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yokoita URL 2009-12-23 (水) 15:30

こんにちは。丁寧で詳細な分析に大変読みごたえを感じました。何についても無知なことが多いもので、「促進法」についてもこれまでほとんど何も知りませんでした。今回いろいろ教えていただきましたが、これから、自分でもこつこつ調べてみます。
高橋哲哉氏のことですが…。06年のたしか5月でしたが、アムネスティ主催の高橋氏の講演会がありました。佐藤優氏が『靖国問題』を評した論文に私はかねて非常につよい批判を持っていましたので、批判された当の高橋氏がそれに対しどのような感想を持っているか、会が終わった後にきいてみたんですね。というより、むしろそのためにでかけて行ったようなものなんですけど。(笑) 
私の聞き違いでなければ、あれは詭弁の論理ではないかと思う、という私の意見に、あなたが正しい、と断言してくださったのですけどね…。何か、とても落胆しています。
>、「2010年の戦後責任論」の論理にもとづいて、『戦後責任論』で展開した自身の言説を公的に撤回するべきではないのか。
人前で公的に断言していた考えを根本的に変えるのであれば、なぜどんな論理で変えるのかを当然説明するべきではないかと思います。今の考えに自信があるのであれば、そのくらいの責任を果たすことは何でもないでしょう。そうでないと、人を騙すことになりかねませんからね。高橋氏のみならず、こんなことがごく自然なことであるかのようにまかり通るような時代がくるとは正直数年前まで思ってもいませんでした。

m_debugger >yokoitaさん URL 2009-12-23 (水) 21:12

コメントありがとうございます。

「促進法」については私もつい最近まで知らなかったのですが、これが「国民基金」のオルタナティブとして当初から構想されていたくらいですから、日本の左派は90年代半ばにはほぼ自壊していたのではないかと思います。

高橋哲哉はその流れに抗う数少ない日本人の一人だったはずですが、今は何なのか、という感じですね・・・。
VAWW-NETジャパンも「促進法」支持ですし、事後的に見れば、「女性国際戦犯法廷」もアリバイ作りだったのではないかと思えてきます。

>私の聞き違いでなければ、あれは詭弁の論理ではないかと思う、という私の意見に、あなたが正しい、と断言してくださったのですけどね…。

佐藤の『靖国問題』批判の論文は読んでいませんが、佐藤の論理が詭弁だというくらいの再批判は、今の高橋でもするのではないでしょうか。
ただ、植民地主義批判をタブー化した高橋はもう、民主党政権が新たな国立戦没者追悼施設を作ることにも、容認を前提としたヌルい批判しかできないと思います。

>高橋氏のみならず、こんなことがごく自然なことであるかのようにまかり通るような時代がくるとは正直数年前まで思ってもいませんでした。

高橋の「2010年の戦後責任論」も、ほとんど話題になっていませんしね。
まあ『世界』自体が読まれていないという話もありますが(私も読んでいるうちに気が遠くなってきました)、あれが左派のほぼ一致した共通見解だからこそ議論の対象にもなっていないわけで、つくづく気持ち悪い人たちだと思います。

yokoita URL 2009-12-23 (水) 23:20

返信をありがとうございます。この際、といってはなんですが、もう一点、感想を書かせてください。大沼保昭氏の「『慰安婦』問題とは何だったのか」を読んだことがあるんですね。今手元に本はなくて、印象と記憶だけで言うと、見方が偏っているかも知れませんが、大沼氏の頭にあるのは、金、金、金。全編、どこまで行ってもそうだったような印象があります。「女性の尊厳」とか「誇り」という言葉も出てはいましたが、それも結局は、すべてを「償い金」に回収するにあたって一応それらの言葉を並べているだけのようにしか感じられず、こんな本を出していいのかと思いました。名乗り出た女性に、「金をもらっていなかったのか」などの侮辱的なことを言った政治家が何人もいましたが、そう変わらないような気がしたというのは言い過ぎでしょうか。普通一般の人でもあれほどの調子ではないように思うんですが、まず人間の心情や体験や存在についてほとんど無知なのではないかと思います。高橋氏が大沼氏の何を尊敬するのか不思議です。もしできればそのうちブログで書いてみたいと思いますが。

m_debugger URL 2009-12-24 (木) 12:27

>yokoitaさん

>大沼氏の頭にあるのは、金、金、金。全編、どこまで行ってもそうだったような印象があります。

とても正しいご指摘だと思います。実際その通りでしょう。

>「女性の尊厳」とか「誇り」という言葉も出てはいましたが、それも結局は、すべてを「償い金」に回収するにあたって一応それらの言葉を並べているだけのようにしか感じられず、こんな本を出していいのかと思いました。名乗り出た女性に、「金をもらっていなかったのか」などの侮辱的なことを言った政治家が何人もいましたが、そう変わらないような気がしたというのは言い過ぎでしょうか。

いや、言い過ぎどころか、当然の感想だと思います。
正直、あんな本を最後まで読めた自分の忍耐力に深く感動しましたね。

>高橋氏が大沼氏の何を尊敬するのか不思議です。もしできればそのうちブログで書いてみたいと思いますが。

よくわかりませんが、高橋にはないエネルギーに満ち溢れているところ、とかでしょうか。
原子力と同じで、エネルギーの質と用途を問わないなら、貴重な資質かもしれないですね。
エントリーお待ちしています。

- URL 2010-01-25 (月) 06:18

おはようございます。
遅くなりましたが下記の記事を書きました。お暇なおりにご一読いただければと思います。
http://yokoita.blog58.fc2.com/blog-entry-49.html#tb
トラックバックの送り方がよく分からず、コメント欄で失礼します。
「促進法」には知識不足もあり、触れることができませんでした。読ませていただいて、ああいう記事をお書きになるのは、孤独感を感じるのではないかと思いました。

m_debugger URL 2010-01-25 (月) 12:00

>yokoitaさん

お知らせありがとうございます。
記事の感想は「横板に雨垂れ」にコメントしますね。

「孤独感」ですか(笑)。おかげさまで反応もいただけていますので、励みになりますよ。逆に今の状況では、連帯する人を選ばないと、人間的に破滅するのではないかと。リアルに具体例もありますし・・・。

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Home > スポンサー広告 > 「慰安婦」立法と「国民基金」の連続性を問う (7)

「慰安婦」立法と「国民基金」の連続性を問う (7)

■目次
(1) はじめに
(2) 第二の「国民基金」としての「促進法」
 (2-1)「促進法」豆知識
 (2-2) (b) 罪責を承認したうえでの日本の公式な謝罪――なし
 (2-3) (c) 生存被害者とその家族に対する適切な賠償――不可
 (2-4) (a) この問題に関して日本政府が所持しているすべての記録及び情報の開示――無理
 (2-5) (d) 加害者の処罰――論外
 (2-6) より完璧な「国民基金」への道――(A) 被害国の世論の取り込み
 (2-7) より完璧な「国民基金」への道――(B) 保守・右派の取り込みと「国民基金」関係者との「和解」
 (2-8) より完璧な「国民基金」への道――(C) 戦後補償運動の日本国家への回収の完成
 (2-9) 結論
(3) 「要綱案」とは何か――他者からの呼びかけの無化
 (3-1) 「要綱案」豆知識
 (3-2) (b) 罪責を承認したうえでの日本の公式な謝罪――なし
 (3-3) (c) 生存被害者とその家族に対する適切な賠償――不可
 (3-4) (a) この問題に関して日本政府が所持しているすべての記録及び情報の開示――無理
 (3-5) (d) 加害者の処罰――論外
 (3-6) アジアの他者を切断する「戦後補償」
 (3-7) 【資料1】戦時性的強制被害者補償要綱に対する意見
 (3-8) 【資料2】「戦時性的強制被害者補償要綱(第1次案)」に対する意見書
 (3-9) 【資料3】第二次案の作成のご報告 被害者並びに支援者の皆さんへ


(2-8) より完璧な「国民基金」への道――(C) 戦後補償運動の日本国家への回収の完成

 最後に、(C)の「戦後補償運動の日本国家への回収の完成」について見ておこう。遅くとも民主党政権成立以降、戦後補償を求める日本の左派の言説は、極言すれば、アジア諸国の「反日」感情を飼い馴らして「和解」を実現するための有益な投資として「戦後補償」が必要である(▼36)、というものになっており、民主党の東アジア共同体構想や日韓「和解」キャンペーンにも無理なく回収されてしまったようである。戦後補償問題における左派の「国益」論的再編成――日本国家への回収――は、「国民基金」におけるそれとは比較にならないほど完成の域に達している。以下に、①戸塚悦朗、②『世界』の論調、③高橋哲哉の例を取り上げてみよう(高橋も②に含まれるが、便宜上別に論じることにする)。

 ①戸塚悦朗の場合

 戸塚教授は、「促進法」を推進する理由の一つに、「国益」を臆面もなく掲げている。

 「「慰安婦」問題が解決されれば日本は大きく変わります。まず日本の女性の人権問題が一八〇度変わる。もうひとつ、アジアと和解できるので日本が経済的に没落しないですみます。(▼37)

 傑作なのは、戸塚教授がわざわざ論文まで発表して、1905年の「乙巳勒約」(いわゆる「第二次日韓協約」)の不法性を訴え、「韓国併合」無効論を主張している(▼38)ことである。論理的に考えれば、戸塚教授は、日本政府が「慰安婦」被害者に対してだけでなく、違法な植民地支配によって生じたすべての被害に対して賠償義務を負っている、と認識していなければおかしいだろう。その際の賠償額は、間違いなく膨大なものになるのだから、どう考えても「日本が経済的に没落しないです」むはずはない。こんな能天気なことを言っていて本当に大丈夫なのか?

 ちなみに、「促進法」を成立させることには、こんなメリットもあるそうだ。

 「〔中略〕確実にアジアにおける和解が促進されるであろうし、東アジア共同体の推進にも進めるであろう。地域の経済発展と平和構築に弾みがつくであろう。日本の国連安保理常任理事国入りについても、アジア諸国の理解を得やすくなることは間違いない。日本は外交上のアキレス腱を解消することができて、未来は極めて明るいものになることは間違いないであろう。」(▼39)

 東アジア共同体の推進にしても、国連安保理常任理事国入りにしても、当然、日本が「普通の国」になることがその前提として想定されているのだから、日本政府が「促進法」による欺瞞的な決着路線で「戦後補償」の幕引きをした上で、これらの政策を進める「未来」は、最悪である、としか言いようがない(もちろん、これが小沢一郎の路線である)。

 当たり前のことだが、「国益」に適う「戦後補償」は、「国益」に適う「対テロ戦争」とも宥和的である。以前にも述べたように、日本政府は、自衛隊のソマリア派兵に当たって、自衛隊員による犯罪の裁判権をジブチ側に放棄させ、自衛隊員がジブチ国民を死亡させた場合にも「当事者間の協議を通じて友好的に解決する」などとする地位協定を、ジブチ共和国政府に押しつけている。左派は「国益」(石油確保と自国企業保護)のための「海賊対策」という名目の「対テロ戦争」にもほとんど反対していないが、これでは東アジア共同体の域外であるアフリカ(や中東)に対しては何をしようが謝罪も賠償も必要ないと認めているのに等しいのではないか。さらに言えば、左派は自らが支持する東アジア共同体が「「派兵する「東アジア不戦共同体」」(▼40)に他ならないということを、薄々気づいていながら黙認しているのではないだろうか。戸塚教授は平均的な左派よりも遥かに正直ではあるが、決して例外的な存在ではないと思う。

 ②『世界』の論調

 弁連協の藍谷弁護士は、東北アジアの安全保障――東アジア共同体構想の推進、6カ国協議における日本のプレゼンスの強化、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核問題および拉致問題の「解決」――といった民主党の主要な政策課題の中に戦後補償問題を積極的に位置づける必要性を主張している。『世界』2010年1月号の主要な論調もこれと似たり寄ったりである。高木喜孝弁護士(弁連協事務局主任)は、同誌の座談会で、弁連協が「戦後補償ネットワーク」と連名で戦後補償問題に「国益」論的立場から取り組むよう民主党に要望書を出した(▼41)ことを語っている。

 「高木 民主党政権が戦後補償問題をどう取り上げていくか、まだはっきりしない状況ですが、先だって、弁連協の中の戦後補償立法を考える弁護士の会と戦後補償ネットワークの連名で民主党に要望書を提出しました。新政権はアジア・太平洋地域の域内協力体制を確立し、東アジア共同体の構築をめざし、そのため中国・韓国をはじめアジア諸国との信頼関係の構築に全力をあげることとされている、戦後補償はまさにその信頼関係構築の一環としての意義を有し、国益に資する問題であることをここに指摘する、という内容です。弁連協としてこういう趣旨の要望を出したことは初めてです。〔後略〕」

 「佐藤 日本が本当に東アジア共同体ということを提唱していくのであれば、それは歴史問題についての和解を象徴する行為をしなければ、誰も信用してくれないでしょう。けっきょくのところ、ドイツは、和解を象徴する行為を政治家が示したのです。ブラントがワルシャワのゲットーの碑に跪いて祈ったことは、あまりにも有名です。政治的解決ということの典型を示しているのではないでしょうか。たとえば鳩山氏が日本の加害を象徴する場所に行って献花するなどの象徴的な行為が必要なのだと思います。」(▼42)

 「ドイツ現代史」専門家の佐藤健生の発言もひどい。ワルシャワ・ゲットーでのブラントの追悼(1970年)が国際的にも評価されたのは、連合国によるニュルンベルク裁判と「非ナチ化」政策(公職からのファシズムの追放)が終わってからも、ドイツ人自身が、「ナチス犯罪追及センター」の設立(1958年)などを通じて、ナチス犯罪の裁きと追及を粘り強く続けてきた実績があってのことである(日本軍「慰安婦」被害者がカムアウトを始めた1990年代初頭までに、旧西ドイツでは10万件を超えるナチス犯罪を訴追し、6500件ほどの有罪判決を下している)。鳩山首相が「日本の加害を象徴する場所」に出向いて献花をすることが即「和解を象徴する行為」になるという楽観論は、あまりにもアジア諸国とドイツをナメているのではないか。

 もっとも、姜尚中は『朝鮮日報』のインタビューで「鳩山総理が旧西大門刑務所や銅雀洞国立墓地を訪問し日本が誤っていたとの意思を確実に伝えれば、天皇訪韓も成功するかもしれません」と語っている(▼43)ので、佐藤の発言も、和田春樹が『世界』などで繰り返し提言している2010年の天皇訪韓(▼44)の文脈から捉えるべきなのかもしれない。2010年の日韓「和解」キャンペーンには小沢一郎もずいぶん乗り気なようだから(▼45)民主党政権が外国人参政権法案(これもあまりに問題だらけだが)(▼46)や「促進法」を李明博政権への手土産にして、天皇訪韓を実現させようとする可能性は高いと思う(ただし、手土産が一つだけで足りるようであれば、「促進法」の成立は遅れたり流れたりするかもしれない)(▼47)。もちろん、こうした日韓「和解」は、朝鮮半島および日本国内の朝鮮人の国家による分断を促進するものである。しかも、大日本帝国による植民地支配・侵略戦争の責任を一切取ることなく戦後も生き延びた天皇制が、そのまま「和解」の象徴に成り代わるというわけだ。こんな未来はあまりにもシュールすぎやしないか(▼48)

 ③高橋哲哉の場合

 東アジア共同体構想と日韓「和解」を推進するための、民主党による「国益」論的「戦後補償」路線は、「2010年の戦後責任論」における高橋の落としどころにもなっているようである。実際、高橋は「戦後補償問題と東アジア共同体構想は隣り合う問題として考えるべきです」、「戦後補償問題でも〔中略〕自民党政権とは違い、少なくとも民主党政権が前向きな姿勢を示していることを受け止め、その姿勢を貫かせるように声をあげていかなければいけません。それは私たち自身の責任です(▼49)などと語っている。いつの間にか民主党政権支持が戦後補償運動の前提と化しているのであった。前節に引き続き、高橋の言説の変質を、()朴裕河の「和解」論とその消費構造への(無)批判、()平壌宣言に対する(再)評価、()民主党政権への期待、の三つの側面から見てみよう。

 () 朴裕河の「和解」論とその消費構造への(無)批判

 高橋は、「国民基金」を高く評価する朴裕河の「和解」論と、日本での朴の言説の消費構造について、驚くほど空虚な「批判」を行っている。

 「朴氏の議論やそれをめぐる評価の中で違和感を覚えているのは、多用されている「反日ナショナリズム」という表現です。被害国側のナショナリズムという問題提起が朴氏にとって切実なことは理解できますし、本質主義や、ナショナリズムにつきまとう男性中心主義などに違和感を覚えるのも分かります。しかし、日本人の側がそれを安易に「反日」として片付けてしまうことには慎重であるべきでしょう。中国にしても朝鮮にしても〔中略〕日本がかつての侵略や植民地支配の過去を清算しきれずにきたなか、被害国の側でかつての抗日意識が続いたのは当然だとも言えます。朴氏の議論を日本で歓迎している論調を見るとき、まるで旧宗主国意識を引きずっているかのように、「韓国にもようやく“成熟”した議論がでてきた」などと語る感覚には違和感を覚えます。(▼50)

 高橋は、朴があたかも「ナショナリズム」や「本質主義」、「男性中心主義」に批判的であるかのように論評しているが、これは事実とまったく違う。金富子氏が的確に指摘している(▼51)ように、朴の言説は歴史修正主義的な「和解」(真実なき「和解」)であり、高橋自身が本文中で批判している「自由主義史観研究会や新しい歴史教科書をつくる会」の歴史認識に親和的であり、「戦後補償を求める声に対する反動」(▼52)そのものでさえある。無論、高橋の朴裕河言説をめぐる批判の空洞化は、前節で述べた「国民基金」評価の変質と完全に連動する、確信犯的なものだろう。そもそも、植民地主義批判と民主党政権支持が論理的に両立するはずがないのだから、現在の高橋が大沼や朴らの植民地主義的言説を(本質的には)否定できなくなっているのも当然である。

 () 平壌宣言に対する(再)評価

 高橋の植民地主義批判の形骸化を示すもう一つの例が、平壌宣言に対する(再)評価である。高橋は、「二〇〇二年の日朝首脳会談で出された平壌宣言では、韓国との日韓条約でも触れられなかった「過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実」について言及されています。しかし、その意味は、拉致問題に対して世論が沸騰するなかで日本人の意識の中から吹き飛んでしまいました」(▼53)として、平壌宣言を積極的に(再)評価しようとしている。公正を期すために言っておけば、平壌宣言に対するこうした(再)評価は、戦後補償運動関係者を含む日本のリベラル・左派の間ではごく一般的なものだろう(▼54)。問題は、彼ら・彼女らが、平壌宣言で言及された「お詫びの気持ち」とやらが、「村山談話」(▼55)の焼き直しにすぎず、日本国家の法的責任の否認を貫徹した上での「道義的」な「お詫び」にすぎないことを正確に認識した上で、平壌宣言をあえて肯定的に(再)評価しようとしていることである。

 平壌宣言は、日本政府が植民地支配責任を果たす(例えば、植民地支配によって発生した被害に対して朝鮮人が賠償を受ける権利を保障する)代わりに、「請求権」という双務的な権利を規定して、かつそれを両国が「相互に放棄する」ことで、植民地支配責任から日本国家を免罪するという「宣言」なのであり、実質的には日韓条約から一歩も前進しているわけではない。日本政府は、日韓交渉では、経済再建資金と政権維持費を必要とする朴正煕・軍事独裁政権を妥協させて日韓条約を結んだが、日朝国交交渉においても、徐京植が指摘したように、「経済的困窮とアメリカの軍事的脅威という不利な条件に加え、北朝鮮自らが招いた拉致問題という弱点までが付け加わったため、日本側が大幅に言い分を通すことのできるチャンス」(▼56)を最大限に利用したのである。

 結局のところ、平壌宣言も日韓条約も、日本政府にとっては、植民地支配の被害者である朝鮮人に対する法的責任を一貫して拒絶するための「法的根拠」になっているのである。逆に言えば、平壌宣言(における日本政府の「道義的責任」の表明)を評価しようとするなら、同じ理由から「国民基金」にも反対できなくなるということだ。実際、すでに高橋はそうなっているし、左派のほとんども平壌宣言を(再)評価し、「促進法」を歓迎する立場で一致している。「2010年の戦後責任論」にはやたらと植民地支配(責任)という言葉が出てくるが、高橋が実践的・具体的な植民地主義批判を自らタブー化し、「旧帝国の負の遺産を引きずった既成の日本国家」(▼57)への批判力を手放していることは、平壌宣言への評価一つ取っても明らかではないかと思う。

 () 民主党政権への期待

 高橋は、「鳩山首相が李明博韓国大統領に」向かって「歴史を直視する勇気を持つ政権だ」と自ら語ったことや、東アジア共同体構想を提唱していること、岡田外相が「日中韓での共通教科書の作成を検討課題にすべきだとの発言をしてい」ること、民主党には「リベラルな議員も多く存在していること」などを挙げて、「戦後補償の問題について〔中略〕自民党政権下で梃子でも動かなかったことが動くかもしれない。とすれば、そのチャンスを何とか生かしたい」(▼58)として、民主党政権にかなりの期待を寄せているようである。

 「〔中略〕民主党政権が、戦後補償問題だけにとどまらず、夫婦別姓や外国人参政権などに親和的な姿勢を見せる中で、右派の苛立ちが募っていることは間違いない。〔中略〕

 彼らが保守しようとする価値に触れる法案を民主党政権が政治課題にあげたときには、彼らの一部が過激化する可能性はあります。しかし、そうした時にこそ、真の意味での政治的リーダーシップが求められるのです。〔中略〕今では戦後責任問題で評価の高いドイツでも、当初はいわば「政治主導」で、世論の反発は強く存在しました。歴史観を持つ政治家が責任問題に踏み込んでいけば、大きな反発が起こるのはある意味当然で、そこで揺らがないことが重要です。世論に対して言葉を尽くして説明と説得を行ない、なぜそれが必要なのかを訴えることが必要なのです。」(▼59)

 高橋はどうやら、民主党政権が「政治主導」で「戦後補償」を実現する可能性に賭けようとしているらしい。要するに、高橋も民主党政権に期待する凡庸な「リベラル」の一人になったということなのだろうが、厄介なのは、韓国の左派系メディアまでもがこうした民主党評価を多分に共有していることだと思う。現に11月16日付の『ハンギョレ』の社説(▼60)は、高橋の民主党評価そのままと言えるほどである。もちろん、これは韓国の左派系メディアで和田の影響力が強い(特に『ハンギョレ』の東京特派員が和田を重用している)こと、高橋が「国民基金」=和田のラインに回収されていることによる。高橋は、「東アジア共同体構想を自民党政権の首相が言い出せば、大東亜共栄圏の再来かという反応を即座に呼び起こしたことでしょう。韓国も中国も前向きに受け止めているとするなら、新政権が「歴史を直視する」可能性に期待を持っているからではないか」(▼61)などと語り、自説を補強しているが、これも韓国メディアを介して和田の言説を反復しているだけなのだから世話はない(もっとも、高橋は確信犯かもしれないが)。

 ちなみに、高橋は、東アジア共同体が日本の「普通の国」化を前提とする軍事同盟であることにも素知らぬ振りをしている。

 「〔中略〕鳩山氏は憲法九条への姿勢など危ういものがあり、歴史政策を本当に推進できるのか、保守層の反発にどこまで揺るがずにいられるのか心配もありますが、現段階では、少なくとも、日本が植民地支配と侵略の歴史的責任を認めなければアジア諸国との「友愛」はありえない、という認識を持っていることがうかがわれます。」(▼49)

 繰り返すが、民主党政権による「国益」論的「戦後補償」の路線では、朴裕河的「和解」と(解釈)改憲と東アジア共同体構想の推進は、何ら矛盾しないどころか相互に不可欠な関係にある。「戦後補償問題でも〔中略〕自民党政権とは違い、少なくとも民主党政権が前向きな姿勢を示していることを受け止め、その姿勢を貫かせるように声をあげていかなければいけません。それは私たち自身の責任です(▼49)という高橋の言説は、日本人としての(2010年の)戦後責任は民主党政権による「戦後補償」政策を支持することである、と読者に受け取られかねないものだろう。

 それにしても、かつて『戦後責任論』で日本人としての戦後責任を以下のように論じていた高橋は、一体どこに行ってしまったのだろうか? 

 「〔中略〕この責任は、戦後責任をきちんと果たしてこなかった日本国家の政治的なあり方に対する責任として、日本国家が戦後責任をきちんと果たすように日本国家のあり方を変えていく責任であり、日本政府に戦後責任を果たさせることを通じて、旧帝国の負の遺産を引きずった既成の日本国家を批判的に変革していく責任です。植民地支配や民族差別、女性差別、暴力的な「国民化」や「皇民化」を可能にし、またそれらによって可能となった「日本人」や「日本国民」を解体し、日本社会をよりラディカルな意味で「民主的」な社会に、すなわち、異質な他者同士が相互の他者性を尊重しあうための装置といえるような社会に変えていく責任なのです。」(▼57)

 高橋のこの「戦後責任」概念の変質と論理的矛盾はあまりにも明らかだろう。高橋は、『戦後責任論』の論理にもとづいて「促進法」への支持を撤回するべきである。それができないのであれば、「2010年の戦後責任論」の論理にもとづいて、『戦後責任論』で展開した自身の言説を公的に撤回するべきではないのか。もしも、高橋が自身の社会的評価を利用して、戦後補償運動の日本国家への回収に読者を加担させようとする確信犯でないなら。そして、「促進法」に賛同しているすべての戦後補償運動関係者も。


▼36 この表現はあんまりだと思われるかもしれないが、多くの戦後補償運動関係者の本音はこんなところではないだろうか。実際に、戦後補償運動で著名なある人物は、「平和を発信」する広島・長崎のオリンピック招致計画が中国のネット世論で批判されていることを引き合いにして、このような事態が起きないためにも「戦後補償」が必要である、と発言しているそうである。大日本帝国との連続線を断ち切って正義を回復することよりも、むしろ近隣諸国の「反日」的論調を払拭することに重点が移行している。これでは「国民基金」による「見舞金」の金額は各国の「反日感情」に応じて決定するべきだった、とする大沼保昭の論理(大沼保昭、『「慰安婦」問題とは何だったのか――メディア・NGO・政府の功罪』、中公新書、2007年、p.171)にさえ、まともに対抗できないだろう。

▼37 戸塚悦朗、「立法による解決をめざして――成功の条件をどう作るか」、『季刊 戦争責任研究』第62号(2008年冬季号)、p.49

▼38 戸塚悦朗、「統監府設置100年と乙巳保護条約の不法性――1963年国連国際法委員会報告書をめぐって」、龍谷法学39巻1号、2006年6月、pp.15-42

▼39 戸塚悦朗、「市民が決める「慰安婦」問題の立法解決――戦時性的強制被害者問題解決促進法案の実現を求めて」、『国際人権法政策研究』第3巻4巻合併号(通算第4号)、2008年12月、p.58

(▼40) 日朝国交「正常化」と植民地支配責任:「派兵する「東アジア不戦共同体」」 ( http://kscykscy.exblog.jp/12296743/

▼41 『世界』には明記されていないが、弁連協内の「戦後補償立法を考える弁護士の会」と「戦後補償ネットワーク」が連名で民主党に提出した「戦後補償の政治的解決を求める要望書」は、「促進法」ではなく「外国人戦後補償法(試案)」の具体化を要請するものである(「外国人戦後補償法」については第5章で述べる)。( http://sengohoshou.jp/report_i_107.htm )

▼42 高木喜孝・内田雅敏・森田太三・佐藤健生、「中国人強制連行問題――戦後補償をどう実現するか」、『世界』2010年1月号、pp.228-229

▼43 日朝国交「正常化」と植民地支配責任:「「闘う反共リベラリスト」姜尚中の不気味な予言」 ( http://kscykscy.exblog.jp/12501047/ )

▼44 日朝国交「正常化」と植民地支配責任:「和田春樹の天皇訪韓提案と「東アジア共同体」」 ( http://kscykscy.exblog.jp/10524714/ )、「再び天皇訪韓と和田春樹、そして「鳩山談話」について」 ( http://kscykscy.exblog.jp/11949746/ )

▼45 中央日報:「小沢民主党幹事長が来韓「天皇訪韓、韓国民が歓迎すれば可能」」 ( http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=123895&servcode=A00§code=A00 )、「【小沢氏来韓】「在日韓国人ら外国人地方参政権を現実化させる」」 ( http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=123896&servcode=A00§code=A00 )

▼46 日朝国交「正常化」と植民地支配責任:「「我が国と外交関係のある国の国籍を有する者」について」 ( http://kscykscy.exblog.jp/12319479/ )、「「旧臣民への施恵」ならばお断りだ――小沢一郎の参政権論について」 ( http://kscykscy.exblog.jp/12424552/ )

▼47 もっとも、「戦後補償ネットワーク」の代表であり、民主党政権に活発なロビイングを行っている有光健氏は、『ハンギョレ』の11月10日付のインタビュー記事( http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/386801.html 日本語訳: http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/860440.html )の中で、民主党政権による戦後補償の立法措置は、日本人シベリア抑留者法案の「次にB・C級戦犯法案,韓国人など外国人シベリア抑留者支援法案の順序になると思う。そのあとに慰安婦,中国人強制連行者問題などが扱われるだろう」と語っている。ちなみに、同インタビューでは、有光氏も、「国民基金」が失敗した原因として、「自民党に背負われて作られた弱体政府」である村山政権が「官僚の抵抗に押された」ことのみを挙げており、これに対して、「政治主導」を掲げる「鳩山政権は以前の細川政権や村山政権で過去史整理がなぜ失敗したのか教訓を見ている」として、民主党政権を高く評価している。また、有光氏によれば、戦後補償問題の「大きい心配事」の一つは「来年の景気回復」であるそうだ。有光氏は天皇訪韓の実現可能性を疑ってはいるが、訪韓そのものにはむしろ肯定的であり、「鳩山総理が来年8月に村山談話を越える談話をすることが重要だ」とも述べている。同インタビューを読む限り、有光氏の立場が和田のラインとそれほど異なるようには思えない。

▼48 もちろん、こうしたシュールな「和解」論は今に始まったものではない。朝日新聞論説主幹(当時。ちなみに次期社長候補)で、日本における朴裕河現象をお膳立てし(2006年12月25日付朝日新聞「風考計」、2007年2月28日付朝日新聞「ナショナリズムを超える――朴裕河さんに聞く」など)、選考委員として朴裕河『和解のために』の大佛次郎論壇賞受賞の立役者となった若宮啓文は、自著『和解とナショナリズム』で、戦後の天皇制を「アジアとの和解や過去の清算にさまざまな役割を果たしてきた」(p.319)と礼賛している。若宮によれば、戦後の天皇の外遊は「「和解」を求め、戦争の傷痕を癒す旅」(p.324)なのであり、「東南アジアに加えて天皇の中国訪問も実現して久しい中で」は、「韓国訪問だけが重い課題として残されている」(p.327)そうである。2010年には朝日新聞が率先して日韓「和解」ブームを盛り上げていくだろう。

▼49 高橋哲哉、「2010年の戦後責任論――「応答の失敗」からの再出発」、『世界』、2010年1月号、p.186

▼50 前掲書、p.191

▼51 以下、金富子氏の批判(金富子、「「慰安婦」問題と脱植民地主義――歴史修正主義的な「和解」への抵抗」、金富子・中野敏男編著、『歴史と責任――「慰安婦」問題と一九九〇年代』、青弓社、2008年、pp.100-121)からいくつか引用する。

 「〔中略〕朴裕河はほかの研究者・作家を御都合主義的に引用する形をとりながら、朝鮮人元「慰安婦」被害者への強制性や証言の信頼性に対して否定的な日本の右派の議論を踏襲している。」(p.102)

 「朴の議論は右派の議論の土俵がもつ問題性(男性中心性、国家中心性)に無自覚なまま、その土俵の上で公文書資料の不在を根拠にしているために、ここでも右派の詐術を代弁している。朴らによる被害者証言や慰安所での強制性の軽視は、文書記録を残せなかった民衆や少数者、底辺女性に対して抑圧的な強者の論理であるとともに、フェミニズムや人権意識からもはるかに遠いところにあるといわざるをえない。」(p.105)

 「〔中略〕朴の歴史認識・現状認識で顕著なのは、植民地期に宗主国の民―植民地の民との間に支配―被支配というレイシズムに基づく非人間的な関係が恒常的につくられ続けたこと、それが現在も形を変えて継続していることへの批判的視点、換言すれば植民地主義批判の視点が欠落している点である。」(p.109)

 「〔中略〕韓日連帯運動に関しても、日本の運動を称揚し韓国の運動を批判する二項対立的手法が繰り返される。「日本の側はみずからの問題を問おうとする脱民族主義的批判」とするのに対して、「韓国からの批判が民族主義にもとづく本質主義的なもの」(朴『和解』二二一~二二二ページ)と断じる。しかし、同書に一貫する、日本への根拠なき信頼や韓国への現実を見ない批判という二項対立的な図式こそが、朴の両国への「本質主義的な理解」からきているのではないか。」(p.112)

 高橋は、「2010年の戦後責任論」で、「私は専門分野からの影響なのでしょうか、主に<責任>ということを一つの切り口として、同時に戦後生まれの日本人の一人として、戦後補償問題・戦後責任問題に、ささやかながらかかわりをもってきました」(p.181)と述べているが、朴の言説を反・「ナショナリズム」/「本質主義」/「男性中心主義」として「理解」しようとする高橋の振る舞いは、端的に言って、「知識人」としての<責任>の放棄ではないのか。

▼52 前掲書、p.183

▼53 前掲書、pp.189-190

▼54 一例として、西野瑠美子氏の発言を挙げておく。

 「二〇〇二年九月に発表された「日朝平壌宣言」は、過去の清算と懸案事項の解決が平和と安定に大きく寄与するとの認識を表明し、過去の清算について日韓条約と横並びともいえる「経済協力方式」(無償資金協力、低金利の長期借款供与)で合意した。これは一見、日韓条約と同じように見えるが、両者はまったく同じではない。日韓条約では植民地支配の清算の立場が示されなかったが、平壌宣言では「植民地支配によって朝鮮の人々に多大な損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明したのである。ここでいう「損害と苦痛」は日韓条約時と違って、「慰安婦」問題をその対象に含んでいることは言うまでもない。」(西野瑠美子、「「慰安婦」問題の解決は国交正常化の通路」、『世界』2008年7月号、p.170)

▼55 http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/press/danwa/07/dmu_0815.html

▼56 徐京植、『秤にかけてはならない――日朝問題を考える座標軸』、影書房、2003年、p.20

▼57 高橋哲哉、「「戦後責任」再考」、『戦後責任論』、講談社、1999年、p.51

▼58 高橋哲哉、「2010年の戦後責任論――「応答の失敗」からの再出発」、『世界』、2010年1月号、p.185

▼59 前掲書、pp.186-187

▼60 http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/387940.html (日本語訳: http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/872830.html

▼61 高橋前掲書、pp.185-186

Comments:6

yokoita URL 2009-12-23 (水) 15:30

こんにちは。丁寧で詳細な分析に大変読みごたえを感じました。何についても無知なことが多いもので、「促進法」についてもこれまでほとんど何も知りませんでした。今回いろいろ教えていただきましたが、これから、自分でもこつこつ調べてみます。
高橋哲哉氏のことですが…。06年のたしか5月でしたが、アムネスティ主催の高橋氏の講演会がありました。佐藤優氏が『靖国問題』を評した論文に私はかねて非常につよい批判を持っていましたので、批判された当の高橋氏がそれに対しどのような感想を持っているか、会が終わった後にきいてみたんですね。というより、むしろそのためにでかけて行ったようなものなんですけど。(笑) 
私の聞き違いでなければ、あれは詭弁の論理ではないかと思う、という私の意見に、あなたが正しい、と断言してくださったのですけどね…。何か、とても落胆しています。
>、「2010年の戦後責任論」の論理にもとづいて、『戦後責任論』で展開した自身の言説を公的に撤回するべきではないのか。
人前で公的に断言していた考えを根本的に変えるのであれば、なぜどんな論理で変えるのかを当然説明するべきではないかと思います。今の考えに自信があるのであれば、そのくらいの責任を果たすことは何でもないでしょう。そうでないと、人を騙すことになりかねませんからね。高橋氏のみならず、こんなことがごく自然なことであるかのようにまかり通るような時代がくるとは正直数年前まで思ってもいませんでした。

m_debugger >yokoitaさん URL 2009-12-23 (水) 21:12

コメントありがとうございます。

「促進法」については私もつい最近まで知らなかったのですが、これが「国民基金」のオルタナティブとして当初から構想されていたくらいですから、日本の左派は90年代半ばにはほぼ自壊していたのではないかと思います。

高橋哲哉はその流れに抗う数少ない日本人の一人だったはずですが、今は何なのか、という感じですね・・・。
VAWW-NETジャパンも「促進法」支持ですし、事後的に見れば、「女性国際戦犯法廷」もアリバイ作りだったのではないかと思えてきます。

>私の聞き違いでなければ、あれは詭弁の論理ではないかと思う、という私の意見に、あなたが正しい、と断言してくださったのですけどね…。

佐藤の『靖国問題』批判の論文は読んでいませんが、佐藤の論理が詭弁だというくらいの再批判は、今の高橋でもするのではないでしょうか。
ただ、植民地主義批判をタブー化した高橋はもう、民主党政権が新たな国立戦没者追悼施設を作ることにも、容認を前提としたヌルい批判しかできないと思います。

>高橋氏のみならず、こんなことがごく自然なことであるかのようにまかり通るような時代がくるとは正直数年前まで思ってもいませんでした。

高橋の「2010年の戦後責任論」も、ほとんど話題になっていませんしね。
まあ『世界』自体が読まれていないという話もありますが(私も読んでいるうちに気が遠くなってきました)、あれが左派のほぼ一致した共通見解だからこそ議論の対象にもなっていないわけで、つくづく気持ち悪い人たちだと思います。

yokoita URL 2009-12-23 (水) 23:20

返信をありがとうございます。この際、といってはなんですが、もう一点、感想を書かせてください。大沼保昭氏の「『慰安婦』問題とは何だったのか」を読んだことがあるんですね。今手元に本はなくて、印象と記憶だけで言うと、見方が偏っているかも知れませんが、大沼氏の頭にあるのは、金、金、金。全編、どこまで行ってもそうだったような印象があります。「女性の尊厳」とか「誇り」という言葉も出てはいましたが、それも結局は、すべてを「償い金」に回収するにあたって一応それらの言葉を並べているだけのようにしか感じられず、こんな本を出していいのかと思いました。名乗り出た女性に、「金をもらっていなかったのか」などの侮辱的なことを言った政治家が何人もいましたが、そう変わらないような気がしたというのは言い過ぎでしょうか。普通一般の人でもあれほどの調子ではないように思うんですが、まず人間の心情や体験や存在についてほとんど無知なのではないかと思います。高橋氏が大沼氏の何を尊敬するのか不思議です。もしできればそのうちブログで書いてみたいと思いますが。

m_debugger URL 2009-12-24 (木) 12:27

>yokoitaさん

>大沼氏の頭にあるのは、金、金、金。全編、どこまで行ってもそうだったような印象があります。

とても正しいご指摘だと思います。実際その通りでしょう。

>「女性の尊厳」とか「誇り」という言葉も出てはいましたが、それも結局は、すべてを「償い金」に回収するにあたって一応それらの言葉を並べているだけのようにしか感じられず、こんな本を出していいのかと思いました。名乗り出た女性に、「金をもらっていなかったのか」などの侮辱的なことを言った政治家が何人もいましたが、そう変わらないような気がしたというのは言い過ぎでしょうか。

いや、言い過ぎどころか、当然の感想だと思います。
正直、あんな本を最後まで読めた自分の忍耐力に深く感動しましたね。

>高橋氏が大沼氏の何を尊敬するのか不思議です。もしできればそのうちブログで書いてみたいと思いますが。

よくわかりませんが、高橋にはないエネルギーに満ち溢れているところ、とかでしょうか。
原子力と同じで、エネルギーの質と用途を問わないなら、貴重な資質かもしれないですね。
エントリーお待ちしています。

- URL 2010-01-25 (月) 06:18

おはようございます。
遅くなりましたが下記の記事を書きました。お暇なおりにご一読いただければと思います。
http://yokoita.blog58.fc2.com/blog-entry-49.html#tb
トラックバックの送り方がよく分からず、コメント欄で失礼します。
「促進法」には知識不足もあり、触れることができませんでした。読ませていただいて、ああいう記事をお書きになるのは、孤独感を感じるのではないかと思いました。

m_debugger URL 2010-01-25 (月) 12:00

>yokoitaさん

お知らせありがとうございます。
記事の感想は「横板に雨垂れ」にコメントしますね。

「孤独感」ですか(笑)。おかげさまで反応もいただけていますので、励みになりますよ。逆に今の状況では、連帯する人を選ばないと、人間的に破滅するのではないかと。リアルに具体例もありますし・・・。

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