで、同じ号の雨宮処凛のコラムは、「韓国・徴兵制なんて嫌だ!ある若者の闘い」という連載記事になっている。一週間前の9月30日号の記事を見てみよう。


 私は昨年夏、韓国で徴兵拒否をし、1年4ヵ月を刑務所で過ごした若者に話を聞いた。「戦争のない世界」という団体で活動する彼は、平和主義というスタンスから「戦争の悪循環を絶つために自分にできることは、軍事技術や殺戮のための技術を学ばないこと」と思い、徴兵を拒否。そんな彼は、日本の9条を評価しながらも、「9条の影の部分が韓国の兵役拒否ではないか」という問題提起をしてくれた。9条が維持しえた理由は、東アジアの反共ラインが韓国に設定されているからではないか、そのために韓国では徴兵制が維持され、日本は軽武装で済んでいるのではないか、という指摘だ。だから韓国の兵役拒否の問題を、他の国の、自分には関係ないこととして考えないでほしい。彼はそう言った。


 マガジン9条 [2009/09/30]:「雨宮処凛がゆく!116」
 http://www.magazine9.jp/karin/090930/

 「マガジン9条」にしては実にまともな記事ではないか。では、編集部はこの記事にどんなコメントをしているのだろうか?


「韓流スターが兵役へ」のニュースは伝えられても、その「兵役」の実態については、ほとんど知ることのない私たち。「徴兵制がある」ということは、ごく普通の人たちが、「やりたいことをやる」自由を奪われるということでもある。それは決して、「他人事」ではないはずです。


 ・・・・・・いつの間にか、韓国の徴兵制が日本人にとって「他人事」ではない理由が、日本と韓国の非対称性ではなく「同質性」(日本国民も韓国国民も同じ「ごく普通の人たち」だからという理由)に摩り替わっているのである。言ってみれば、DVで被害者を病院送りにした加害者が、「「怪我をする」ということは、ごく普通の人たちが「健康に生きる」自由を奪われるということでもある。それは決して、「他人事」ではない」とご高説を垂れているようなものだ。いや、それおまえのせいなんだけど?

 後者の例がおかしいのは誰にでも見えやすいと思うが、前者の例はいくらでも応用可能で、リベラル・左派にもそれなりに受けがよかったりする(例えば、「独裁国家ではごく普通の人たちが抑圧されている。他人事ではない」として北朝鮮に介入しようとするなど)。日本の「国益」論的価値観はデフォルトで帝国主義・植民地主義なので、リベラル左派がご都合主義の「普遍主義」を振りかざすのは、<佐藤優現象>の下ではむしろお決まりの構図でさえあるだろう。もしかすると、かれらにとってはオバマという帝国主義者は理想の自己像と重なっているのかもしれない。かれらは、自らの内なる帝国主義・植民地主義に、あるいは「平和な世界」を見出そうとしているのだろうか?

Comments:6

ZED 長文すぎてすいませんが URL 2009-10-15 (木) 23:31

日本では様々なマイノリティ集団が「求めるマイノリティ」から「求められるマイノリティ」になるために切磋琢磨している (させられている)
我々在日朝鮮・韓国人社会で言えば天皇制を容認するにまで至った姜尚中の転向はまさにそうですし、無頼派・アウトロー作 家の割には最近妙に右翼にビビって腰の引けた梁石日(作品が 売れて金持ちになった途端これです)、一時は在日社会の歴史 や在外朝鮮人社会の取材でいい仕事をある程度しながらも今は 単なる狂信的な反北朝鮮・反総連の輩に成り下がった金賛汀(総連の全盛期に働き、後に北朝鮮本国と組織の腐敗に幻滅して 去った在日二世にはこの手の転向者が少なくありません。総連の組織腐敗に憤った心情は理解出来なくもありませんが、だか らといってなぜそこまで同胞を困らせて日本の右翼を喜ばせる ような言動が平気で出来るのか。彼らのそうした現在の言動に は理解も同情も出来ません。日本人で言えば全共闘世代の右翼 転向者に通ずる救い難さがあります)、同胞の和解や団結に何一つ尽力した事もないくせに総連と民団の和解を嘲笑するだけ に終始した辛淑玉&趙博(通称パギやん)の偽善者コンビなど、無闇やたらとある種の日本人に媚びる者が目立つようになりました。そうした精神を断ち切る事が今の在日同胞にとっては重要な事だと思っていますが、果たしてどれだけの人達に理解してもらえるやら…。
日本のマイノリティは今ややたらと「求められるマイノリティ」になりたがる。
では原爆被爆地の広島・長崎は? 此度の広島・長崎のオリン ピック候補地立候補もまたその一例ではないかと。「石原のようなレイシストは駄目だが、自分達のような『平和都市』なら五輪開催地になれる」などと考えているならばそれは大いなる勘違いも甚だしいでしょう。そもそも五輪と核廃絶の間に一体何の関係があるのやら。それどころか1945年の原爆投下から64年になるというのに世界は核軍縮どころか年々核大国(その筆頭は言うまでもなくアメリカとイスラエル。我が偉大なるネオ大日本帝国もその一角を占めたくて仕方がないようですが、アジア人民にとっては幸いな事に今の所その野望は叶えられていないようです)の軍事的圧力に世界各地の小国が脅かされる状況はひどくなるばかり。これまでのようにアジア侵略と切り離して日本だけが被害者ぶる「広島・長崎的反核運動」の失敗と敗北は明らかでしょう。北朝鮮に在住している被爆者の補償と治療すらまともに行われない現況で何がオリンピックでしょうか。今回の一件は明らかにオバマのノーベル賞に便乗した動きですが、だからこそ下心が見え見えで余計に嫌らしく、真に核廃絶を願う者にとっては有害無益以外の何者でもありません。これでは原爆に焼かれて死んだ人達も浮かばれないし、今も生きて原爆の悲惨さを訴える被爆者達自身が仮にどれだけ誠実な人間であってもその心は踏みにじられるだけではないでしょうか。いや、「広島・長崎的反核運動」自体が世界的にはもう片田舎の村興しのテーマ程度の価値しかなくなってしまったというべきでしょう。現実にアメリカやイスラエルの軍事的脅威に晒されている国や民族にとってはお笑い種でしかありません。
それ以前にノーベル賞もそうですが、オリンピックなどというものがそんなに素晴らしいものなのか? 選考委員の買収で開催地が決まり、その地では開催の度にスタジアム建設でとてつもない自然破壊が起こる。そんな腐敗したイベントで核廃絶を訴えようという事がそもそもの間違いです。「現地視察に来たIOC関係者相手に札束が飛び交い、芸者が密着した」言われた長野の事を思い出すべき。だいたい反核オリンピックというなら、広島・長崎こそ道を譲ってチェルノブイリ原発事故の当地であるウクライナやフランスが核実験場にしてきたアルジェリア辺りを推挙した方がはるかに有意義ではありませんか。それでこそ被爆地として世界から真に尊敬を受けるでしょうし、本来のオリンピック精神に適うというもの。
ついでに言うと現在の広島・長崎両市の市長もまた核廃絶を訴えるには資質を問われる問題人物である事も指摘しておかねばならないでしょう。長崎市は山口組のヤクザに刺されて死んだ伊藤前市長までは例の「原爆しょうがない」発言の久間章生が仕切っていた土地でしたが、それに取って代わった田上現市長は同じ自民党系でも町村派に連なる人脈に過ぎず、先の市長選挙は結局自民党内派閥によるたらい回し政権交代に過ぎませんでした。田上現市長の勝利を「長崎市民の良識の勝利」などと評した意見を当時腐るほど見かけましたが(特に左派・リベラ ルを自称するブロガーに多かった)、それはあまりにも浅はか過ぎる見方です。広島の秋葉忠利市長は旧社会党系の政治家である事から過大評価する人達が多いようですが、政治的に逆の偏見を以って見る必要はありません。この人は同じ社会党・社民党系の政治家でも保坂展人とは全く違って漫画の表現規制に積極的で、秋葉市政以降の広島では条例によるエロ表現規制が一時の東京以上にひどくなった事で悪評高いです。同じ社会・社民党系でも保坂展人と違って秋葉忠利は完全に言論・表現の自由を理解しない統制派であり、ある意味で「広島の左派版慎太郎」とすら言えるでしょう。日本の左派の中では特に反核を語るに相応しくない部類の人間です。
日本でも一昔前の左翼や反戦反核運動では「オリンピックやノーベル賞のような権威などクソだ」という意識が当たり前だったのに、それをありがたがるなんて隔世の感があります。
マガジン9条は今や岩波や金曜日以上のトンデモお笑い集団ですね。このレベルの低さと論理のトンデモぶりは右派に例えると「新しい歴史教科書を作る会」に相当するんじゃないでしょうか。昔、旧噂の真相の投書欄で週刊金曜日の事が「左のサピオ」と揶揄された事がありましたが、マガジン9条はさしずめ「左の作る会」でしょうか(笑)。

m_debugger Re: 長文すぎてすいませんが URL 2009-10-16 (金) 22:45

>ZEDさん

梁石日の『めぐりくる春』は友人に勧められて途中まで読んでいたのですが、「慰安婦」の朝鮮人女性が日本軍兵士に「恋」をする展開になり、もう読めなくなりました。

私自身、証言集会で被害者からこうした話を聞いたこともあるのですが、これに対して、戦後補償運動に関わる人たちの中にも、「ハルモニが、日本人にも良心的な人がいることを知って、日本人全員を憎まなくて済んだことに希望がある」という声があることを知り、希望どころか絶望を見ました。
朝鮮人に「癒し」を求める日本人マジョリティの心性は、あまりにも醜悪すぎると思うのですが・・・。

>日本人で言えば全共闘世代の右翼 転向者に通ずる救い難さ

いや、日本人の方がはるかにひどいでしょう。
「転向」しなかった新左翼の一部も、今では<佐藤優現象>の礎(?)となっているようですから。
しかし、全共闘世代って全然マイノリティじゃなくないですか?

>北朝鮮に在住している被爆者の補償と治療すらまともに行われない現況で何がオリンピックでしょうか。

そうですね。本当におっしゃる通りだと思います。

>現実にアメリカやイスラエルの軍事的脅威に晒されている国や民族

日本人の場合は、パレスチナには思い至っても朝鮮にはまったく思い至らなかったり、せいぜいイスラエル―パレスチナの関係を通じて日本―朝鮮の関係を問うことが多く、最初から日本―朝鮮に直接向かう回路が非常に希薄な気がします。

フィルタを通す必要など本来ないのに、なぜか別のモデルを持ち出してきて、それを日本―朝鮮の関係に当てはめて理解しようとする人が、リベラル・左派の中にも多いのではないでしょうか(逆はあまりいない気がします)。
このあたりに日本の思想・運動の致命的な弱さがあるように思います。

>日本でも一昔前の左翼や反戦反核運動では「オリンピックやノーベル賞のような権威などクソだ」という意識が当たり前だったのに、それをありがたがるなんて隔世の感があります。

オバマをありがたがっている時点で終わりですけどね。
単に自分たちが「主役」になれない権威に反対していただけなのかもしれないという話もありますが。

>昔、旧噂の真相の投書欄で週刊金曜日の事が「左のサピオ」と揶揄された事がありましたが、マガジン9条はさしずめ「左の作る会」でしょうか(笑)。

どちらも言いえて妙ですね。
あまりにもレベルが低すぎるので、「マガジン9条」ネタはしばらく封印しようかとも思っています。
まあ、またすぐに突っ込みたくなるかもしれませんが。

おぴょぴょ URL 2009-10-17 (土) 00:45

1964年の東京五輪も最後の聖火ランナーは1945年8月6日に広島で生まれた人でしたね。
選ばれた理由は建前は戦争でぼろぼろになった日本の復興を世界中に知らせるため、
実態はまともに戦争の後始末もせず「資本主義」を謳歌する日本を近隣国に魅せしめるため。
45年前ですでに広島長崎なんてこんな噛ませ犬なんですよ。

jimpower 長崎は今日も雨だった URL 2009-10-17 (土) 02:38

どうもこんにちは。

日本の反戦・反核運動が加害者としての視点を欠くという類の言説は別に何も目新しいものではなく、例えばホンカツ氏も確か30年くらい前にそんな事を言っていたはずなんですが、結局それが特に顧みられることのないまま今日まで来てしまったという感があります。
「平和」と「オリンピック」で町おこしをしようという腐れた発想も、「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬ」と公言して憚らない某タモガミ氏の講演が他ならぬ広島で催されるにまで至ったのも、突発的・突然変異的な出来事ではなくむしろ逆、その流れの延長線上に起こるべくして起こった必然として捉えるべき事柄なのでしょう。

> 日本人の場合は、パレスチナには思い至っても朝鮮にはまったく思い至らなかったり

残念ながら、そのパレスチナへの思い至りの方も結構あやしいのではと……。
"The Heart Of Jenin"(ジェニンの心)という映画が「UNHCR難民映画祭」で上映されるというニュースがあった時も、イスラエル兵がパレスチナ人をいつでも射殺し得る状態にあること自体がそもそも間違いだという人がほとんどいなくて愕然としたものですから。

m_debugger >おぴょぴょさん URL 2009-10-18 (日) 22:37

コメントありがとうございます。

>1964年の東京五輪も最後の聖火ランナーは1945年8月6日に広島で生まれた人でしたね。
>選ばれた理由は建前は戦争でぼろぼろになった日本の復興を世界中に知らせるため、

知りませんでした。
聖火は東南アジアや台湾を通ったので、日本軍に家族や友人を殺された人もいたのではないでしょうか。

>実態はまともに戦争の後始末もせず「資本主義」を謳歌する日本を近隣国に魅せしめるため。
>45年前ですでに広島長崎なんてこんな噛ませ犬なんですよ。

韓国の民衆運動を弾圧して(させて)翌年には日韓基本条約を結びますしね。
↓の田母神の「ヒロシマの平和を疑う」という講演は、タイトルだけなら悪くないと思います。

m_debugger Re: 長崎は今日も雨だった URL 2009-10-18 (日) 22:39

>jimpowerさん

コメントありがとうございます。

>日本の反戦・反核運動が加害者としての視点を欠くという類の言説は別に何も目新しいものではなく、例えばホンカツ氏も確か30年くらい前にそんな事を言っていたはずなんですが、結局それが特に顧みられることのないまま今日まで来てしまったという感があります。

そうですね。
本多勝一がその典型だと思うのですが、かつて「戦後民主主義」を積極的に批判していた人たちが、今では<佐藤優現象>をお膳立てしているというのは、結局は加害者としての視点に徹しきれなかったからなのでしょうね。

>「平和」と「オリンピック」で町おこしをしようという腐れた発想も、「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬ」と公言して憚らない某タモガミ氏の講演が他ならぬ広島で催されるにまで至ったのも、突発的・突然変異的な出来事ではなくむしろ逆、その流れの延長線上に起こるべくして起こった必然として捉えるべき事柄なのでしょう。

あれは、核による「平和を疑」わないという主張なので、某氏が日米安保を容認・黙認するリベラル・左派からそれほど遠い場所にいるわけではないでしょう。
「在特会」と同じだと思います。

>残念ながら、そのパレスチナへの思い至りの方も結構あやしいのではと……。
"The Heart Of Jenin"(ジェニンの心)という映画が「UNHCR難民映画祭」で上映されるというニュースがあった時も、イスラエル兵がパレスチナ人をいつでも射殺し得る状態にあること自体がそもそも間違いだという人がほとんどいなくて愕然としたものですから。

そうだったのですか。
難民映画祭は、「平和と繁栄の回廊」構想なる植民地主義プロジェクトを進めている外務省が後援に入っていたり、日本国内のディアスポラはほぼスルーされるなど、いろいろ問題があるとは思うのですが、それにしてもひどいですね。
植民地主義と臓器移植を所与の前提とした「美談」として消費されてしまった、ということでしょうか。

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