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nessko URL 2010-03-01 (月) 08:12

私は日の丸・君が代が好きな者なので、こちらのブログから見ると蛇蝎の類になるかもしれませんが、私も伊勢崎構想が左派やリベラルに持ち上げられていることには違和を感じています。
伊勢崎氏の言っていることは、小沢一郎が主張している自衛隊海外派兵場合によってOK論と、親和性が高すぎるのです。
海外派兵賛同者にも、危険地帯に自衛隊を非武装で送り込むことには反発する人も多いと思われますが、伊勢崎はまず非武装で行けと言っているし。仮に非武装でこなせる任務であれば、別に自衛隊でなくてもいいんじゃないかという疑問が湧きますが、とにかく自衛隊にやらせろと言うし。
アフガニスタンに積極的に行きたがっているミリタリーな人を見ると、日中戦争で懲りてないのか日本は、などと思ってしまいますね。ペシャワール会の活動にも邪魔になるのではないでしょうか。

m_debugger URL 2010-03-01 (月) 12:22

>nesskoさん

コメントありがとうございます。
kojitakenさんのブログへのコメントも拝見していました。「アフガンの民というなら、タリバンだってアフガンの民じゃないですか」という当たり前のご指摘には当然同意します。

>伊勢崎氏の言っていることは、小沢一郎が主張している自衛隊海外派兵場合によってOK論と、親和性が高すぎるのです。

そうですね。私は伊勢崎は完全に確信犯だと思っていますが。

>仮に非武装でこなせる任務であれば、別に自衛隊でなくてもいいんじゃないかという疑問が湧きます

これは私も真っ先に湧いた疑問ですが、伊勢崎を持ち上げているリベラル・左派は気にしていないようですね。意味不明です。

>ペシャワール会の活動にも邪魔になるのではないでしょうか。

仮にペシャワール会から明確な伊勢崎批判が出た場合、伊勢崎を持ち上げているリベラル・左派はどのように反応するのでしょうか?「難しい問題だ」とか何とかで、またお茶を濁すのでしょうか?

jimpower URL 2010-03-01 (月) 14:54

どうもこんにちは。

いろいろなブログのコメント欄に現れてはプリミティブな反動コメントを書いて回っている"gingin1234"という(「はてな」界隈では"ピンポンダッシャー"としてちょっと有名らしい)人物がいるのですが、その「kojitakenさんのブログ」のコメント欄で

--------------------
この人の訳の分からない愛国心のために、罪もない自衛官が、銃も持たずに死地に送り込まれる訳か。
伊勢崎賢治という人物は、第二次大戦の大本営以下のクズ野郎ということは良く分かりました。
--------------------

と、珍しく正論を言っているのでビックリしました(笑)。
まあ実際、「人心掌握」とやらのための"鉄砲玉"にされるとあっては当の自衛官にとってもたまったものではないでしょう。


> 巨大な「在特会」のような存在

「左派」の中でも一部の人は、「在特会」を特別なものと見なしてはならないと以前から警告を発していましたが、日本が"和製アパルトヘイト"を志向するにまで至った今となって、日本全体の「在特会」化は確かに冷厳な事実として立ち現れてきたように思えます。
朝鮮学校の件にしてもその教育内容はむしろ「違ってなんぼ」のはずなのですが、差別のために"知恵"を絞れと身もフタもなく煽る産経新聞よりも、そういう差異そのものを巧みに隠蔽・抹殺しようとする(「日本の学校と変わらない」から差別は良くないというのは、裏を返せば「違っていれば」差別しても良いってことになりますよね)「朝日新聞メソッド」の方が、この点に関してはより悪質だと言えそうです。

m_debugger URL 2010-03-01 (月) 15:45

>jimpowerさん

どうもこんにちは。
gingin1234さんは、私の旧ブログ(「はてな」)にも、よくいらっしゃった方だと思いますが、左派がここまで壊れてきている状況では、相対的にまともな発言をしている場面もあるようですね。

>まあ実際、「人心掌握」とやらのための"鉄砲玉"にされるとあっては当の自衛官にとってもたまったものではないでしょう。

これ、完全に「鉄砲玉」ですよね。保守・右派には伊勢崎への批判を控える事情は特にないでしょうから、伊勢崎批判は9割方「右」からのものになるでしょう。さらに、伊勢崎が「右」から批判を受けた場合には、「左」はこぞって伊勢崎擁護の論陣を張ることになると思います。これは「右」から批判を受けた小沢一郎を「左」が一斉に擁護している構図と似ていますが、最近はどうもこんなのばっかりですね。

>差別のために"知恵"を絞れと身もフタもなく煽る産経新聞よりも、そういう差異そのものを巧みに隠蔽・抹殺しようとする(「日本の学校と変わらない」から差別は良くないというのは、裏を返せば「違っていれば」差別しても良いってことになりますよね)「朝日新聞メソッド」の方が、この点に関してはより悪質だと言えそうです。

kscykscyさんが指摘されているように、産経と朝日の意見の相違は擬似対立でしかないわけで、それを右派と左派が反復することで「和製アパルトヘイト」が亢進する、という構図になっていますよね。擬似対立は「和製アパルトヘイト」を維持する上では相互にメリットがありますから、「在特会」を個別に批判するだけでは、この擬似対立も、「和製アパルトヘイト」も、解体することはできないと思います。

風鈴草 耐えられないこの軽さ URL 2010-03-01 (月) 16:52

私は本当のことを言えば、あまり難しい議論はわからない、心情的な左派に過ぎないのですが、あれから伊勢崎氏の本(手元にあるのは『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』だけですが)を読み返したり、m_debuggerさんの批評の中の引用や、ネット上の伊勢崎氏の言説を読んだりしているうちに、なんだか「耐えられないこの軽さ」という言葉が頭に浮かんできてしまいました。

そもそも、私などが伊勢崎氏に不信感を抱いたのは、最初にこちらの 「伊勢崎構想とは何か――「平和国家」日本にしかできない「対テロ戦争」 のコメント欄で御紹介した、中司達也氏の東ティモールに関する記事を読んでいたお陰なのですが、そういえば、伊勢崎氏には『東チモール県知事日記』という著作もあったのを思い出し、その内容はどうだったのかと気になって、Amazonで見てみました。すると5つ星の評価を付けたカスタマー氏の感想の中に、本文の一節が幾つか引用されていたのですが、以下はその一部です。

>たかが1年余りの滞在経験で、東チモールの専門家を気取るつもりはない。『紛争屋』にとって当地の歴史文化のお勉強は、通り一遍のものでいいと思っているし、そうあるべきだとも思っている。・・・愛着は、短命であるべき紛争屋の寿命を長引かせるし、・・良心とか正義とかを装ってしつこくまとわり続ける外国人の存在ほど、当地の人々にとってうっとうしいことはないのだ。

たしかにその後の伊勢崎氏の著述や言説とも符合しているような気がします。(これでもう、当の本は読まないで済むと思いました。カスタマー氏に感謝です)

東ティモールにおいては「歴史文化」などという以前に、2000年3月の伊勢崎氏の赴任のわずか半年ほど前まで、各地で併合派民兵による虐殺や暴行が行われており、その背後にはインドネシアの国軍がいると言うのは、周知の事実だったようです。

ティモールロロサエ  「インドネシア軍特殊部隊(コパスス)と民兵の共謀」
http://www.asahi-net.or.jp/~gc9n-tkhs/kops.html

インドネシア軍の東ティモール人への迫害、虐殺は1975年の侵略、併合以前から続いていたもののようで、ティモール・ロロサエの「分析・保管庫」には関連する幾つもの記事があります。
http://www.asahi-net.or.jp/~gc9n-tkhs/bun.html

下記は益岡賢氏訳のジョン・ピルジャー氏の記事ですが、東ティモールの虐殺へのインドネシア軍の関与(そしてその背後には複数の大国の影があること)が国連の報告書であきらかになっていることも書いてあります。
「西パプアの人々に対する秘密戦争」
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/pilger060311.html

こういう歴史を「当地の歴史文化のお勉強は、通り一遍のものでいい」といって、済まされるものなのかどうか・・・・

伊勢崎氏はあくまで「インドネシアは東チモールにとって感情的な仮想敵国である」として、インドネシアからの侵略などは心配しないで良く、だから、「国境警備は非武装化できるので軍隊は必要ない」と言っても、東ティモール人たちは聞き入れてくれなかったという。

>でも東チモールの人たちは、それを納得しなかった。それはわからないでもない。日本人が北朝鮮に向かう気持ちと同じだから。外敵の脅威とはそれくらい主観的で、それをあおる恣意的なものである。(p.36「コスタリカ方式でという僕の提案は抹殺された」)
(ここで北朝鮮を持ち出すのは、二重の意味で不適当だと思うのですが、それは私などが言うまでもないでしょう)

こういう人が中心になって、アフガニスタンで「タリバンとの和解」を仲介しても実際に上手く行くとは思えません。SSゾーンの経済特区計画にしても「はたして、このSSゾーンで何が獲れるのか。そんなことは、後で考えればいい」という超杜撰なことを平気で言う。(これを読んで、伊勢崎氏にはペシャワール会と中村哲氏が何のために苦労してきたのかも、まるで理解していなかったらしいとわかりました)

要は「『平和国家日本』って結構、使えますよ」とアメリカにアピールしたいということのようだけれども、果たして、そのアメリカにも「こいつは、使えそうだ」と取り合ってもらえるのかどうか?

こうなると伊勢崎氏本人より、伊勢崎氏を持ち上げている人たちの方が心配です。

m_debugger Re: 耐えられないこの軽さ URL 2010-03-01 (月) 19:24

>風鈴草さん

>私は本当のことを言えば、あまり難しい議論はわからない、心情的な左派に過ぎないのですが

え?そうなのですか?いただくコメントはどれも的を射ていると思いますが。

-----------------------------------------------------------

>たかが1年余りの滞在経験で、東チモールの専門家を気取るつもりはない。『紛争屋』にとって当地の歴史文化のお勉強は、通り一遍のものでいいと思っているし、そうあるべきだとも思っている。・・・愛着は、短命であるべき紛争屋の寿命を長引かせるし、・・良心とか正義とかを装ってしつこくまとわり続ける外国人の存在ほど、当地の人々にとってうっとうしいことはないのだ。

-----------------------------------------------------------

『東チモール県知事日記』は私も読んでいませんが、確かにこれで読まずに済みそうですね。おそらく同様の文脈で、伊勢崎はこんなことを言っていたりもします。

「あまりグジュグジュするのは好きじゃないんです。べったりする人間関係はあまり好きじゃないんです。親友もそんなにいないし。あまり親友を作りたいと思わないんです。」
http://yamabuki.ewoman.co.jp/winwin/129/1/14

親友=「べったりする人間関係」という空虚な等式にも驚きますが(余計なお世話でしょうが、親友どころか友人も本当にいるのか?という感じですね)、要は伊勢崎は他者と対等に付き合うことができない人物なのでしょう。まあ帝国主義者なのだから当然ですが。

>こういう歴史を「当地の歴史文化のお勉強は、通り一遍のものでいい」といって、済まされるものなのかどうか・・・・

「通り一遍」=最低限としても、ご紹介いただいたサイト(拝見/再読しました。ありがとうございます)のような知識は、「勉強」には不可欠だと思いますが。

>SSゾーンの経済特区計画にしても「はたして、このSSゾーンで何が獲れるのか。そんなことは、後で考えればいい」という超杜撰なことを平気で言う。(これを読んで、伊勢崎氏にはペシャワール会と中村哲氏が何のために苦労してきたのかも、まるで理解していなかったらしいとわかりました)

この発言も相当ひどいですよね。まさに耐えられない軽さそのままです。

>要は「『平和国家日本』って結構、使えますよ」とアメリカにアピールしたいということのようだけれども、果たして、そのアメリカにも「こいつは、使えそうだ」と取り合ってもらえるのかどうか?

私は「伊勢崎構想」が伊勢崎の目論見通りに実現する可能性はほとんどないと見ていますが、「構想」の一部が(もちろん日本ではなく)米国の主導で実行される可能性は低くないと思います。米国にとっては、いつでも使い捨てにできるという一点において、伊勢崎の利用価値があるのではないでしょうか。

>こうなると伊勢崎氏本人より、伊勢崎氏を持ち上げている人たちの方が心配です。

本当にそうですね。左派が伊勢崎を明確に批判しないまでも、せめて持ち上げない程度の距離感をもって接していれば、伊勢崎も今のようなやり方で「構想」を宣伝することはできなかったと思います。伊勢崎を持ち上げることは、侵略を積極的に支持することであり、明らかに一線を越える行為です。まして本書を読んだ上で、伊勢崎を持ち上げているというのは、いろいろな意味で心配です・・・。

風鈴草 護憲派の救いの神? URL 2010-03-01 (月) 20:56

m_debuggerさん

>私は「伊勢崎構想」が伊勢崎の目論見通りに実現する可能性はほとんどないと見ていますが、「構想」の一部が(もちろん日本ではなく)米国の主導で実行される可能性は低くないと思います。米国にとっては、いつでも使い捨てにできるという一点において、伊勢崎の利用価値があるのではないでしょうか。

そうですね。たしかにそれはありそうな気がしてきました。

SSゾーンにしても、妙にアメリカ好みの計画ではありますよね。外国に輸出できるような商品作物の「何かが獲れる」ようなプランテーションなどを作るには相当、時間も設備投資もかかるでしょうが、でも、アフガニスタンは、長年の紛争で荒廃してしまう前は、緑豊かな農業国だったそうなので、上手く行くかどうかはともかく、実行される可能性はあるかもしれません。他にも外国資本の工場を誘致して地元の格安の労働力を提供させるとか・・・「方法」はいろいろあるわけですから。

さっき、毎回見ているわけではないけれど、わりと頷ける御意見が多いと思っていたブロガー氏のところで、『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』を読んで伊勢崎氏を称えているエントリーを見てしまい、げんなりしてしまいました。改憲派の政治家を批判しているのですが、その対極に“護憲派”である伊勢崎氏を引き合いに出し、伊勢崎氏が何より「紛争の現場を知る人」であることを強調されていました。「机上の空論をもてあそぶ」だけの改憲派VS「厳しい現場を知っている」伊勢崎氏という構図です。

これまで「非現実的な平和主義者」のように言われて、右派から馬鹿にされたりもして来た護憲派にとっては、伊勢崎氏のような「紛争地の現場を渡り歩いてきた人」が味方であるというのは、「救いの神」が来たように感じられてしまうのかもしれません。「紛争地帯に乗り込んで、命を張って武装勢力と交渉して来た男」、思えば、例の伊勢崎信徒のブロガー氏も含めてですが、伊勢崎支持の左派の人たちの多くがこれでコロリと参っていたような気もします。あとは、一度、惹かれてしまえば「恋は盲目」ということなのかもしれません。

ついでと言ってはなんですが、この際ですので、あらためて中司達也氏のブログ、「報道写真家から」の東ティモールについての記事をカテゴリーで括って御紹介しておきます。『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』と併せて読み比べてみますと、伊勢崎氏が東ティモール問題の “何を語らなかったか”(知らなかったか?)も含めて、いろいろと興味深いものでした。

「報道写真家から」 カテゴリー ■東ティモール暴動(urlは古い順、各ページの記事は新しいもの順)
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/5e1d62d9e68c09387f13b76666f41f24/2
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/5e1d62d9e68c09387f13b76666f41f24/1
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/5e1d62d9e68c09387f13b76666f41f24

別のカテゴリーで、「●東ティモール」というのもあって、こちらは写真が多いのですが、1999年の独立を問う住民投票の直前、取材のため、現地に滞在していた中司氏が宿泊していた家が併合派民兵の襲撃を受け、九死に一生を得た事件のことなど、生々しい記事も載っています。
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/7dd95ec5e25fcaa0eb4f68800263ec35

m_debuggerさん、これからも「おかしな流行りもの」への厳しいdebugをお願い致します。

nessko URL 2010-03-02 (火) 12:15

>現場を知る人
これが売りになってる人はけっこういますね。
佐藤優、宮崎学、安倍譲二とか。女にもいるかな。
林真理子の小説『戦争特派員』なんてのも思い出しますね。
戦争特派員だったという男性と恋愛する女性の話。
「戦争特派員だった」という男の過去が、その女性にとっては
幻想を抱かせる大きな要因になってしまう。
それはともかく、
九条は、日本が戦争をしないために歯止めとして有効だから大切なのであって、
「九条」を護るために戦争行為に積極的にコミットしようなんてのは
倒錯の極みだと思います。
それなら、改憲派のほうがずっと筋が通ってる。

m_debugger Re: 護憲派の救いの神? URL 2010-03-02 (火) 21:44

>風鈴草さん

>他にも外国資本の工場を誘致して地元の格安の労働力を提供させるとか

おそらくこれが「麻薬撲滅」キャンペーンとして「先進国」の「善意」を装って計画されていると思います。アフガニスタン人に「恩恵」を施すプロジェクト、という触れ込みで、民衆を徹底的に搾取して、そこから得た巨大な利益によって、日本を含む「先進国」の「福祉国家」化が進み、リベラル・左派はますます「対テロ戦争」を支持する側に回る、という構図ができ(てい)るのではないか、と。

>これまで「非現実的な平和主義者」のように言われて、右派から馬鹿にされたりもして来た護憲派にとっては、伊勢崎氏のような「紛争地の現場を渡り歩いてきた人」が味方であるというのは、「救いの神」が来たように感じられてしまうのかもしれません。「紛争地帯に乗り込んで、命を張って武装勢力と交渉して来た男」、思えば、例の伊勢崎信徒のブロガー氏も含めてですが、伊勢崎支持の左派の人たちの多くがこれでコロリと参っていたような気もします。あとは、一度、惹かれてしまえば「恋は盲目」ということなのかもしれません。

それはあるでしょうね(笑)。左派の佐藤優に対する底なしの「依存」が典型的だと思いますが、護憲派はこういうタイプにとことん弱いみたいですから。伊勢崎も佐藤も「現場を渡り歩いてきた」ことを売りにして、無根拠かつ非論理的な主張を撒き散らしていますが、彼らが「救いの神」であるとすれば、そのご神託が無根拠かつ非論理的であればあるほど、信者としてはそれをひたすら信じることが求められるのかもしれません。

中司達也氏のブログの紹介もありがとうございました。「現場」にこそ、伊勢崎を批判する知恵が溢れているようですね。とても参考になります。

m_debugger URL 2010-03-02 (火) 21:48

>nesskoさん

>>現場を知る人
>これが売りになってる人はけっこういますね。
>佐藤優、宮崎学、安倍譲二とか。女にもいるかな。

香山リカとかじゃないですか・・・?なんか見飽きたメンツばっかりですが。

>九条は、日本が戦争をしないために歯止めとして有効だから大切なのであって、
>「九条」を護るために戦争行為に積極的にコミットしようなんてのは
>倒錯の極みだと思います。
>それなら、改憲派のほうがずっと筋が通ってる。

そうですね。結局、護憲派の大部分にとっては、9条は日本が「平和国家」であり、日本国民が「平和的」な人々であることを示す担保なのだと思います。実態はまったく逆で、9条は本来、日本が侵略国家であり、日本国民が自国の侵略をやめさせることができない人々であったことを示すものですから、9条を(アジアによる)枷として捉えることさえできない護憲派よりは、9条を(米国による)枷として捉え、その枷を外そうとする改憲派の論理の方が、遥かに合理的だと思います。

風鈴草 枷か宝か? URL 2010-03-04 (木) 12:30

>護憲派の大部分にとっては、9条は日本が「平和国家」であり、日本国民が「平和的」な人々であることを示す担保なのだと思います。実態はまったく逆で、9条は本来、日本が侵略国家であり、日本国民が自国の侵略をやめさせることができない人々であったことを示すものですから、9条を(アジアによる)枷として捉えることさえできない護憲派よりは、9条を(米国による)枷として捉え、その枷を外そうとする改憲派の論理の方が、遥かに合理的だと思います。

m_debuggerさん、あなたという方は時々、人の肺腑をえぐるような厳しいことを言われますね。(笑)(お陰でまたコメントしたくなってしまいましたが、もうこれで終わりにします)

そういえば、前のコメントで挙げた、ある護憲系ブロガー氏も「9条を持つ日本」を「石ころの中の宝石」にたとえて、「平和と繁栄をもたらす国際貢献には『9条を持つ日本』は欠くことが出来ない。これが無ければ平和的解決が成功しない国際紛争はたくさんあるだろう」とまで言われていました。この貴重な「たった一粒の宝石」を投げ捨てて、わざわざその他大勢の石ころと同じになろうとするのか、それは国際社会にとっても大きな損失であろうと。

私自身、9条をそのような「貴重な宝」の如きものと見なす気持ちが無いわけではありませんでした。誕生時の事情はどうであれ、今となっては日本が世界に誇るべき条文ではないだろうかと。しかし、冷めた目で見直してみれば、9条は確かに敗戦国日本に科せられた枷でした。そして、その枷を日本にはめたのは米国だけれども、それを今も枷として残しておきたいのは、かつて日本の侵略を受けたアジアの人々でしょう。日本人としては悲しいことですが。

はっきりと「枷」として認識している改憲派から見れば、「宝石」として抱きしめている護憲派が「お花畑」に見えるのも無理はないかもしれません。

私は国家が軍隊を持つことは必ずしも悪いことではないと思っています。たとえば東ティモールの人たちが「自国を守る軍隊を持ちたい」と思った気持ちは無理もないし、それを止める権利は誰にもない。

でも、今のままの日本が「軍隊」を持ってしまうのは(事実上、すでに持っているわけですが)とても危険なことだと思っています。「侵略戦争もできる(他国の侵略戦争に大っぴらに加担できる、させられる)普通の国」になってしまうのは明らかだから。それだけは避けなければならない。当然、「9条を変えなくても他国の侵略戦争に加担できます」みたいな話にも乗るべきではないでしょう。

m_debugger Re: 枷か宝か? URL 2010-03-06 (土) 00:03

>風鈴草さん

少しだけ補足します。「枷か宝か」ということで言えば、護憲派に求められるのは、9条が(アジアによる)「枷」であるという客観的な認識を出発点としつつ、9条を「枷」だけで終わらせないために主体的に努力することだと思います。ですから、9条は「宝」にもなりえるし、そうするべきだと私自身考えていて、だからこそ、客観的な認識も主体的な努力も抜きに、9条を無条件に「宝」として持ち上げているような護憲派に対しては批判をしています。「枷か宝か」は二者択一の関係ではなく、前者の認識があるからこそ後者の可能性を初めて追える、という関係にあると思います。逆に言えば、前者の認識だけあって後者の可能性を諦めるのは、日本人としてあまりに受け身なニヒリズムであると考えます。ですから、9条を「宝」にしていくための努力には強く共感しますし、それを冷笑する気はまったくありません。

>たとえば東ティモールの人たちが「自国を守る軍隊を持ちたい」と思った気持ちは無理もないし、それを止める権利は誰にもない。

そうですね。私は軍隊廃絶という理想はありますが、それは9条を持つ日本が率先して取り組むべき課題で、旧植民地国に押しつけることは絶対にできないですね。

佐藤正人 URL 2010-03-13 (土) 19:10

media debugger さんの「和解」にかんする分析に共感しています。
            紀州鉱山の真実を明らかにする会 佐藤正人

m_debugger URL 2010-03-14 (日) 11:21

>佐藤正人さん

コメントありがとうございます。
貴会のご活動については友人から伺っていましたが、サイトもこれから拝見させていただきます。
http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/

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「在特会」化する「平和国家」日本 (後半)――伊勢崎賢治著『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』所感

●「掃討」の別働作戦としての「和解」、米軍の別働隊としての日本

 本書で伊勢崎が売り込んでいるもう一つの「構想」が、日本を仲介役とするタリバンとの「和解」である。結論から言えば、これは米軍・NATO軍によるタリバン「掃討作戦」(実態はあからさまな無差別攻撃)と連携して、「信頼される中立国」たる日本が仲介役となって、タリバンとの「和解」を成功させ、「戦争を終わらせる」という、実にふざけた「構想」なのであった。もちろん、米軍・NATO軍による「掃討作戦」と連携するところがポイントであり、「SSゾーン」構想にも引けを取らない、腐り切ったプロジェクトである(もちろん左派はほとんど批判していないが)。


 オバマ政権は、米軍増派という手段をとる一方で、タリバンとの和解を口にする。自分が和解の当事者になるということだ。

 しかし、勝機はタリバンの方に向いている。「穏健派」タリバンを特定できたとしても、そのタリバンは、今度は「裏切り者」として命を狙われることになる。

 そもそも、「増派」と「政治的和解」は両立しない。アメリカという紛争の当事者が、その両方を言えば、なおさらである。一方、「増派」で戦う意思の表明をしていないと、つまり威勢を張っていないと、「政治的和解」の席で「交渉」が成り立たないのも現実である。(p.42)



〔前略〕こういう「対話」の呼びかけは、敵がヨレヨレな時には功を奏するだろうが、疲れているのはこちら側である。そうなのに威勢を張って手を差し伸べるフリをする。既に見透かされている。「対話」は疲弊した戦争の当然の帰着だが、紛争当事者の片方から一方的に発する「対話」は、もう片方からは単なる“弱音”にしか見えない。(p.27)


 したがって、伊勢崎によれば、タリバンとの「和解」は、「アフガンでは国連より中立と見られる日本」が「仲介するしかない」のであり、日本はまさしく「最後の手段として」「期待されている」(p.43)のだそうだ(誰にだ?)。伊勢崎は、一方的な侵略国である米国を「紛争当事者の片方」と定義した上で、米国がタリバンと「対等」に「交渉」できるよう、米国に対して、米軍増派による「掃討作戦」の強化をけしかけつつ、同時に日本を「仲介役」として高く売りつけようとしているのである。

 伊勢崎は、「僕には、何というか、これだけアフガニスタンをめちゃくちゃにしたアメリカを、そして日本を、僕をあんな形で巻き込み利用したアメリカを、見返してやろうという気持ちがないわけでもない。でも、やるなら、建設的に。それは僕なりの愛国心かもしれない」(p.139)などと述べ、一部の左派の喝采を浴びているようだが、やっていることは、単なる対米癒着マニュアルの実践にすぎない(バージョンは微妙にアップされているのかもしれないが)。

 伊勢崎にとって、「和解」とはせいぜい「掃討」の別働作戦(の一つ)にすぎず、タリバンとの「和解」はタリバンへの分断工作の別名にすぎないのであった。


〔前略〕僕は、アフガニスタンと再び関わりはじめた二〇〇八年に、カルザイ政権に幽閉されているタリバンの元大幹部と、じっくり話し合う機会を得た。タリバン政権下で外務大臣を務めたムタワキルである。

 話題は「対話」の“実効性”について。しかし、開口一番、僕は静かに釘を刺された。つまり僕たちが言う、“穏健な”タリバンとの「対話」。これが、彼らを仲間割れさせるという目的ならば(そうに決まっているわけだが…)、それは絶対に成功しない、と。(pp.26-27)


 伊勢崎は、「そもそもタリバンの数や種類も分からない」(p.39)(▼4)などと、ぬけぬけと白状しているが、伊勢崎にとって重要なのは、「タリバンの数や種類」を把握することよりも、日本を「仲介役」とする「“穏健な”タリバンとの「対話」」という既成事実もしくは表象を作ることで、日本を「仲介役」とするタリバンとの「和解」という表象を仕立て上げ、ひいては日本を「仲介役」とする「戦争の終結」という表象を捏造することであると思われる。まさに、「掃討」の別働作戦としての「和解」、米軍の別働隊としての「平和国家」日本、というわけだ。なお、ここでいう「別働」とは、状況次第で「陽動」にさえ容易に変わりうると思う。


●アジア諸国との「和解」とは何か――「反日」と「親日」の分断工作

 ところで、本書の中で私が最も興味を覚えたのも、この「和解」に関わる箇所だった。なぜかと言うと、伊勢崎の「和解」構想に対する左派の無批判は、左派が近年積極的に主張しているアジア諸国との「和解」の内実を、そのまま反映しているのではないか、と思えるからである。つまり、左派の大多数は、伊勢崎と似たり寄ったりの位置から、アジア諸国との「和解」を訴えているのではないだろうか。もっとはっきり言えば、左派の大多数にとって、アジア諸国との「和解」とは、一義的にはアジアにおける「反日」と「親日」の分断工作であり、彼ら・彼女らは、「“穏健な”」アジアとの「対話」のみを求めることで、「和解」という表象を作り出すことに熱を上げているだけなのではないのだろうか。

 さらに言えば、「掃討」が不可能であるから「和解」を提唱する(「掃討」の延長上に「和解」を位置づける)伊勢崎の言説を批判しない左派は、実はアジア諸国との和解においても、「反日」の「掃討」が単に不可能であるから「和解」を主張しているだけなのではないだろうか。実際、「国民基金」や、私が「第二の国民基金」と呼ぶ「慰安婦」立法は、アジアの「反日」に対する「掃討」の欲望とその不可能性が、左派に「現実主義的」「和解」路線を取らせる例として見ることができると思う。そもそも、左派の多くは、在日朝鮮人を、長期的には「掃討」(=同化/ジェノサイド)の、短期的には「和解」(=「共存」)の対象として見ているのであって、前者に対する無自覚こそが、彼ら・彼女らの「善意」の源泉である(▼5)、と私は思っている。ついでに言えば、「和解」をする当の相手が誰だかわからないという伊勢崎と、他者不在の「和解」を「善意」で進める左派も、よく似ている、と言えるのではないか(その端的な例が「花岡和解」だろう)。

 日韓「和解」に意欲的な民主党政権が、在日朝鮮人に対するレイシズムの法制化(高校「無償化」法案における朝鮮学校排除、外国人参政権法案における朝鮮籍者排除など)を積極的に進め、左派が民主党政権を総体として支持していることも、左派の多くにとって「和解」が「掃討」の延長上に位置づけられていることを示唆しているように思う。この枠組みでは、アジア諸国との「和解」は、アジア(人)へのレイシズムの温存ないし強化とも矛盾しないどころか、むしろ合理的に共存しうるのである。


●伊勢崎式「対テロ戦争」ビジネスモデル

 さて、「伊勢崎構想」に話を戻そう。すでに述べたように、「伊勢崎構想」とは、「対テロ戦争」を「終わらせる」という触れ込みで、憲法9条を掲げて、すなわち、「平和国家」という欺瞞的な表象を最大限に利用しながら、日本が「主体的」に行う、もう一つの「対テロ戦争」である。仮に、この「伊勢崎構想」が、伊勢崎の目論見通りに実現することになれば、日本には伊勢崎を介して巨大な「対テロ戦争」利権が転がり込んでくることになるだろう。

 つまり、米国がA国を侵略し、民衆の抵抗運動に圧され始めたところで、「平和国家」日本がおもむろに登場し、抵抗運動を民衆自身に弾圧させて米軍の「撤退」を支援すると同時に、抵抗運動の拠点を「半永久的」な「経済特区」に改造して日本を始めとする「先進各国」企業を潤わせたところで、米国がB国を侵略し、民衆の抵抗運動に圧され始めたところで、「平和国家」日本が・・・という吐き気のするような「対テロ戦争」ビジネスモデルが、日本を不可欠なアクターとして完成するわけである。

 伊勢崎は、「対テロ戦争」利権についても、極めて饒舌に語っている。少々長くなるが、伊勢崎の主要な関心事項が、「対テロ戦争」に「巣食」う「業界」の創出にあることを露骨に示すインタビューである。ぜひご一読いただきたい。


佐々木 ご自身は「紛争屋」って呼んでいるんですか。

伊勢崎 はい。

佐々木 でも平和屋なんじゃないですか?

伊勢崎 いや、紛争屋っていうのは、紛争を巣食っているから。紛争を糧に生活しているんです。僕らが今までやっていたのは、いわゆる火消しですよね。紛争をどうするかっていうのは、だいたい、それが起こってからなんですよね。火消しは華々しいですから、火事場に駆けつけるのと同じで、非常にヒロイックですし、脚光も浴びますし、お金も儲かるわけですよ。その業界があるんですよ。

佐々木 紛争解決屋ね。

伊勢崎 解決もしないです。

佐々木 解決もしない?

伊勢崎 紛争処理って言ったほうがいいですね。あるいは、気持ちの上で、やっぱり紛争を、新しい紛争が起こるのを心待ちにするような……。

佐々木 刺激を求めて?

伊勢崎 そういうようなのがありますね。次の食いぶちを……。安全になってくると、火消し屋のニーズは下がってきますし。だから、非常に危険な業界なんですよね。

佐々木 平和になったら仕事がなくなる、と。

伊勢崎 そうです。でも紛争屋だけじゃない。だって、NGOだってそうじゃないですか。あれだって、紛争が起こって人道的ニーズがつくられることで食いつないでいるので。ジャーナリストだってそうじゃないですか。我々一般市民だってそうでしょ。戦争が起こると皆、ビール飲みながら、紛争情報を戦争文化を消費しているわけですよね。だから皆、紛争業界の一員なんですよ。

 で、たぶん損をするのは、被害者だけですよね。それ以外は全部、ある意味、戦争から裨益している。だから、そういう反省も込めて、小さな予防っていうことを、これからやらなきゃいけない。で、何をやらなきゃいけないかっていうのは、もう分かっているんです。

佐々木 何ですか?

伊勢崎 それは早期警戒です。

佐々木 早期警戒?

伊勢崎 火の用心とかね。必ず火種があるわけですよね、そういうときには日本のピンポイント的な国際援助が役に立つだろうし、それをただするんじゃなくて、ちゃんとした政策提言をしながら。内政干渉をやってもいいかもしれないね。ちゃんと届くようにね。

 民主化っていう言葉はあまり好きじゃないですけど、反政府勢力を民主化にするように、それからフリーなジャーナリズムを推進すること、それから多数政党民主主義をプロモーションすることは非常に大事ですし、いろんなやり方がありますでしょう。だからやることは大体分かっているんです。問題は、それが業界にならないんですよね。

佐々木 予防には、なかなかお金もついてこない。

伊勢崎 そうです。業界にならない限り、いくら能書きを垂れても、やることが分かっていても、意味がないんです。その中で人が食えなきゃ意味がないんです。〔中略〕今、目をつけているのが広告業界、クリエーターの世界なんですよね。

佐々木 ピースアドですね。

伊勢崎 そう。ピースアドです。ピースアドって、結構キャッチーでしょ? これは別に、ピースアドをやることによって、世の中が、特に民間企業がどういうふうに変わって、CSRの考え方も少し変わっていくとか、そういう具体的な戦略を立てられる状態じゃなくて、とりあえず広告業界をいじくれば、何かの起爆剤になるんじゃないかっていうぐらいの期待感でしかないんです。業界を作るための唯一の期待感ですよね。で、今、結構面白くなりつつあって。

 ご存知のように、紛争や戦争は、全部広告によって世論を形成しますよね。世論の支持のない戦争ってあり得ません。で、それに貢献するのが広告業界ですよね。ですから同じ広告の技術を逆のほうに使う、ということなんです。問題は、どうやったらお金がつくかっていう話ですよね。


 ewoman:「ウィンウィン対談 伊勢崎賢治さん 紛争解決のために、日本ができること」
 http://www.ewoman.co.jp/winwin/129/2/7
 http://www.ewoman.co.jp/winwin/129/2/8
 http://www.ewoman.co.jp/winwin/129/2/9

 ・・・・・・という、あまりにも低劣な文脈の中で、「対テロ戦争」における民衆の抵抗拠点を「半永久的」な「経済特区」に改造するという、例の「SSゾーン」構想が出てくるわけである(念のため述べておけば、伊勢崎は大学教授であり、特に「食いぶち」に困っているようには思えない)。これはおそらく公にはなっていないだろうが、伊勢崎は経済界に対しても直接的・間接的に相当強力なロビイングを進めていると思う(もっとも、伊勢崎のことだから、少し調べればわさわさ出てきそうな気もするが)。これで日本の経済界・広告業界・「対テロ戦争」業界はウィンウィンウィンというわけだ。

 ちなみに、伊勢崎は、犬塚直史・民主党議員とタグを組んで、「「議員外交」と「民間外交」」(p.78)(「伊勢崎構想」のロビイング)を始めたときのことを、次のように回想している。


 この時は、一年後に民主党が政権を取ることになるなんて、考えてもいなかった。当時は、「与党」自民党も巻き込んで、たとえ日本の政権が変わっても基本方針は変わらないオール・ジャパンのコミットメントにしたいと考えていたのである。(p.79)


 「オール・ジャパンのコミットメント」を漢字変換すれば「挙国一致」になる。伊勢崎は自らが「VIP」(p.79)であるという表象を日々量産しているので(これも佐藤優と似ているが)、国内外における伊勢崎の政治的影響力が実際にどの程度なのかは、私には正確に判断できないが、とりあえず伊勢崎の触手が無駄に長いらしいことは確かだろう。


 結果として、これ〔「オール・ジャパンのコミットメント」〕は部分的に達成されることになる。今のところ、民主党以外では「与党」社民党の議員の参加しか得られていないが、「野党」自民党の有志をぜひ、これから巻き込む必要がある。できれば全政党に参加してもらいたい。(p.79)


 社民党、おまえもか・・・などとは、私は思わない。これもすでに書いたことだが、「伊勢崎構想」は、「対テロ戦争」を強力に支える「平和国家」日本の「国民戦線」と表裏一体の関係にあるわけで、自民党よりも社民党の方が「伊勢崎構想」への親和性はよっぽど高いのである。「対テロ戦争」を支える「平和国家」日本の「国民戦線」は、左派の主体的なコミットメントによって、初めて完成する。逆に言えば、左派が拒否する限りは成立しない、ということである。ここに私が左派の責任を厳しく問う論拠がある。


●「在特会」化する「平和国家」日本

 最後になるが、「伊勢崎構想」の主体となる「平和国家」日本とは、極言すれば、巨大な「在特会」のような存在として見ることができるのではないだろうか。「在特会」が、日本の植民地支配責任・侵略戦争責任・戦後責任を否認して、日本民族中心の歪んだ歴史認識をもって、在日外国人(主に朝鮮人)の民族自決権・生存権を否定しながら、各地で襲撃を繰り返しているように、「対テロ戦争」を強力に支える「平和国家」日本は、自らの植民地支配責任・侵略戦争責任・戦後責任を否認して、自国・自民族中心の歪んだ歴史認識をもって、国内外で外国人の民族自決権・生存権を否定しながら、米国とともに世界中で侵略を繰り広げていくことになるだろう。

 この事態においては、「平和国家」日本は、世界の「在特会」とも呼ぶべき、最悪のレイシスト国家であり、「平和国家」日本そのものが、「在特会」の入れ子構造をなしている、とさえ言えるだろう(「在特会」マトリョーシカ現象)。「平和国家」日本が「在特会」と異なるのは、「平和国家」日本においては憲法9条が日本国家/日本人の排他的特権および選民意識の中核に組み込まれており、そのため、「平和国家」日本の方が、質量ともに桁違いに暴力的になることであると思う。「在特会」が掲げる「日の丸」の表象には憲法9条は(おそらく)含まれていないが、「平和国家」日本が掲げるそれには憲法9条が積極的に取り込まれている。

 「平和国家」日本の国民は、「非武装」自衛隊の協力を得なければ「対テロ戦争」を「終わらせる」こともできない米国に対して優越感を抱きつつ、第三世界の民衆に対する殺戮と収奪を恒常化する「非武装」別働隊たる、自衛隊の海外派兵を支持することになるだろう。「伊勢崎構想」においては、親米であれ反米であれ、右派であれ左派であれ、「平和国家」日本という欺瞞的な表象とレイシズムを共有している限り、容易に結託することになる。

 したがって、「在特会」を批判する左派が、「伊勢崎構想」への批判を封印していることは、こうした「平和国家」日本の「在特会」化を推し進める結果にしかならない、と私は思う。詳細は省くが、最新(2月26日)号の『週刊金曜日』には「在日外国人参政権には反対です」という記事が掲載されており、もはや「在特会」的なるものと「左派」との境界線すら融解していることを端的に示唆している。

 繰り返しになるが、伊勢崎が「護憲派」を自称しているのは、伊勢崎の憲法9条観ではそもそも改憲自体が必要ないからであり、伊勢崎は、「国益」論的再編成を経た左派が必要とする、「憲法9条」を持つ「平和国家」日本の、「対テロ戦争」のイデオローグである。「在特会」を批判するのであれば、「伊勢崎構想」を、日本国家/日本人による、過去の、現在の、そして将来の侵略を、これ以上許し続けてはならない。


【蛇足】

 思いっきり蛇足なのだが、本書には「ゲリラの武装解除も ジャズも 刹那にかける」という東京新聞の記事(2009年10月6日付朝刊)が転載されている。


 東京外国語大学教授の伊勢崎賢治さん(52)=平和構築学=は、自称「紛争屋」だ。アフガニスタンなど世界の紛争地で、ゲリラに銃を突きつけられながら武器を取り上げる武装解除に当たる。死と隣り合わせの仕事の傍ら、「刹那」にひかれ、6年前に始めたのがジャズトランペット。23日、新宿で難民支援のライブを開く。


 別に伊勢崎の趣味にまで文句をつける気はさらさらないが、あまりにも見過ごせない一節があったので、以下に引用する。


 初めて覚えたのはアメリカ国歌。「好きな国じゃないけど、ジャズ発祥の地だから」。


 ・・・・・・「アメリカ国歌」はジャズと関係ないだろうが。どんだけ歴史認識も音楽センスもないんだよ。


▼4 

 ●誰と和解するのか、何を条件にするのか

 仮に、こちら側の一枚岩性が確保できたとして、その先にもまた問題がある。そもそも和解の相手とは誰なのか。(p.38)



 ●そもそもタリバンの数や種類も分からない

 もっと初歩的な問題もある。アフガニスタンにいるタリバンとは、一体どのくらいの人員の戦闘集団なのか。

 これが、実は驚くほど曖昧なのだ。

 地方によっても、一〇〇〇人単位の雑な捉え方しかできず、全体では一万人いるだろうとか、いや一万五〇〇〇人ぐらいは…とか、そんな感じである。ちゃんと把握できていたら、とっくに掃討しているはずである。(p.39)


 伊勢崎は、タリバンとの「和解」のためには「タリバンの数や種類」を把握する必要がある、と述べる一方で、仮に「タリバンの数や種類」を「ちゃんと把握できていたら」、タリバンを「とっくに掃討しているはずである」(つまり「和解」などするはずがない)と臆面もなく語っている。伊勢崎の言説は論理的に破綻の極みだが、それを批判しない左派は倫理的に破綻の極みであると思う。伊勢崎が「和解」を「掃討」の「次善策」として見ていることは明らかである。とどめに伊勢崎の発言をもう一つ挙げておこう。


 今、危険だと思っているのは、僕が「和解」と言っていたでしょ? 繰り返しますが、僕は、「和解がいい」とは全く言っていないんです。「和解にならざるをえないだろう」と言ったんですよね。和解っていうのは妥協ですから。だって、正義があって戦争が起こったわけでしょう? その正義を蹂躙するものとして敵を想定したわけです。その敵と妥協することは、すなわち正義に対して妥協することですから。


 ewoman:「ウィンウィン対談 伊勢崎賢治さん 紛争解決のために、日本ができること」
 http://www.ewoman.co.jp/winwin/129/1/3

 伊勢崎を支持する(あるいは否定できない)左派は、こんなふざけた「対テロ戦争」聖戦観に違和感すら覚えないのか。

▼5 例えば、高校「無償化」法案における朝鮮学校の排除に反対する左派の典型的な意見として、朝鮮人も「日本社会の一員」なのだから差別的な扱いをするべきではないというもの(朝日新聞メソッド)がある。この主張は一見もっともなようだが(?)、在日朝鮮人を「日本社会の一員」に還元することで、実際には日本国家/日本人が在日朝鮮人の民族自決権を日々侵害している現状を(無自覚に)追認・補強するものであると思う。

 また、朝鮮学校は、最近では日本国籍の生徒も通っており、朝鮮籍・韓国籍の生徒も日本の学校に通う日本国籍の生徒と「何も変わらない」のだから、差別はよくない、といった意見も散見されるが、どう考えてもこれはおかしいだろう。朝鮮学校に日本国籍の生徒がいるという事実は、在日朝鮮人に対する社会的・制度的差別の端的な帰結である。差別の帰結を肯定する位置から差別を批判しようとする、一部の左派の言説は、完全に転倒していると思う。

 在日朝鮮人も日本人と「何も変わらない」などという「善意」の差別も醜悪すぎる。在日朝鮮人と日本人は歴史的にまったく対極の存在であり、表面的には似ていることも、その歴史性のためである(つまり、一見似ていればいるほど、実際には似ていないわけである。もちろん、一見似ていない場合も、実際に似ていない。要するに、どちらにしても似ていない)。そもそも、侵略の加害民族と被害民族が「何も変わらない」のなら、世界中のあらゆる差異は即座に消滅するだろう。「左右の「バカの壁」」(佐藤優)どころの話ではない。8.15以後も「何も変わらない」のは、日本人左派のおめでたさではないのか。

 もう少し補足すると、朝鮮学校の生徒の国籍別内訳は、朝鮮籍が46%、韓国籍が53%、日本国籍・その他が約1%である(データは2008年)。この統計は、日本国籍の生徒のほとんど全員が日本の学校に通っていること、すなわち、日本国家/日本社会による在日朝鮮人への同化圧力の凄まじさを露呈しているのであり、この基本的な事実を無視して、在日朝鮮人も日本人と「何も変わらない」などと「善意」で語れる神経は、あまりにもどうかしていると思う。

 ・・・というようなことを、「左派」に向けてわざわざ書かなければならないのは、けっこう虚しい。

Comments:14

nessko URL 2010-03-01 (月) 08:12

私は日の丸・君が代が好きな者なので、こちらのブログから見ると蛇蝎の類になるかもしれませんが、私も伊勢崎構想が左派やリベラルに持ち上げられていることには違和を感じています。
伊勢崎氏の言っていることは、小沢一郎が主張している自衛隊海外派兵場合によってOK論と、親和性が高すぎるのです。
海外派兵賛同者にも、危険地帯に自衛隊を非武装で送り込むことには反発する人も多いと思われますが、伊勢崎はまず非武装で行けと言っているし。仮に非武装でこなせる任務であれば、別に自衛隊でなくてもいいんじゃないかという疑問が湧きますが、とにかく自衛隊にやらせろと言うし。
アフガニスタンに積極的に行きたがっているミリタリーな人を見ると、日中戦争で懲りてないのか日本は、などと思ってしまいますね。ペシャワール会の活動にも邪魔になるのではないでしょうか。

m_debugger URL 2010-03-01 (月) 12:22

>nesskoさん

コメントありがとうございます。
kojitakenさんのブログへのコメントも拝見していました。「アフガンの民というなら、タリバンだってアフガンの民じゃないですか」という当たり前のご指摘には当然同意します。

>伊勢崎氏の言っていることは、小沢一郎が主張している自衛隊海外派兵場合によってOK論と、親和性が高すぎるのです。

そうですね。私は伊勢崎は完全に確信犯だと思っていますが。

>仮に非武装でこなせる任務であれば、別に自衛隊でなくてもいいんじゃないかという疑問が湧きます

これは私も真っ先に湧いた疑問ですが、伊勢崎を持ち上げているリベラル・左派は気にしていないようですね。意味不明です。

>ペシャワール会の活動にも邪魔になるのではないでしょうか。

仮にペシャワール会から明確な伊勢崎批判が出た場合、伊勢崎を持ち上げているリベラル・左派はどのように反応するのでしょうか?「難しい問題だ」とか何とかで、またお茶を濁すのでしょうか?

jimpower URL 2010-03-01 (月) 14:54

どうもこんにちは。

いろいろなブログのコメント欄に現れてはプリミティブな反動コメントを書いて回っている"gingin1234"という(「はてな」界隈では"ピンポンダッシャー"としてちょっと有名らしい)人物がいるのですが、その「kojitakenさんのブログ」のコメント欄で

--------------------
この人の訳の分からない愛国心のために、罪もない自衛官が、銃も持たずに死地に送り込まれる訳か。
伊勢崎賢治という人物は、第二次大戦の大本営以下のクズ野郎ということは良く分かりました。
--------------------

と、珍しく正論を言っているのでビックリしました(笑)。
まあ実際、「人心掌握」とやらのための"鉄砲玉"にされるとあっては当の自衛官にとってもたまったものではないでしょう。


> 巨大な「在特会」のような存在

「左派」の中でも一部の人は、「在特会」を特別なものと見なしてはならないと以前から警告を発していましたが、日本が"和製アパルトヘイト"を志向するにまで至った今となって、日本全体の「在特会」化は確かに冷厳な事実として立ち現れてきたように思えます。
朝鮮学校の件にしてもその教育内容はむしろ「違ってなんぼ」のはずなのですが、差別のために"知恵"を絞れと身もフタもなく煽る産経新聞よりも、そういう差異そのものを巧みに隠蔽・抹殺しようとする(「日本の学校と変わらない」から差別は良くないというのは、裏を返せば「違っていれば」差別しても良いってことになりますよね)「朝日新聞メソッド」の方が、この点に関してはより悪質だと言えそうです。

m_debugger URL 2010-03-01 (月) 15:45

>jimpowerさん

どうもこんにちは。
gingin1234さんは、私の旧ブログ(「はてな」)にも、よくいらっしゃった方だと思いますが、左派がここまで壊れてきている状況では、相対的にまともな発言をしている場面もあるようですね。

>まあ実際、「人心掌握」とやらのための"鉄砲玉"にされるとあっては当の自衛官にとってもたまったものではないでしょう。

これ、完全に「鉄砲玉」ですよね。保守・右派には伊勢崎への批判を控える事情は特にないでしょうから、伊勢崎批判は9割方「右」からのものになるでしょう。さらに、伊勢崎が「右」から批判を受けた場合には、「左」はこぞって伊勢崎擁護の論陣を張ることになると思います。これは「右」から批判を受けた小沢一郎を「左」が一斉に擁護している構図と似ていますが、最近はどうもこんなのばっかりですね。

>差別のために"知恵"を絞れと身もフタもなく煽る産経新聞よりも、そういう差異そのものを巧みに隠蔽・抹殺しようとする(「日本の学校と変わらない」から差別は良くないというのは、裏を返せば「違っていれば」差別しても良いってことになりますよね)「朝日新聞メソッド」の方が、この点に関してはより悪質だと言えそうです。

kscykscyさんが指摘されているように、産経と朝日の意見の相違は擬似対立でしかないわけで、それを右派と左派が反復することで「和製アパルトヘイト」が亢進する、という構図になっていますよね。擬似対立は「和製アパルトヘイト」を維持する上では相互にメリットがありますから、「在特会」を個別に批判するだけでは、この擬似対立も、「和製アパルトヘイト」も、解体することはできないと思います。

風鈴草 耐えられないこの軽さ URL 2010-03-01 (月) 16:52

私は本当のことを言えば、あまり難しい議論はわからない、心情的な左派に過ぎないのですが、あれから伊勢崎氏の本(手元にあるのは『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』だけですが)を読み返したり、m_debuggerさんの批評の中の引用や、ネット上の伊勢崎氏の言説を読んだりしているうちに、なんだか「耐えられないこの軽さ」という言葉が頭に浮かんできてしまいました。

そもそも、私などが伊勢崎氏に不信感を抱いたのは、最初にこちらの 「伊勢崎構想とは何か――「平和国家」日本にしかできない「対テロ戦争」 のコメント欄で御紹介した、中司達也氏の東ティモールに関する記事を読んでいたお陰なのですが、そういえば、伊勢崎氏には『東チモール県知事日記』という著作もあったのを思い出し、その内容はどうだったのかと気になって、Amazonで見てみました。すると5つ星の評価を付けたカスタマー氏の感想の中に、本文の一節が幾つか引用されていたのですが、以下はその一部です。

>たかが1年余りの滞在経験で、東チモールの専門家を気取るつもりはない。『紛争屋』にとって当地の歴史文化のお勉強は、通り一遍のものでいいと思っているし、そうあるべきだとも思っている。・・・愛着は、短命であるべき紛争屋の寿命を長引かせるし、・・良心とか正義とかを装ってしつこくまとわり続ける外国人の存在ほど、当地の人々にとってうっとうしいことはないのだ。

たしかにその後の伊勢崎氏の著述や言説とも符合しているような気がします。(これでもう、当の本は読まないで済むと思いました。カスタマー氏に感謝です)

東ティモールにおいては「歴史文化」などという以前に、2000年3月の伊勢崎氏の赴任のわずか半年ほど前まで、各地で併合派民兵による虐殺や暴行が行われており、その背後にはインドネシアの国軍がいると言うのは、周知の事実だったようです。

ティモールロロサエ  「インドネシア軍特殊部隊(コパスス)と民兵の共謀」
http://www.asahi-net.or.jp/~gc9n-tkhs/kops.html

インドネシア軍の東ティモール人への迫害、虐殺は1975年の侵略、併合以前から続いていたもののようで、ティモール・ロロサエの「分析・保管庫」には関連する幾つもの記事があります。
http://www.asahi-net.or.jp/~gc9n-tkhs/bun.html

下記は益岡賢氏訳のジョン・ピルジャー氏の記事ですが、東ティモールの虐殺へのインドネシア軍の関与(そしてその背後には複数の大国の影があること)が国連の報告書であきらかになっていることも書いてあります。
「西パプアの人々に対する秘密戦争」
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/pilger060311.html

こういう歴史を「当地の歴史文化のお勉強は、通り一遍のものでいい」といって、済まされるものなのかどうか・・・・

伊勢崎氏はあくまで「インドネシアは東チモールにとって感情的な仮想敵国である」として、インドネシアからの侵略などは心配しないで良く、だから、「国境警備は非武装化できるので軍隊は必要ない」と言っても、東ティモール人たちは聞き入れてくれなかったという。

>でも東チモールの人たちは、それを納得しなかった。それはわからないでもない。日本人が北朝鮮に向かう気持ちと同じだから。外敵の脅威とはそれくらい主観的で、それをあおる恣意的なものである。(p.36「コスタリカ方式でという僕の提案は抹殺された」)
(ここで北朝鮮を持ち出すのは、二重の意味で不適当だと思うのですが、それは私などが言うまでもないでしょう)

こういう人が中心になって、アフガニスタンで「タリバンとの和解」を仲介しても実際に上手く行くとは思えません。SSゾーンの経済特区計画にしても「はたして、このSSゾーンで何が獲れるのか。そんなことは、後で考えればいい」という超杜撰なことを平気で言う。(これを読んで、伊勢崎氏にはペシャワール会と中村哲氏が何のために苦労してきたのかも、まるで理解していなかったらしいとわかりました)

要は「『平和国家日本』って結構、使えますよ」とアメリカにアピールしたいということのようだけれども、果たして、そのアメリカにも「こいつは、使えそうだ」と取り合ってもらえるのかどうか?

こうなると伊勢崎氏本人より、伊勢崎氏を持ち上げている人たちの方が心配です。

m_debugger Re: 耐えられないこの軽さ URL 2010-03-01 (月) 19:24

>風鈴草さん

>私は本当のことを言えば、あまり難しい議論はわからない、心情的な左派に過ぎないのですが

え?そうなのですか?いただくコメントはどれも的を射ていると思いますが。

-----------------------------------------------------------

>たかが1年余りの滞在経験で、東チモールの専門家を気取るつもりはない。『紛争屋』にとって当地の歴史文化のお勉強は、通り一遍のものでいいと思っているし、そうあるべきだとも思っている。・・・愛着は、短命であるべき紛争屋の寿命を長引かせるし、・・良心とか正義とかを装ってしつこくまとわり続ける外国人の存在ほど、当地の人々にとってうっとうしいことはないのだ。

-----------------------------------------------------------

『東チモール県知事日記』は私も読んでいませんが、確かにこれで読まずに済みそうですね。おそらく同様の文脈で、伊勢崎はこんなことを言っていたりもします。

「あまりグジュグジュするのは好きじゃないんです。べったりする人間関係はあまり好きじゃないんです。親友もそんなにいないし。あまり親友を作りたいと思わないんです。」
http://yamabuki.ewoman.co.jp/winwin/129/1/14

親友=「べったりする人間関係」という空虚な等式にも驚きますが(余計なお世話でしょうが、親友どころか友人も本当にいるのか?という感じですね)、要は伊勢崎は他者と対等に付き合うことができない人物なのでしょう。まあ帝国主義者なのだから当然ですが。

>こういう歴史を「当地の歴史文化のお勉強は、通り一遍のものでいい」といって、済まされるものなのかどうか・・・・

「通り一遍」=最低限としても、ご紹介いただいたサイト(拝見/再読しました。ありがとうございます)のような知識は、「勉強」には不可欠だと思いますが。

>SSゾーンの経済特区計画にしても「はたして、このSSゾーンで何が獲れるのか。そんなことは、後で考えればいい」という超杜撰なことを平気で言う。(これを読んで、伊勢崎氏にはペシャワール会と中村哲氏が何のために苦労してきたのかも、まるで理解していなかったらしいとわかりました)

この発言も相当ひどいですよね。まさに耐えられない軽さそのままです。

>要は「『平和国家日本』って結構、使えますよ」とアメリカにアピールしたいということのようだけれども、果たして、そのアメリカにも「こいつは、使えそうだ」と取り合ってもらえるのかどうか?

私は「伊勢崎構想」が伊勢崎の目論見通りに実現する可能性はほとんどないと見ていますが、「構想」の一部が(もちろん日本ではなく)米国の主導で実行される可能性は低くないと思います。米国にとっては、いつでも使い捨てにできるという一点において、伊勢崎の利用価値があるのではないでしょうか。

>こうなると伊勢崎氏本人より、伊勢崎氏を持ち上げている人たちの方が心配です。

本当にそうですね。左派が伊勢崎を明確に批判しないまでも、せめて持ち上げない程度の距離感をもって接していれば、伊勢崎も今のようなやり方で「構想」を宣伝することはできなかったと思います。伊勢崎を持ち上げることは、侵略を積極的に支持することであり、明らかに一線を越える行為です。まして本書を読んだ上で、伊勢崎を持ち上げているというのは、いろいろな意味で心配です・・・。

風鈴草 護憲派の救いの神? URL 2010-03-01 (月) 20:56

m_debuggerさん

>私は「伊勢崎構想」が伊勢崎の目論見通りに実現する可能性はほとんどないと見ていますが、「構想」の一部が(もちろん日本ではなく)米国の主導で実行される可能性は低くないと思います。米国にとっては、いつでも使い捨てにできるという一点において、伊勢崎の利用価値があるのではないでしょうか。

そうですね。たしかにそれはありそうな気がしてきました。

SSゾーンにしても、妙にアメリカ好みの計画ではありますよね。外国に輸出できるような商品作物の「何かが獲れる」ようなプランテーションなどを作るには相当、時間も設備投資もかかるでしょうが、でも、アフガニスタンは、長年の紛争で荒廃してしまう前は、緑豊かな農業国だったそうなので、上手く行くかどうかはともかく、実行される可能性はあるかもしれません。他にも外国資本の工場を誘致して地元の格安の労働力を提供させるとか・・・「方法」はいろいろあるわけですから。

さっき、毎回見ているわけではないけれど、わりと頷ける御意見が多いと思っていたブロガー氏のところで、『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』を読んで伊勢崎氏を称えているエントリーを見てしまい、げんなりしてしまいました。改憲派の政治家を批判しているのですが、その対極に“護憲派”である伊勢崎氏を引き合いに出し、伊勢崎氏が何より「紛争の現場を知る人」であることを強調されていました。「机上の空論をもてあそぶ」だけの改憲派VS「厳しい現場を知っている」伊勢崎氏という構図です。

これまで「非現実的な平和主義者」のように言われて、右派から馬鹿にされたりもして来た護憲派にとっては、伊勢崎氏のような「紛争地の現場を渡り歩いてきた人」が味方であるというのは、「救いの神」が来たように感じられてしまうのかもしれません。「紛争地帯に乗り込んで、命を張って武装勢力と交渉して来た男」、思えば、例の伊勢崎信徒のブロガー氏も含めてですが、伊勢崎支持の左派の人たちの多くがこれでコロリと参っていたような気もします。あとは、一度、惹かれてしまえば「恋は盲目」ということなのかもしれません。

ついでと言ってはなんですが、この際ですので、あらためて中司達也氏のブログ、「報道写真家から」の東ティモールについての記事をカテゴリーで括って御紹介しておきます。『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』と併せて読み比べてみますと、伊勢崎氏が東ティモール問題の “何を語らなかったか”(知らなかったか?)も含めて、いろいろと興味深いものでした。

「報道写真家から」 カテゴリー ■東ティモール暴動(urlは古い順、各ページの記事は新しいもの順)
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/5e1d62d9e68c09387f13b76666f41f24/2
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/5e1d62d9e68c09387f13b76666f41f24/1
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/5e1d62d9e68c09387f13b76666f41f24

別のカテゴリーで、「●東ティモール」というのもあって、こちらは写真が多いのですが、1999年の独立を問う住民投票の直前、取材のため、現地に滞在していた中司氏が宿泊していた家が併合派民兵の襲撃を受け、九死に一生を得た事件のことなど、生々しい記事も載っています。
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/7dd95ec5e25fcaa0eb4f68800263ec35

m_debuggerさん、これからも「おかしな流行りもの」への厳しいdebugをお願い致します。

nessko URL 2010-03-02 (火) 12:15

>現場を知る人
これが売りになってる人はけっこういますね。
佐藤優、宮崎学、安倍譲二とか。女にもいるかな。
林真理子の小説『戦争特派員』なんてのも思い出しますね。
戦争特派員だったという男性と恋愛する女性の話。
「戦争特派員だった」という男の過去が、その女性にとっては
幻想を抱かせる大きな要因になってしまう。
それはともかく、
九条は、日本が戦争をしないために歯止めとして有効だから大切なのであって、
「九条」を護るために戦争行為に積極的にコミットしようなんてのは
倒錯の極みだと思います。
それなら、改憲派のほうがずっと筋が通ってる。

m_debugger Re: 護憲派の救いの神? URL 2010-03-02 (火) 21:44

>風鈴草さん

>他にも外国資本の工場を誘致して地元の格安の労働力を提供させるとか

おそらくこれが「麻薬撲滅」キャンペーンとして「先進国」の「善意」を装って計画されていると思います。アフガニスタン人に「恩恵」を施すプロジェクト、という触れ込みで、民衆を徹底的に搾取して、そこから得た巨大な利益によって、日本を含む「先進国」の「福祉国家」化が進み、リベラル・左派はますます「対テロ戦争」を支持する側に回る、という構図ができ(てい)るのではないか、と。

>これまで「非現実的な平和主義者」のように言われて、右派から馬鹿にされたりもして来た護憲派にとっては、伊勢崎氏のような「紛争地の現場を渡り歩いてきた人」が味方であるというのは、「救いの神」が来たように感じられてしまうのかもしれません。「紛争地帯に乗り込んで、命を張って武装勢力と交渉して来た男」、思えば、例の伊勢崎信徒のブロガー氏も含めてですが、伊勢崎支持の左派の人たちの多くがこれでコロリと参っていたような気もします。あとは、一度、惹かれてしまえば「恋は盲目」ということなのかもしれません。

それはあるでしょうね(笑)。左派の佐藤優に対する底なしの「依存」が典型的だと思いますが、護憲派はこういうタイプにとことん弱いみたいですから。伊勢崎も佐藤も「現場を渡り歩いてきた」ことを売りにして、無根拠かつ非論理的な主張を撒き散らしていますが、彼らが「救いの神」であるとすれば、そのご神託が無根拠かつ非論理的であればあるほど、信者としてはそれをひたすら信じることが求められるのかもしれません。

中司達也氏のブログの紹介もありがとうございました。「現場」にこそ、伊勢崎を批判する知恵が溢れているようですね。とても参考になります。

m_debugger URL 2010-03-02 (火) 21:48

>nesskoさん

>>現場を知る人
>これが売りになってる人はけっこういますね。
>佐藤優、宮崎学、安倍譲二とか。女にもいるかな。

香山リカとかじゃないですか・・・?なんか見飽きたメンツばっかりですが。

>九条は、日本が戦争をしないために歯止めとして有効だから大切なのであって、
>「九条」を護るために戦争行為に積極的にコミットしようなんてのは
>倒錯の極みだと思います。
>それなら、改憲派のほうがずっと筋が通ってる。

そうですね。結局、護憲派の大部分にとっては、9条は日本が「平和国家」であり、日本国民が「平和的」な人々であることを示す担保なのだと思います。実態はまったく逆で、9条は本来、日本が侵略国家であり、日本国民が自国の侵略をやめさせることができない人々であったことを示すものですから、9条を(アジアによる)枷として捉えることさえできない護憲派よりは、9条を(米国による)枷として捉え、その枷を外そうとする改憲派の論理の方が、遥かに合理的だと思います。

風鈴草 枷か宝か? URL 2010-03-04 (木) 12:30

>護憲派の大部分にとっては、9条は日本が「平和国家」であり、日本国民が「平和的」な人々であることを示す担保なのだと思います。実態はまったく逆で、9条は本来、日本が侵略国家であり、日本国民が自国の侵略をやめさせることができない人々であったことを示すものですから、9条を(アジアによる)枷として捉えることさえできない護憲派よりは、9条を(米国による)枷として捉え、その枷を外そうとする改憲派の論理の方が、遥かに合理的だと思います。

m_debuggerさん、あなたという方は時々、人の肺腑をえぐるような厳しいことを言われますね。(笑)(お陰でまたコメントしたくなってしまいましたが、もうこれで終わりにします)

そういえば、前のコメントで挙げた、ある護憲系ブロガー氏も「9条を持つ日本」を「石ころの中の宝石」にたとえて、「平和と繁栄をもたらす国際貢献には『9条を持つ日本』は欠くことが出来ない。これが無ければ平和的解決が成功しない国際紛争はたくさんあるだろう」とまで言われていました。この貴重な「たった一粒の宝石」を投げ捨てて、わざわざその他大勢の石ころと同じになろうとするのか、それは国際社会にとっても大きな損失であろうと。

私自身、9条をそのような「貴重な宝」の如きものと見なす気持ちが無いわけではありませんでした。誕生時の事情はどうであれ、今となっては日本が世界に誇るべき条文ではないだろうかと。しかし、冷めた目で見直してみれば、9条は確かに敗戦国日本に科せられた枷でした。そして、その枷を日本にはめたのは米国だけれども、それを今も枷として残しておきたいのは、かつて日本の侵略を受けたアジアの人々でしょう。日本人としては悲しいことですが。

はっきりと「枷」として認識している改憲派から見れば、「宝石」として抱きしめている護憲派が「お花畑」に見えるのも無理はないかもしれません。

私は国家が軍隊を持つことは必ずしも悪いことではないと思っています。たとえば東ティモールの人たちが「自国を守る軍隊を持ちたい」と思った気持ちは無理もないし、それを止める権利は誰にもない。

でも、今のままの日本が「軍隊」を持ってしまうのは(事実上、すでに持っているわけですが)とても危険なことだと思っています。「侵略戦争もできる(他国の侵略戦争に大っぴらに加担できる、させられる)普通の国」になってしまうのは明らかだから。それだけは避けなければならない。当然、「9条を変えなくても他国の侵略戦争に加担できます」みたいな話にも乗るべきではないでしょう。

m_debugger Re: 枷か宝か? URL 2010-03-06 (土) 00:03

>風鈴草さん

少しだけ補足します。「枷か宝か」ということで言えば、護憲派に求められるのは、9条が(アジアによる)「枷」であるという客観的な認識を出発点としつつ、9条を「枷」だけで終わらせないために主体的に努力することだと思います。ですから、9条は「宝」にもなりえるし、そうするべきだと私自身考えていて、だからこそ、客観的な認識も主体的な努力も抜きに、9条を無条件に「宝」として持ち上げているような護憲派に対しては批判をしています。「枷か宝か」は二者択一の関係ではなく、前者の認識があるからこそ後者の可能性を初めて追える、という関係にあると思います。逆に言えば、前者の認識だけあって後者の可能性を諦めるのは、日本人としてあまりに受け身なニヒリズムであると考えます。ですから、9条を「宝」にしていくための努力には強く共感しますし、それを冷笑する気はまったくありません。

>たとえば東ティモールの人たちが「自国を守る軍隊を持ちたい」と思った気持ちは無理もないし、それを止める権利は誰にもない。

そうですね。私は軍隊廃絶という理想はありますが、それは9条を持つ日本が率先して取り組むべき課題で、旧植民地国に押しつけることは絶対にできないですね。

佐藤正人 URL 2010-03-13 (土) 19:10

media debugger さんの「和解」にかんする分析に共感しています。
            紀州鉱山の真実を明らかにする会 佐藤正人

m_debugger URL 2010-03-14 (日) 11:21

>佐藤正人さん

コメントありがとうございます。
貴会のご活動については友人から伺っていましたが、サイトもこれから拝見させていただきます。
http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/

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