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Home > スポンサー広告 > 「慰安婦」立法と「国民基金」の連続性を問う (6)

「慰安婦」立法と「国民基金」の連続性を問う (6)

■目次
(1) はじめに
(2) 第二の「国民基金」としての「促進法」
 (2-1) 「促進法」豆知識
 (2-2) (b) 罪責を承認したうえでの日本の公式な謝罪――なし
 (2-3) (c) 生存被害者とその家族に対する適切な賠償――不可
 (2-4) (a) この問題に関して日本政府が所持しているすべての記録及び情報の開示――無理
 (2-5) (d) 加害者の処罰――論外
 (2-6) より完璧な「国民基金」への道――(A) 被害国の世論の取り込み
 (2-7) より完璧な「国民基金」への道――(B) 保守・右派の取り込みと「国民基金」関係者との「和解」
 (2-8) より完璧な「国民基金」への道――(C) 戦後補償運動の日本国家への回収の完成
 (2-9) 結論
(3) 「要綱案」とは何か――他者からの呼びかけの無化
 (3-1) 「要綱案」豆知識
 (3-2) (b) 罪責を承認したうえでの日本の公式な謝罪――なし
 (3-3) (c) 生存被害者とその家族に対する適切な賠償――不可
 (3-4) (a) この問題に関して日本政府が所持しているすべての記録及び情報の開示――無理
 (3-5) (d) 加害者の処罰――論外
 (3-6) アジアの他者を切断する「戦後補償」
 (3-7) 【資料1】戦時性的強制被害者補償要綱に対する意見
 (3-8) 【資料2】「戦時性的強制被害者補償要綱(第1次案)」に対する意見書
 (3-9) 【資料3】第二次案の作成のご報告 被害者並びに支援者の皆さんへ


(2-7) より完璧な「国民基金」への道――(B) 保守・右派の取り込みと「国民基金」関係者との「和解」

 次に、(B)の「保守・右派の取り込みと「国民基金」関係者との「和解」」について論じる。「促進法」推進派は、「促進法」が第二の「国民基金」であるという批判をかわすために、国外においては被害国の世論を取り込み、国内においては保守・右派を抱き込みつつ、「国民基金」関係者と「和解」することを志向する。この理由は単純で、従来の左派が、民主党政権下における「促進法」の立法運動にほぼ結集している現状では、「促進法」を批判する勢力は、彼ら・彼女らの「右」にしか、(国内においては)ほぼ存在しないからである。

 そもそも、根拠法(直接の補償立法)ではない「促進法」が、なぜ「慰安婦」立法の焦点になっているかと言うと、それは「促進法」が保守・右派を取り込んで国会や世論の合意形成を図るための法案だからである(このことは藍谷弁護士も公言している)。どういうことかと言うと、日本政府が戦後補償をするためには、根拠法(弁連協路線では「要綱案」)がありさえすればよく、「促進法」はあってもなくても実はどうでもよいのだが、まずは「促進法」を優先的に成立させておく方が、その後に根拠法が通る公算が高まるだろう、という見立てが、民主党政権の成立によって、弁連協を含めた戦後補償運動関係者の総意になった、ということである。福島瑞穂が「促進法」の成立にこだわっていることも、社民党と協力関係にある関係者の判断に大きく影響しているだろう(「アジア太平洋資料センター」などは比較的早期にこの立場を表明していた)。どうやら福島社民党は、どこまでも村山社会党の再現可能性を追求しているようである。

 「促進法」が、保守・右派を取り込んで国会や世論の合意形成を図るための法案になっていることは、第七条を読むとよくわかる。

 「(国民の理解)
第七条 政府は、第三条に規定する措置を講ずるに当たっては、国民の理解を得るよう努めるものとする。」

 つまり、「慰安婦」被害者への「謝罪」と「賠償」(もっとも、これまで見てきたように内実はないが)を促進する措置を講じるに当たっては、政府は「国民の理解を得る」よう努力しなければならない、ということである。この第七条は、「促進法」の隠れた焦点であると私は思う。なぜなら、ここには「促進法」推進派による「国民基金」の総括が顕著に現れているからだ。

 「促進法」推進派による「国民基金」の総括とは何か?それは、「国民基金」が失敗した主要な原因(の一つ)を、保守・右派によるバックラッシュとリベラル・左派の分裂に求め(もちろん、こうした見方自体が「国民基金」推進派の主張のコピーであるが)、その再現を防ぐためにも、保守・右派を含む「国民」を、可能な限り広範に抱き込むための法案(つまり「促進法」)が、直接の補償立法に先立って必要である、という論理である。まるで、真の謝罪と戦後補償のためには、何よりもまず「国民」という統一された主体を立ち上げることが不可欠であり、そのためには保守・右派への譲歩が絶対的に必要であると主張した、加藤典洋の「敗戦後論」のようだ。言うまでもなく、「国民基金」はリベラル・左派による保守・右派との妥協の最たる例だろう。

 実際、「促進法」推進派による「国民基金」(関係者)への評価は、ここ数年の間に驚くほど変質している。一言でいえば、大甘になっているのである。その具体的事例として、①民主党、②戸塚悦朗、③高橋哲哉による「国民基金」評価を取り上げてみよう。とりわけ高橋の言説の劣化(「現実主義」化)は凄まじく、とても見過ごすことができない。『世界』2010年1月号に掲載された高橋の「2010年の戦後責任論」は、まさに高橋の加藤典洋への「敗北宣言」であると言えるだろう。

 ①民主党(発議議員)の場合

 民主党は、「促進法」を提出する理由として、2000年3月当時は「国民基金」の失敗を挙げていた(▼21)が、2006年3月には「国民基金」を補完する必要性を挙げるようになっている(▼22)

 ②戸塚悦朗(法案作成者)の場合

 「国民基金」における高木健一弁護士の役割(推進派のイデオローグ)を、「促進法」において担っているのが、前出の戸塚教授である。戸塚教授の持論によれば、「国民基金」が挫折した最大の原因は、立法「解決」の停滞をもたらした、官僚による情報操作であり、「国民基金」関係者はもちろん「政府首脳も与党国会議員も、官僚による情報操作の犠牲」者であった、ということになっている(▼23)

 ここまでくると、もう壮大な官僚陰謀論だとしか言いようがないが、「国民基金」が破綻した主要な原因の一つを「官僚との論争の敗北」に求め、「促進法」および「要綱案」の立法化に際しても、その最大の難関を内閣法制局見解とのすり合わせとする議論は、弁連協の間ではごく一般的であるようだ。来年1月の通常国会で、内閣法制局長官の答弁禁止を含む国会改革関連法案が成立すれば、内閣法制局見解を政府が示すことになるため、弁連協が懸念する「最大の難関」は消滅するわけである。小沢一郎が主導する国会法改定は、普通に考えれば解釈改憲(の布石)以外の何物でもないが、左派の対抗言論がほとんど形骸化しているのは、彼ら・彼女らが、解釈改憲を含む、民主党政権の「国益」論的「現実主義」にほぼ回収し尽くされているからだろう。無論、「促進法」はその象徴である。

 戸塚教授はさらに、「民間基金運動に取り組んだ人々の個々人は善意にあふれていて、被害者に謝罪しようとする気持ちには、これに反対した人々と異なるところがなかったのではないかと推測できる。また、被害者の中には、喜んで基金の「償い金」を受け取った人もある。もし被害国、被害者及び被害者側支援団体全体から歓迎されたのであれば、民間基金方式でも良かったのかもしれないのである」(▼24)とまで述べ、次のように「国民基金」関係者との「和解」を呼びかけている。

 「〔中略〕今からでも遅くない。国民基金を創設した人たちが、立法解決運動に加わることを期待したい。

 もし、そのような動きが出てくるなら、それは過去の経過を反省してのことであるに違いない。立法運動を推進してきた私たちも、感情的な対立を克服して、諸手をあげて歓迎すべきではないだろうか。それが被害者への謝罪の道であるからである。」(▼25)

 「促進法」は第二の「国民基金」なのだから、「国民基金を創設した人たち」が「立法解決運動に加わる」のに、特に「過去の経過を反省」する必要があるとは思えない。使い勝手の悪かったVistaを7にアップグレードするようなもので、その気になりさえすれば簡単に乗り換えられるだろう。実際、和田春樹などは、2010年の日韓「和解」キャンペーンの仕掛け人として、「促進法」に相乗りしてくる可能性も高いのではないか(もっとも、和田は天皇訪韓計画に邁進しているので、「促進法」まではとても手が回らないかもしれないが)。

 ③高橋哲哉(「署名」呼びかけ人)の場合

 三番目に、もっとも警戒するべき高橋哲哉の言説の変質を取り上げる。高橋は、『世界』2010年1月号の「2010年の戦後責任論」において、自らが『戦後責任論』で展開した論理を自己批判しているのである。この転向とも言うべき高橋の変節は、広く知られておくべき問題であると思う。

 かつて高橋は、『戦後責任論』などにおいて、加藤典洋の「敗戦後論」を、自由主義史観と共に日本のネオナショナリズムの一つの指標と位置づけ、徹底的に批判していた。当然のことながら、当時の高橋は、保守・右派との妥協にもとづく「現実主義」的「戦後補償」を具現化した「国民基金」についても、「ことの本質をまったく見誤っている」として、一刀両断に否定していた。なぜなら、「国民基金」は、「事件の全貌を明らかにし、その法的・政治的責任の所在を厳密に究明する」という、「何よりも死者たち」に対しての責任――応答可能性――を拒否しようとする試みであり、「新たな証拠隠滅にも等しい「忘却の政治」の反復」――不正義そのもの――であるからだ。

 「日本政府の言う「見舞金」による「お詫び」というような発想が、ことの本質をまったく見誤っている所以の一つはここ〔注:「元慰安婦たちの証言が<死者への関係>を含んでいること」〕にある。元慰安婦たちは当然、そんな解決を拒否している。しかし、あらゆる「現在中心的」および「未来志向的」解決が不十分なものにとどまるのは、何よりも死者たちがいるからであり、とくに、名前さえ奪われて歴史の闇の中に永遠に葬りさられかねない死者たちがいるからである。これらの死者たちへの責任は、少なくとも、事件の全貌を明らかにし、その法的・政治的責任の所在を厳密に究明することなしには果たしえない。ところがまさにこの点こそ、日本政府があくまで回避しようとしていることなのである。眼の前にいる「他者」の訴えの中に、訴える機会を奪われた「他者」の訴えをも聞くこと。それなしになされるすべての“決着”は死者たちの忘却であり、新たな証拠隠滅にも等しい「忘却の政治」の反復であろう。(▼26)(傍線は著者による。以下同様)

 ところが、「2010年の戦後責任論」は、自由主義史観と「国民基金」の共通性にはまったく言及していない。それどころか、高橋は、「国民基金」を自由主義史観的な動き――戦後補償を求める声に対する保守・右派(主に自民党)の反動――のために「内容的な後退を余儀なくされ」た、左派による「善意」の試みとして描き直そうとしているのである。

 「時を同じくして同年〔注:1995年〕六月、「女性のためのアジア平和国民基金」が政府から提案され、翌月、発足します。それまで戦後補償問題に深くかかわってきた人々が中心となって、元「慰安婦」の人々に償いをするために発足したのですが、これもまた、与党自民党や個人補償に反対する政府の反発のなかで内容的な後退を余儀なくされ、不幸なことに、被害者や支援者のあいだにさまざまな亀裂を生むことになってしまいました。」(▼27)

 そもそも、「国民基金」は、発足当時から国民の「善意」を動員して日本政府の法的責任を回避しようとする姑息なプロジェクトだったのだから、『戦後責任論』の頃の高橋であれば、「それまで戦後補償運動に深くかかわってきた人々」は、保守・右派と妥協するのではなく、徹底的に対決するべきだったし、今からでも対決するべきである、と主張していただろう。「国民基金」をこのように総括し直すことで、高橋が「国民基金」推進派の責任の大半を解除しようとしていることは注目に値する。

 高橋はさらに、「国民基金」推進派の代表格であり、「反フェミニズムの立場、性暴力の軽視・容認、日本の戦争犯罪・戦争責任・植民地支配責任に対する回避の姿勢に終始しており、「国民基金」自体がもつ犯罪性に加え、さらに歪曲・誹謗中傷を撒き散らし、罪の上塗りを重ねている」(鈴木裕子氏)(▼28)大沼保昭の著書(『「慰安婦」問題とは何だったのか』)についても、「大沼氏の議論には同意できない点もありますが、国家補償論の立場から一刀両断に否定することのできない論点も提起されていると思います」(▼29)などと恐れ入ってみせている。

 ちなみに、大沼は同書で高橋の『戦後責任論』を以下のように批判している。

 「[中略]社会構造の変革には長い時間がかかる。しかも、そのような目的の実現は社会の意識が変化する程度の問題でしかない。社会構成員すべての意識が変わることなど、ありえないからである。そうした社会全体にかかわる問題の解決を、目の前にいる被害者個々人の救済の条件とすることは、被害者を社会改革にかかわる自己の主張実現の人質にすることになりかねない。」

 「[中略]「慰安婦」問題について、わたしたちは目の前の生身の被害者だけを考えるべきでなく、彼女らの背後にある、恨みをのんで死んでいった死者の安らかな眠りを考えて行動すべきだと説かれることがあった(高橋哲哉、『戦後責任論』講談社、一九九九年、一八八~一九八ページなど参照)(▼30)。天皇が謝罪もせず、「慰安婦」制度の責任者の処罰も行われない解決、日本政府に法的責任を認めさせない解決は、解決の名に値しないとも主張された。こうした考えに立って被害者を支援した人たちは、特別立法を実現して(あるいは、裁判で勝訴して)日本政府に法的責任を認めさせると言い続け、被害者がアジア女性基金による償いを受け入れることに強く反対してきた。

 しかし、こうした目標は元「慰安婦」らが生きているあいだにはとうてい達成できないものだった。こうして、「慰安婦」問題が社会化した一九九一年以来この一五年のあいだに、多くの被害者が恨みを残したまま次々に亡くなっていったのである。」(▼31)

 「時間との戦い」という争点を絶対化することで、「被害者を社会改革にかかわ」らない「自己の主張実現の人質」にしていた(いる)のは、大沼や和田春樹らを筆頭とする「国民基金」推進派の方だろう。まさに詭弁と言うほかないが、呆れたことに、高橋はこの詭弁を素直に受け入れているのである。

 「法的責任を重視して国家補償を求め、アジア平和国民基金を批判してきた私たちが、国家補償を実現できていないことは批判を受けて当然です。国民基金を拒否し、国家補償も受けられずに亡くなっていった被害者の人たちに、いま、どんな言葉をかければよいのか。(▼29)

 繰り返すが、『戦後責任論』の論理では、「国民基金」が不正義であるのは、それが何よりも死者たちへの応答可能性の放棄に他ならないからである。だから、もしも高橋が「国民基金を拒否し、国家補償も受けられずに亡くなっていった被害者の人たち」に応えるためにも(こそ)、現在「促進法」に賛同しているというのであれば(おそらく高橋の中ではそうなっているのだと思うが)、「2010年の戦後責任論」における高橋の「責任」概念は、『戦後責任論』の論理と完全に対立していることになる(▼32)

 「〔中略〕事業が終了したアジア平和国民基金について、何の成果もあげなかったといま私は言うつもりはありません。大沼氏が指摘するように、被害者の意識や要求が多様であったことは事実でしょうし、首相の「お詫びの手紙」や「償い金」を受け取り、それに慰藉された被害者の方がいたとしても不思議ではないでしょう。しかし、大沼氏も「結果責任」を主張していますが、結果的に、同基金が、日本政府が国家補償をしないで済ませるための隠れ蓑として機能してきたことは認めざるを得ないのではないでしょうか。村山政権のあと、自民党政権になったことも影響しているでしょうが、基金の設立後、政府が不作為であったことは大沼氏も認めています。」(▼29)

 大沼が主張している「結果責任」とは、一言でいえば、「現実主義」あるいは政治的ニヒリズム――「限られた政治資源と選択肢のもとで最大限なしうることを追求するという政治の責任を引き受けること」(▼33)――である。要するに、「国民基金」は現実に「実現」したのだから評価されてしかるべきであり、「国民基金」に反対して、日本政府に法的責任を果たさせようとしてきた(いる)人々こそ、実現可能性のない目標を掲げている点で無責任極まりない、という論法である。こんな論法が通るなら、あらゆる差別の撤廃を訴えることすら、当面は実現が叶わないという見通しにより、「無責任」な行為であるということになってしまう。まさに不正義の居直りとしか言いようがないのだが、高橋はこの「結果責任」論にさえ反論していない。大沼の著書のタイトルに倣って言えば、いったい「高橋哲哉とは何だったのか」、という感じである。

 ただ、ここで指摘したような矛盾は、『戦後責任論』を読めば自明であるから、高橋に対する批判としては、必要ではあっても適切なものではないかもしれない。そもそも、高橋は別に頭が悪くなったわけではないだろうから、あえてこれほどの批判能力の欠如を衆目にさらけ出している(「2010年の戦後責任論」自体が凡庸な「リベラル」の権化のような言説である)からには、それなりの合理的理由があると考えるのが妥当だろう。

 思うに、おそらく高橋は、民主党政権下における「現実主義」的「戦後補償」を実現するために、これまでの「国民基金」批判を撤回ないし無内容化して、大沼ら「国民基金」関係者と「和解」をしたいのではないか。それによって、「促進法」への「国民基金」関係者の批判を回収できる(場合によっては協力すら仰げる)なら安いものである、と高橋は計算しているのだと思う。もっとも、そのためには、高橋自身が論壇で生き残り、社会的影響力を少なくとも低下させないことが必要であるから、高橋の言説は今後ますます「国益」論に迎合的になっていくだろう。だから、高橋の計算は、高橋自身の劣化(凡庸化でもよいが)を変数に入れなければ成立しないのである。

 また、これはあくまで推測の域を出ないが、今後の情勢次第では、高橋は「促進法」推進派の理論的支柱として、「国民基金」における大沼の役割を反復することになるのではないか。高橋は、戦後補償運動内部でも国際的にも大沼より断然評価が高いのだから、「促進法」がより完璧な「国民基金」であるのと同様、高橋はより完璧な「大沼保昭」になれるだろう。「国民基金」を正当化するために、事実を歪曲して、挺対協をひたすら罵り続ける大沼の言説はあまりにも破廉恥だが、高橋ならもっと「知的」で「誠実」な仕事ができることは請け合いである。高橋は、「大沼保昭氏は「戦後責任」という言葉を提起し、サハリン残留朝鮮人の問題をはじめ、実践的にこの問題にかかわってこられた尊敬すべき先輩です」(▼34)と持ち上げているが、これは事実確認的というより、むしろ行為遂行的な発言として捉えるべきだと思う(▼35)

 もっとも、高橋が第二の大沼になるかどうかに関わりなく、『戦後責任論』や『靖国問題』などの著作を持つ高橋は、その実績によって、すでに一般の人々を(「署名」を含めた)運動に動員する役回りを担っていると言えるだろう。だから、高橋は、自らの社会的影響力を十分に考慮した上で、「現実主義」者に転向したのだと私は思う。


▼21 「ところが、政府は、「慰安婦」問題については国民参加の道を探求するとし、1995年7月、民間団体である「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し、国民の募金による見舞金の支給で国の法的責任を回避しようとしてきました。しかし、この見舞金は、各国で多数の被害者から受け取りを拒否され、拠金者にも納得のいく説明ができない事態が続いています。〔中略〕

 また、この問題を早急に解決せよという声は各国でも高まってきております。韓国政府は、1998年4月に「女性のためのアジア平和国民基金」の「償い金」を拒否する元「慰安婦」被害者に対して一人当たり約300万円の支援金を支給すると同時に外交通商省を通して「日本は第二次大戦中に日本軍によって行われた反人道的な行為に対し、心から反省し、その上で謝罪すべきである」との声明を発表しています。また同年10月に来日された金大中大統領は、”「国民基金」のお金は、ことの本質のすり替え”と指摘し、”「慰安婦」問題は日本政府の責任”であり、”世界が納得できる形で解決されるべきだ”と述べておられます。

 台湾の当局も1997年12月に台湾の元「慰安婦」被害者に「立替支給」の形で一人当たり約200万円を先行支給し、日本政府に謝罪と国家補償を求める立場を繰り返し、表明しています。〔中略〕

 本法律案は、今日、「女性のためのアジア平和国民基金」の事業が行き詰まりを見せる中で、問題解決のためには国の責任において措置を講ずることが不可決であるとの認識の下に、「慰安婦」問題の解決に対する我が国の姿勢を明らかにするとともに、その解決のための基本的な枠組み及び道筋について規定するものであります。なお、具体的な措置につきましては、関係国等との協議を経て、決定し、実施することとなっております。」(民主党:「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案趣旨説明」 http://www.dpj.or.jp/news/?num=11036

▼22 「提出後の記者会見で岡崎議員は、本法案は7度目の提出となり、2001年に趣旨説明を行い、2002年には内閣委員会で質疑と参考人質疑を行ったと経緯を報告した。そして、過去にこの問題をめぐり被害者から10件の訴訟が提起され、現在2件が係属中であり、過去の訴訟では、敗訴しつつも裁判所から被害者認定や国際法違反の指摘を受けていることを報告した。さらに、政府の設置した「アジア平和国民基金」も解散が予定されていることに触れ、問題解決のためには本法案の成立が必要であることを訴えた。」(民主党:「戦時性的強制被害者問題解決促進法案を参院に提出」 http://www.dpj.or.jp/news/?num=7558

▼23 「筆者は前掲書〔注:大沼保昭、下村満子、和田春樹共編、『「慰安婦」問題とアジア女性基金』、東信堂、1998年〕で確認できたのであるが、基金関係者も心から立法解決を求めていたのである。五十嵐氏が同書中で、立法への努力が不十分だったことを認めていることには新鮮な驚きを感じた。

 和田春樹氏も立法解決の必要性を肯定している。〔中略〕

 残念なことは、前述のとおり、政府首脳も与党国会議員も、官僚による情報操作の犠牲になったことだった。〔中略〕〔注:「国民基金」を推進した〕自社さ連立与党の国会議員も、首相・官房長官など政府首脳も、官僚によって操作されてしまっていたのである。

 このように見てくると、民間基金政策の挫折は、硬直した日本政府の姿勢にも原因はあったが、与党側の立法技術の未成熟さ、官僚による政治の支配による判断の誤りなどに主因があったと言えないだろうか。」(戸塚悦朗、「市民が決める「慰安婦」問題の立法解決――戦時性的強制被害者問題解決促進法案の実現を求めて」『国際人権法政策研究』第3巻4巻合併号(通算第4号)、2008年12月、pp.52-53)

▼24 前掲書、p.52

▼25 前掲書、p.43

▼26 高橋哲哉、「汚辱の記憶をめぐって」、『戦後責任論』、講談社、1999年、pp.190-191

▼27 高橋哲哉、「2010年の戦後責任論――「応答の失敗」からの再出発」、『世界』、2010年1月号、p.183

▼28 鈴木裕子、「「国民基金」とは何であったのか」、( http://wind.ap.teacup.com/people/2021.html ) ( http://wind.ap.teacup.com/people/2023.html ) ( http://wind.ap.teacup.com/people/2025.html )

▼29 高橋前掲書、p.190

▼30 この部分は大沼の誤読であると私は思う。高橋が『戦後責任論』で繰り返し論じているのは、「死者の安らかな眠りを考えて行動すべき」ということではなく、「亡霊的」記憶――忘却に抗して亡霊として現われる犠牲者の記憶――を継承する責任についてである。言ってみれば、死者を「安らかな眠り」につかせない――忘却しない――ことが、日本人の戦後責任として問われているのである。

▼31 大沼保昭、『「慰安婦」問題とは何だったのか――メディア・NGO・政府の功罪』、中公新書、2007年、pp.102-105

▼32  高橋は、1990年代以降の日本の戦後補償運動について、「日本は、被害者からの責任を問う声に応答することに、失敗してしまったと言わざるを得ない」(p.182)と要約した上で、「ただ、だからといって諦めるべきではないでしょう。いま、もしかしたら第二のチャンスと言ってよいかもしれない状況がある。これまでの言説や運動を総括しながら、信頼関係の構築に向けて、できることをしていかなければならないと思います」(p.184)と述べている。高橋は文中では「促進法」について直接言及はしていないが、ここで言う「第二のチャンスと言ってよいかもしれない状況」が、民主党政権の成立(による「慰安婦」立法の成立可能性)を意味することは、文脈からも明らかである。

▼33 大沼前掲書、p.

▼34 高橋前掲書、p.188

▼35 念のために言えば、高橋は「2010年の戦後責任論」でも大沼を一定程度は「批判」している。ただし、その「批判」は、あまりにもヘタれており、どう見ても大沼に対するアピール効果を狙っているようにしか思えない。

 「大沼保昭氏は「戦後責任」という言葉を提起し、サハリン残留朝鮮人の問題をはじめ、実践的にこの問題にかかわってこられた尊敬すべき先輩ですが、その大沼氏ですら、次のように書いています(『「慰安婦」問題とは何だったのか』中公新書)。

 「それ[日本]は、白人支配・欧米人優位の現実と神話が支配した一九世紀から二〇世紀の世界において、そうした白人支配・優位を打ち破るのに大きな功績があり、限りない希望を世界の諸民族に与えた国家である。それは、戦後、平和で、安全で、清潔で[略]、世界に誇るべき国家である。

 『慰安婦』制度とは、そうした優れた国、世界に誇るべき数々の美点をもつ日本が、たまたまある時期犯してしまったひとつの過ちであり、負の遺産である」

 この文章に現れている感覚を私は共有できません。大沼氏はそうではないはずですが、韓国や台湾における「慰安婦」問題が、「戦争責任」の問題としてだけではなく、長い植民地支配のもとで生じた問題としてあることが抜け落ちてしまう傾向があります。」(▼34)

 指摘するのもバカバカしいが、大沼があたかも植民地主義者でないかのような、高橋の「この文章に現れている感覚」も論理も「私は共有でき」ない。

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