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Home > スポンサー広告 > 高橋哲哉「感情の錬金術」としての天皇訪韓肯定論 (後半)

高橋哲哉「感情の錬金術」としての天皇訪韓肯定論 (後半)

■目次
(1) はじめに
(2) 他者からの呼びかけの相対化
(3) 「正義」から「感情」への逃走
(4) 「感情の錬金術」としての天皇訪韓肯定論
(5) 法的責任の概念の隠蔽
(6) 道義的責任の無条件の肯定
(7) おわりに


(5) 法的責任の概念の隠蔽

 高橋が天皇訪韓を積極的に肯定するようになったもう一つの理由に、高橋が日本政府に対して法的責任の履行を迫る立場を放棄した(と思われる)ことが挙げられる。高橋は、日本とドイツの「戦争責任・戦後責任の取り方に関しては、ずっと比較が行なわれてきている」(p.26)、「今回の件に関しても、韓国のメディアではドイツと比較して日本を批判する議論が多く見られました」として、「一九七〇年に西ドイツのウィリー・ブラント首相がポーランドに行き、ワルシャワ・ゲットー蜂起の記念碑で跪いて祈った」こと、「一九八五年のヴァイツゼッカー大統領の「戦後四〇年」の議会演説」、「戦後六〇年の今年も、ドイツのシュレーダー首相」が「ブーヘンヴァルト強制収容所跡地へ行って被害者への謝罪を表明し」(p.27)たことを、引き合いに出している。

 注目すべきことは、高橋が、ここでも『戦後責任論』の論理――戦争犯罪の処罰問題こそが「日本とドイツの戦後責任のとり方」における「決定的な違い」であるとする見方(▼5)――を、もはや捨てているらしいことである。事実、「応答の責任」においては、責任者処罰に限らず日本政府の法的責任は、あたかもそうした概念が始めから存在しないかのように、見事に隠蔽されているのである。では、高橋は、法的責任の履行の代わりに、何を「日本とドイツの戦後責任のとり方」における「決定的な違い」として打ち出し(直し)ているのだろうか?それが前章でも登場した「象徴的行為」という代物なのである。


 「民主化」によって「普通の市民」あるいは民衆に、戦争の記憶や責任の問題が共有され、それらが大きな動きになって出てくるとき、それに応える側からは、大きな象徴性を持つ行為でないと届かない。今だからこそ象徴的行為が重要になってきているのではないか。「象徴的行為」とは「単なるパフォーマンス」という意味ではありません。日本の政治指導者は過去に「お詫び」をしていても、まさに「単なるパフォーマンス」にすぎなかったからこそ説得力がない。「象徴的行為」はブラントやヴァイツゼッカーのものがそうであったように、説得力を持つものでなければならないのです。

 ドイツでも「過去の克服」の努力が始まるには戦後三〇年近くが必要だったし、今日までまったくブレがなかったわけではない。けれども、政府のスタンスとしては基本的には一貫している。日本は戦後五〇年でもだめだった。戦後四〇年にあったのは中曽根首相の靖国参拝です。戦後六〇年は今また靖国であり、歴史教科書である。とすると、ドイツと日本の比較論は一定の説得力を持たざるをえないでしょう。(p.28)


 ドイツの「象徴的行為」が「単なるパフォーマンス」でない(と受け取られる)のは、責任者処罰や真相究明、賠償といった法的責任を(たとえ十分ではないにせよ)ドイツ政府が主体的に履行してきたからに決まっているのだが、なぜか高橋はそうした当たり前の事実には一言も触れていない。その上で、高橋は、ドイツとは違って日本が「象徴的行為」をしてこなかったことをアジアの民衆がもっとも問題視している(と高橋が考えている)という理由で、「ドイツと日本の比較論は一定の説得力を持たざるをえない」(▼6)などと述べているのである。天皇訪韓を肯定するロジックと同様、アジアの民衆こそが日本の(法的責任の履行ではなく)「象徴的行為」を望んでいる、という論法が、またしても展開されているわけだ。


韓国で繰り返し言われているのは、一九七〇年に西ドイツのウィリー・ブラント首相がポーランドに行き、ワルシャワ・ゲットー蜂起の記念碑で跪いて祈った。これがドイツの反省のしるし、その象徴的な政治的行為として多くの人に受け止められた。韓国では今もそのことが繰り返し言われるわけです。あのような行為を日本の政治家がしたことをまったく思い出すことができない、と。さらに一九八五年のヴァイツゼッカー大統領の「戦後四〇年」の議会演説。「過去を直視しない者は現在にも盲目になる」、あの言葉が繰り返し謳われる。大統領は国家元首であり、天皇は日本の元首ではないわけですが、やはり韓国では比べて考えられることが多い。(p.27)


 『戦後責任論』の論理では、「旧帝国の負の遺産」の象徴である天皇制は、「植民地支配や民族差別、女性差別、暴力的な「国民化」や「皇民化」を可能にし、またそれらによって可能となった「日本人」や「日本国民」を解体し、日本社会をよりラディカルな意味で「民主的」な社会に、すなわち、異質な他者同士が相互の他者性を尊重しあうための装置といえるような社会に変えていく」「日本人としての責任」(『戦後責任論』、p.51)において、まさに批判・解体するべき対象に他ならないが、「応答の失敗」の論理では、日本政府の法的責任への言及自体がタブー化されているのだから、あとは「象徴的行為」を追求するくらいしかやることが本当にないのだとも言える。

 こうした「象徴的行為」の極めつけが天皇訪韓や「併合無効宣言」になることは明らかなため、現在の高橋がそれを実現させてくれるかもしれない民主党政権に期待を寄せているのも、ある意味当然のことだろう。なお、日本政府の法的責任への言及をタブー化する傾向は、「応答の失敗」以降、高橋の中で顕著になっていくように思われる。本書に収録されている「歴史問題と日本の政治」(初出は『ハンギョレ』2006年4月26日)(▼7)もその一例である。


(6) 道義的責任の無条件の肯定

 法的責任の概念の隠蔽に対応して、「応答の失敗」においては、細川発言――「あの戦争は侵略戦争だった、間違った戦争だったと認識しています」(p.21)――や「村山談話」――「日本はかつて「過去の一時期」、「植民地支配と侵略」によってアジアをはじめとする近隣諸国の人々に「多大の苦痛と損害」を与えた、この「疑うべくもない事実」を直視して「反省」を表明するもの」(p.22)――といった、日本政府の道義的責任の表明を無条件に肯定しているようである(▼8)。このあたりは、「「慰安婦」立法と「国民基金」の連続性を問う」ですでに述べたので繰り返さないが、高橋の「国民基金」への「批判」が当時すでに形骸化していたことは指摘しておく。


政府は「アジア女性基金」を作って対応してきたと言うのですが、これは和田春樹氏も認めているように、日本政府が正式に国家としての謝罪と補償ができないということを認めた上での話で、つまり一種の敗北宣言なのですね。中には受け取った人もいるけれども、多くの被害者に拒否されてすでに収束しています。(p.24)


 「国家としての謝罪と補償」という表現に「法的責任を認めた上での」という前提が含まれていないところがポイントだろう。つまり、「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」(「促進法」)のように、「見舞金」が国庫から支出され、なおかつ被害当事者が「歓迎」していれば、高橋にとって第二の「国民基金」への賛同をためらう理由はない、と思われる。


(7) おわりに

 以上の分析によって、高橋の『戦後責任論』から「2010年の戦後責任論」への変質が2005年の「応答の失敗」の時点で顕著に見られたこと、さらに高橋が当時すでに天皇訪韓を肯定する論理を打ち出していたことが、明らかになったと思う。この時期の高橋の言説は、『戦後責任論』の延長にあると考えられるものがほとんどで、「応答の失敗」がむしろ例外的な存在であったと思うのだが、遅くとも2007年以降にはその位置づけが逆転し、「応答の失敗」→「2010年の戦後責任論」の論理に収束していったようである。

 今後、天皇訪韓の是非が議論されるにあたっては、高橋が天皇訪韓支持の論陣を張る可能性もありえるが、その場合、左派の大多数は本音では天皇制にも天皇の政治利用にも反対していない(と思われる)ため、高橋のレトリックはますます保守・右派に妥協的なものになっていくだろう。やはり高橋は加藤典洋に敗北宣言を出した方がよい。


▼5 「さきほど触れましたように、東京裁判は冷戦状況が始まる中で行なわれた日米合作の政治裁判であった、またジェンダー・バイアス、つまり女性に対する差別、偏見があったことなどから、当然裁かれるべきものが裁かれなかったと指摘されています。七三一部隊の人体実験、日本軍の細菌兵器や化学兵器の使用、「慰安婦」制度や大量レイプなど、多くの戦争犯罪が裁かれなかったわけです。その他にいわゆるBC級戦犯裁判、この中では朝鮮人の軍人・軍属の人たちも日本軍の肩代わりをさせられて裁かれるというきわめて不条理なことがあったわけですけれども、これらの裁判が終わりますと、日本人自身が、裁かれなかった自国の犯罪を裁くということはまったくしないまま現在まで来ているのです。日本とドイツの戦後責任のとり方はよく比較されますけれども、私はこの点にこそ決定的な違いがあると考えています。

 ドイツではニュルンベルク裁判、そして占領各国による継続裁判が終わってからも、ナチ犯罪を自ら追及し続け、九〇年代に至るまでに一〇万件を超える容疑を捜査し、六〇〇〇件を超える有罪判決を下してきている事実があります。たしかにドイツと日本では、法的責任といっても同じではないでしょう。しかしドイツでは一〇万件を超える捜査が行なわれ、六〇〇〇件を超える有罪判決が出ている。日本はどちらもゼロ、日本人自身が行なった裁きとしてはゼロなのです。」(高橋哲哉、『戦後責任論』、講談社、1999年、pp.40-41)

▼6 「ドイツと日本の比較論は一定の説得力を持たざるをえない」も何も、それは高橋自身が『戦後責任論』などで十分な「説得力」を持って論じていたはずである。前章で高橋の和田化を指摘したが、自説を他人事のように論評してみせる高橋のこの振る舞いは、朝日新聞ともそっくりである。

 金光翔:「天皇政治利用問題と天皇訪韓」
 http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-26.html

▼7 「日本の首相は、「すでに何度もお詫びしている」というけれども、韓国や中国の人びとの記憶に刻まれ語り継がれるほどの、十分に明確で誠実なメッセージが発せられた例はこれまでなかった。過去の過ちの上に「毅然として居直る」のではなく、その責任を潔く引き受けて「新たな日本に生まれ変わる」ことを積極的に主張する政治指導者が出てくるかどうか。それは日本の市民社会の成熟にかかっている。」(高橋哲哉、『状況への発言――靖国そして教育』、青土社、2007年、p.204)

 高橋は冒頭でも「竹島=独島をめぐる当面の危機は回避された。〔中略〕日本側に欠けているのは、竹島がかつて日本の朝鮮半島侵略の第一歩となったという韓国側の歴史意識への理解」(p.201)であると述べている。高橋がここで言う、「新たな日本に生まれ変わる」ための条件には、戦争責任・植民地支配責任の清算は必ずしも含まれないようである。

▼8 もっとも、高橋は、「村山談話」が「「首相談話」という地味な形を取ったこともあって、中国や韓国で一般的に知られているわけでは」(p.22)ないことを残念がっているようだが。

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