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Home > スポンサー広告 > 「慰安婦」立法と「国民基金」の連続性を問う (13)

「慰安婦」立法と「国民基金」の連続性を問う (13)

■目次
(1) はじめに
(2) 第二の「国民基金」としての「促進法」
 (2-1) 「促進法」豆知識
 (2-2) (b) 罪責を承認したうえでの日本の公式な謝罪――なし
 (2-3) (c) 生存被害者とその家族に対する適切な賠償――不可
 (2-4) (a) この問題に関して日本政府が所持しているすべての記録及び情報の開示――無理
 (2-5) (d) 加害者の処罰――論外
 (2-6) より完璧な「国民基金」への道――(A) 被害国の世論の取り込み
 (2-7) より完璧な「国民基金」への道――(B) 保守・右派の取り込みと「国民基金」関係者との「和解」
 (2-8) より完璧な「国民基金」への道――(C) 戦後補償運動の日本国家への回収の完成
 (2-9) 結論
(3) 「要綱案」とは何か――他者からの呼びかけの無化
 (3-1) 「要綱案」前置き
 (3-2) (b) 罪責を承認したうえでの日本の公式な謝罪――なし
 (3-3) (c) 生存被害者とその家族に対する適切な賠償――不可
 (3-4) (a) この問題に関して日本政府が所持しているすべての記録及び情報の開示――無理
 (3-5) (d) 加害者の処罰――論外
 (3-6) アジアの他者を切断する「戦後補償」
 (3-7) 【資料1】戦時性的強制被害者補償要綱に対する意見
 (3-8) 【資料2】「戦時性的強制被害者補償要綱(第1次案)」に対する意見書
 (3-9) 【資料3】第二次案の作成のご報告 被害者並びに支援者の皆さんへ


(3-8) 【資料2】「戦時性的強制被害者補償要綱(第1次案)」に対する意見書

「戦時性的強制被害者補償要綱(第1次案)」に対する意見書

1.

 これまで、日本軍「慰安婦」被害者たちの被害回復を求める訴訟を担当してきており、また今回はその被害の回復の為の活動の一環として「要綱案」を作成するなど、多くの困難の中でも文字どおり「崇高な努力」を尽くしておる「元<慰安婦>の補償立法を求める弁護団協議会」のみなさんに心から敬意を表します。

 私は、日本軍「慰安婦」問題に対して関心を持ってきた研究者として、「要綱案」が、下関判決と同じように、どうしても日本軍「慰安婦」被害者たちの苦痛を解消してあげなくてはならないという崇高な熱情の産物であり、またその完全な解消が容易ではないという現実に対する深刻な苦悩の産物でもあるという事実を、ある程度は理解できる、と敢えて申します。

 しかし、同時に「要綱案」は、日本軍「慰安婦」問題という実に深刻な人権侵害の問題を解決する方法としては多くの限界や問題点を持っているものである、と思います。それから、この点は「弁護団協議会」のみなさんがだれよりよく理解しておると推測します。したがって、たぶん苛酷なものとして受け入れられるだろうと思いながらも、敢えて批判的な意見を下に書いてみることにします。敢えて、付け加える必要もないかと思いますが、下の私の意見はもっぱら日本軍「慰安婦」問題の完全な解決という目的のためのものです。その点に対する「弁護団協議会」のみなさんのご理解を求めると同時に、私の意見が日本軍「慰安婦」被害者たちの苦痛を解消しようとするみなさんの努力に少しでも資するところがありうることを心から期待します。


2.

2-1 「1.目的」に対して

2-1-1 「補償」に対して

 「1.目的」の中の「補償」という用語は、「賠償」にするべきだと思います。金銭の支給が、「基本的人権の侵害」という不法行為に対するものである以上、その意味を明確に表現する「賠償」という用語を使用するべきだからです。

 同じ理由で、「要綱案」の名称の中の「補償」もまた「賠償」にするべきだと思います。(▼77)

2-1-2 「対象者」に対して

 「対象者を日本人以外にすると、“国際法に違反する”という事実を認定する内容にした方が適合であるとも考えられるが、立法の過程においての国内的な説得には上のような文句が理解しやすい」という部分は理解し難いです。(▼78)

 「国際法に違反する」ということこそ、日本軍「慰安婦」問題の核心であり、その解決の為の努力の出発点にならなくてはなりません。それなのに、その点を除いて「国内的な説得」をするということは、果して何のためなのかを問わざるを得ません。もしかして、「一日も早く立法を可能にするために論争の余地がある部分は言及しなかった方がいい」という意味なら、今度はそういう方式で接近して立法という目的を達成するとしても、果して何が解決されるのかと問わざるを得ません。それは、日本軍「慰安婦」問題の真の解決策にならないだけでなく、むしろ問題をもっと複雑にする可能性さえあると言わざるを得ません。

 一方、考えてみれば、「国内的な説得」の為にこそ「国際法に違反する」という点を明記することが必要だと言えます。もし、「国際法に違反」したことでないなら、もっぱら日本国憲法違反ということだけが問題になるが、そうなれば、「戦後その被害を継続・放置したこと」に対しては問題がないかもしれないが、「軍“慰安婦”等として性的行為を強制」した行為の場合は、それが日本国憲法施行以前の問題であるにもかかわらず、なぜ「認定」し、「謝罪」し、「補償」しなければならないのかという疑問を呼び起こさざるを得なくなります。

 実は、この問題は「要綱案」の根本的な問題と関連があると思います。それは、「要綱案」は果して何に対して「認定」し、「謝罪」し、「補償」するよう求めているのかという問題です。「性的行為を強制し戦後その被害を継続・放置したこと」という表現を見ると、性的行為を強制した元々の侵害行為と、それに伴う被害を放置したもう一つの侵害行為の両者に対して求めているように見えます。しかし、「要綱案」は下関判決と同じように、国際法違反は度外視したまま「日本国憲法の根幹的価値にかかわる基本的人権の侵害」だけを問題視しています。ところで、下関判決は元々の侵害行為に対する責任は認めていません。

 だとすると、「性的行為を強制し戦後その被害を継続・放置したこと」という表現は、間違ったものかそれとも半分の実態しかないにもかかわらず完全な実態を持っているように見せかけるものではないかという疑問を払拭できないわけであります。(▼79)

2-2 「2.戦時性的強制被害者―定義」に対して

2-2-1 内閣総理大臣が受給の要件を指定するようになっていることに対して

 この点は「4.戦時性的強制被害者補償委員会」を内閣総理大臣が設立するようになっていることとともに問題であると思います。事案の性格上、日本の「国権の最高機関」である国会が独立した機構を設置し、またその機構が受給の要件の指定等賠償に関する一切の業務を担当するようにするべきであると思います。

 それから、その独立した機構には被害者あるいは被害者を代弁する市民団体の代表がどんな形であれ参与できるようにするべきで、また、参与する市民団体には日本の市民団体は勿論、被害者の所属国の市民団体も含められるべきだと思います。(▼80)

2-2-2 「名称」に対して

 「名称」に関するコメントの中の「戦時性奴隷制被害者」と「戦時性暴力被害者」という名称が狭すぎるか広すぎるという指摘には共感します。しかし、「戦時性的強制被害者」という表現が適切であるかは依然として疑問です。

 特に問題なのは「戦時」という表現です。「戦時」は、「戦争中」という意味、つまり「戦争が始まってから終わるまで」という意味を持ちます。そうであれば、「戦時」という表現は「1.目的」の「第2次大戦の戦前、戦中期において」という表現と符合しないものではないのでしょうか。

 私としては、コメントでは提示されているだけで不適切であると判断される理由に対しては充分な説明がなされていない、「元日本軍<慰安婦>」という表現の方がもっといいのではないかと思います。「日本軍<慰安婦>被害者」としてもいいでしょう。その方が「1.目的」の「第2次大戦の戦前、戦中期において」という表現や「旧日本軍の直接的間接的関与」という表現とも符合するものだと思います。また、「日本軍「慰安婦」」という表現が、加害の主体を明確にするという長点のため最近学者のなかで定着されつつあるという事情とも符合するものだと思います。(▼81)

2-2-3. 「対象地域」に対して

 対象地域を内閣総理大臣が指定するようになっていることも、上の2-2-1で指摘したことと同じ問題があるから、独立した機構が指定するようにするべきだと思います。

 また、「地域による順次支給」は、「対象地域によって被害様態等各種の差があり、解決の難易度に差異がありうる」という点を考慮した結果であると理解されますが、これと関連しては警戒すべき点があると思います。それは、「女性の為のアジア平和国民基金」が、問題の本質はよそにおいたまま、何が何であれいわゆる「慰労金」を渡せばいいという間違った発想から、経済的事情が劣悪な国家の被害者たちにまず「慰労金」を受給させ、その余勢を駆ってその他の諸国家の被害者たちにも「慰労金」を受給させる方式を取ったことが、かえって被害者の猛烈な反発を買った点です。「地域による順次支給」は、同じような問題を惹起すると思われますし、したがってすべての被害者たちに対して一括的な基準によって賠償をするようにすることが望ましいと思われます。(▼80)

2-3 「補償」に対して

2-3-1 「補償の法的根拠」に対して

 「要綱案」に言及されているように、この問題こそ「要綱案」自体の意義を完全に喪失させてしまうことのできる、一番核心的な問題です。

 結論から話せば、この部分に対する「要綱案」の態度は、日本軍「慰安婦」問題の本質に対する充分な考慮を欠如した、深刻な問題性を持つものであると言わざるを得ません。

 損害賠償義務の確認にしがたい理由として提示された、「確定的な法的権利として確立されていない現実」や「賠償金額の立証が必要になり金額も各々異なるようになるだろう」という部分は説得力がありません。国会の立法や独立した機構の設置は、まさにそのような現実と問題に対応するため必要なものであるはずです。

 「下関判決においても立法不作為による損害を認定はしたが、性的強制被害自体の損害に対しては立法的解決を促求することになっている」という理由も説得力がありません。まさにその点こそ下関判決の限界であり、立法的解決が必要なのはまさにその限界を乗り越えるためであります。それにもかかわらず、限界のある下関判決を理由に立法に限界を設定することは本末転倒と言わざるを得ません。それであれば、なぜ立法が必要なのかという疑問が提起されざるを得ないわけです。(▼82)

 「また、下関判決によって継続・放置した責任を問題にすれば、新しい権利にした方がいいだろう」という部分は、特に理解しがたいのです。

 まず、下関判決が「継続・放置した責任」を問うたのは、明確に「すでに存在する損害賠償義務を確認」したものに他なりません。したがって、その「責任を問題にすれば、新しい権利にした方がいいだろう」とは決して言えないわけです。

 それだけでなく、より重要なものは「継続・放置した責任」」ではなく「性的強制被害自体」です。「性的強制被害自体」が不法行為によるものであり、したがって賠償等の措置が取られなければならないということが核心です。その点を曖昧にする場合、「それでは、いったいなぜ補償をしなければならないのか」という疑問が日本人の中から浮かび上がることを防ぐことはできないでしょう。

 「平和条約によって解決したという主張」を回避するためという理由も理解し難いのです。そのため創設的規定にしなければならないということは、つまり「平和条約によって解決したという主張」を受け入れることになります。ここでも、「それでは、いったいなぜ補償をしなければならないのか」という疑問が生ぜざるを得ないわけです。(▼78)

2-3-2 「創設的規定にした場合の権利と従来の損害賠償請求権との関係」に対して

 もし、「この法律によって定められる権利」が「1.目的」の「旧日本軍の直接的・間接的な関与によって女性に対して軍“慰安婦”等として性的行為を強制し戦後もその被害を継続・放置したこと」に対する「補償」を要求する権利として与えられるものなら、また「補償」がその権利に相応するものなら、被害者たちがあえて「損害賠償請求裁判を継続」すべき理由がどこにあるのでしょうか。

 ここで、果たして「要綱案」が想定する「権利」はいったい何に基づいているのであり、何に対する権利なのかを深刻に問わざるを得ません。それは、「旧日本軍の直接的・間接的な関与によって女性に対して軍“慰安婦”等として性的行為を強制し戦後その被害を継続・放置したこと」に対して「補償」を要求する権利ですか。もしそうであれば、損害賠償請求裁判をすべき理由はないでしょう。ひょっとして、それは、「旧日本軍の直接的・間接的な関与によって女性に対して軍“慰安婦”等として性的行為を強制し戦後その被害を継続・放置したこと」に対して「補償」を要求する権利ではないのではありませんか。もしそうであれば、「要綱案」自体が深刻な論理的破綻に陥ると言わざるを得ないでしょう。(▼83)

2-3-3 「対象者」に対して

 「公表時の生存者及びその後死亡した者の遺族」に限定するということは、公表時にすでに死亡した被害者たちは対象から除外されるという意味ですか。彼女らを除外した法律が日本軍「慰安婦」の問題の解決に果たしてどういうふうに資することができるのでしょうか。

 「継続・放置した事実が違法という思考方式に基づいて」となっていることは、結局「要綱案」が想定する責任とそれに対応する権利が「放置」に対するものであると証明することではないのでしょうか。つまり、元々の侵害行為自体は実質的に問題にしないことではないのでしょうか。(▼84)


3.

 日本軍「慰安婦」問題の本質は、日本軍「慰安婦」を強要した行為が国際法違反の犯罪行為であり、したがってそれに対して処罰と賠償等の措置が取られなければならないということです。

 下関判決は、立法不作為責任を認める形で日本国の一定の責任を認めたという点で確かに進展ではあるが、上のような問題の本質を正面から認められなかった点では依然として限界を内包しているものであると言わざるをえません。(これに関しては、金昌禄、「『下関判決』――韓日間の過去清算問題の新しい局面」、『情況』1999年7月号、90-108頁参照。)

 その限界を克服し、問題の本質を徹底的に糾明し、それに対して適切な措置を取ることこそ、日本国の「国権の最高機関」である国会がなすべきことです。

 ところが、「要綱案」は、下関判決を前提とし、その結果判決の限界をそのまま包含しているものと判断されます。それは、賠償は勿論、責任者の即刻的な処罰まで要求した「マックドゥガル報告書」と実に大きく掛け離れているものと言わざるを得ません。

 問題の核心は、日本軍「慰安婦」を強要した元々の侵害行為に対する明確な法的評価を回避していることであると判断されます。したがって、この「要綱案」に沿って法律が制定される場合、その法律は日本軍「慰安婦」問題に対する日本の曖昧性をもう一度確認させるものになるしかないと思われます。今、世界が日本に対して求めていることは、日本軍「慰安婦」問題に対して確実な態度を見せてくれることです。日本の曖昧性こそ、これまでこの問題が解決できなかった根本的な理由です。そういう状況のなかで、またもや法律という形で曖昧性を追加するなら、それは実に不幸なことであると言わざるを得ません。それは、「元“慰安婦”の被害回復の為の立法的解決案を模索」するという「弁護団協議会」のみなさんの目的を達成できないものであるだけでなく、かえって日本に対する被害者たちの失望や憤怒をますます深刻にするものになるでしょう。(▼85)

 もちろん、「現実」を無視することはできません。しかし、高齢で疲れた身を持って海を渡りながら、恨にまみれた絶叫を吐きつづけているハルモニたち、時には命さえ犠牲にしながら正義を求めているハルモニたちによって、他ならないその「現実」がこれだけでも変わったこともまた事実です。そういうハルモニたちに、今になって「現実」を受け入れなさいと要求することは実に苛酷なことです。それは、決して「人間相互の関係を支配する崇高な理想」を持っている国、それによって「国際社会において、名誉ある地位」を占めようとしている国がしてはならないことでしょう。

 私の意見を参照してくださるようお願いします。もし、私がみなさんのお考えを誤解した部分がありましたら、あるいは私の意見に問題がありましたら、教えていただけるようお願いします。(▼86)


1999.10.5.
釜山大学校法科大学助教授
金昌禄


▼77 「要綱案」にはほとんど反映されていない(注68)。また、「要綱案」は「基本的人権の侵害」についてもそれが「不法行為」であるとは認めていない(本章第2節)。

▼78 「要綱案」には反映されていない(本章第2節および第3節)。「要綱案」はサンフランシスコ条約や二国間協定などで「慰安婦」問題は「解決済み」とする日本政府の公式見解(を国民が受け入れていること)を所与の前提としている。つまり、すでに「解決済み」の問題を「解決」するための法案が「要綱案」(であり「促進法」)であるというわけだ。こうした「慰安婦」立法運動が加害者側の醜悪な自己欺瞞に帰着するのはあまりにも当然のことだろう。以下に弁連協のコメントを引用する。

 「①賠償の法的根拠――創設的規定 or 損害賠償義務の確認規定か?

 〔前略〕平和条約で解決済との主張に対しては、創設的規定ならば、仮に解決済であっても新たに賠償することに憲法上の違反が無い以上法的には問題ない。つまり法的にクリアーできうる。等々の考えがある。」

 「慰安婦」立法推進派は、日本軍「慰安婦」問題(性奴隷制)の違法性を主張して日本政府に法的責任の履行を要求するのではなく、自らが推進する「慰安婦」立法が憲法違反でも条約違反でもないとして政府や保守・右派を説得しようとする、極めて倒錯的な構図に自ら進んで嵌り込んでいる。

▼79 私は「要綱案」の実態は金昌禄氏の疑問以上にひどいと思う。「要綱案」は下関判決が認定している日本国憲法違反についても明文化を避けているのだから、「半分の実体しかない」どころか何の「実体も」「ないにもかかわらず完全な実体を持っているように見せかけるもの」であると言えるのではないか(本章第2節)。

▼80 「要綱案」には反映されていない(本章第4節)。

▼81 「要綱案」には反映されていない(本章第4節)。ちなみに弁連協のコメントは次の通りである。

 「①名称――「戦時性的強制被害者」とした意味について

 名称については、上記の他に「元日本軍『慰安婦』」「戦時性奴隷制被害者」とする案や「戦時性暴力被害者」とする意見があり、後者はかなり有力な意見でもあった。被害者を表現する言葉として何が相応しいかは、本要綱においては後に述べる対象者をどの範囲に想定するかに関わる問題である。どのような被害の態様を本要綱でいう賠償の対象とするかということである。

 そこで、被害の態様について、概略であるが誤解を恐れず分類してみれば次のように言うことができる。

・概略して被害の態様は
 a. 「慰安所」での被害――軍の直接又は間接的関与
 b. 組織的又は継続的な強姦
 c. 一時的な強姦
 の3類型が考えられる。この中、どの類型までを賠償の対象とするかで名称も異なってくる。これまでの検討結果では、下関判決を生かす立場からa.bの範囲とするのが妥当であると考えている。尚、、bを組織的又は継続的としたのは、組織的な場合には一過性のものも含む趣旨である。

・尚、先程の言葉に則していえば、「戦時性暴力被害者」の文言ではcを含み、「戦時性奴隷制被害者」等の文言ではaに限定して理解されるおそれがあり、「戦時性的強制被害者」が妥当ではないかとなった。」

 この問題は本稿では取り上げなかったが、名称を日本軍「慰安婦」(被害者)としなかったのは、より多くの被害者を「賠償の対象とする」ためである、という弁連協の一見もっともらしい説明は、(これまでの検討を踏まえれば)真に受けない方がよいと思う。思うに、第二の「国民基金」としての「要綱案」が、日本軍「慰安婦」(被害者)という表現をあえて避け、「戦時性的強制被害者」というより抽象的な名称を採用しているのは、日本軍「慰安婦」という言葉に拭いがたくつきまとう、天皇制国家に対する告発の声を聞き流そう(させよう)とする無意識の欲望(意図的な戦略)のためではないだろうか。

▼82 「要綱案」には反映されていない(本章第2節および第3節)。この部分に対する弁連協のコメントを下記に引用する(なお、金氏によるコメントの引用部は、いったん朝鮮語に翻訳された後で再度日本語に訳し直されているため、必ずしも原文の表現とは一致しない)。

 「①賠償の法的根拠――創設的規定 or 損害賠償義務の確認規定か?

※最も議論のあるところ。創設的規定とは、この法律に基づいて新たに賠償を求める権利が発生することを定めるもの。損害賠償義務の確認規定とは、既に賠償を求める法的権利があるが、特に戦時性的強制被害については特別法として賠償義務の確認をし賠償の方法等を定めるものをいう。

 損害賠償義務の確認とした場合には、従来の法体系の中で損害賠償請求権が存在することが前提となるが、法的根拠については裁判でも種々の主張をしているとはいえ、確定的な法的権利として確立していない現状がある。下関判決でも、立法不作為による損害を認めたものの、性的強制被害自体の損害については立法的解決を促すものとなっている。加えて損害賠償義務の確認とした場合には賠償金額の立証を要し、且つ金額も区々となるであろう。この場合には、立証の困難さがあることと伴に定額の一時金とはし難いものとなる。又、下関判決に副って放置し続けたことの責任を問うのは新たな権利とした方がよいのではないか。〔後略〕」

▼83 「要綱案」には反映されていない(本章第3節)。私見では「要綱案」は徹頭徹尾日本政府の法的責任の回避に終始しており、被害者に裁判請求権の事実上の放棄を迫る立場と合わせて「論理的破綻」はないと思う(無論、だからこそ余計に問題なのである)。

▼84 「要綱案」には反映されていない(本章第3節および第4節)。ちなみに、弁連協は「要綱案」の論理が「慰安婦」被害を戦後(も)「継続・放置した事実が違法という思考方式に基づいて」いると主張しているが、肝心の条文にはその違法性を明記していない。明らかに<内>と<外>で主張が使い分けられているのである。弁連協によるこの手のダブルスタンダードぶりについては、次節で検証する。

▼85 「要綱案」には反映されていない(本章第2節および第5節)。金氏は「要綱案」が「不幸」なものだと指摘している(おそらく婉曲な表現をあえて選んでいるのだと思う)が、責任主体を明らかにするためにも、私はこれを「不正義」と言い直しておく。これが「不正義」であるからこそ、弁連協ら「慰安婦」立法推進派は、法案が被害当事者によって「歓迎」されているという「事実」を、自己正当化のために最大限利用しているのである。

▼86 もちろん、弁連協は金氏の「意見を参照し」なかった。挺対協の批判と合わせて、これだけ本質的な指摘を朝鮮人にさせておきながら、それを意図的に無視するだけでなく、アリバイとして利用して、体裁を取り繕っている弁連協(の「元『慰安婦』の補償立法を求める弁護団協議会」)とはいったい何なのか?もはや軽蔑を通り越して単純に理解不能である。なお、本稿では文書として入手した両者の批判を掲載したが、同様の批判は朝鮮だけでなく他のアジア諸国からも寄せられていたと推測される。「要綱案」は、アジアの他者からの呼びかけを無化することによって(のみ)守られる、既成の「日本国家/日本人」による「崇高な熱情の産物」と(加藤典洋的な)「現実に対する深刻な苦悩の産物」であり、大日本帝国の負の遺産への居直りに他ならないと思う。

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