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64年目の8.15 (2)

■目次
(1) はじめに
(2) 「平和国家」日本が欲する「第二の靖国」(読売)
(3) 「戦争のリアリティー」を語る立場の占領(朝日)
(4) 戦後責任から「エコ」への逃走(毎日)
(5) 日本人戦没者への「戦後責任」としての改憲(日経・産経)
(6) 日本人は誰に対して憲法9条を負っているのか(東京)
(7) おわりに

(3) 「戦争のリアリティー」を語る立場の占領(朝日)

 朝日新聞:「あの戦争の記憶 世代を超え、橋を架ける」
 http://blog.goo.ne.jp/freddie19/e/5ced71243918f96a277fa191f4dbb604

(3-1) 「戦争のリアリティー」を語る立場の占領

 次に朝日の社説――「あの戦争の記憶 世代を超え、橋を架ける」――を見ていこう。どうでもよいが、タイトルを読むだけで、無内容(に見えてその実有害)な本文を想起させる、気色の悪いテクニック――「朝日力」と勝手に名づけることにする――は、さすがであると思う。一体どうやったらこんな文章が書けるようになるのだろう。なお、本章以降は、社説の全文を引くのはやめ、要所を引用する形で紹介していくことにする。

 この社説の要旨は、元日本軍兵士たちが語る「戦争のリアリティー」の「集積を、日本が二度と過ちを繰り返さないための共有財産にしてゆこう」というものである。一見無難なことを言っている(要するにたいして何も言っていない)ようで、考えようによっては、これは読売以上に腐った主張であるかもしれない。

 なぜなら、朝日にとっては、第一に、日本人が語り継ぐべき「戦争のリアリティー」とは、日本人・元日本軍兵士にとっての「戦争のリアリティー」でしかないからである。こうした歴史観においては、日本の植民地支配と侵略戦争によって殺された、2000万人ものアジアの民衆にとっての「戦争のリアリティー」が黙殺されるだけでなく、被害者でありながら戦場に駆り出された、45万人もの朝鮮人および台湾人・元日本軍兵士(厚生省の統計によれば、軍人・兵士および軍属として動員された朝鮮人は24万2341人、台湾人は20万7183人)にとっての「戦争のリアリティー」が顧みられることもない。日本軍によって虐殺された沖縄の人々にとっての「戦争のリアリティー」も、また限りなく周縁化されるだろう(ただし、別の文脈から見れば、沖縄の「戦争のリアリティー」は、「日本国民」の被害体験として、急速に国家の記憶に統合されつつあるように思う。(5-1) 沖縄戦の記憶の「国民化」 参照)。一言でいえば、日本人・元日本軍兵士に「戦争のリアリティー」を語る立場を占領させることによって、日本人が植民地支配と侵略戦争の加害責任に向き合って、戦後補償に取り組むための回路が閉ざされてしまうのである。

 そして、第二に、日本人・元日本軍兵士たちが語る「戦争のリアリティー」の「集積を、日本が二度と過ちを繰り返さないための共有財産にしてゆこう」という主張は、それを最大限実現できたとしても、日本人・元日本軍兵士たちの単なる追体験運動にしかなりえない。そもそも、加害証言を担う日本人・元日本軍兵士がほとんど存在しない(▼11)中で、そんな追体験ばかりしていてどうするのか。「世代を超えて橋を架ける」といえば聞こえはよいが、個々の体験を思想化――「普遍」化――する努力を怠った単なる追体験が、被害者意識を超える視点を得られるとはとても思えない。元日本軍兵士に限らず、国ごと加害者に転化した日本人が体験した「戦争のリアリティー」の内実を検証することなく、それを無批判に継承しようとするのは、端的に危険であり、やめた方がよいと思う。例えば、社説で紹介されているNHKの「戦争証言アーカイブス」には、「沖縄戦 住民を巻き込んだ悲劇の戦場 ~山形県・歩兵第32連隊~」として、元日本軍兵士のこんな証言が収録されている(強調は引用者による。以下同様)。


 住民を守っていたよ。自分の部隊の中隊もぜんぶ、命令によってさ、動くんだけどさ、これもひとつの守りだよね。それから住民もね、「こっちを動くな」とか、「こっちを動きなさい」とか、こういうことを言うのね、守りだからね。これはちゃんと兵隊がね、「こっちにいてくださいよ、こっちから逃げないで下さいよ、こっちからあっちに移動するのは危険だから、こんなことしてなきゃいけないよ」とか、こういうことをね、兵隊さんがみんな住民に言うんだよ。言ったら住民は「はいはい」と言ってね、逃げた人は、自分で行動した人は死んだんだけど、命令聞いた人は生きている。そんなもんさ。

 それはね、壕の中からね、自分で逃げていくんだよ。住民が。なぜかというとね、飯はないでしょう。ひもじい思いしてるでしょう。だからうち帰ったら、自分の壕に行ったら飯ある、ということを住民は考えているからね、自分で逃げていくんだよ。それでやられるんだよ。

 部隊がね、住民をね、「待ちなさい」とか、「どういう方向、どうしなさい」とか言えないんだよ。住民は自分勝手だから、出ていったらもうおしまいさ。自由行動だから、戦争の時に「あんた、待ちなさい」と言わないでしょう、住民に。軍隊だからと言って、住民に「あんた待ちなさい、行くな」といよいよ言えないでしょう。だからそんなこと関係ないよ。住民は出て行きたいなら自分で出て行く。戦死しても何もこれは関係ないよ。自分で出て行ったんだから。しかし軍隊は守っているから、住民を守っているから、「出ていくな」とは言ってるんだけど自分で出て行くからしようがないでしょう。戦争というのはそんなもんさ。


 NHK:戦争証言アーカイブス トライアルサイト
 http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/

 日本軍は、住民を守っていたが、守っていなかった。日本軍は、住民に命令をしたが、命令をしなかった。ある意味非常に日本的で意味不明な責任逃れの弁明だと思うが(「天皇は最高責任者だったが、天皇は最高責任者ではなかった」など)、NHKの同プロジェクトに対して、「社会の中で薄れてゆく記憶を、つくりなおす」と評価している朝日は、もはや確信犯的に歴史修正主義を支える側に回ったと考える方がよいかもしれない。


(3-2) 戦争責任・戦後責任を回避しながら被害者に「癒し」を請う「戦後補償」

 では、問題の社説をざっと追っていこう。冒頭ではまず、「被爆地にある長崎総合科学大学の平和文化研究所が、同大の学生を対象に行った昨年の調査で、「終戦の日」がいつかを正しく答えられたのは33.2%。15年ほど前は5~6割台だった」として、戦争の記憶の風化を嘆いている。これは、一見すると当たり障りのない一般論のようにも思えるが、「太平洋戦争の戦場から帰還し、健在な人は推計で40万人前後。最後となった1945年の徴兵検査を19歳で受けた人が、もう83歳だ」という事情は、日本の植民地支配・侵略戦争の被害を受けたアジアにおいて、よりいっそう深刻なのではないか。「日本人はわたしたちが死ぬことを待っている」(▼12)という被害者の言葉に集約されるように、日本人マジョリティにとって、風化が惜しまれる記憶は、もっぱら自らの被害体験に関わるものばかりであり、自らの加害責任を問う記憶については、進んで風化を促進している(または、後述のように、風化の代わりに「和解」を促進しようとする)のである。

 社説は、次に「当事者に向き合う」というサブタイトルで、元日本軍兵士の証言記録をフィリピンで上映する、日本の若い世代の取り組みを紹介している。活動のきっかけは、代表の女性が「学生時代にスタディーツアーでフィリピンを訪ねた」際、「現地の集会で、一人のおばあさんに「日本人なんか見たくない」と言われたことが胸に突き刺さった」ことだという。


 その3年後に知人から偶然、戦地での行いを悔いながら亡くなった元日本兵がいる、と聞かされた。フィリピンで従軍した人の今の思いをビデオメッセージにして、現地の人に届けてはどうか。そう思いついた。


 ・・・・・・ちょっと待て。ビデオメッセージを届ける相手が激しく間違ってはいないか?元日本兵が戦地での行いを悔いているなら、その言葉は日本政府にこそ聞かせるべきではないのか?そして、「日本人なんか見たくない」というフィリピン人の言葉をこそ、日本人に届けるべきではないのか?


 証言の映像を持参したフィリピンでは、元兵士が葛藤を持ち続けていることに驚いた人が多かった。みなではないけれど、許すという人もいた。


 ・・・・・・こうした「若者たち」の活動を、単なる主観的な善意として片付けるわけにはいかないだろう。彼女たちの「善意」は、被害者であるフィリピン人に日本人の戦争責任・戦後責任を解除させる――フィリピン人が日本国家の公式な謝罪にもとづく戦後補償を受けることなく日本を「赦す」――ことによってしか、満たされないものだからである。そして、その際に彼女たちが若さという特権(若気の至りではない)を利用していることも、また批判に値すると思う。戦争責任・戦後責任を回避しながら被害者に「癒し」を請うほど腐った「戦後補償」も珍しいが、こんな「美談」を、世代や国境を超えた橋として持てはやしている朝日は、いったいどこまで終わっているのか。

 (・・・と思っていたら、実はこうした腐った運動は、まったく珍しくないどころか、最近の「戦後補償」の主流になってきているらしいことがわかってきた。そういえば日本人はこういう腐った「美談」が大好きだったよな。というわけで、この節は別のエントリーに引き継ぐことにする。)


(3-3) 「戦争のリアリティー」は継承されていないのか?

 続いて、「語り始めた元兵士」というサブタイトルで、元兵士自身による取り組みが、「体験者なき戦後へ」というサブタイトルで、前述のNHKによるプロジェクト「戦争証言アーカイブス」が紹介され、次のような結論が示される。


 ごく普通の人が、国の誤った道に巻き込まれ、極限の状況下で、加害者にも被害者にもなる。無名の元兵士たちが若者に語り残すのは、そうした戦争のリアリティーだ。その集積を、日本が二度と過ちを繰り返さないための共有財産にしてゆこう。

 戦場の現実を踏まえない議論を、政治の場で横行させてはならない。


 朝日は読売とは違って、日本の加害責任についてもかなり触れており、「強盗、強姦、殺人、放火……。軍命とはいえ、罪の気持ちはある」という元日本軍兵士の証言を引用してもいる。けれども、朝日によれば、そうした加害証言はせいぜい被害者に「癒し」を請う――「和解」を求める――ために有効活用すればよいのであって、そうした証言者も、「国の誤った道に巻き込まれ、極限の状況下」、つまり戦場で、たまたま加害者になってしまった人々であるにすぎない。ここには、ごく日常において日本人が国ごと加害者になっているという構造的暴力――現在も続く植民地主義――を批判する視点は、まったく見られない。

 また、「戦場の現実を踏まえない議論を、政治の場で横行させてはならない」と言うが、朝日の社説子が、自衛隊のソマリア派兵を執拗に主張していた(▼13)ことを考えると、「戦場の現実を踏まえ」て「事前にルールを詰めておくこと」(▼14)が重要だと本音では言いたいのだと思われる。要するに改憲の正当化である。思うに、日本はすでに「過ちを繰り返」しているのであり、自らが加害者であることに気づかない「戦争のリアリティー」こそ、体験者の証言を語り継ぐまでもなく、日本人マジョリティが継承している皮膚感覚なのではないだろうか。

(次回に続く)


▼11 2000年の女性国際戦犯法廷で元日本軍兵士として証言台に立った金子安次のように、例外的に加害証言を続けている人もいる。

 「――これまで「慰安婦」制度の実態をお伺いしてきたわけですが、今度は金子さんは何故語りにくい経験を語るのかをお伺いしたいと思います。

 我々が強姦するとき「慰安婦」の人は嫌がったよ。だから短剣を刺しながらね、「ぶっ殺すぞ」って、脅すわけだ。それで、女は恐る恐る股を広げる。こういうことをして我々は中国人をいじめてきたんだよね。当時は「慰安婦」が良いとか悪いとか考えられなかった。結構みんな慰安所に入っちゃうんだよな。我々はそういう体験をしとったんだよ。なら何故我々が話すのかと。これは犯罪だからだよ。強姦という問題は相当大きな問題だからね。だから私はこの問題を取り上げてこうやって話をするわけだ。最初は誰も言えなかったんだ。そのうちポツリポツリと話し始めた。それが始まりだった。それまで誰も話さないですよ。

 ――元日本兵で金子さんのような経験をした人も沢山いるはずなのに、何故彼らは語らないと思いますか?

 たとえば、日本に帰ってきて「俺は強姦をした」なんて言う人間がいると思う? いないでしょ。一般の人はそんなことなかなかいえない。我々は戦争に反対して、戦争に対する色んな思いがあるから、我々は言うんだけども、一般の人が「慰安婦」の問題なんて、よっぽどひどい目に遭わない限りは言わないと思うよ。例えばね、私は慰安婦のことについて書いてくれとある人に頼んだんですよ。そしたらね、わかった、って書いてくれたんだよ。そして書きあがって(彼の)妻に見せた。そしたらね、「こんなの子供にみせたらどうなんのよ、私は世間に顔見せできないわよ、やめて頂戴」って言われた。それでとうとう彼は書けなかった。こんな例があるんだよ。あいつはやったはずだと思う人がいても、そいつは「俺はやらなかったんだよ」というの多い。これはね、人を殺す以上にいやな思いをすることだからね。」

 戦後責任ドットコム:「金子安次さんインタビュー」
 http://sengosekinin.peacefully.jp/issue/issue2/int.htm

 「おびただしい数の残虐な強かんがあった戦場。支給された「突撃一番」を手に、行列を作って順番待ちをした慰安所。私たちの父や祖父が体験した戦争は、性暴力を抜きに語ることができません。この20年間に集められた、被害女性たちの証言がそれを物語っています。しかし自らの加害に向き合う日本軍元兵士の証言はわずかしかありません。

 彼らはどのように強かんや慰安所を語り、あるいは語らなかったのでしょうか。飢えと病気が蔓延した無残な戦場からの生還は、「被害者」としての記憶しか残さなかったのでしょうか。自らの戦争責任・戦後責任を問わずにきた日本の戦後を、性暴力の加害を糸口に考えます。」

 女たちの戦争と平和資料館(wam):第7回特別展 「証言と沈黙 -加害に向き合う元兵士たち-」
 http://www.wam-peace.org/jp/modules/exhibitions/details.php?bid=9&cid=1

▼12 2007年2月17日付の朝鮮日報社説より。朝鮮日報は、「いま被害者たちの前で堂々としているのは加害者である日本の政治家だけだ」と結んでいるが、残念ながらそうではないだろう。

 朝鮮日報:「日本はわれわれが死ぬのを待っているがわたしは死なない」
 http://www.chosunonline.com/article/20070217000006

▼13 2008年12月27日付朝日新聞社説など

▼14 同上

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