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ZED URL 2010-01-21 (木) 01:09

何と言うかもうすごすぎ。19世紀以前のイギリスかフランスの植民地主義者が目の前に甦ったみたいですね。連中の言わんとする所を要約すると「野蛮人は永遠に俺達文明人(欧米&名誉白人としての大日本帝国)の植民地奴隷でいろ。独立など絶対に許さん」という事でしょ。「アルバニア人はなぜこれほど独立にこだわる」のかだって? 高橋哲哉らは「民族自決」という言葉も知らないのか。

「植民地から無駄に独立した「擬似国家」、「欠陥国家」、「破綻国家」は自国の治安と社会保障も守れない」
だから今だにアメリカの半植民地のままで「無駄に独立」しない現在の日本が正しいという事ですね(笑)。素晴らしい御意見です。もっとも今の日本は年金が破綻するなど「無駄に独立」してないくせに自国の社会保障もろくに守れていない訳ですが。

「多民族社会を構築」
って、あんたらが言ってもそれはただの「帝国主義国家」にしか聞こえないんですが。

『日本は「戦後処理の一環」として「純粋に経済発展の観点から」アジアに経済援助をしてきたため、「日本は政治的なものや紛争にはできるだけ距離をおいているとのイメージ」が作られた』
おいおい、朝鮮戦争やベトナム戦争はどうしたんだよ。それに「経済援助」と言えば聞こえはいいが、それがアジア各国への事実上の経済侵略で様々な公害や環境破壊をもたらしてきた問題は?

何かもう概要を見ただけであまりにもすごすぎますね。高橋哲哉は今すぐ在特会にでも入会してあのキモいデモ隊と一緒に行進した方が分かり易くてすっきりすると思います。


m_debugger URL 2010-01-22 (金) 12:28

>ZEDさん

コメントありがとうございます。
「在特会」は新大久保に続いて今度は新宿を徘徊するそうですね。

左派の大勢は、民主党政権擁護と「在特会」批判と植民地主義を並存させているので、本書のような主張も(表面的な自民党色と対米追従色を落とせば)それほど違和感なく受け入れられるのではないでしょうか。
ここ数日、北朝鮮の政治犯収容所の問題を軍事介入の正当化の文脈から語っているのは、ネット右翼だけではないですし。

「人道的介入」の論理は、第三世界の「民族自決」が「行き過ぎ」てしまったという、先進諸国の「反省」に基づいているらしいので、本書(の論文の多く)でも「民族自決」は批判の対象になっています。
全体としては、ご指摘の通り、「人間の安全保障」という概念が帝国主義・植民地主義を補完しています。

個々の論文の文責がそれぞれの著者にあることは当然ですが、それにしても、高橋もこんな本の編集をするなよ、という感じですよね。
一応最初のところに、高橋と山影が講義の担当者なので本書を編集することになった、という言い訳がましい(?)編者の断り書きがあり、大学ではソリが合わない教員同士がタグを組まなければならないことも、まあよくあることだろう、とは思いますが、それならなお自身の論文では山影らの言説を正面から批判するべきなのに、それもないのでは・・・。

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「人間の安全保障」/「人道的介入」/「東アジア共同体」

 せっかくなので、この機会に高橋哲哉の最新の著作についても紹介しておこう。高橋哲哉、山影進編『人間の安全保障』(東京大学出版会、2008年)である(2009年には鵜飼哲との共訳でジャック・デリダ著『ならず者たち』が刊行されたが、高橋の著作としては『人間の安全保障』が『状況への発言』に続く最新作である)。

 本書は、編者の高橋と山影進を含む、東京大学大学院の「人間の安全保障」プログラムに関わっている18人の教員が執筆している。山影進はネットで検索すればすぐにわかるように「東アジア共同体」論者であり、本書の執筆陣のうち17人は東大大学院に所属しているが、大江博は外務省国際協力参事官である。もちろん、本書の執筆者の政治的立場を一括りにすることはできないが、本書の基本的な方向性をまとめれば、それは、「人間の安全保障」という大義名分によって、NATOのユーゴ空爆のような「人道的介入」を正当化し、自衛隊の海外派兵および改憲を全面的に肯定して、「東アジア共同体」構想につなげるための理論的枠組を(受講生および社会に)提供する、というものになっている。

 というわけで、以下に18本の論文の内容を簡単にまとめてみた。本書の特徴がもっともあからさまに示されているのは、序(山影)、Ⅴ「平和の実現」、結(高橋)の諸論文だろう。何はともあれ読んでいただきたい。


序|地球社会の課題と人間の安全保障 山影進

 「自助の能力を備え,文明的な国家のみが主権を主張できた」時代は終わった。植民地から無駄に独立した「擬似国家」、「欠陥国家」、「破綻国家」は自国の治安と社会保障も守れない。それらに(武力)介入して「人間開発,平和構築そして保護責任」を果たすのが人間の安全保障であり、国際社会の責務。



Ⅰ 歴史の教訓


〈誰〉をめぐる問いかけ――マダガスカルの歴史から 森山工

 「〈人間の〉安全保障」とは「〈誰の〉安全保障」なのか?旧植民地諸国では「「部族」対立という言説」と単一の「「国民」という言説体制」は「相互に共約不能な物語の拮抗」だ。かれらをいかに分類し同定するかに正解がないとしても、その理由を「政治的・社会的・歴史的」に検証していくべきである。




なぜ独立国家を求めるのか――ギリシアからコソヴォまで 柴宜弘

 「アルバニア人はなぜこれほど独立にこだわる」のか?「NATO軍のユーゴスラヴィア」「空爆によって」コソヴォが「和平を迎えた」以上、コソヴォは「バルカン・ナショナリズム」に特徴的な「過去の栄光の歴史」を強調する「感情論」と決別し、人間の安全保障の観点から多民族社会を構築するべき。




ジェノサイドという悪夢 石田勇治

 ジェノサイドを防ぐためには国際人道法や国際刑事司法制度の整備だけでなく、旧日本軍によるシンガポール・マレー半島での華人虐殺や台湾先住民虐殺など、「実際に起きたさまざまなジェノサイドとそれに類する行為を実証的に明らかにし,そこに見られる共通のメカニズムを析出することが必要」である。



Ⅱ 文化の潜勢力


差別・暴力の表象と他者――エドワード・サイードのメッセージ 林文代

 「人間の安全保障に対して人文学は何ができるか.グローバル現象という圧倒的力に,人はどのように対抗しうるのか.「2001年9月11日」以降を生きる」ために、「人間の安全保障」からサイードを再読する。『人文学と批評の使命』『オリエンタリズム』『文化と帝国主義』『知識人とは何か』など。




読み書きと生存の行方 中村雄祐

 大雑把に言えば「貨幣経済的に豊かな国ほど紙をたくさん使って読み書きしながら暮らしており,その方が長生きできる」。もっともホロコーストでナチ・ドイツが大量の文書を作成したのも事実。「中途半端に紙の消費量を数え」るのではなく、読み書きと人間の安全保障を繋ぐ「繊細なアプローチ」が必要。




点字の歴史と構造――声調言語と××を巡るリテラシー 吉川雅之

 点字は国家語や公用語である「墨字の綴字や文字要素を強く意識した設計がなされることがあ」り、視覚障害者を「当該公共圏の標準的なリテラシーに従属もしくは同化させる役割をも演じてしまう」。「「人間の安全保障」にとって,安易なリテラシーを標榜することは」「国家主義的な画一化」につながる。


注:××はあからさまな差別用語なので伏字にした。それにしても、これをスルーできる編者の高橋には驚かされる。こんなに差別に鈍感な人たちが「国家主義的な画一化」に対抗できるとは誰も期待していないと思うのだが・・・。

Ⅲ 経済発展の未来


貧困削減をめざす農業の試練 木村秀雄

 農業生産者の利益を上げるには、機械化やインフラ整備、品種改良等が必要だが、「緑の革命」などの農業の近代化は必ずしも貧困削減にはつながらない。開発援助においては、貧困層向けのマイクロファイナンス事業やフェアトレード、持続可能な有機農業など、貧困層のエンパワーメントが不可欠である。




環境と向き合う知恵の創造――沖縄農業の挑戦 永田淳嗣

 石垣島の農家が大規模機械化に頼るよりも生態・社会環境を最大限生かした「ゲリラ的農業」を創造したように、「人々が,自らを取り巻く」「環境と向き合いながら,より望ましい生のあり方を実現していくための知恵やヒントは,しばしば,現場での環境と人間との複雑な相互作用の中から生み出され」る。




サステナビリティと地域の力 丸山真人

 「市場と国家を両輪とする経済統合が地域共同体の潜在能力を抑圧した結果として生じた」「現代社会の問題群」に取り組み、「エコノミーのエコロジー的基礎を作り直す」ためには、地域通貨を導入して「互酬パターンによる経済統合」を進めるなどして、コモンズを再生しなければならない。



Ⅳ 社会の再生


越境する人々――公共人類学の構築に向けて 山下晋司

 人類学的視点から難民を論じる際には、「日本社会に愛想をつかして,事実上逃げ出してきた」「日本からの難民」をも含めた「広くディアスポラ的な生き方」の分析が必要。日本では少子高齢化により外国人労働力が一層必要となるが、「重要なことは,彼らが」「「人間」でもあるということである」。




深化するコミュニティ――マニラから考える 中西徹

 「貧困層にとっての「人間の安全保障」を実現するためには」、単に「開発援助などによって外部から経済的な安全網の整備を目的とした新しい制度を導入する」のではなく、「貧困層に固有な「人間の安全保障」」であるコミュニティ資源を評価・活用して、その両立を図る政策を講じるべきである。




「つながり」から「まとまり」へ――中国農村部の取り組み 田原史起

 中国内陸農村の問題は、構造的な貧困に加えて「貧困を緩和する社会的条件の欠如,つまりコミュニティの組織化の程度の低さ」にある。原子化に向かいつつある農村社会の「つながり」を見出し、「共有財産という物質的基盤の上」に成り立つ、コミュニティ大の「まとまり」に拡張・再編することが課題。



Ⅴ 平和の実現


崩壊国家のジレンマ 遠藤貢

 「崩壊国家」ソマリアと、その領土内で独立を宣言し「実質的には」「国家の基本要件を満たしているものの」「国家承認を得られない」ソマリランドの事例を通じて、「「崩壊国家」がその状態のまま継続して存在し続けられていること」が人間の安全保障にとって「大きな課題」となっていることがわかる。




平和構築論の射程――難民から学ぶ平和構築をめざして 佐藤安信

 「ルワンダにおける難民の保護という「人間」の安全保障が,難民キャンプに隠れている武装勢力を支援」し、「紛争を長期化することも少なくない」ことは「人道支援のジレンマ」だ。「本来,被害者である人間は潜在的に加害者でもありうるという両義性を持つことに由来する宿命とも言えよう」。




新しい日本外交――「人間の安全保障」の視点から 大江博

 日本は「戦後処理の一環」として「純粋に経済発展の観点から」アジアに経済援助をしてきたため、「日本は政治的なものや紛争にはできるだけ距離をおいているとのイメージ」が作られた。しかし、イラクに自衛隊を派遣したように、近年は日本も「「平和の定着」に対して,積極的に取り組んでいる」。




平和構築の現場――日本は東ティモールで何をしたのか 旭英昭

 「日本の平和構築支援の中核の1つは,自衛隊が保持する多面にわたる機能を現行法の下でより弾力的に駆使することであり,また,そのことを通してリスクをとらないとの日本に関する国際的な受け止め方を打破すること」である。「いわゆる「恒久法」の是非を含めた柔軟な政策論」が求められる。




結|人間存在の地平から――人間の安全保障のジレンマと責任への問い 高橋哲哉

 「すべての人は,それぞれの他者との関係の中で,錯綜した責任を負っている」。「どの声に応答し,どの声に応答しないのか,応答しなくてもできないのか」は、「その人の「責任」の問題」だ。「どの問題に,どのように取り組んだか.そこにその人の人となりが,その人の人生までもが現われる」のでは?



 以上である。ちなみに、高橋は、沖縄への米軍基地の押し付けを例に取って「「国家の安全保障」――日米安全保障条約による軍事的安全保障――と,沖縄の人々の「人間の安全保障」とがぶつかり合う問題」(p.259)を論じているが、その落としどころが上のようなヌルい結論になっているのだから、本書において高橋がアリバイ的な役割を果たしていると考えることすら、好意的にすぎるかもしれない。高橋の論文に直接明示されているわけではないが、本書全体を読めば、「「国家の安全保障」――日米安全保障条約による軍事的安全保障」の「オルタナティブ」として提唱されている「人間の安全保障」とは、おそらくNATO的な「東アジア共同体」構想でしかないと思う。本書にやたらと登場する「崩壊国家」として北朝鮮が名指された(ている)ときに、本書が何を正当化することになる(正当化している)かは自ずと明らかだろう。

Comments:2

ZED URL 2010-01-21 (木) 01:09

何と言うかもうすごすぎ。19世紀以前のイギリスかフランスの植民地主義者が目の前に甦ったみたいですね。連中の言わんとする所を要約すると「野蛮人は永遠に俺達文明人(欧米&名誉白人としての大日本帝国)の植民地奴隷でいろ。独立など絶対に許さん」という事でしょ。「アルバニア人はなぜこれほど独立にこだわる」のかだって? 高橋哲哉らは「民族自決」という言葉も知らないのか。

「植民地から無駄に独立した「擬似国家」、「欠陥国家」、「破綻国家」は自国の治安と社会保障も守れない」
だから今だにアメリカの半植民地のままで「無駄に独立」しない現在の日本が正しいという事ですね(笑)。素晴らしい御意見です。もっとも今の日本は年金が破綻するなど「無駄に独立」してないくせに自国の社会保障もろくに守れていない訳ですが。

「多民族社会を構築」
って、あんたらが言ってもそれはただの「帝国主義国家」にしか聞こえないんですが。

『日本は「戦後処理の一環」として「純粋に経済発展の観点から」アジアに経済援助をしてきたため、「日本は政治的なものや紛争にはできるだけ距離をおいているとのイメージ」が作られた』
おいおい、朝鮮戦争やベトナム戦争はどうしたんだよ。それに「経済援助」と言えば聞こえはいいが、それがアジア各国への事実上の経済侵略で様々な公害や環境破壊をもたらしてきた問題は?

何かもう概要を見ただけであまりにもすごすぎますね。高橋哲哉は今すぐ在特会にでも入会してあのキモいデモ隊と一緒に行進した方が分かり易くてすっきりすると思います。


m_debugger URL 2010-01-22 (金) 12:28

>ZEDさん

コメントありがとうございます。
「在特会」は新大久保に続いて今度は新宿を徘徊するそうですね。

左派の大勢は、民主党政権擁護と「在特会」批判と植民地主義を並存させているので、本書のような主張も(表面的な自民党色と対米追従色を落とせば)それほど違和感なく受け入れられるのではないでしょうか。
ここ数日、北朝鮮の政治犯収容所の問題を軍事介入の正当化の文脈から語っているのは、ネット右翼だけではないですし。

「人道的介入」の論理は、第三世界の「民族自決」が「行き過ぎ」てしまったという、先進諸国の「反省」に基づいているらしいので、本書(の論文の多く)でも「民族自決」は批判の対象になっています。
全体としては、ご指摘の通り、「人間の安全保障」という概念が帝国主義・植民地主義を補完しています。

個々の論文の文責がそれぞれの著者にあることは当然ですが、それにしても、高橋もこんな本の編集をするなよ、という感じですよね。
一応最初のところに、高橋と山影が講義の担当者なので本書を編集することになった、という言い訳がましい(?)編者の断り書きがあり、大学ではソリが合わない教員同士がタグを組まなければならないことも、まあよくあることだろう、とは思いますが、それならなお自身の論文では山影らの言説を正面から批判するべきなのに、それもないのでは・・・。

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