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風鈴草 同化による「ジェノサイド」 URL 2010-03-18 (木) 13:21

私がこちらのブログを覗かせていただくようになったきっかけは、たぶん、佐高信氏と上坂冬子氏のことで、「私なら進んで慰安婦になった」という上坂氏の発言に対して、「あんな人に慰安婦になられても兵隊が迷惑だ」というようなことを言った佐高氏をm_debuggerさんが批判されていたのを見てからだったような気がします。おそらく多くの反・上坂の左派が(男性だけでなく、もしかしたら女性でも)単なるジョークとして、漫然と聴き過ごしてしまったかもしれない言葉を聞きとがめて、佐高氏の感覚を批判されているm_debuggerさんの鋭さに感服しました。

しかし、m_debuggerさんが在日朝鮮人と日本人との関係について語られている部分について言えば、私自身が日本人であり、身近に在日朝鮮人の知人もいないということもあって、少々、過激に感じてしまう部分もないでもなかったです。しかし、今度の記事を読んでいるうちに、m_debuggerさんのおっしゃることが少しずつですが、わかって来たような気もします。

ヤメ蚊さんのところは一時は私も見ていた時期もあったんですが・・・
とどのつまり、「朝鮮人差別なんかすると、日本国や日本人に、これだけの“デメリット”があるのに、何で、そんな“損得勘定”も出来ない馬鹿なのか?」というのが、「日本市民は脳なしになったのか 」という文句になっているということでしょうか?まさに「国益主義」ですね。(デメリットさえなければ、差別してもよい?)

正直なところ、「ずっと日本に住み続けるのならば、いずれは日本人(日本民族?)になってもらいたい」というのが、多くの日本人が定住外国人に対して抱く、漠とした願望なのでしょう。特に左派の場合、(たぶん私も含めて)そのことは半ば潜在意識的なものになってしまっているので、強く指摘されない限りはなかなか気付くことが出来ないのかもしれません。「日本人になってしまえば平等にしてあげられるのに、なんでならないの?」と“悪気なく”言ってしまうかもしれない危うさは、たしかに私自身にも無かったとは言えないのです。しかし在日の韓国、朝鮮の人たちにしてみれば、そんなことを言われて、何の抵抗もなく受け入れられるはずも無かったのですね。まさしく「共存はジェノサイドである」という言葉通りに。

「この同じ国土で、別の歴史や文化を持つ人たちと同じ権利を持って、この先の未来も共存していく」、日本人の側に、なかなかそのことが受け入れられないのはどうしてなのか?これから自分なりに考えてみようと思います。

m_debugger Re: 同化による「ジェノサイド」 URL 2010-03-20 (土) 23:27

>風鈴草さん

ここ数日バタバタしていたため、お返事遅れて申し訳ありませんでした。『週刊金曜日』は、今や「在特会」の桜井誠のインタビューを写真つきで(確か2枚も)報じてしまうような、差別主義者に宥和的な左派メディアになっているので、佐高の件はすでに遠い過去のような気がします。

>しかし、m_debuggerさんが在日朝鮮人と日本人との関係について語られている部分について言えば、私自身が日本人であり、身近に在日朝鮮人の知人もいないということもあって、少々、過激に感じてしまう部分もないでもなかったです。しかし、今度の記事を読んでいるうちに、m_debuggerさんのおっしゃることが少しずつですが、わかって来たような気もします。

いつも参考になるご意見ありがとうございます。私も文体がきついのはさすがに自覚しているので、たまに反省して、もう少し書き方を変えようと思ったりもするのですが(笑)・・・。

>ヤメ蚊さんのところは一時は私も見ていた時期もあったんですが・・・
とどのつまり、「朝鮮人差別なんかすると、日本国や日本人に、これだけの“デメリット”があるのに、何で、そんな“損得勘定”も出来ない馬鹿なのか?」というのが、「日本市民は脳なしになったのか 」という文句になっているということでしょうか?まさに「国益主義」ですね。(デメリットさえなければ、差別してもよい?)

私が不快に思うのは、こうした言説が朝鮮学校「擁護」論としてリベラル・左派の間で特に批判もされずに堂々と流通していることです。ここまで直截的な発言でなくても、左派が「国益主義」を掲げてしまえば、植民地支配責任・侵略戦争責任の清算はますます遠のくことになるので、その歴史的存在としての在日朝鮮人に対する差別意識が日本社会全体で強まることは必然だと思います。

他にも的のずれた朝鮮学校「擁護」論としてありがちなのは、「子どもに罪はない」というような議論ですね。子ども以外の在日朝鮮人には(拉致問題の)「罪」を負わせるべきだという理屈は排外主義そのものでしょう。あと、排外主義ではないし、何も間違ったことは言っていないのですが、子どもの普遍的人権だけに依拠するような(植民地支配責任を捨象するような)主張が声明文に多いのも残念だと思います。

風鈴草 目をそらしてきたこと URL 2010-03-21 (日) 19:01

>ここ数日バタバタしていたため、お返事遅れて申し訳ありませんでした。

ブログにこれだけの内容を載せられているのですから、それだけでも大変なことと思います。すぐにレスをいただきたいなどとは願いませんので、お気になさらないでください。

私も「私の闇の奥」の藤永茂氏のファンだし、翻訳家の益岡賢氏のサイトなどもよく見るのですが、欧米白人国家の横暴の歴史を見るのはまだ気が楽なものです。(日本が“共犯者”であった場合でも)でも、そう遠くはない過去に日本が近隣諸国に対してやってきたことに、日本人としてどう向き合うべきかということについては、ずっと目をそらして来たような気がします。

たとえば、従軍慰安婦のことは、たまたま、日本のマスコミで取り上げられるより十年以上は前の、十代の頃に知って、ひどいショックを受けたものです。たまたま通っていた高校の図書館で慰安婦について書かれた本を読んだのです。おそらく教職員の誰かが寄付したのではないかと思われる小さな古びた本で、本棚の下の方にひっそりとありました。当時の私にはあまりにショッキングな内容で、同じく読書好きだった別の学校に通う親友にも、話そうとしても話せずにしまったくらいでした。(それなのに、残念ながら著者名も題名も覚えていないのです。千田夏光氏の『従軍慰安婦』は、その数年後に書店で見て買ってみたのですが、その本とは違うと思いました。最近になって出版年代別の慰安婦関係の本のリストをネットで見つけて、該当しそうな本をネット古書店で買ったりもしてみたのですが、どうも違うようで、未だに不明です)

その後間もなく、父の年上の飲み仲間で、よく家に遊びに来ていた小父さんが(シベリア抑留を体験した人でした)酔った拍子に戦時中の話をはじめ「あの朝鮮の女たち、可哀そうだったなあ、可哀そうだったなあ」と呟くように言っているのを見て、おそらく慰安婦のことだろうと思ったものでした。(戦時中にはまだ子供だった私の父母には何のことかわからなかったようですが)

しかし、その後しばらくして、慰安婦問題が世間で騒がれるようになった時には、むしろ、そうした報道を見ないように、他人との話題にもしないようにして避けていました。ニュース映像に映る元慰安婦の女性たちを見て、身近な人が「あれは日本が豊かになったから金をたかろうとしているのだ」という中傷を言ったりするのを、内心では「それは違う!」と思いながら、議論しようとは思いませんでした。TVの映像から目を伏せてそそくさと席を立ったものです。

慰安婦のことを早くから知っていたという意味では私と同世代の中では異例かもしれませんが、もっと上の世代を入れれば、多くの日本人が私のような態度を取って来たことが、今の日本の閉塞状態の、けして小さくはない原因になっているのだという気がしてなりません。昔のこととして忘却して済む問題ではなかったのだと。

これからも、こちらでm_debuggerさんが書かれていることを、少々耳(目?)が痛くとも読ませていただこうと思っております。

m_debugger Re: 目をそらしてきたこと URL 2010-03-22 (月) 23:46

>風鈴草さん

日本軍「慰安婦」についての文献(日本語)は、朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、1965年)以前に、富田邦彦『戦場慰安婦』(富士書房、1953年)が、以後に、広田和子『証言記録従軍慰安婦・看護婦』(新人物往来社、1975年)、金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(三一書房、1976年)、吉田清治『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社、1977年)、金一勉編『軍隊慰安婦』(現代史出版会、1977年)、ドウス昌代『敗者の贈物』(講談社、1979年)、江先光『慰安婦秀雲』(叢文社、1982年)、川田文子『赤瓦の家』(筑摩書房、1987年)などがあり、「中帰連」の人たちの加害証言も1950年代からいくつか出ています。私は上に挙げたうち朴慶植氏の著作しか読んでいないので、ご参考になるかわかりませんが。

植民地支配責任・侵略戦争責任にどう向き合うかについて言えば、「国民基金」がその象徴であるように、日本人として果たすべき責任を明晰な論理で(一般の人々に対して)語らなければならないはずの知識人の大多数が、自らの社会的責任をかなぐり捨てて、ひたすら遁走を続けているというのが、90年代半ば以降の状況であると思います。最近ではこの人たちはますます劣化が進んでいるようなので、「今の日本の閉塞状態」の主要な原因は彼ら・彼女らにあるのではないかと私は思っていますが、「知識人」が頼りにならない分も、私たちが議論をしていくしかないでしょう。

いろいろと過分なご評価をいただいている気もしますが、今後ともよろしくお願いいたします。

風鈴草 本のリスト、ありがとうございます URL 2010-03-23 (火) 12:59

この前のエントリーのどこかに慰安婦立法へのリンクがあったと思い出し、読ませていただきました。
http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-38.html
大変な力作で改めて頭が下がりました。

国民基金が出来たのは私も知っていましたが「本来、国の責任で起こしたことを国民の寄付を集めて被害者をなだめようという発想はおかしい」と思ったし、何よりも、対象となる被害者の方々を侮辱するようなものではないかと思って、募金などする気にはならなかったものです。でも、その流れがその後どうなっていたかは、全くの不勉強で知りませんでした。

慰安婦関係の本のリストありがとうございます。私が以前見たリストには載っていないものもあるようなので、暇を見て探してみようと思います。これからもよろしくお願い致します。

通りすがっただけですよ いいことが書いてあるんだろうけど URL 2010-03-25 (木) 12:29

長文でかつ内容が多岐に亘っていて一読では理解できない。どこまでが引用でどこが主の論述なのか区別がつきがたい。もちっと絞ったほうが良いのでは。

無知な日本人は読むなとでも?

コメント投稿文のほうが論旨が簡潔でわかりやすく、本文理解に有り難かったかったかも。

それでも疑問が一つ。同じ国土に暮らし同じ空気を共有していてるのに、百年たっても千年たっても歴史上の経緯を理由に、彼らは日本人になるのを拒否し続けるのだろうか? 少数が多数に融和するのは、この列島で縄文の昔から幾千万回も繰り返されてきた自然な流れだと思うが。

m_debugger Re: いいことが書いてあるんだろうけど URL 2010-03-25 (木) 13:43

>通りすがっただけですよさん

コメントありがとうございます。

>どこまでが引用でどこが主の論述なのか区別がつきがたい。

青い囲みになっている部分が引用部なのですが、色が見えにくいというご指摘でしょうか?色はすぐに変えられるので、その場合は改めてご指摘ください。(音声読み上げソフトでは<blockquote>で引用部が明示されるので区別はつきます。)

>コメント投稿文のほうが論旨が簡潔でわかりやすく、本文理解に有り難かったかったかも。

なるほど。今後の参考にさせていただきます。

>それでも疑問が一つ。同じ国土に暮らし同じ空気を共有していてるのに、百年たっても千年たっても歴史上の経緯を理由に、彼らは日本人になるのを拒否し続けるのだろうか? 少数が多数に融和するのは、この列島で縄文の昔から幾千万回も繰り返されてきた自然な流れだと思うが。

では、なるべくわかりやすく指摘します。

>「同じ国土に暮らし」
→朝鮮人にとって日本は自「国」ではありません。

>「同じ空気を共有していてる」
→朝鮮人は日本人と「同じ空気を共有してい」ないと思います。

この例はあまりよくないのですが、例えばDVの加害者と被害者が同じ家に住んでいるとすれば、加害者にとっての「家」と被害者にとっての「家」の意味、加害者にとっての「家庭の空気」と被害者にとっての「家庭の空気」は、まったく違うものだと思いませんか?

>「百年たっても千年たっても歴史上の経緯を理由に、彼らは日本人になるのを拒否し続けるのだろうか?」

→設問が間違っています。ここで問うべきなのは、「百年たっても千年たっても」日本人は「歴史上の経緯」に向き合わず、植民地支配責任と侵略戦争責任を取ることを「拒否し続けるのだろうか?」というものです。上の例で言えば、変わらなければならないのは加害者であり、被害者が加害者に擦り寄る必要は少しもないということです。

>「少数が多数に融和するのは、この列島で縄文の昔から幾千万回も繰り返されてきた自然な流れだと思うが。」

→在日朝鮮人は日本の「少数」民族ではなく、朝鮮民族の一員なので、日本民族との関係は単なるマイノリティとは違います。また、同化政策は民族を抹殺しようとするジェノサイドであり、どのような意味でも「自然な流れ」ではありえません。仮にそれが「幾千万回も繰り返されてきた」ことだとすれば、それは日本民族(の中核をなす人々)が「幾千万回も」不正義を「繰り返」してきたことを意味するのであって、改めて日本民族の支配責任の大きさを示す証拠になると思います。

m_debugger 引用部の色を変更しました URL 2010-03-25 (木) 20:30

上記に関連して引用部の色を変更しました。
>jimpowerさん
感謝です。これだと断然見やすいですね。ありがとうございました。

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「共存はジェノサイドである」――偉大な友愛(ビッグ・ブラザー)のスローガン①

【3/20 追記】 ヤメ蚊氏への一連の批判のうち、日本と朝鮮の歴史的経緯に関する部分(「話は少し変わるが、産経新聞は、朝鮮半島から強制徴用され、そのまま日本にとどまった人の数が実は少ないという報道をした。〔中略〕産経新聞の報道に賛同する人は、朝鮮半島出身者はそのような人権侵害国家に帰るべきだったというのだろうか」)に対する私の文章は、ヤメ蚊氏の当該記事への批判としては必ずしも適切なものではないかもしれません。けれども、ヤメ蚊氏は、歴史的文脈を捨象して北朝鮮を人権侵害国家として名指す記事をこれまでにもいくつか発表されており(一例)、今後もそうした記事を書かれることもありうると思われるため、私の当該文章も当面そのまま掲載しておくことにします。



●衆議院・本会議審議録(3月16日)

 本日3月16日、高校「無償化」法案が衆議院を通過した。衆院本会議では、田中真紀子・文部科学委員長が法案の趣旨説明および文科委員会での審議経過の報告を行い、下村博文・自民党議員が反対討論を、本村賢太郎・民主党議員が賛成討論をした(▼1)後、民主党・社民党・国民新党・公明党・共産党の賛成多数で法案が可決された。以下に討議の内容(要約)を紹介する。

田中真紀子(民主党):無内容なので省略(朝鮮学校について言及なし)

下村博文(自民党):本法案の審議打ち切りと強行採決を非難する。朝鮮学校については第三者機関に丸投げすると報道されているが、国会の審議ではこのことには一言も言及されないまま、国会の外で鳩山総理が発言を繰り返している。「政治主導」とは民主党独裁ではない。「民主党諸君の猛省を求め」る。

本村賢太郎(民主党):無内容なので省略(朝鮮学校について言及なし)

 推定1930年代脳の下村の発言が相対的にまともに思えてくるほどだが、確かに下村が指摘するように、朝鮮学校の排除についても、「第三者機関」による朝鮮学校の教育内容の検証とやらについても、国会で決定されたことは何もないのであって(川端文科大臣が国会審議で言及したのは、すべての外国人学校の教育課程をチェックする基準と方法を決めるために「第三者機関」などを設置して検討することもありうる、ということにすぎない)、このふざけた状況は参院審議を経て法案が成立するまで変わらないように思われる。


●「共存はジェノサイドである」――偉大な友愛(ビッグ・ブラザー)のスローガン①

 ところで、先日のエントリーで、私は次のように書いた。

「左派の多くは、在日朝鮮人を、長期的には「掃討」(=同化/ジェノサイド)の、短期的には「和解」(=「共存」)の対象として見ているのであって、前者に対する無自覚こそが、彼ら・彼女らの「善意」の源泉である、と私は思っている。」

 読者によってはこれが暴論であると思われるかもしれないので、一つ実例を挙げて検討してみたい。取り上げるのは、ブログ「情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)」の3月14日付記事「朝鮮学校除外問題、外国人参政権問題にみる近視眼的考え方の跋扈…日本市民は脳なしになったのか」である。ヤメ蚊氏は「憲法と人権を守る市民の側からの情報発信とコミュニケーションを提案」する「NPJ」の編集長でもあるので、「左派の多く」を象徴する人物としても相応しいのではないかと思う。では、さっそく内容を見ていこう(強調は引用者による)。


 民主党は、高校無償化の朝鮮学校への適用について、4月からは行わない方針を明らかにした。もう少し基準について検討するのだそうだが、これについて、批判的な声が過半数を占めているという話は残念ながら聞かない。また、外国人参政権についても、特定の自治体に「外国人」が住所を移し、その自治体を乗っ取り、将来的に日本が乗っ取られるなどという妄想を信用して反対する人が結構いるらしい。

 いつから日本の市民は、脳なしになったのだろうか?


 「脳なし」という言葉もどうかと思うが、仮に「脳なし」=レイシスト的ということであれば、明治以降ずっとそうである、と答えておく。


 高校無償化問題についていえば、差別的な待遇を受けることで、朝鮮学校で学ぶ多くの若者が日本国家及びそれを支持した市民に対してどのような感情を抱くかを考えてみれば、差別的取扱いをするべきではないことは明らかだ。

 日本に住む彼ら彼女らは、今後も、現在と同じく日本の市民として生活を続けるわけだ。そのような人々に向かって、いきなり、差別をしてしまえば、日本国家及びそれを支持した市民に対してよい感情を持つはずがない。そのことが将来の彼らの行動にどのような影響を与え、それがそのほかの市民との間でどのような問題をもたらすかを考えて欲しい。


 ついつい全文強調してしまったが、こうした朝鮮学校「擁護」論は、リベラル・左派の代表的なテンプレの一つになっているようである。けれども、こうした「擁護」論は、在日朝鮮人の民族自決権を真っ向から否定する、橋下府知事の理屈に対して、最良の場合でもほとんどまったく太刀打ちできないだろう。なぜなら、と書くのもバカバカしいが、ここで危惧されている、「差別的な待遇を受けることで」「朝鮮学校で学ぶ多くの若者が日本国家及びそれを支持した市民に対して」「抱く」であろう「感情」とは、一言でいえば「反日」感情に他ならないからである。

 言うまでもないが、朝鮮学校で学ぶ在日朝鮮人を「反日」にさせないために、朝鮮学校を差別するべきでない、という朝鮮学校「擁護」論は、朝鮮学校の教育内容はそもそも「反日」なのだから、日本国家/日本社会は民族教育に介入するべきである(したがって「無条件」に高校「無償化」法案の対象とするべきでない)、という橋下の論法の前では、ほとんど無力である。しかも、ここでは在日朝鮮人は問答無用で「日本の市民」とされているのだから、これまた「朝鮮人児童はそもそも「日本側の子ども」なのであり、朝鮮人の教育ではなく「正常な学校」で学ばせねばならない」という橋下の講釈にはとても敵わないだろう。

 ついでに言えば、「そのような人々に向かって、いきなり、差別をしてしまえば」という表現には、民主党政権を支持するリベラル・左派の、レイシズムに対する認識が、如実に表れているように思う(民族差別ジョークとしては笑える部類に入るのかもしれないが)。「そのことが将来の彼らの行動にどのような影響を与え、それがそのほかの市民との間でどのような問題をもたらすか」という「危惧」についても、日本人原理主義への批判・対抗を通じて、在日朝鮮人(外国人)同士あるいは在日朝鮮人(外国人)と日本人が連帯しうることを考えれば、「そのほかの市民」とは、朝鮮人として生きようとする在日朝鮮人(要するに「親日」ではないすべての在日朝鮮人)の存在そのものが「問題」であるとする日本人原理主義者たちを意味する(もちろんリベラル・左派の多くがその一員である)、と言って差し支えないのではないか。


 たとえば、「出て行け」、というだけでなく、現実にそれが実現するのであれば、いまのうちから差別をしてしまうという選択肢もありうるかもしれない。しかし、現実には、そんなことは不可能だ。すでに日本における結婚のうち20組に一組は片方が外国籍の配偶者となっており、東京ではさらに高く10組に一組という状況だ。その状況で、外国出身者出て行けなんて言えるはずもないし、朝鮮半島出身者だけに出て行けなんて言えるはずもない。(参照→http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/a3b58bb405dc8f6786a64049e54a6c54)


 ・・・・・・これほどストレートに私の主張の正しさを証明していただけるとは、何というか言葉もないが、とりあえず先日のエントリーから再掲しておく。

 「さらに言えば、「掃討」が不可能であるから「和解」を提唱する(「掃討」の延長上に「和解」を位置づける)伊勢崎の言説を批判しない左派は、実はアジア諸国との和解においても、「反日」の「掃討」が単に不可能であるから「和解」を主張しているだけなのではないだろうか。実際、「国民基金」や、私が「第二の国民基金」と呼ぶ「慰安婦」立法は、アジアの「反日」に対する「掃討」の欲望とその不可能性が、左派に「現実主義的」「和解」路線を取らせる例として見ることができると思う。そもそも、左派の多くは、在日朝鮮人を、長期的には「掃討」(=同化/ジェノサイド)の、短期的には「和解」(=「共存」)の対象として見ているのであって、前者に対する無自覚こそが、彼ら・彼女らの「善意」の源泉である、と私は思っている。」

 あと、日本人との結婚が増えたから在日朝鮮人(外国人)に「出て行けなんて言えるはずもない」って、何これ?在日朝鮮人(外国人)を家族に持つ日本人いる(そして1984年の国籍法「改正」によって両親のいずれかが日本国籍であれば子どもは半自動的に日本国籍になる)のだから、「出て行けなんて言」ったら、日本人の配偶者や子どもたち怒るだろうってことですか(▼2)?素朴な疑問ですが、「憲法と人権を守る市民の側からの情報発信とコミュニケーション」って、何・・・・・・?


 だとすれば、いかに、将来、日本市民として共生していけるかを考えるほかなく、そのために、日本国家や彼ら以外の市民が彼らをどのように受容するかが重要となる。

 差別しても、相互の対立感情をあおるだけであり、問題の解決にはならない。


 在日朝鮮人に対する「寛容」論の問題点についてはすでに触れたので繰り返さない。


 日本の市民は、拉致などの問題に目を向けさせられてしまい、このような長期的な観点で物事を考えることができなくなっているのではないだろうか?

 外国人参政権については、反対する人は、少人数の自治体が外国人によって乗っ取られ、それが最終的に日本という国が乗っ取られることにつながるのだという。

 馬鹿じゃないだろうか。

 もし、仮に、特定の自治体で日本国籍の者が差別を受けるようになったら、その時点で地方参政権について見直しをすればいいだけのことではないか。いったい、何を恐れているのか?恐れている人はこれまでの人生で投票を一回もしたことがない人ではないのだろうか?問題が起きれば、投票行為によって修正することは十分に可能なはずだ。


 「長期的な観点で物事を考える」→日本人の排他的な既得権(地方参政権を含む)を脅かさない範囲においてのみ外国人参政権を暫定的に認めるべき・・・・・・って、どんだけ外国人をナメてるんだ(というわけで、非日本人に「身の程」を知らしめて「社会の一員」としての「恩恵」を与える類似例はこちら)。


 この問題についても、結局、一自治体において、外国人人口が過半数を占めて、外国人に有利な政策をとる首長や地方議員が選出されるということまでの短期的シナリオは思いついても、それ以降、さらに、それが現実にいかにほかの自治体に拡大していくのか、などという長期的な視点で考えることをしないまま、短絡的に恐怖感をあおっているに過ぎない。


 ・・・・・・私はヤメ蚊氏のエントリーにも十分恐怖感をあおられるのだが。


 話は少し変わるが、産経新聞は、朝鮮半島から強制徴用され、そのまま日本にとどまった人の数が実は少ないという報道をした。強制徴用された人は帰国し、それ以外の形で日本に来た人が自発的にとどまった人の方が圧倒的に多いのだという。

 そのようなデータにいったい、何の意味があるのだろうか?

 戦後、朝鮮半島は、内戦に陥り、北では非人道的な独裁体制国家が出現し、南では人権を無視した軍事政権が長く続いた。産経新聞の報道に賛同する人は、朝鮮半島出身者はそのような人権侵害国家に帰るべきだったというのだろうか。

 産経の報道に賛同しようがしまいが、「戦後」の日本が、端的に死刑を意味することさえ少なくなかった、分断朝鮮への強制送還(▼3)を含むジェノサイドを、在日朝鮮人に対して恒常的に遂行してきた歴史と責任は消えないし、民族教育の弾圧もそうした文脈から捉えるべきだろう。朝鮮人(として生きようとする朝鮮人)の抹殺を企てる人権侵害国家として日本人が名指すべき国家は、軍事政権下の韓国でも北朝鮮でもなく、過去の、そして現在の「平和国家」「民主主義国家」日本である。


 そもそも、日本による韓国併合がなければ、朝鮮半島において、このような悲惨な事態は出現しなかった。また、強制徴用労働者以外の形で、日本に来ることもなかったはずだ。

 ある意味、戦後日本にとどまることを決意した朝鮮半島出身者は、難民であり、その難民を作り出した責任は日本にあるといえる。そのような背景を考えれば、「自発的にどどまっただけだ」という議論の浅薄さが明らかになる。

 実際には、日本は、現在、北朝鮮で抑圧されている多くの市民、悲惨な刑罰を加えられているであろう多くの市民に対して責任があるし、韓国軍事政権下で命を失った多くの民主活動家に対しても責任がある。

 朝鮮半島との関わりを考える際には、歴史的にも将来的にも長期的な視野が必要になる。それができないような日本市民になったのは、いったい、誰のせいだろうか?


 「朝鮮半島との関わりを」「歴史的にも将来的にも長期的な視野」で考えた結果が、在日朝鮮人を今すぐ「掃討」することはできないから、当面は「共存」するしかない(「「出て行け」、という」「ことは不可能だ」から、「彼らをどのように受容するかが重要となる」)、という結論なのだから、やはり、橋下的なるものと「左派」との境界線および「在特会」的なるものと「左派」との境界線は融解している。

 それにしても、私が心底不思議だと思うのは、こうした朝鮮学校「擁護」論を唱えるリベラル・左派の多くが、今回の朝鮮学校排除にどうやら憤りを覚えているらしい、ということである。彼ら・彼女らはどうして怒っているのだろう?在日朝鮮人の民族自決権が侵害されているから、という理由でないことは明らかだから(建前上はそういうことになっていて、本人もその気になっている場合もあるようだが、言説レベルでは破綻が目立つ)、実際のところ、日本国家/日本社会/日本人(つまり「私」)の「寛容」な自己イメージ(妄想)が汚される(具体的には「反日」な連中に批判の「口実」を与える)といったこと(▼4)に対して怒っているのかもしれない。

 とすれば、こうしたリベラル・左派が群がって、一時的に民主党政権(の「政策」の一部)を「批判」してみせたところで何の意味もなく、むしろ自分たちの「寛容」さを相互に承認し合って終わるという、例の不気味な言論空間(<佐藤優現象>の餌場)が肥大化するだけのように思う。レイシズム批判の形を借りた日本人原理主義の横行を認めるべきではない(もっとも、ヤメ蚊氏の記事はもともとレイシズム批判にさえなっていないのだが・・・)。


▼1 公明党や共産党は賛成討論を行わなかった。その後の「子ども手当」法案の審議では両党とも賛成討論に加わっていたので、朝鮮学校の排除に加担したことがさすがに多少は後ろめたいのかもしれない(批判の矛先を姑息にかわそうとしているだけとも言えるが)。

▼2 念のため補足するが、これは家族だけでなく恋人や友人に話を広げた場合も同じである。特定の在日朝鮮人(外国人)を個人的に必要とする日本人がいるかどうかということと、在日朝鮮人(外国人)の普遍的人権とはまったくもって何も関係がない。日本人の「愛情」の管轄外にいる(もちろん「愛情」の定義は日本人に決定権がある)在日朝鮮人(外国人)には居住権を認めないかのような言説は、法務省の在留特別許可ガイドラインと比べても、遥かに恣意的で非人権的なものである。例えば、「女性の中には男性の配偶者になっている人もいるのだから、その状況で女性不要論を主張できるはずもない」などと主張したらどうなるだろうか?

▼3 朴慶植著『解放後 在日朝鮮人運動史』(三一書房、1989年)より引用する。


 解放後、一日も早く故郷への帰りを急いだ在日朝鮮人は指定港の下関、博多、仙崎港などに殺到した。連合軍総司令部から帰国輸送計画の指示が出る十一月一日まで、日本政府は自国民の朝鮮・中国からの引揚には力を注ぎながら朝鮮人の帰国については充分な対策をたてず、連合軍司令部からその怠慢を注意される有様であった。しかし朝鮮人は朝連の指導のもとに自主的な方法で帰国事業を推進し、関釜連絡線以外に小さな船を購入したり、借用して生命の危険までおかして玄界灘の荒波を渡って帰国したものが十二月二十五日までに前章で述べたように五五万人以上にも上った。

 十一月から帰国者の計画輸送が開始されたが、帰国者一人の所持金一千円、荷物二五〇ポンドというきびしい制限は、故郷に何らの経済的基盤のないものにとっては帰国しても前途に生活への不安が横たわっていた。一九四六年二月ごろから急激に帰国者が減少して一時休止の状態にあったが、それはアメリカ軍占領下の南朝鮮の政情不安と「終戦」のどさくさに朝鮮総督府当局の紙幣乱発に加えてアメリカ占領軍当局の占領政策の無能によるインフレ昂進が主な理由であった。しかし米・日両政権は一体となって在日朝鮮人の帰国政策を強力にすすめた。

 連合軍総司令部は一九四六年二月十七日「朝鮮人、中国人、琉球人および台湾人の登録に関する覚書」を発表し、帰国希望者の登録実施と、登録を怠る者や登録を希望しても日本政府の指示する期間までに出発しない者は、日本政府の費用による帰還の特権を失うとし、三月十八日を期して帰国希望者の登録を実施した。朝連二全大会では登録を各自の自由意志に委ねた。その結果六四万七千余人(七九%)が登録し、そのうち帰国希望者は五一万四、〇六〇人となっている。

 朝連滋賀県本部では三月十八日帰国対策人民大会を開き、一切の家具、財産を帰国と同時に輸送せよ、戦時悪法犠牲者を即時釈放せよ、帰国希望者の食糧は日本政府が無償負担せよ、所持金一千円制限を即時撤廃せよなどを決議し、当局に要求した。

 こうして同年五月に至って計画輸送が再開されたが、帰国者は減るばかりか、逆に朝鮮からの密航で再入国するものが増加した。五月以降日本政府は再入国朝鮮人を逮捕し、九州の唐津、佐世保、鐘崎などの密航者収容所に強制的に収容したのち再び朝鮮へ送還した。密航者収容所の生活は、劣悪な施設と食糧不足、非人道的な虐待で死亡者が続出した。福岡県東郷警察署では留置中の密航者一四人が死亡し、また箱崎では警官、警防団員が密航者一〇人に暴行して傷害者を出したりした。唐津収容所では三百余人が飢えそのうち多くの死亡者を出し、佐世保(針尾)収容所では七月二十四日から九月十五日までの八〇日間に約三百人の死亡者がでたといわれている。同年九月十三日連合軍総司令部渉外局は過去四十五日間に一万五千人の密入国者を逮捕したと発表した。現金一千円と二五〇ポンドの荷物を持って帰国した同胞は一ヵ月足らずの故国での生活で無一文となり、祖国解放、独立朝鮮への夢も消え、失望と生活の脅威にさらされ、再び玄界灘を渡ってこざるをえなかったのである。(pp.106-108)



 アメリカの朝鮮侵略戦争下、在日朝鮮人はその侵略を阻止し、祖国防衛のために合法、非合法のいろいろな形態をとって闘った。その反米反戦の闘いに脅威を感じた米・日支配者当局は結託して在日朝鮮人に対し一切の集会を取締り、反戦ビラ一枚配布しても占領政策違反(政令三二五号違反)として検挙投獄するなどの暴行を加えた。またサンフランシスコ条約の締結、「韓日会談」の開始、出入国管理令の制定などによる在日朝鮮人への抑圧政策は一段と強められていった。出入国管理令の制定は在日朝鮮人の韓国への強制送還の意図の表れとして反対運動が展開された。

 一方朝鮮戦争で避難民として日本に逃れてきた南朝鮮の一部の人たちは、「密入国者」として逮捕され、いったんは大村収容所に収容されたのち韓国へ強制送還された。一九五〇~五一年に三、一二五名が送還されている。〔中略〕

 五月十二日、サンフランシスコ条約発効後はじめて韓国釜山に強制送還された四一〇名のうち一二五名は「終戦」前から日本に在留していたもので、韓国政府から受入れを拒否され、十四日釜山からふたたび大村収容所に送還されてきた。被送還者たちは即時釈放を訴え再収用を拒んだが、聞き入れられずまたも大村収容所に収容された。〔中略〕

 大村収容所には一九五三年から五四年にかけて、一、四〇〇~一、七〇〇名の朝鮮人収容者が抑留されていた。被収容者たちの闘いは自治会の指導のもとに一九五三年六月、十一月にもつづけられた。十一月の被収容者たちの抗議集会には八百余名の警備員、警察官が襲いかかり、暴行の限りをつくして七名の収容者を棍棒で殴り殺した。この暴挙に憤激した被収容者たちは老若男女を問わず、二時間余にわたり四千余名の警官と闘った。被収容者たちの闘いは一九五四年三月、九月にもつづけられ座り込み抗議闘争、「死の断食」闘争を行なった。(pp.305-309)



▼4 例えば、国連人種差別撤廃委員会の勧告などは、こうした人々も「反日」と見なさないだろうから(もっとも、今のところであり、今後どうなるかは不明)、積極的にその内容を紹介して、自らの「寛容度」を自他に宣伝する材料にすることもありうる。ただし、こうした人々は、朝鮮学校への差別措置が<佐藤優現象>の政治的可視化である、という主張や、日本人の「寛容」妄想を一瞬で吹き飛ばす、戦争責任/戦後責任の法的履行を要求するアジアの呼びかけには、決してまともに向き合おうとしないだろう。

Comments:8

風鈴草 同化による「ジェノサイド」 URL 2010-03-18 (木) 13:21

私がこちらのブログを覗かせていただくようになったきっかけは、たぶん、佐高信氏と上坂冬子氏のことで、「私なら進んで慰安婦になった」という上坂氏の発言に対して、「あんな人に慰安婦になられても兵隊が迷惑だ」というようなことを言った佐高氏をm_debuggerさんが批判されていたのを見てからだったような気がします。おそらく多くの反・上坂の左派が(男性だけでなく、もしかしたら女性でも)単なるジョークとして、漫然と聴き過ごしてしまったかもしれない言葉を聞きとがめて、佐高氏の感覚を批判されているm_debuggerさんの鋭さに感服しました。

しかし、m_debuggerさんが在日朝鮮人と日本人との関係について語られている部分について言えば、私自身が日本人であり、身近に在日朝鮮人の知人もいないということもあって、少々、過激に感じてしまう部分もないでもなかったです。しかし、今度の記事を読んでいるうちに、m_debuggerさんのおっしゃることが少しずつですが、わかって来たような気もします。

ヤメ蚊さんのところは一時は私も見ていた時期もあったんですが・・・
とどのつまり、「朝鮮人差別なんかすると、日本国や日本人に、これだけの“デメリット”があるのに、何で、そんな“損得勘定”も出来ない馬鹿なのか?」というのが、「日本市民は脳なしになったのか 」という文句になっているということでしょうか?まさに「国益主義」ですね。(デメリットさえなければ、差別してもよい?)

正直なところ、「ずっと日本に住み続けるのならば、いずれは日本人(日本民族?)になってもらいたい」というのが、多くの日本人が定住外国人に対して抱く、漠とした願望なのでしょう。特に左派の場合、(たぶん私も含めて)そのことは半ば潜在意識的なものになってしまっているので、強く指摘されない限りはなかなか気付くことが出来ないのかもしれません。「日本人になってしまえば平等にしてあげられるのに、なんでならないの?」と“悪気なく”言ってしまうかもしれない危うさは、たしかに私自身にも無かったとは言えないのです。しかし在日の韓国、朝鮮の人たちにしてみれば、そんなことを言われて、何の抵抗もなく受け入れられるはずも無かったのですね。まさしく「共存はジェノサイドである」という言葉通りに。

「この同じ国土で、別の歴史や文化を持つ人たちと同じ権利を持って、この先の未来も共存していく」、日本人の側に、なかなかそのことが受け入れられないのはどうしてなのか?これから自分なりに考えてみようと思います。

m_debugger Re: 同化による「ジェノサイド」 URL 2010-03-20 (土) 23:27

>風鈴草さん

ここ数日バタバタしていたため、お返事遅れて申し訳ありませんでした。『週刊金曜日』は、今や「在特会」の桜井誠のインタビューを写真つきで(確か2枚も)報じてしまうような、差別主義者に宥和的な左派メディアになっているので、佐高の件はすでに遠い過去のような気がします。

>しかし、m_debuggerさんが在日朝鮮人と日本人との関係について語られている部分について言えば、私自身が日本人であり、身近に在日朝鮮人の知人もいないということもあって、少々、過激に感じてしまう部分もないでもなかったです。しかし、今度の記事を読んでいるうちに、m_debuggerさんのおっしゃることが少しずつですが、わかって来たような気もします。

いつも参考になるご意見ありがとうございます。私も文体がきついのはさすがに自覚しているので、たまに反省して、もう少し書き方を変えようと思ったりもするのですが(笑)・・・。

>ヤメ蚊さんのところは一時は私も見ていた時期もあったんですが・・・
とどのつまり、「朝鮮人差別なんかすると、日本国や日本人に、これだけの“デメリット”があるのに、何で、そんな“損得勘定”も出来ない馬鹿なのか?」というのが、「日本市民は脳なしになったのか 」という文句になっているということでしょうか?まさに「国益主義」ですね。(デメリットさえなければ、差別してもよい?)

私が不快に思うのは、こうした言説が朝鮮学校「擁護」論としてリベラル・左派の間で特に批判もされずに堂々と流通していることです。ここまで直截的な発言でなくても、左派が「国益主義」を掲げてしまえば、植民地支配責任・侵略戦争責任の清算はますます遠のくことになるので、その歴史的存在としての在日朝鮮人に対する差別意識が日本社会全体で強まることは必然だと思います。

他にも的のずれた朝鮮学校「擁護」論としてありがちなのは、「子どもに罪はない」というような議論ですね。子ども以外の在日朝鮮人には(拉致問題の)「罪」を負わせるべきだという理屈は排外主義そのものでしょう。あと、排外主義ではないし、何も間違ったことは言っていないのですが、子どもの普遍的人権だけに依拠するような(植民地支配責任を捨象するような)主張が声明文に多いのも残念だと思います。

風鈴草 目をそらしてきたこと URL 2010-03-21 (日) 19:01

>ここ数日バタバタしていたため、お返事遅れて申し訳ありませんでした。

ブログにこれだけの内容を載せられているのですから、それだけでも大変なことと思います。すぐにレスをいただきたいなどとは願いませんので、お気になさらないでください。

私も「私の闇の奥」の藤永茂氏のファンだし、翻訳家の益岡賢氏のサイトなどもよく見るのですが、欧米白人国家の横暴の歴史を見るのはまだ気が楽なものです。(日本が“共犯者”であった場合でも)でも、そう遠くはない過去に日本が近隣諸国に対してやってきたことに、日本人としてどう向き合うべきかということについては、ずっと目をそらして来たような気がします。

たとえば、従軍慰安婦のことは、たまたま、日本のマスコミで取り上げられるより十年以上は前の、十代の頃に知って、ひどいショックを受けたものです。たまたま通っていた高校の図書館で慰安婦について書かれた本を読んだのです。おそらく教職員の誰かが寄付したのではないかと思われる小さな古びた本で、本棚の下の方にひっそりとありました。当時の私にはあまりにショッキングな内容で、同じく読書好きだった別の学校に通う親友にも、話そうとしても話せずにしまったくらいでした。(それなのに、残念ながら著者名も題名も覚えていないのです。千田夏光氏の『従軍慰安婦』は、その数年後に書店で見て買ってみたのですが、その本とは違うと思いました。最近になって出版年代別の慰安婦関係の本のリストをネットで見つけて、該当しそうな本をネット古書店で買ったりもしてみたのですが、どうも違うようで、未だに不明です)

その後間もなく、父の年上の飲み仲間で、よく家に遊びに来ていた小父さんが(シベリア抑留を体験した人でした)酔った拍子に戦時中の話をはじめ「あの朝鮮の女たち、可哀そうだったなあ、可哀そうだったなあ」と呟くように言っているのを見て、おそらく慰安婦のことだろうと思ったものでした。(戦時中にはまだ子供だった私の父母には何のことかわからなかったようですが)

しかし、その後しばらくして、慰安婦問題が世間で騒がれるようになった時には、むしろ、そうした報道を見ないように、他人との話題にもしないようにして避けていました。ニュース映像に映る元慰安婦の女性たちを見て、身近な人が「あれは日本が豊かになったから金をたかろうとしているのだ」という中傷を言ったりするのを、内心では「それは違う!」と思いながら、議論しようとは思いませんでした。TVの映像から目を伏せてそそくさと席を立ったものです。

慰安婦のことを早くから知っていたという意味では私と同世代の中では異例かもしれませんが、もっと上の世代を入れれば、多くの日本人が私のような態度を取って来たことが、今の日本の閉塞状態の、けして小さくはない原因になっているのだという気がしてなりません。昔のこととして忘却して済む問題ではなかったのだと。

これからも、こちらでm_debuggerさんが書かれていることを、少々耳(目?)が痛くとも読ませていただこうと思っております。

m_debugger Re: 目をそらしてきたこと URL 2010-03-22 (月) 23:46

>風鈴草さん

日本軍「慰安婦」についての文献(日本語)は、朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、1965年)以前に、富田邦彦『戦場慰安婦』(富士書房、1953年)が、以後に、広田和子『証言記録従軍慰安婦・看護婦』(新人物往来社、1975年)、金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(三一書房、1976年)、吉田清治『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社、1977年)、金一勉編『軍隊慰安婦』(現代史出版会、1977年)、ドウス昌代『敗者の贈物』(講談社、1979年)、江先光『慰安婦秀雲』(叢文社、1982年)、川田文子『赤瓦の家』(筑摩書房、1987年)などがあり、「中帰連」の人たちの加害証言も1950年代からいくつか出ています。私は上に挙げたうち朴慶植氏の著作しか読んでいないので、ご参考になるかわかりませんが。

植民地支配責任・侵略戦争責任にどう向き合うかについて言えば、「国民基金」がその象徴であるように、日本人として果たすべき責任を明晰な論理で(一般の人々に対して)語らなければならないはずの知識人の大多数が、自らの社会的責任をかなぐり捨てて、ひたすら遁走を続けているというのが、90年代半ば以降の状況であると思います。最近ではこの人たちはますます劣化が進んでいるようなので、「今の日本の閉塞状態」の主要な原因は彼ら・彼女らにあるのではないかと私は思っていますが、「知識人」が頼りにならない分も、私たちが議論をしていくしかないでしょう。

いろいろと過分なご評価をいただいている気もしますが、今後ともよろしくお願いいたします。

風鈴草 本のリスト、ありがとうございます URL 2010-03-23 (火) 12:59

この前のエントリーのどこかに慰安婦立法へのリンクがあったと思い出し、読ませていただきました。
http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-38.html
大変な力作で改めて頭が下がりました。

国民基金が出来たのは私も知っていましたが「本来、国の責任で起こしたことを国民の寄付を集めて被害者をなだめようという発想はおかしい」と思ったし、何よりも、対象となる被害者の方々を侮辱するようなものではないかと思って、募金などする気にはならなかったものです。でも、その流れがその後どうなっていたかは、全くの不勉強で知りませんでした。

慰安婦関係の本のリストありがとうございます。私が以前見たリストには載っていないものもあるようなので、暇を見て探してみようと思います。これからもよろしくお願い致します。

通りすがっただけですよ いいことが書いてあるんだろうけど URL 2010-03-25 (木) 12:29

長文でかつ内容が多岐に亘っていて一読では理解できない。どこまでが引用でどこが主の論述なのか区別がつきがたい。もちっと絞ったほうが良いのでは。

無知な日本人は読むなとでも?

コメント投稿文のほうが論旨が簡潔でわかりやすく、本文理解に有り難かったかったかも。

それでも疑問が一つ。同じ国土に暮らし同じ空気を共有していてるのに、百年たっても千年たっても歴史上の経緯を理由に、彼らは日本人になるのを拒否し続けるのだろうか? 少数が多数に融和するのは、この列島で縄文の昔から幾千万回も繰り返されてきた自然な流れだと思うが。

m_debugger Re: いいことが書いてあるんだろうけど URL 2010-03-25 (木) 13:43

>通りすがっただけですよさん

コメントありがとうございます。

>どこまでが引用でどこが主の論述なのか区別がつきがたい。

青い囲みになっている部分が引用部なのですが、色が見えにくいというご指摘でしょうか?色はすぐに変えられるので、その場合は改めてご指摘ください。(音声読み上げソフトでは<blockquote>で引用部が明示されるので区別はつきます。)

>コメント投稿文のほうが論旨が簡潔でわかりやすく、本文理解に有り難かったかったかも。

なるほど。今後の参考にさせていただきます。

>それでも疑問が一つ。同じ国土に暮らし同じ空気を共有していてるのに、百年たっても千年たっても歴史上の経緯を理由に、彼らは日本人になるのを拒否し続けるのだろうか? 少数が多数に融和するのは、この列島で縄文の昔から幾千万回も繰り返されてきた自然な流れだと思うが。

では、なるべくわかりやすく指摘します。

>「同じ国土に暮らし」
→朝鮮人にとって日本は自「国」ではありません。

>「同じ空気を共有していてる」
→朝鮮人は日本人と「同じ空気を共有してい」ないと思います。

この例はあまりよくないのですが、例えばDVの加害者と被害者が同じ家に住んでいるとすれば、加害者にとっての「家」と被害者にとっての「家」の意味、加害者にとっての「家庭の空気」と被害者にとっての「家庭の空気」は、まったく違うものだと思いませんか?

>「百年たっても千年たっても歴史上の経緯を理由に、彼らは日本人になるのを拒否し続けるのだろうか?」

→設問が間違っています。ここで問うべきなのは、「百年たっても千年たっても」日本人は「歴史上の経緯」に向き合わず、植民地支配責任と侵略戦争責任を取ることを「拒否し続けるのだろうか?」というものです。上の例で言えば、変わらなければならないのは加害者であり、被害者が加害者に擦り寄る必要は少しもないということです。

>「少数が多数に融和するのは、この列島で縄文の昔から幾千万回も繰り返されてきた自然な流れだと思うが。」

→在日朝鮮人は日本の「少数」民族ではなく、朝鮮民族の一員なので、日本民族との関係は単なるマイノリティとは違います。また、同化政策は民族を抹殺しようとするジェノサイドであり、どのような意味でも「自然な流れ」ではありえません。仮にそれが「幾千万回も繰り返されてきた」ことだとすれば、それは日本民族(の中核をなす人々)が「幾千万回も」不正義を「繰り返」してきたことを意味するのであって、改めて日本民族の支配責任の大きさを示す証拠になると思います。

m_debugger 引用部の色を変更しました URL 2010-03-25 (木) 20:30

上記に関連して引用部の色を変更しました。
>jimpowerさん
感謝です。これだと断然見やすいですね。ありがとうございました。

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