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64年目の8.15 (1)

■目次
(1) はじめに
(2) 「平和国家」日本が欲する「第二の靖国」(読売)
(3) 「戦争のリアリティー」を語る立場の占領(朝日)
(4) 戦後責任から「エコ」への逃走(毎日)
(5) 日本人戦没者への「戦後責任」としての改憲(日経・産経)
(6) 日本人は誰に対して憲法9条を負っているのか(東京)
(7) おわりに

(1) はじめに

 少し間が開いてしまったが、8.15の各紙の社説を取り上げたいと思う。元広島市長の平岡敬は、ジャーナリスト時代にまとめた著書、『偏見と差別――ヒロシマそして被爆朝鮮人』で、「日本の平和思想の弱点は、自らの手で戦争指導者と自分自身を裁かなかったところにある」(▼1)(強調は引用者による。以下同様)と述べている。1971年における平岡のこの指摘は、戦後日本社会の最大の特徴(の一つ)を的確に示すと同時に、その後の日本社会の一層の劣化を予見するものだったと思う。

 事実、敗戦から64年目を迎え、読売・朝日・毎日・日経・産経各紙は、改憲を既成事実として、それを積極的に推進したり(読売・日経・産経)、ツンデレに誘ってみたり(朝日)、完全に別の世界に行ってしまった(ように見せかけてみた)り(毎日)するばかりである。読売・朝日・毎日・日経・産経・東京各紙のうち、護憲/反改憲を打ち出しているのは、わずかに東京一紙のみで、戦後補償を訴えるものは一紙もない(ただし、朝日は、植民地支配・侵略戦争の責任から切断された、被害者の「救済」――「和解」――を求める運動を積極的に推進しようとしている。(3-2) 戦争責任・戦後責任を回避しながら被害者に「癒し」を請う「戦後補償」 を参照)。東京にしても紙面には相変わらずのアジア蔑視がにじみ出ている。いずれも読むに耐えない社説ばかりだが、放置するにも耐えないので、ここで批判しておきたい。


(2) 「平和国家」日本が欲する「第二の靖国」(読売)

 読売新聞:「終戦の日 追悼めぐる論議を深めよ」
 http://blog.goo.ne.jp/freddie19/e/eddedaf512f86c532f8c6e9db3ff01d2

(2-1) 天皇が「平和主義者」であるという神話――「歴史の歪曲」の見本――

 では、最初に読売の社説――「終戦の日 追悼めぐる論議を深めよ」――を取り上げてみたい。結論から言えば、この社説の論旨は、「平和国家」である日本には「第二の靖国」が必要不可欠である、というものである。少し長くなるが、全文を引きながら見ていくことにする。


終戦の日 追悼めぐる論議を深めよ(8月15日付・読売社説)

 「くにのためいのちささげし ひとびとの ことをおもへば むねせまりくる」

 東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑の碑に刻まれた昭和天皇のお歌である。

 今年も「終戦の日」を迎えた。千鳥ヶ淵の墓苑にほど近い日本武道館では、政府主催の全国戦没者追悼式が行われる。

 天皇、皇后両陛下と共に、例年、三権の長である衆参両院議長、首相、最高裁長官が列席する。日本国として最も厳粛な儀式である。とは言え、今回は衆院が解散されているため衆院議長は不在だ。


 全国戦没者追悼式では、例によって麻生首相が漢字を読み間違えたらしいが、それは別にどうでもよい。重要なのは、「昭和天皇のお歌」をありがたく飾っているような国立の戦没者追悼施設で、天皇が同席する「国として最も厳粛な儀式」を続けている日本が、「国際平和を誠実に希求する国家として全力を尽くす」ことなど、(当の日本人以外は)誰も(本音では)期待していないだろう、ということである。オウム信者が、麻原彰晃の著書を崇めながら、麻原の後継者とともに世界平和を祈ったところで、非信者にとっては不気味でしかないのと同じである。

 社説子が冒頭でわざわざ昭和天皇の歌碑を紹介しているのは、戦前と戦後の連続性を積極的に肯定する上で、昭和天皇が「平和主義者」であったという神話が絶対に欠かせないからだと思う。そして、この神話の根拠として歌が持ち出されるのは、別に珍しいことではない。

 例えば、「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」(「世界の人びとは皆兄弟だと自分は思っているのに、どうして平和を乱す波風がたちさわぐのであろうか」)という短歌は、明治天皇が日露戦争当時作ったものだと言われており、昭和天皇も対米英戦争開戦前の御前会議でこの短歌を読み上げているため、これをもって、明治・昭和両天皇を「平和主義者」と見なす言説がある。歴史家の中塚明は、著書『近代日本の朝鮮認識』(▼2)で、これを「「歴史の歪曲」の見本」と呼んでいる。

 「まず一首の短歌をもって、天皇の意志を、まして「平和への意志」を云々することができるのだろうか。日露戦争当時の明治天皇の短歌といわれているものには、「荒波をけたてゝはしるいくさぶねいかなる仇かくだかざるべき」(明治三十七年)などという類のものもたくさんある。」(▼3)

 「明治天皇は天皇大権を行使して、日露戦争を遂行しているのであるから、日露戦争の始まるまえから、日本軍が朝鮮を占領しようとしていたこと、また戦争が始まると、時を移さずその朝鮮を文字通り日本の従属国とするために「日韓議定書」を強要し、さらに「日韓協約」などを押しつけたことをよく知っていたのである。

 それでいながら、「よもの海……」などと歌うのは、どういうことなのか。いま私たちは、九十年ほどまえに、この国の天皇が、一方で朝鮮人の首を締め上げ、中国人の横腹を軍靴で蹴り上げながら、片方で「世界の人びとは皆兄弟だと思っているのに……」などという歌を恬然として詠み、かつそれが天皇の「平和への強い思し召しだ」などといいふらされたことの意味を、しっかりと考えてみる必要があるのではないか。(▼4)

 「明治天皇は、朝鮮人の首を締め、中国人の横腹を蹴り上げながら、「よもの海……」と詠んだのであるが、昭和天皇は、日露戦争のころよりもさらに凶悪に、朝鮮を植民地とし、その民族的自主性の最後のひとかけらまでをも奪いながら、そして満州という中国の広大な領土を、事実上日本にもぎ取り、その上中国本土を軍靴で蹂躙しつつ、アメリカとの戦争はどうも不安だからというので、「よもの海……」などといったに過ぎないのである。(▼5)

 言うまでもなく、冒頭の例は、「よもの海……」に数本輪をかけた「「歴史の歪曲」の見本」だろう。中塚風に言うなら、昭和天皇は、2000万人ものアジアの民衆の命を奪いながら、戦後も植民地支配・侵略戦争の責任を一切負うことなく、そして象徴天皇として不気味に生き延びつつ、日本人が大勢死んだのはどうも遺憾だったというので、「くにのため……」などといったに過ぎないのである。いま私たちは、この歌が天皇の「平和への強い思し召しだ」などといいふらされていることの意味を、しっかりと考えてみる必要があるのではないか。
 

(2-2) 「明治の遺産」――植民地主義――の継承者としての戦後日本


 今年は第2次大戦勃発(ぼっぱつ)から70周年の年でもある。1939年9月1日、ドイツのポーランド侵攻で始まった。直前の8月23日には独ソ不可侵条約が締結された。

 ソ連もポーランドに侵攻し、バルト3国を併合した。3国が独立を回復するのは、91年にソ連が崩壊する直前のことである。

 バルト3国の一つ、リトアニアで今夏開催された全欧安保協力機構(OSCE)の議会は、独ソ不可侵条約が締結された日を、「スターリニズムとナチズムの犠牲者追悼の日」とすることなどを求める宣言を採択した。

 このドイツとソ連に接近して外交上の失敗を繰り返したのが、当時の日本だった。

 日本陸軍は当初、ドイツと同盟を結び、ソ連をけん制しようと考えていた。その独ソによる不可侵条約の締結に驚いた平沼騏一郎内閣は「欧州の天地は複雑怪奇」との声明を出して総辞職した。

 その後、近衛文麿内閣は日独伊三国同盟と日ソ中立条約を締結した。松岡洋右外相は日独伊にソ連を加えた4か国の連携で、英米との力の均衡をはかり、日米関係を打開しようと考えていた。

 だが、独ソ戦が始まり構想は破綻(はたん)した。続く東条英機内閣は、米国との無謀な戦争に踏み切る。

 戦争末期、鈴木貫太郎内閣はソ連に終戦の仲介を依頼したが、ソ連は日ソ中立条約を破って旧満州(現中国東北部)に侵攻した。57万5000人の将兵がシベリアなどに抑留され、5万5000人が死亡したと推定されている。

 最近、ロシアの公文書館で抑留者の資料が大量に見つかった。ロシア側資料による死亡者の情報の裏付けが期待されている。

 こうした経緯からも、当時の日本の指導者たちは世界の情勢を見誤っていたのは明らかだろう。


 とりあえずドイツとソ連を叩いておけば読者も丸く収まるだろう、という実に読売らしいナメた算段だが、アジア・太平洋戦争が始まったのも、それが泥沼状態になったのも、「当時の日本の指導者たち」(なぜか天皇は含まれない)が悪辣極まりない両国にハメられたからである、という陰謀史観は、学問的な批判には到底耐えられないだろう。というか、小学生でも軽く反論できるように思う。「なんでソ連が攻めてくると日本人が中国で殺されるわけ?」の一言で、ほぼ終了だろう(もちろん、近年の右傾化を受けて、日本の歴史教育はますますひどくなってきているが)。

 とはいえ、植民地支配・侵略戦争という明治以来の日本の加害責任に対する否認と、朝鮮・中国を始めとするアジア諸国への蔑視感情は、密接に絡み合っており、その行き着く先が読売の社説だとすれば、こうした極端な歴史観を批判するだけでは十分でないだろう。(戦争責任・戦後責任を問うという位置づけでの)戦後補償に冷淡なリベラル・左派など掃いて捨てるほどいるわけで、そうした人々は、加害責任から逃避する歴史観を、本質的には右派と共有しつつ、表面的にはそれを批判して、良心を担保しようとするかもしれないからである(その一つがいわゆる「和解」論だろう)。

 では、リベラル・左派の多くが読売と共有していると思われる歴史観とは何か?それは、敗戦の責任を「軍部の暴走」――主としてA級戦犯――に押しつけることで、天皇と国民の戦争責任と、日本国家の戦後責任を不問に付し、経済的にも軍事的にも第三世界に対する再侵略を進めながら、日本を「平和国家」と呼んで恥じないような世界観であると思う。「当時の日本の指導者たちは世界の情勢を見誤っていたのは明らかだろう」という一文は、「当時の」「世界の情勢」(ただしアジアの民衆の存在は「世界」に含まれない)を踏まえて日本が選択した植民地主義・帝国主義を正当化しているだけでなく、それ以上に、現在の「世界の情勢」(ただし第三世界の民衆の存在は「世界」に含まれない)を受けて日本が進めている、「対テロ戦争」を始めとする「国益」論的な政策――外交および国内政策――を、総じて正当化する発言である、と理解するべきではないか。

 とすれば、北朝鮮に対する常軌を逸した敵視政策や、在日朝鮮人に対する不当極まりない人権侵害(最近の例としては郵便物の送付制限など)、「国益」(石油確保と自国企業保護)のための自衛隊のソマリア派兵に反対しないリベラル・左派は、読売の社説子と本質的にはたいして変わらない場所にいるのではないだろうか?しかも、日本政府が4月にジブチ共和国政府と結んだ地位協定は、自衛隊員による犯罪の裁判権をジブチ側に放棄させ、自衛隊員がジブチ国民を死亡させた場合の賠償についても、「当事者間の協議を通じて友好的に解決する」などとする、ジブチをどこまでもナメきった内容になっている(これは「和解」論のジブチ版と言えるかもしれない)。

 日本(主に沖縄)が米国に押しつけられている日米地位協定を、さらに不当なものにして自らがジブチに押しつけるような日本のやり口は、ペリーによる日本開国に倣いつつ、直接武力を行使して朝鮮に開国を迫った「江華島事件」(ペリーは慎重に武力行使を避けたが、井上良馨は朝鮮側をあえて挑発してこれに応戦し、軍隊を上陸させ、砲台を破壊し、民家を焼き払い、35人の朝鮮人を殺害した後、「戦利品」を奪って引き揚げた)や、欧米諸国との間に日本が結ばされた不平等条約よりもはるかに不平等な条約を朝鮮に強いた「日朝修好条規」(▼6)を彷彿とさせる。

 中塚が指摘するように、「朝鮮の民族的自主性を一顧だにしない」外交――植民地主義的「リアリズム」――を通じて、「日本の朝鮮侵略をますます露骨に、あるときには無軌道化させる方向において。もう一つはその対極として朝鮮の反日民族運動を質的に高める方向において」「それにふさわしい結果を生み出すこと」(▼7)が「明治の遺産」であるなら、第三世界の人々の自己決定権を一顧だにしない現代日本の外交――新植民地主義的「リアリズム」――を通じて、日本の「対テロ戦争」への参加をますます露骨に、あるときには無軌道化させる方向において、もう一つはその対極として第三世界の抵抗運動を質的に高める方向において、それにふさわしい結果を生み出すことも、また「明治の遺産」と呼べないだろうか。


(2-3) 「平和国家」日本が欲する「第二の靖国」


 これからの日本を託す指導者を選ぶ総選挙の公示は、3日後に控えている。

 自民、民主両党が政権構想を示して競い合っているが、思い起こされるのは、麻生首相と民主党・鳩山代表の祖父たちのことだ。

 麻生首相の祖父、吉田茂は戦前駐英大使を務め、英米との連携を強く主張した。戦争末期には、近衛元首相らと連携して終戦工作に動き、憲兵隊に逮捕された。

 40日間拘束され、釈放されたあと、病に倒れ、神奈川県大磯の別宅で静養中に終戦を迎えた。

 鳩山代表の祖父、鳩山一郎は文相なども務めた政党政治家だったが、東条首相と対立して軽井沢の別荘で隠とん生活を送った。玉音放送も軽井沢で聞いた。

 別荘では、欧州統合の父とされるクーデンホーフ・カレルギーが「友愛革命」を説いた著書を愛読し、「自由と人生」と題して後に翻訳した。

 戦後は首相を務めた2人のかつての苦い経験から、麻生首相と鳩山代表は、どのような歴史の教訓をくみとるだろうか。


 読売によれば、昭和天皇も吉田茂も鳩山一郎も「平和主義者」なのであり、その系譜を継ぐことこそが重要であるという「思い起こ」しが、「平和国家」に生きる日本人にとって求められているのである。こうした歴史認識においては、吉田茂が、1949年にマッカーサーに宛てた書簡の中で、在日朝鮮人を韓国に一斉強制送還する権限を日本政府に与えるよう要請していたり、鳩山一郎が、1955年に保守勢力の大連合によって結成された自由民主党――その結党以来の綱領として改憲を掲げている――の初代党首だったりすることは、あまり「思い起こ」す必要はないらしい。

 けれども、日本人がこんな欺瞞的な平和主義に浸っている限り、(在日)朝鮮人への制度的・社会的差別と、改憲への欲望こそが、戦後日本社会が引いてきた太い系譜であるいう歴史認識に到る余地はないし、こうした日本の悪しき系譜を、日本人の主体性において断ち切る可能性も、失われてしまうだろう。


 麻生首相は就任後初めて「終戦の日」を迎えるが、靖国神社には参拝しないという。「国家のために尊い命をささげた人たち」を政争の具などにするのは間違っていると、理由を語った。

 靖国神社には、東条元首相や松岡元外相ら、14人の「A級戦犯」が合祀(ごうし)されている。

 自民党内には、靖国神社に合祀された「A級戦犯」の分祀や国立追悼施設の建設の主張もあるが、党の方針は示されていない。

 民主党の鳩山代表は、仮に首相になっても参拝せず、閣僚にも自粛を求めるとともに、国立追悼施設の設置に向けて取り組みを進める方針を示している。

 岡田幹事長も、追悼施設について、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を生かすことも含め有識者に議論してもらう考えを表明した。

 昭和天皇は、戦死者の魂を鎮めるという靖国神社の性格が「A級戦犯」の合祀で変わってしまうのではないかと懸念されていた。

 靖国神社は、いったん合祀した「A級戦犯」の分祀は、神道の教学上できないとしている。

 だが、神社側が分祀に応じない限り、選挙の結果がどうであれ、国立追悼施設建立に向けての議論は、勢いを増していくだろう。

 国のために尊い命を犠牲にした人々の追悼のあり方について、改めて国民的な議論を深め、結論を導き出す時期に来ているのではないだろうか。


 何度でも確認しなければならないことは、「靖国神社の死者の圧倒的多数を占めるアジア太平洋戦争期の「英霊」たちは、「国を護る」ために戦死したと言われるが、彼らが護ろうとした国とは、それ以前の多くの戦争によって構築された植民地帝国にほかならなかったのであり、それ自体が日本軍のアジア侵略の産物にほかならなかった」)(▼8)ことだろう。高橋哲哉が『靖国問題』で明晰に論じているように、「国家が「国のために」死んだ戦死者を「追悼」しようとするとき、その国家が軍事力をもち、戦争や武力行使の可能性を予想する国家であるかぎり、そこにはつねに「尊い犠牲」、「感謝と敬意」のレトリックが作動し、「追悼」は「顕彰」になっていかざるをえないのである。」(▼9)(強調は著者による。以下同様)

 「「国立追悼施設」が新たな戦死者の受け皿にならない必要条件とは何か。それは、この施設における「追悼」が決して「顕彰」とならず、国家がその「追悼」を新たな戦争につなげていく回路が完全に絶たれていることである。具体的に言えば、国家が「不戦の誓い」を現実化して、戦争に備える軍事力を実質的に廃棄することである。また、「不戦の誓い」が説得力をもつためには、「過去の戦争」についての国家責任をきちんと果たすことが必要である。」(▼10)

 読売の社説は、ある意味正しい。戦争責任・戦後責任を一切果たすことなく、「先進国」として、かつての大日本帝国よりもはるかに効率的な収奪システムを作り上げ、第三世界の搾取を続けている「平和国家」日本には、明文改憲を待つまでもなく、確かに「第二の靖国」が必要だろう。リベラル・左派は、自らの加害性を引き受けて、軍事力を実質的に放棄し、戦後補償に誠実に取り組まない限り、現在においては、こうした言説にまともに対抗できず、将来においては(あるいはもうすでに)、それを容認する側に回っていくと思う。

(次回に続く)


▼1 「天皇とヒロシマ」、平岡敬、『偏見と差別――ヒロシマそして被爆朝鮮人――』、未来社、1972年、pp.96-109

▼2 「問われる現代日本の歴史認識」、中塚明、『近代日本の朝鮮認識』、研文出版、1993年、pp.3-39

▼3 同上、p.25

▼4 同上、p.28

▼5 同上、pp.29-30

▼6 「第一条には、「朝鮮国ハ自主ノ邦ニシテ日本国ト平等ノ権ヲ保有セリ…」と書かれていたが、これは日本政府が朝鮮国と平等・対等な国交をひらくことを約束したものではない。当時、朝鮮をなかば属国とみなしていた清国(清朝の支配していた中国)の勢力を、朝鮮から排除することに主な目的があって、「朝鮮国ハ自主ノ邦」であるとうたったにすぎない。

 「日朝修好条規」ならびに「日朝修好条規付録」(同年八月二十四日調印)、「朝鮮国議定書港に於て日本国人民貿易規則」、「修好条規付録に付属する往復文書」(これらはすべて『日本外国年表竝主要文書』上、に収録されている)をあわせて読んでみれば、日本の天皇の政府が、どれほどひどい不平等を朝鮮に一方的におしつけたかがよくわかる。

 第一に、日本人の朝鮮開港場における治外法権を朝鮮側に認めさせ、第二には日本の諸貨幣(日本の紙幣や補助貨幣もふくめて)の朝鮮国内での流通を認めさせ、しかも第三には、朝鮮の関税自主権を認めないばかりか、いっさいの輸出入商品に関税をかけないことを約束させた。そのうえ、朝鮮にとって不平等きわまりないこの条約の有効期限すら明記せず、「永遠ニ及ボス」とされたのである。

 日本が欧米資本主義諸国とのあいだに不平等条約を結ばされてから、まだ二十年もたっていなかった。日本はその不平等条約から、まだまったく解放されていないにもかかわらず、はやくも朝鮮にたいして不平等条約をおしつけたのである。しかも、その内容たるや、日本が欧米諸国からおわされていたものよりも、はるかに苛酷なものであった。不平等の中身は、資本主義が一般にもっていた侵略的属性によるものだけではない。それに加えて、ひたすら軍事力にたよって、近隣諸民族を圧迫し、そのことによって欧米諸国による重圧から、政治的にも、経済的にも、心理的にものがれでようとする天皇制政府固有の侵略的衝動が、不平等の中身をいっそう苛酷なものにしたのである。」(中塚明、『近代日本と朝鮮 第三版』、三省堂選書、1994年、pp.26-27)

▼7 中塚明、『『蹇蹇録』の世界』、みすず書房、1992年、p.247

▼8 「ちなみに、一九七二年に靖国神社社務所が発行した『靖国神社略年表』も参照しつつ、これら植民地支配のための日本軍戦死者の合祀を確認しておこう。

 一八七五年二月二一日の招魂式で、「台湾出兵の戦没者」一二人が合祀された(第四回合祀)。一八七六年一月二六日の招魂式で、「江華島事件の戦死者」一人が合祀された(第六回合祀)。一八八二年一一月五日の招魂式で、「朝鮮京城事件」(壬午の変)の「遭難者」一二人が合祀された(第一二回合祀)。一八八五年五月五日、「朝鮮京城事件」(甲申の変)の戦死者六人が合祀された(第一五回)。

 続いて、一八九六年五月五日、一一月五日、九八年一一月四日、九九年五月五日、同一一月五日、「日清戦役ならびに台湾・朝鮮における戦死者」総計一〇二四人の合祀(第二三回、第二四回、第二五回、第二六回、第二七回)。一九〇〇年五月五日、「暴徒討伐中の台湾守備隊戦没者」一人の合祀(第二八回)。一九〇一年一〇月五日、〇四年五月五日、日清戦役、北清事変および「暴徒討伐中の台湾守備隊戦死者」総計四四四人(第二九回、第三〇回)。一九〇九年五月四日、一〇年五月五日、「韓国暴徒鎮圧事件の死没者」一五九人の合祀(第三五回、第三六回)。一九一一年五月四日、「朝鮮暴徒事件の死没者」二七人および「台湾における擾乱鎮定討伐中の死没者」六〇四人の合祀(第三七回)。一九一三年一〇月一二日、一五年四月二七日、「台湾における擾乱鎮撫の際の死没者」総計一三一人の合祀(第三八回、第三九回)。一九二〇年四月二七日、「満州鄭家屯事件の戦没者」一一人の合祀(第四一回)。一九二一年四月二七日、「台湾における擾乱鎮撫の際に死没せる警察官」一三人の合祀(第四二回)。一九三二年四月二七日、「台湾霧社事件の死没者」二八人の合祀(第四十六回)。」(強調は著者による)(高橋哲哉、『靖国問題』、ちくま新書、2005年、pp.91-93)

 なお、念のため書いておけば、日清戦争や日露戦争も、結局は朝鮮を併呑するために行なわれた、植民地支配のための戦争に他ならない。

▼9 前掲書、p.205

▼10 同上、p.211

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