<佐藤優現象> Archive

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湯浅誠と与謝野馨現象未満

 前二回にわたって湯浅誠と佐藤優の「対話集会」を観察してきたが、「湯浅誠書店」では初回のトークセッションとして佐高信との対談が行われている(「対話集会」と同じく下記サイトで視聴できる)。個人的な感想を言えば、持ち時間の数分の一を「芸者」ネタの政談に消費する佐高のダメさ加減が閃光を放つ対談だと思うが、それは今さらどうでもよい。どうでもよくないのは、湯浅がこの対談で与謝野馨への信頼感を表明していることである。


湯浅:「私ね、話聞いてくれるっていう意味では与謝野さんですね。与謝野さんは(!)真面目に聞いてくれる。じーっとこっちを見て、あの、こっちは喋ってるんですけど。あれは驚きましたね。あんなにちゃんと話を政治家に聞いてもらうことって、まずないので。」(01:05:50-01:06:10)
佐高:「なるほどねえ。」(01:06:10-01:06:11)
湯浅:「それはすごく、こう、この人信用できるっていう感じが、してきますよ。」(01:06:12-01:06:18)(▼1)


 ジュンク堂書店作家書店:「湯浅誠書店」
 http://www.junkudo.co.jp/14sakka.html

 この発言を聞いて、いくらなんでも与謝野はないだろう、と思った読者は、私に劣らず認識が甘いと言える。なぜなら、私も今回初めて知って驚愕したのだが、「反貧困」に与謝野はあったのである。


SPECIAL GUEST (順不同)
宇都宮健児(反貧困ネットワーク代表)、雨宮処凛(作家)、
稲場雅紀(「動く→動かす」事務局長)、蔵端美幸(NHK社会部デスク)、
清水康之(ライフリンク代表)、鳩山由紀夫(民主党)、与謝野馨(たちあがれ日本)
小池晃(日本共産党)、福島瑞穂(社会民主党)


 反貧困たすけあいネットワーク:「チラシ完成!BREAD AND ROSES 6 ~私たちにパンと誇りを!~」
 http://d.hatena.ne.jp/tasukeai-net/20101210/1295327057

 ・・・・・・「反貧困たすけあいネットワーク」発足3周年記念イベント(2010年12月9日に六本木で開催)における与謝野の発言(あんなこともこんなことも言っている)と、主催者側(湯浅誠、河添誠)の与謝野への歓待ぶりも動画で確認済みなので、これも書き起こしておこう(▼2)。当然のことではあるが、与謝野に対する会場の拍手はまばらであり、一般参加者の多くは湯浅たちが与謝野をひどく厚遇していることに戸惑っているように思う(というか、私も当惑してしまうのだが)。

 ところで、「反貧困たすけあいネットワーク」主催のイベントに与謝野が登場したのは、実はこれが初めてではなく、確認できた範囲では、少なくとも2008年6月29日開催の「BREAD AND ROSES 2」(40:25-47:27)に始まって、2010年6月3日の「BREAD AND ROSES 5」にも与謝野は登壇し、「スペシャルゲスト」待遇で迎えられている。特に2010年6月といえば参院選前であり、とりわけこの時期に「反貧困たすけあいネットワーク」が「たちあがれ日本」の共同代表(当時)である与謝野を歓迎する姿勢を打ち出すことが、(湯浅たちを強く信頼している)「反貧困」運動の当事者や支援者に対して悪影響を与える――与謝野らの排外主義的主張に対する、彼ら・彼女らの警戒心や嫌悪感、批判的意識を弱める――方向に作用した(している)であろうことは、否定しようがないと思う。

 それでは、湯浅たちはこのことに対する責任をどのように考えているのだろうか。結論から言えば、湯浅は問題を「一人一人」の「見る目」に転嫁することで、自らが与謝野を持ち上げていることの責任を軽視ないし無化しようとしているように見える(強調は引用者による)。


6月3日、六本木のライブハウス、スーパーデラックスで「BREAD&ROSES5」が開催された。一緒にやっているKさんの発案で、「六本木」の「ライブハウス」などという、いままでの運動業界ではあまりやってこなかった試みに着手したのが3年前。いまではすっかりたすけあいネットの看板イベントとして定着している。

今回は、参議院選挙前ということもあって、政党政治家を多く呼んで「選挙シフト」で開催。民主党・中根やすひろ、自民党・加藤勝信、共産党・小池晃、たちあがれ日本・与謝野馨の各議員が参加してくれた。

驚いたのは、今は小党とはいえ、前財務大臣・経済財政担当大臣の与謝野さんが来てくれたこと。「他のイベントと勘違いしてるんじゃないか?」というのがもっぱらのウワサだったが、ご本人にその気配はなし。「この国の豊かさが失われてしまうんじゃないか」という危機感と自説をしっかりと説明して帰っていった。

こうした与野党をそろえてのイベントは、政治への関心を高め、一人一人が「どの政党の主張が妥当か」を見極める材料提供のためにある。選挙が絡むと「どうせキレイゴトしか言わない」という皮肉な見方はあるし、たしかにその気もある。でも、政治家からすれば、少しでも票を増やしたいのだから、あたりまえ。一つ一つの言葉から「本気度」を判断するこちらの「見る目」が問われることでもある。

イベントの内容は、ユーストリームで実況中継され、その画像は今でも見ることができる。URL:http://bit.ly/a0HUwu

まだ見ていない方はちょっとでも覗いて、各政党が若年のワーキングプア問題にどういう姿勢で臨んでいるのかを垣間見ていただきたい。

【湯浅】


 反貧困たすけあいネットワーク:「6/3 BREAD AND ROSES5~私たちにパンと誇りを!~イベント報告(その1)」
 http://d.hatena.ne.jp/tasukeai-net/20100617/1276579631

 湯浅はここで、政治家が「キレイゴトしか言わない」のは「あたりまえ」であり、政治家に騙されないことも含めて「こちらの「見る目」が問われる」という一般論を述べている(主催者側はあくまで情報提供役にすぎないという見解が示されているように思う)が、何より湯浅自身がイベント中にもブログ上でも(その他、佐高との対談などでも)与謝野馨という特定の政治家の「本気度」を称える姿勢を公的に鮮明にしている以上は、湯浅に信頼を置く当事者や支援者の一部が、「たちあがれ日本」や与謝野を支持したり、そこまで行かなくても警戒や批判を解いたり弱めたりするような判断をしたときに、そのことに対して湯浅が相応の責任を負うべきことは明らかであると思う(仮にそれすらも「貧困層の右傾化」という説明で片づけられてしまうのだとすれば、まさに「自己責任論」の極致だろう)。

 与謝野を持ち上げることの社会的悪影響(に対する自らの責任)を省みようとしない(ように少なくとも外からは見えてしまう)上記の湯浅の論理は、<佐藤優現象>を推進することの社会的悪影響などあたかも存在しないかのように振る舞っている、リベラル・左派メディア関係者のそれに通じる側面があるように思う。もっとも、湯浅の場合は、<佐藤優現象>推進メディアのように大衆を侮蔑していないからこそ、「一人一人」の判断を「尊重」するという理屈で、逆に自らの責任を軽視ないし無化するような論理になっているのだが。

 もちろん、与謝野の場合には、消費税はどうなんだという、わかりやすすぎる突っ込みどころがあるために、これが与謝野馨現象にまで発展する可能性はあまりないと思うが、消費税増税と格差是正のセットを一部のリベラル・左派が容認している「論壇」においては、与謝野馨現象未満のような不気味な期待論が行き交うことになるかもしれない(ただし、一般的にはほとんど説得力を持たないだろうが)。現に『世界』最新号(2011年3月号)では、例によって山口二郎がさっそく与謝野にエールを送っている(「民主党の“失敗”――政党政治の危機をどう乗り越えるか」)。山口はこの論文(というより最早プロパガンダのようなものであるが)で、「財務省と経済界という二つの主体」によって主導される消費税増税に反対する一方で、「大きな負担で大きな福祉国家を作る」=「日本人の生活を支え」るという「幅広い国民的合意」を調達した上での消費税増税には含みを持たせている(▼3)

 湯浅がこの落としどころを内心で容認してしまっているのかどうかは、私には判断がつかないが(そうではないと思うのだが)、いずれにせよ、一般に「貧困層の右傾化」として片づけられている現象が、与謝野馨を持ち上げるような――排外主義との共存を可能にしてしまうような――「反貧困」運動(を推進する指導的な人々)のあり方と無関係ではありえないことだけは、この機会に確認しておきたい。


(▼1) 一応前後の文脈も紹介しておくが、我ながら一体何を書き起こしているんだという感じである(語尾などに若干異なる箇所があるかもしれないが、ご容赦いただきたい)。「芸者というサバルタンな視点から政治を語れる俺」という佐高の女性観と自意識は相当痛いのではないかと思うが、それは今さらとして、佐高や湯浅が以下で批判している、相手との権力関係によって立ち振る舞いを豹変させる「残念な」人物の標本こそ、まさに佐藤優ではないのだろうか(「対話集会」がそのよい例である)。


佐高:「あるところの社長はね、これは名前は挙げられないけど、この人重役にしていいかどうかっていうときに、料亭に連れて行って、候補者を何人か。で、芸者に判断させる(笑)。芸者に判断させるっていうのは違うの。判断はさせないんだよ。判断は自分ですんだけど。芸者との応対を見るわけなんです。」(01:03:01-01:03:24)

湯浅:「ほー、ほー。ちょっと、わかるような気がします。あのー、タクシーとか呼んだときに、運転手さんに乱暴な口聞く人いますよね。あの、普通に私と話しているときは何か丁寧なんだけど、何か運転手さんに対しては、何かすごく上、上下にあるような言い方をする人ってのがいて。それは非常にその人の残念な面を見ているらしいから。そういう話ですよね。」(01:03:24-01:03:56)

佐高:「そう。わかるでしょ。例えばね。あのー、ものすごく反発招くあれしますが、菅と小沢が料亭に行った場合に、どっちがモテるか。決まってるんです。菅はモテないんです(笑)。つまり、わかんない話ばっかりするんです〔会場笑い〕。芸者にわかる話はしないの、菅は。できないんです。その、政治の話しかできない(笑)。それがいいかどうかはまたあれだけども、小沢はね、あんまり偉そうにしてるって言われるけども、そうじゃないんだよね。あの人、あのー、まあ、また話があれですけども、私があの、大好きな通産次官で佐橋滋って人、あの人、城山三郎が『官僚たちの夏』の主人公にした、通産次官にまでなりながら非武装平和を追求した人ですけどね(笑)。この人が芸者にモテたっていうんだよね。なんでかっていうとね。芸者の引く三味線なんかを本気で聞いてたんだよね。」(01:03:58-01:05:12)

湯浅:「はー、はー」(01:05:12-01:05:13)

佐高:「聞いてないんだよ。みんな。例えば政治家同士の談合だったら、自分たちの談合を喋るところでやるわけじゃない?そうすると、その人たちは、その、立つ瀬ないわけよ。〔一部聞き取れず〕でも、その、いろんなその、水商売の女性だって、やっぱりいろいろ幾変遷を経て(笑)、そこに来てるでしょ(笑)。と、そうすると三味線なら三味線弾く。それ、誰も聞いてないんじゃ、やっぱり、あのー、さらに、おもしろくないわけですよ。」(01:05:15-01:05:48)

湯浅:「はい。あー、よくわかります。それも。私ね、話聞いてくれるっていう意味では与謝野さんですね。与謝野さんは(!)真面目に聞いてくれる。じーっとこっちを見て、あの、こっちは喋ってるんですけど。あれは驚きましたね。あんなにちゃんと話を政治家に聞いてもらうことって、まずないので。」(01:05:48-01:06:10)

佐高:「なるほどねえ。」(01:06:10-01:06:11)

湯浅:「それはすごく、こう、この人信用できるっていう感じが、してきますよ。」(01:06:12-01:06:18)

佐高:「湯浅さんが今、芸者の立場に立ってるわけね。(笑)」(01:06:18-01:06:20)

湯浅:「そうそうそう(笑)。だってなかなか話聞いてもらったことないんだもん(笑)」(01:06:20-01:06:24)

佐高:「なるほどね(笑)。それでね。面白いのはね。あのー、これは中曽根康弘の話なんだけども、ある芸者がちょっと、あのー、ちょっと何ていうのかな、あのー、意地っ張りな芸者がいて、中曽根がいる席でね、『私あの人嫌い』って、中曽根に聞こえるように言った。中曽根は知らん振りしてるでしょ。『無視するところがもっと嫌い』って言った(笑)。うんとね、中曽根って人はね、そこにいる人によって態度違う。つまり、その、例えば自分がその、ゴマすらなきゃなんない人ってのに対しては、徹底的にゴマする。で、自分が偉そうにできる人には偉そうにしてる。そこにしかし芸者はいるわけよ。ね。すると、芸者にとってみれば、自分は石のごとき存在なんだ。芸者には自分がそういう態度変わったことを見られてもいいって思ってるわけでしょ。だから無視してるんですよ。ね。そういうのが、あのー(笑)〔以下略〕」(01:06:26-)


 与謝野馨といえば中曽根康弘、という話も、佐高の手にかかっては、どうやらこんなものであるらしい。それにしても、「普通に私と話しているときは何か丁寧なんだけど、何か運転手さんに対しては、何かすごく上、上下にあるような言い方をする人」(湯浅)、「自分がその、ゴマすらなきゃなんない人ってのに対しては、徹底的にゴマする。で、自分が偉そうにできる人には偉そうにしてる」人(佐高)というのは、やはり佐藤優のことだと思うのだが。

(▼2) 

第7位 「第2のセーフティーネット」

河添:「えー、スペシャルゲストは、あー、与謝野馨さんです。」(30:02-30:06)
湯浅:「どうぞ。」(30:07)
河添:「よろしくお願いいたします。」(30:08-30:09)

〔まばらな拍手、与謝野登場〕

湯浅:「ご無沙汰しております〔まばらな拍手〕。えー、みなさん『第2のセーフティーネット』というのはご存知ですかね?あの、前にここでも一回やりましたけども、あのー、今、訓練・生活支援給付とか、住宅手当とか、総合支援資金貸付とか、言われているもの、まあ全部まとめて「第2のセーフティーネット」って言うんですが、あのー、あれはあのー、ご存じない方もおられるかもしれませんが、実は、あのー、えー、平成21年ですか、2009年のあの、第一次補正で、えー、入ってできたものでして、当時はあのー、自公政権、政権交代が8月ですから、その前なんですね。えー、ですので、あれを作られた中心人物というのは、あのー、実は自公政権の方たちで、その中でも中心になっておられたのが与謝野さん!ということで、えー、今日はそのことを伺いに、与謝野さんに来ていただきました!〔まばらな拍手〕」(30:25-31:24)

与謝野:「えー、与謝野馨でございます。えー、失業っていうのは、あのー、中曽根〔康弘〕さんが、あのー、何年前、40年ぐらい前に、わたくしに言っておられたのは、『与謝野君、失業っていうのが社会的にも世の〔?〕中の最も大きなものの一つだよ』と。そういう認識を持ってる。それはあのー、自民党っていうのは、あのー、実際はあのー、非常に社会主義的な政策をやってきた、実は政党であったわけです。で、平成、2008年にリーマンショックが起きたときに、我々はそれまでまあ、いろいろな勉強をしてましたんで、その、何が恐ろしいかというと、やっぱりニッポンの経済が底が抜けちゃうと。これがまあ、最も恐ろしいなと、あのー、思ってました。

 そこであのー、失業っていうのはどういう数字になるかっていいますと、ヒットラーが出てきたときのドイツの失業率は44%くらいですから、ま、だいたい4割以上の人が失業してたというので、ああいうナチスという泡沫政党が一気に政権を取っちゃった。そういう背景があります。それから1929年の世界大恐慌の後ですけども、えー、そのときあんまりみんな気がつかなかったんですけど、3年経ったときに失業率は33%になっていました。

 えー、現在の日本の失業率が5%、アメリカは10%ですけども、この5%ってのは実はえー、本当に社会の実態を反映していないと。実は失業っていうのは、あのー、企業内失業といって、会社がすぐ、この、解雇なんてことをしないで、会社の中で人を変えてるわけです。それは企業の負担になりますから、えー、それは雇用調整助成金という制度で、それは面倒見てます。それから失業保険というのもありますと。だけども、それだけじゃ不十分ではないかというのが、皆さんの意見で、で今湯浅さんが言われた『第二のセーフティーネット』っていうことで、何をしたかと。解雇された途端に社宅を出て行きなさいと言われる、と。これに対する手当をどうするか。他に行こうっつっても、技術がない、というのは、方は、訓練期間にちゃんと政府がお金を用意して、生活もできる、再訓練もできる、そういう制度も作りました。

 その他、あのー、いろんな細かい政策をやったんですが、それどういう手法に基づいてるかっていうと、あのー、政治はマクロ、全体のことも実は考えなきゃいけないんだけども、日本経済全体、どうするかっていうことも考えなきゃいけないんだけども、ミクロの部分、いわゆる個人のレベル、あるいは小さいコミュニティの中で何が起きてるか、そういうこともちゃんとわかって政策をやらないと、そのー、本当の正義ってものは実現できないんだろう、とまあ我々思ったわけです。

 で、今年もあのー、、新卒の人たちの就職状況ってのは、高卒で5割くらいの方がまだ決まんないと、大卒で決まった人は6割しかいない。これはもう異常な世界であって、これはやっぱり正していくっていうこと、やっぱり政治を真剣にやんなきゃいけない。それともう一つはやっぱり、私もよく言ったんだけども、同じ職場で同じ仕事をしてて、賃金がこんなに違うと、それから、健康保険とか年金とかもこんなに違うと。これはやっぱり社会的不公平、不正義であるというのが、あの、自民党の実は考えでもあったわけです。

 そこであのー、日本の経済っていうのは容易じゃない。なぜかっていうと、中国や東南アジアの安い賃金が、ニッポンの賃金を低い方に引っ張っていくと。低い方に引っ張っていく。グローバライゼーションというのは、経済に国境はないわけですから、どうしても、あのー、例えば、これはどなたか会社をやってて工場を作ろうっていうときに、資本をどうやって調達すんのか、土地はあるか、労働者はどうなんだ、労賃はどうなんだ、税制はどうなってんだ、社会的な背景はどうだ、そういうことを考えながら選択すんですけども、やっぱり今みたいな状況になると、経営者は安易に海外に出て行ってしまう、という、これをやっぱり是正するってことがやっぱり、政治の目標じゃなきゃいけない、と私はそう思っています。

 それで今、あのー、私は、あのー、野党になって、あのー、ほぼ政治家として失業してるんですけども〔会場やや笑い〕、あのー、ちゃんとよく真面目に遊んで真面目に勉強しようっていうんで、えー、テーマを決めて勉強してんです。一つはあのー、物理とか数学とかって、そういう別の分野の勉強してんですが、これはやっぱり脳細胞が衰えないようにやってるんですが、あのー、一月くらい前から、哲学の本をいっぱい読んでて、さっき共産党の小池さんがおられたんで、今ちょっとマルクスの勉強を始めたとかって言ったんですけど。小池さんが『それはいいことだ』って仰った〔湯浅笑い〕。

 それで、今あのー、政治の状況っていうのは、あのー、アリストテレスっていう万学の祖という、あらゆる学問を開いたギリシアの哲学者がいるんですけども、そのアリストテレスはその国家論の中で三つの政治体制を、あのー、比較してるんですよ。専制君主の政治、それから貴族が政権を取ってるっていう政治、それから民主制。で、どの政治体制も悲劇が待ってるんです。民主制も悲劇が待ってる。それは何かっていうと、みんなでやってるから、誰の仕事でもない。民衆は演説したり騒ぐんだけども、本当に仕事をしてる人は一人もいないんです〔会場やや笑い〕。これはほんとなんです。会議はせずとも決せずと。決しても実現せずと。そういうことになってる。それでまあ、私は日本の有権者のレベルは高いと信じてるんですけども、やっぱり自民党もちょっとモタモタしてたもんですから、ああいうデマゴーグが出てきて、えー、今やってんですけど、まあ政治がゴタゴタしたってどうってことはないんだけども、それによって国民が不幸になるってことは、これは許してはいけないことだと私は思ってます〔まばらな拍手〕。以上です。」(31:26-41:52)

湯浅:「はい、ありがとうございました。何分くらい後あんの?あ、もう与謝野さんいっぱい喋ったから、あんまり時間がなくなってしまいました(笑)。いえいえいえいえ。いいんですけど(笑)。えーと、今、あのー、『第2のセーフティーネット』の話に戻すと、だいたい今、十、訓練生活寄付で13万人くらいですかね。えー、住宅手当で7万人ぐらい。今、一年半くらい経ってまあ、20万、計20万人くらいの利用、どうですかね?」(41:53-42:20)

与謝野:「あのー、実はあのー、湯浅さんにもずいぶん知恵をお借りして、やっぱりただ予算つけますって言って、その具体性のないものでは、ピンポイントに人を助けられないものっていうんじゃ困るというんで、湯浅さんからこういうものはどうか、こういうものはどうかって、いろんなお話を伺って、あのー、ずいぶんお金を使ったわけです。私一人で、えー、一次補正、二次補正で、あのー、18兆円くらい使っちゃったんですけど、あのー(笑)」(42:20-43:07)

湯浅:「一人で使ったっていうのとは違う(笑)。あの、語弊が(笑)。あの、一応テレビカメラも入ってますので、はい(笑)〔会場やや笑い〕」(43:08-43:15)

与謝野:「使っちゃったっていうのは〔会場やや笑い〕。だけど皆さん、お金使うって大変ですから。一兆円のお金を何かに使おうっつっても、考えるのは、一月間、朝から晩まで考え抜いてるんです。今、経済がある程度の水準で維持できているっていうのは、あの、リーマンショックの後の麻生さんの決断のおかげだと思いますよ。麻生さんのこと、あのー、みんな漢字が読めないなんて言って、言う人いるんだけど(笑)、あの人は経済がこういうことですからこういうことをしましょうってわかったんです、非常にね。言えば『わかった、やる』って。実に、あのー、いい総理大臣だったんです〔会場やや笑い〕。『ちょっと考えて明日返事する』なんて人はもう、仕事の相手としては大変なんですよ。」(43:15-44:17)

湯浅:「そうなんですか(笑)。はい!ということで。えー、すいません。短い時間でしたが、あのー、ずいぶん何か乗ってきたところで、すいません(笑)。あのー、時間が来ちゃいまして申し訳ありませんでしたが、ありがとうございました!〔拍手〕」(44:19-44:36)

河添:「え、あのー、非常に面白い話でしたよね。」(44:43-44:46)
湯浅:「なんかどんどん乗ってきましたね。」(44:46-44:48)
河添:「あと20分くらい話していただくと、相当面白い話が。」(44:48-44:51)
湯浅:「そうするとあと50分くらい行きそうな感じですね。」(44:51-44:53)
河添:「そうですね。」(44:54)


 USTREAM:「反貧困たすけあいネットワーク3周年記念イベント中継」
 http://www.ustream.tv/channel/breadandroses

(▼3) 以下、強調は引用者による。

税・社会保障一体改革をめぐって

 菅首相は、一月の内閣改造において与謝野馨を経済財政担当大臣に任命し、税制と社会保障制度を総合的に改革することに意欲を示した。これについては野党の反発はもとより、与党内からも増税シフトという批判を集めている。しかし、この布陣には、「生活第一」を国民合意のもとに安定した政策基軸に高める可能性があると期待できる。

 そもそも与謝野は、自公政権末期の社会保障国民会議や安心社会実現会議の中心として、社会保障改革の議論を主導した経験がある。〔中略〕当時、小さな政府路線からの転換に関しては、程度の違いはあったが、実は政党間で共通の問題意識が存在したのである。〔中略〕

 菅首相と与謝野が目指そうとしているのは、かつて自公連立の福田、麻生政権でも主張していた「人生全般をカバーする社会保障」である。〔中略〕福田、麻生政権以降の自民党の展開と民主党の言う「生活第一」の両方を公平に視野に入れるならば、新しい社会保障モデルで幅広い国民的合意を構築することも、決して荒唐無稽な話ではない。〔中略〕

 問題は国民の理解を得るための手順と議論の中身である。各種の世論調査が示すように、国民は社会保障を確保するためであれば、税負担の増加を受け入れる用意があると考えている。しかし、税制改革や負担増の問題を議論するときに人々が不信感を持つのは、負担増がどのような社会をつくり出すことにつながるのか、はっきりした道筋が見えないからである。

 その際の障害は、財務省と経済界という二つの主体である。〔中略〕

〔中略〕大きな負担で大きな福祉国家を作るのか、小さな負担で貧弱な社会保障を選ぶのかは、国民が決めることである。しかし、、財務官僚は分際を超えて、国民の選択を先取りしてきた。税と社会保障の一体改革の中では、このような財務官僚の越権を打破しなければならない。

〔中略〕経済界は、臆面もなく自己利益を主張する最後の圧力集団である。日本の企業が利益を追求するために労働市場の流動化を進めたことこそ、日本人の生活の安定を脅かす一因となった。かつてのように終身雇用で日本人の生活を支えろというのは過剰な要求だろうが、それが崩壊した今、社会の底割れを防ぐために応分の負担をせよというのは、真っ当な要求である。経済界が消費税率の引き上げを要求するのは、単に国債の暴落を防ぐためだけであろう。そんな動機の議論が国民の理解を得られるはずがない。

 政治指導者のリーダーシップとは、これらの強者に対して発揮されてこそ本物である。無縁社会と言われるほど社会がここまで衰弱した今、社会保障の再建は急務である。本来手段であるはずの税制改革が自己目的にならないよう、大きな社会ビジョンを示し、財務省の官僚的発想や経済界の自己中心主義を打破することこそ、首相の仕事である。民主党政権を辛抱強く見守るといっても、これだけは譲れないという最後の一線を引かなければならない。菅首相が、財務省や経済界に対して筋を通すことができるかどうかこそ、最後の一線である。(pp.42-44)


 「これだけは譲れないという最後の一線」が「日本人の生活の安定」であるというのは、リベラル・左派の一部(大多数?)の隠れた本音ではあるのだろうが、それを臆面もなく公言してしまえる山口の神経はやはり尋常ではない(しかしまあ、山口が現在のリベラル・左派「論壇」で用済みにならないためには、彼ら・彼女らがさすがに保身のために口に出せずにいる醜悪な本音を自ら進んでダダ漏れさせる以外にないのかもしれないが)。これなら保守・右派との対立軸など生じようもないだろう。

湯浅誠と佐藤優の「対話集会」観察録(後半)

 ところで、この「対話集会」で一般参加者の誰からも佐藤の放言を批判する声が挙がらなかった理由は、最初に佐藤に威圧され、次に湯浅のフォローによって佐藤の「正しさ」が「客観的」に容認されたことで(←ここ重要)、合理的な批判を一蹴する<空気>が「対話集会」に充満したからであることは間違いない。けれども、本当にそれだけなのだろうか?そうであるなら、「対話集会」後に佐藤や湯浅の対応を批判する(とまではいかなくても疑問視するような)意見が挙がっていてもよさそうなものだが、私の知る限りでは、ネット上でそのような感想を述べている参加者は皆無である。なぜか?それは、(佐藤の読者層とも重なる)参加者の少なくとも一部の人々にとって、佐藤の著作を読んだこともない「無知」で「身の程知らず」な発言者が佐藤に罵倒される有様は、一方では非常に優越感をくすぐられる出来事だったからではないだろうか。

 なぜなら、佐藤はこの発言者を「対話」の場から一方的に切り捨てることで(「私は答える必要ないと判断する!私の書いたものをきちんと読んでからもう一回来なさい!」)、実は佐藤の読者に向けては、彼ら・彼女らが自らの「対話」者に値するというサインを送っているからである。したがって、そのサインを佐藤の読者が「正しく」受け取ったと考えることは、あながち邪推ではないと思う。つまり、彼ら・彼女らは、佐藤がこの発言者を罵倒したにもかかわらず、ではなく、むしろ罵倒したことを通じて、自らの優越性を承認してくれた(と感じられる)佐藤に親近感すら抱いたのではないだろうか(もともと佐藤のファンも多いだろうが)。実際、佐藤はこの後のやり取りで会場を頻繁に笑わせることに成功している(爆笑と言ってよいものまである)が、これは参加者の多くが、佐藤に対して反感よりも好意を持っているからこそ可能なのであって(私なら絶対に笑わない)、佐藤に応える会場の笑いが、この発言者をいっそう孤立させる効果を持つものであることは、疑いようもない。

 思うに、佐藤はこうした振る舞いにもかかわらず、ではなく、実はまさにこうした振る舞いゆえにこそ、自己の優越感を持て余している人々を見事に魅了する(している)のではないだろうか(この手のくだらない優越感を最も豊富に所有していると思われるのが、<佐藤優現象>を推進しているリベラル・左派メディア関係者だろう。彼ら・彼女らは、佐藤に対して社会的な説明責任ではなく自己のプライドの承認を求めるようになっている)。もちろんそれは、佐藤が言論の自由を否定するがゆえに、彼ら・彼女らが佐藤に魅了される、ということではなく、佐藤が言論の自由を脅かす、そのやり口は、彼ら・彼女らの空疎なプライドを手なずけることにおける佐藤の特殊技能と分かちがたく結びついている、ということである。私は今回初めて動いている佐藤(2次元だが)を見たのだが、今さらながらつくづく感じたことは、佐藤がいかに周囲の<空気>を読み(▼1)、露骨な恫喝と甘言を駆使して他者を操作する能力に長けているか(▼2)、ということだった。

 ところで、読者の中には、湯浅誠と佐藤優という組み合わせを奇異に思われた方もいるかもしれない(いや、実はいないのか?)。私自身は、湯浅は佐藤との絡みを意識的に避けているのだろうと考えていたので、このイベントのことを知ったときには意外に思ったものである(管見の範囲では、このイベント以前に二人の対談が行われたことはないようである)。実際、湯浅と佐藤の人脈の共通性やメディア露出度(需要)、佐藤がこれまでに湯浅の歓心を買おうとする発言を大盤振る舞いしてきたこと(例えば2009年3月26日付『毎日新聞』夕刊の「中島岳志的アジア対談」(▼2)などを考えれば、そうした事情なしには、これまで対談が組まれずにいた理由は説明できないように思う。

 では、そうであるとすればなぜ、湯浅は今回佐藤との対談を了承したのか、という話になってくる。もちろん、佐藤のゴリ押しに湯浅が折れたということでも一応説明はつくのかもしれないが(▼3)、湯浅と佐藤は、この「対話集会」の「2年ちょっとくらい」前から「ときどき連絡取ったり会ったりしてる」(01:40-)付き合いが続いているそうなので、そうであればなおさら、その時期が2010年9月であったことの政治的・社会的意味については、佐藤の思惑と共に、分析する必要があると思われる(対談の企画が最初に告知されたのは9月2日のようである)。

 話を戻すと、この対談が「対話集会」という形式を取ったのは、おそらく湯浅の希望に基づく妥協の産物だったのではないかと私は推測している。というのは、佐藤の発言に対する湯浅のリアクションの多くは、(1)相槌を打っているが、相槌を打っているだけ(「はい」「うん」以外の言葉を発しない)、(2)相槌も打っていないが、異論を唱えるわけでもない、(3)本質をずらした発言で応じる、という3パターンのいずれかだからである(▼4)。湯浅のこの対応ぶりは、佐高や金子との対談での様子とは相当かけ離れていると言わざるを得ない(佐高との対談の内容については後日述べる)。この対談が企画されてから実施されるまでの期間には、周知の通り、尖閣諸島=釣魚島問題や民主党代表選での小沢一郎の敗北、鈴木宗男の実刑確定、村木厚子・元厚労局長の無罪判決(の確定)といった「事件」が山積し、佐藤はいつにも増して長広舌を振るっていた。したがって、佐藤の国家主義的・排外主義的な持論に対して、なるべく同意も批判もせずに済み、しかも党派的な問題に深入りせずに済むような対談形式を湯浅が望んだがゆえに、「対話集会」という建前が取られた可能性は高いのではないだろうか(実際に、尖閣諸島=釣魚島問題を始め、多くの問題が、佐藤の言いっ放しで終わっている)。

 佐藤の言う「打ち合わせ」の実態は概ねそんなものだろうと私は想像するが、佐藤はそうした事情すらも逆に利用して、「〔湯浅と〕二人で」「打ち合わせをずっとして」「対話集会」という「今までにない試み」をすることになった、と述べることで、自分と湯浅との親密さを参加者に印象付けようとしたのではないか。まあ、これはあくまで推測の域を出ないが、佐藤のこの発言のくだりで湯浅が浮かない表情をしている(ように見える)のも事実である。

 というわけで、佐藤が一般参加者を執拗に吊るし上げた、この「対話集会」では、そもそもの発端から何やら怪しげな駆け引きが存在していたのではなかろうか、と私は勘繰っているのだが、そうした「駆け引き」があろうがなかろうが、そのことが佐藤の言論弾圧行為を湯浅が容認したことの免罪符になるはずもない。言論の自由を嘲笑する行為を重ねている佐藤を改めて最大限批判するとともに、佐藤の言論弾圧行為を目の当たりにしながら、主催者として佐藤をフォローする側に回った湯浅の責任も強く指摘したい。「このような人物を周辺のあれこれの人間、集団(それも世間では善なる人間、善なる集団・組織として通っている)がひとかどの言論人のごとくおだて、おもねり、支持・支援している現実に恐怖をおぼえずにいられない」というyokoitaさんの言葉に心から同感する。

 横板に雨垂れ:「金光翔さんの裁判に不当判決が出されたとのことです」
 http://yokoita.blog58.fc2.com/blog-entry-125.html


【追記】 昨日判決が出された金光翔さんの裁判については、片山貴夫さんのブログに速報が出ているが、「(佐藤優の責任を問わないばかりか)週刊新潮側を完全に擁護する」今回の判決は、『週刊新潮』記事の作成の発端になった(と被告が主張する)「岩波関係者」なるものについて、岩波書店が金さんの要請弁護士会照会にまともに回答していれば、まったく違ったものになっていた可能性が高いと思う。今回の判決に岩波書店上層部は胸を撫で下ろし、佐藤はせこい勝利感に酔っているかもしれないが、裁判を通じて明るみに出された多くの事柄は、決して再び包み隠すことはできない。何より佐藤自身が(少なくとも裁判の正確な経緯を踏まえた形では)この「勝利」について一般の人々に向けて何一つ語る言葉を持たないところに、今回の裁判の本質がある。名誉棄損訴訟において、勝訴したことにすら沈黙を続ける(であろう)被告を勝たせた今回の判決に、一片の理もないことは明らかである、と強く思う。


(▼1) 佐藤は、「公共圏っていうのは意見表明をあなたがするだけだったら、それは街頭でやればいいわけ」、「一人一人の意見表明をあなたがするってことだったら、この公共の場所であなたがその時間を全部使ってやっておかしな話なの」、などと言っているが、会場から最初に発言をした女性は、この発言者の三倍以上の時間をかけて「意見表明」をした(04:11-07:01)後にも、再び発言を始めて湯浅にさえぎられている(「「えーと、すみません。ちょっと他の方にも発言させていただいてよろしいですか?」(20:48-20:53))。上記の佐藤の言葉を真に受けるなら、佐藤はこの女性に対しても罵声を浴びせていなければならないはずだが、貧困問題の実態を訴えるこの女性に対して佐藤が「寛容」であった理由の一つには、会場の<空気>を正確に読んでいたことが挙げられるだろう。

(▼2) 参考までに、この「対話集会」で湯浅に向けて降り注がれた佐藤の甘言(の一端)を見てみよう。


佐藤:「湯浅さんのやってる反貧困ネットワークであるとか、この、雨宮処凛さんのやっている、この、仕事っていうのは、あの非常に尊敬しているわけですね、それはどうしてかというと、ニッポンの社会を非常に強化するっていう意味において、こういう活動は重要であると。それからあともう一つ、湯浅さんの場合っていうのは客観的に見て、これ本人は嫌がるかもしれないんですけれども、大変エリートなわけですよ。それですから大学の先生になってもよかったと。あるいは官僚になってもよかったし、あるいは政治家になってもよかったと。ところが、何かあの、肩に力が入る形じゃなくて、この活動家っていう道を、あの選んでいると・・・運動家っていう道を選んでいると。この生き方っていうのは大変によろしいんじゃないかと思います。」(01:58-02:42)

湯浅:「ありがとうございます(笑)。あんまりよろしいって言ってくれる人がいない(笑)」(02:42-)




佐藤:「湯浅さん、学者さんとしては、学者さんの卵としては(笑)、思想史ですよね。それも」(35:28-35:34)
湯浅:「昔です(笑)、はい(笑)」(35:33-35:34)
佐藤:「菅さんの思想をどう思います?」(35:35-35:36)


 佐藤優の処世術 ~Lesson1~:「人と同じ褒め方をするな」「その人のツボを何度も褒めろ」

(▼3) この対談が佐藤のゴリ押しによって実現したことを匂わせる状況証拠としては、(1)湯浅は佐高および金子とのセッションではゲストを自分の希望で選んだ旨を最初に述べているが、佐藤とのセッションではそうした振りが一切ない(さらにゲスト紹介ではなく佐藤に自己紹介させるなど、冒頭の進行やモチベーションが、他の二回とは傍目にも明らかに異なっている)、(2)湯浅はTwitterでも佐藤とのセッションは事前告知していない(金子とのセッションも告知していないが、これは佐藤の回を宣伝しなかった手前、それに合わせざるを得なかったのだと思われる)、(3)佐藤とのセッションだけが通常の対談ではなく参加者を交えた「対話集会」という形式になっている、といったことが挙げられる。佐藤はジュンク堂「作家書店」の九代目「店長」でもあり、ジュンク堂書店の担当者を通じて、自分を押し売りすることも容易かったはずである(あるいは佐高あたりも一枚噛んでいたかもしれないが)。

(▼4) パターン(3)の例として、以下のやり取りを挙げておく。後半は湯浅が全面的な賛同を示す数少ない展開になっており、なかなか興味深い。


佐藤:「社会が弱ってきているから、今は、その官僚の中でたくさんの、あの、紛争が起きてると。だから僕は、〔大阪地検特捜部と村木厚子・元厚労省局長をめぐって〕今回の検察庁〔=「力の省庁」©佐藤優〕と、あの国交省、あ、ごめんなさい、厚生労働省〔=「再分配の省庁」©佐藤優〕の間で起きてることっていうのは、いわば陸軍の中の統制派と皇道派の間のですね、やり合いであって、国民とは全く関係のない話だと思うんですよ。そのへんのところっていうのが、あの、民主党政権になってから激しくなってきたような感じがするんですよね。」(18:29- 19:00)

湯浅:「うーん、私は権力、力の方の省庁ってのは、あの、あまりお付き合いがないですけど(笑)。」(19:01-19:12)

佐藤:「でも湯浅さんの方が付き合ってなくても、湯浅さんの行動は行動記録から公安部が完全につけてるはずですからね。ですからその意味においては、湯浅さんに対して払われている予算というのは相当あるわけなんですよ。〔会場爆笑〕」(19:12-19:22)

湯浅:「でも、政府の役割っていうのは、私、基本的に所得再分配だと、市場とは別の原理で分配することだと思うので、えー、そこがなんかこう、機能不全に陥っていることが、まあ、むしろ問題なんじゃないかっていうふうに思うんですけどね。」(19:32-19:47)

佐藤:「あのー、まさにその通りなんですけども、これやっぱり、政府の機能はその機能と、それと同時に外交安全保障。その機能っていうのが、まさに暴力装置ですよね。それが混然として存在しているってところだと思うんですよ。それで実は小さい政府っていうのは、強暴な政府ってことなんですよね。湯浅さんが関与しているところの政府の部分っていうものを、どんどんどんどん縮小して、それで『力の省庁』の部分の、あの、比率を高めていくってことなんですよね。」(19:48-20:16)

湯浅:「それはその通り。仰る通り」(20:16-20:18)

佐藤:「それをどうやって阻止していくか。どうやって抗していくかってことだと思うんですよね。」(20:18-20:23)

湯浅:「はい。」(20:24)

湯浅誠と佐藤優の「対話集会」観察録(前半)

 ご存知の方も多いと思うが、池袋のジュンク堂で半年ほど前から「湯浅誠書店」が開催されている。この「湯浅誠書店」のイベントの一環として、昨年9月26日に佐藤優をゲストに招いて「対話集会」なるものが行われた(佐藤は二回目のトークショーのゲストで、初回は佐高信、三回目は金子勝がゲストに招かれている)。やや古い話題だが、最近見てしまったUstreamの記録映像が予想以上にひどい内容だったので、遅ればせながら言論の自由を行使することにしたい。

 ジュンク堂書店作家書店:「湯浅誠書店」
 http://www.junkudo.co.jp/14sakka.html

 最も理不尽極まりないのは、「まったくのタブーなし」の「対話集会」(©佐藤優)と銘打って始まったこのトークセッションで、会場から挙げられた外務省批判に対して、佐藤が肝心の批判にはまったく答えないまま、発言者をひたすら罵倒しまくり、しかも湯浅を含め会場の誰もがそれをまったく咎めようとしなかったことである。

1.起

 まずは「対話集会」なるものの発端を佐藤に語っていただこう。


佐藤:「それで、ちょっと二人であの、打ち合わせをずっとしてたんですけども、せっかくこういう機会ですから、我々があんまりガタガタとあの、話、プレゼンテーションやっても、それは僕らは、あの、ネットでも発信してるし、それから書く物でも発信してるんで、どうですか、その対話集会っていうか・・・〔まばらな拍手〕あの、かなり、その、みんなの率直なところでこう思うんだとか、これについてはどう思うんだとかってことを、まったくのタブーなし、まったくの、その、このテーマっていうことを決めることなしで、決めないでですね、時間いっぱい双方のやり取りしてみるっていうのでどうでしょうか。その中で、例えば僕の方から湯浅さんに聞いてみたりとか、湯浅さんの方から僕に聞いてみたりとか、あるいは僕の方から今質問した人について、これについて何か他の意見ないですかとか聞いてみたりとか。〔まばらな拍手〕それでちょっとやってみませんか。今までにない試みなんですけど。〔まばらな拍手〕」(02:52-03:41)


 「まったくのタブーなし」という佐藤のハッタリにはいい加減あくびが出てくるが、ある意味大変美味しい展開であり、私もぜひとも参加するべきだったかもしれない。ところで、佐藤は「〔湯浅と〕二人で」「打ち合わせをずっとして」「対話集会」という「今までにない試み」をすることになった、などと述べているが、この程度の「試み」に「打ち合わせをずっと」する必要があるとも思えず、「打ち合わせ」の実態と佐藤の真意は別のところにあると思われる(これについては後半で述べる)。

2.承

 ある参加者(会場からの発言としては二人目)が、湯浅に対して一度辞職した内閣府参与に再任した理由、内閣府参与として何ができたのか、これから何をするつもりなのかを質問し、佐藤に向けて普天間基地問題に関する外務省の対応を批判する発言を始める。


参加者:「それから外務省の方いるんで、元ね、いるんでしたら、その普天間ね、あの、テニアンにね、してくれってね、何度も、えー・・・副県知事がしたりね、向こうへ行って全部取りまとめてきてくれてるのに、それを知らん振りしてね、どうして、その、辺野古ですか、普天間が辺野古に・・・環境破壊するんだったらば、辺野古で、あの、どうせ海兵隊はどっちみちグアムに行くんですから、いずれはね。行くってことになってるんですから。それを、その外務省、元外務省ですけどね、それあの、何もその、辺野古に持ってって、また環境を破壊してですね、そして・・・グアムに今度行くってことになりますが、あえて辺野古の中でね、学校とか、それからその、補償してね、移転・・・」(21:33-22:25)



3.転

 突如、佐藤が発言をさえぎって参加者を罵り出す(会場に回されているマイクの音量が小さいことと、佐藤が参加者の発言をさえぎりまくっているため、実際の発言とは一部異なる箇所があるかもしれないことを断っておく)。


佐藤:「あのね、ちょっと待ってね。あなた私の辺野古問題に関して何か書いたもの一つでも読んだことあります?」(22:25-)
参加者:「いや、それじゃないけども、一応・・・」(22:31-)
佐藤:「あのね、ここは公共圏なの。」(22:33-)
参加者:「でも一応聞いてる・・・」(22:34-)
佐藤:「公共圏っていうのは意見表明をあなたがするだけだったら、それは街頭でやればいいわけ。」(22:35-)
参加者:「それはあなたが・・・そうじゃなくてね・・・」(22:39-)
佐藤:「じゃあ、みなさんどう思う?この場所っていうのは限られた時間の中で今やってるわけなのね。一人一人の意見表明をあなたがするってことだったら、この公共の場所であなたがその時間を全部使ってやっておかしな話なの。」(22:41-)
参加者:「・・・ことを聞くんじゃなくてね。そういうプロセス・・・そういうことの内容を聞きたいわけですよ・・・それ、そういうふうにしたらどうですかって言ってるんですからって・・・聞きたかったんですね。」
佐藤:「これは基本的な対話のルールが僕は成り立ってないと思うんだけど。」(23:05-)
参加者:「・・・口下手なんで・・・」(23:08-)
佐藤:「口下手じゃないんです。あなたの基本的な物の考え方に問題があるんです!公共圏の中での発言じゃないんです!」(23:11-)
参加者:「・・・また別の内容として聞きたいんですね・・・」
佐藤:「こういうことだから日本っていうのは社会が育たないんですよ。」(23:22-)
参加者:「いや、それは・・・もっと違った意味で解釈してね・・・」(23:26-)
佐藤:「私は答える必要ないと判断する!私の書いたものをきちんと読んでからもう一回来なさい!」(23:30-)


 そもそも、言論の自由を原理的に否定する佐藤のような人間に、対話の何たるかを教えてもらう筋合などまったくないのだが、このやり取りには佐藤の人間性が非常によく現れていると思う。佐藤はこの参加者を会場から孤立させ、徹底的に貶めることで、会場の「暗黙の同意」(「じゃあ、みなさんどう思う?」)の下に、「対話のルール」の定義を横領しようとしている。実際、この参加者が述べている程度の批判であれば、無難に受け答えすることもできるだろうに、あえて佐藤がここまで威圧的に振舞っているのは、佐藤に批判的・無理解と受け取られかねない発言をした参加者がどのような目に遭うかを「見せしめ」にすることで、より重要な批判をあらかじめ封じるためだと思われる(佐藤は一見キレているように見えるが、会場の反応を見渡しながら発言を進めているので、本気でキレているわけではないと思う)。要するに、佐藤の言う「まったくのタブーなし」というのは、一般的な日本語に翻訳すると、佐藤批判はタブーである、というまったく異なる意味になるのであった。

4.結

 まあ、これらは佐藤の常套手段であり、卑劣極まりないにしても、新鮮味にはやや欠けるところがあるかもしれない。けれども、佐藤のこうしたやり口に対して、一般参加者はともかく、主催者である湯浅が何も言わないどころか、むしろ佐藤をフォローして発言者に苦言を呈しているのには、正直呆れてしまった。


湯浅:「まあ、佐藤さん、あの、辺野古のことについては、かなりいろんなところで発言されていますし、あの、あなたがおかしいとおっしゃっているようなことも、その、汲まれたようなことも書いておられるのでですね。元外務省だからという話だけでですね、行くと、ちょっと・・・」(23:37-)

佐藤:「それからそれ以前の話でしょ。あなたの話はね。外交の文法から全然成り立たないの。どっかの州の副知事っていうのは外交の権限はないんです。外交の権限があるっていうのはアメリカの場合国務省なの。国務省から出てきた話以外、外交の土俵には乗らないわけ。だから入口のところであなたの話はおかしな話なの。」(23:54-24:15)

湯浅:「あの、私の方がご質問、私の方にしていただいた質問に答えるんですが・・・〔以下略〕」(24:18-)


 3の書き起こし部分を読んでいただければわかるように、この参加者は、日本政府が普天間基地の辺野古「移設」に執着している理由や、グアム、テニアン「移設」の実現可能性などに関して(私は普天間のグアム、テニアン「移設」には反対だが)、元外務省職員としての佐藤の見解なり説明責任なりを求めているのであって(それすらも佐藤が最後まで喋らせないようにしているわけだが)、湯浅が言うように、「元外務省だからという話だけで」不当に佐藤を批判しているわけではない(佐藤はこの点を意図的に曲解しているようだが)。けれども、要するに素人は黙ってろ(もちろん、「対話のルール」同様、誰が「素人」であるか(ないか)という基準を判断するのは、佐藤のような人間の特権なのだが)という佐藤の放言を批判しない(できない)空間には、そもそも社会的な「対話」など成り立ちようがないはずである。

(後半に続く)

岩波書店へのメール2

 本日岩波書店に送ったメールを公開します(一部誤記を訂正しました)。内容とまったく関係ありませんが、岩波書店にはこんなサイトがあるんですね。まあ私が利用することは永久にないでしょう。

 岩波書店:「本との出会い相談室」
 http://www.iwanami.co.jp/special/


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岩波書店代表取締役社長 山口昭男 様

岩波書店役員 ご一同様

岩波書店社員 ご一同様


拝啓

貴社ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

さて、金光翔氏の論文「<佐藤優現象>批判」および、金氏と首都圏労働組合に対して御社が労使一体で続けている弾圧について、僭越ながら二度目のメールをお送りいたします。

前回のメールをお送りしたのが昨年の8月30日ですから、あれから一年余りになりますが、率直に申し上げて、金光翔さんのこの間のブログを読んでいる者としては、御社および御社組合が「表立って佐藤氏を擁護する右派や排外主義者たちよりも、より一層卑劣な振る舞い」をしていることは、残念ながら疑いの余地のない事実であると考えざるを得ません。同様に大変失礼ながら、御社および御社組合に対して言葉の論理がどこまで有効であるか心許ない思いもしますが、皆様方の具体的なご発言と御社の出版物に即して、今一度この問題について述べてみたいと思います。


山口昭男代表取締役社長は、「フォト・ジャーナリズムへの懐疑」(『総合ジャーナリズム研究』115号)で、「写真雑誌にいま求められているのは、新しい時代をきりひらこうとする意欲ではないだろうか。しかし、それはあくまで編集者が自分自身の判断の基準をもち、情熱と誠実さによって対象をみすえた時にのみ可能になる〔中略〕と、自戒の意味をこめて思う」と述べ、「わたくしの、ただ一人の編集者は、私の良心であり、それは私の責任をすべてに負うものである」というユージン・スミス氏の言葉で論文を締めくくられています。

当時山口氏は『世界』の副編集長でしたから、「自戒の意味をこめて」という山口氏の言葉が意味するところは、『世界』を始め岩波書店の編集者もまた、「自分自身の判断の基準をもち、情熱と誠実さによって対象をみすえ」なければならない、そして編集者が唯一従うべきものは自己の良心である、というものであるはずです。山口氏は近年のイベント(「TAKEO PAPER SHOW 2009」)や各媒体(2009年9月13日放送「ラジオの街で逢いましょう」など)でも、この論文を「主な著書・論文」として挙げておられますので、なぜ、自己の良心に従って、『世界』での佐藤優氏の起用に反対し、その編集方針を苦痛と感じる『世界』からの異動を申請し、論文「<佐藤優現象>批判」を発表し、そのために『週刊新潮』に誹謗中傷記事を書かれた金光翔さんに対して、よりによって「厳重注意」をすることができるのか、なぜ御社および御社組合による金さんに対する卑劣かつ継続的な言論弾圧・人権侵害を容認することができるのか、ぜひお伺いしたいと思います。

なお、会社の職場環境配慮義務については、念のため御社のジュニア新書より引用させていただきます。

「法の考え方では、セクハラ・パワハラ・いじめは、「人格権侵害」と考えられているんだ。〔中略〕職場においては、人格への攻撃を行い、相手の人格に傷を負わせた状態にすることが、法的には許されないんだ。〔中略〕したがって使用者が、いじめやパワハラが起こっている環境を知りながら放置しているような場合は、企業そのものに、職場環境整備義務違反で賠償責任が発生することになるんだ。」(笹山尚人著『労働法はぼくらの味方!』、岩波ジュニア新書)


ところで、前回のメールで、「もしも、御社がマスコミの沈黙をよいことに、佐藤氏との癒着を続けるのであれば、「創業以来,学術研究を中心に思想・文学・科学・芸術などのすぐれた成果を世に伝えてき」た御社の名は、いずれ軽蔑とともに思い起こされるものになりかねないのではないでしょうか」と申し上げましたが、その兆候はすでに随所で見られるように思います。

岡本厚『世界』編集長は、「言論の自由」と「メディアの公共性」をめぐって、次のような驚くべき発言をされています。

「日常、私たちが抱えている様々な問題について、それをメディアが正確に伝えてくれなければ、私たちは自分自身の問題すら知りえませんし、解決することができません。だからこそ、「言論の自由」が大事なのです。」(「「言論の自由」とメディアの今日的状況」、『マスコミ市民』2010年9月号)

「メディアがなくなれば、社会で何が起きているのかが分からなくなります。メディアは社会的に必要不可欠なものです。いわば「公共性」があると思います。」

「テレビなどには強い公的な規制がかかっていますが、出版の場合はほとんどありません。あるとすれば、名誉棄損の訴訟くらいでしょう。つまり出版は「なんでもあり」の世界なのです。〔中略〕規制がないからこそ、新聞社やテレビ局ができない様々な事実を暴いたり、タブーに対して様々な角度からの問題提起ができるのです。そこが、出版や雑誌ジャーナリズム特有の「公共性」です。

名誉棄損の賠償額もだんだん上がっていますので、訴訟で多額のお金を払わなければいけないようなことはしない風潮が、徐々に出てきています。〔中略〕鋭い角がなくなってしまったら、本当の意味でのメディアの公共性を失ってしまうということになります。このことが、実はメディアの公共性にとっては深刻な問題になっていると思います。」(「編集者の立場から「メディアの公共性」を問う――文字から離れていく社会のなかで」、『マスコミ市民』2009年12月号)

これは御社も関わる名誉棄損訴訟の最中になされた公的な発言として、とりわけ興味深いものの一つであると思いますが(前者では佐藤氏の検察「批判」が肯定的に取り上げられています)、岡本氏の言葉は事情を知らない読者にとっても極めて異様に映るのではないでしょうか。「言論の自由」が重要である根拠をメディアの特権性と大衆蔑視に求め、メディアによる人権侵害を相対的に免罪しようとする岡本氏の言説は、一般的な常識と人権感覚を持つ人間にとっては、到底受け入れられないものであるからです。岡本氏はさらに近年の「活字離れ」について以下のように述べています。

考える力や反省する力、自分と違う「他者」を想像する力などは、文字からしか生まれません。私は、それが出版や雑誌の力だと思っています。」

「私は、テレビやインターネットが影響力を増すなかで、理解できない暴力が生まれつつあるのではないかと考えています。「秋葉原事件」は格差が原因だと言われていますが、それは基底にありながら、同時に文字を読むことから離れてしまった人たちが、わけのわからない暴力を生み出し始めるに至ったのではないかと思います。」

自己を形成し、神を疑い、社会をよきものに変えていく組織を作り、議論し、という近代はプリントメディアが作った。それが衰退したとき、どのような「自己」「社会」「われわれ」が出来ていくのか。〔中略〕理由のない暴力、訳の分からない犯罪の多発は、そうした未来の不気味さを想像させます。暴力や犯罪から逃れるために「監視」を強めたり、外国人や異論を唱える人を排除していくでしょう。もっと息の詰まるような社会になったり、どこかで宗教などが想像もつかない力を発揮するかもしれません。」(「編集者の立場から「メディアの公共性」を問う」)

「異論を唱える人を排除して」「わけのわからない暴力を生み出し」ているカルトのような組織は、「社会をよきものに変えていく」「プリントメディア」に携わる自負をお持ちの御社組合ではないのでしょうか、としか申し上げようがありませんが(「考える力や反省する力、自分と違う「他者」を想像する力などは、文字からしか生まれ」ないというのは、科学的に無根拠であるだけでなく、文字を持たない民族や、文字の読めない人々に対するひどい冒涜であると思います)、金光翔さんが公的に提起した、御社が佐藤氏を起用することの社会的悪影響どころか、御社を始めとする出版社が社会に悪影響を与える可能性や、実際に社会に悪影響を与えてきた歴史そのもの(「プリントメディア」と「皇民化政策」などがその典型でしょう)が、あたかも始めから存在せず、「プリントメディア」を無条件に賛美するかのような論理も、一般的には甚だ理解しがたいものであると思います。


こうした一般的には殆ど不可解な岡本氏の見解の一部は、決して岡本氏「個人としての見解」に留まらず、御社の近年の出版物に散見されるものであり、御社の<空気>の反映であるかと思われます。例えば、『図書』2009年12月(第730)号の編集後記(「こぼればなし」)は、御社の売上が低迷している大きな原因として、大衆の「知的訓練」不足を槍玉に挙げています。

「ある読書実態調査によると、一カ月に読む本の数が一冊以下という成人が半数以上にものぼるとのこと。また、一冊も読まないと答えた人にその理由を尋ねたところ、「忙しくて時間がない」がトップで、僅差で「本を読まなくても不便はない」と「読みたい本がない、何を読んでよいかわからない」が続くのだそうです。この辺がいかにも当世風と言えるかもしれません。要するに、とくに読む気もおこらないので読まない、ということでしょう(財団法人出版文化産業振興財団の「読書実態調査」)。」

「本屋としてははなはだ気勢の上がらない調査結果ですが、「まあ、そうだろうな」と思わず納得してしまうのも事実です。こういった調査が現実をそのまま反映していると思うのもまた間違いでしょうが、アンケートの数字を眺めているうちに、ああ、この社会はもう「読書への飢え」を見失ってしまったのだな、との思いが湧いてくるのを禁じえませんでした。」

読書への飢えだけでなく、知識への飢えも、いや、そもそも「(内的な)飢え」というものを、いつのまにかこの社会は追い払ってしまったのではないか。〔中略〕肉体と同様知性もまた、もの(テクスト)に即しての厳しい訓練を経なければ、なにものにも到達できないのです。」

『図書』2008年1月(第706)号の編集後記では、同様の調査結果から妥当な結論が示されていたことを考えると、御社が生み出す言説の没論理化は、御社および御社組合による金光翔さんへの弾圧と不可分に進んでいるように強く思われますが、いかがでしょうか。こうした理由から、御社の「良心的」な出版物を見るにつけ、私は心底不気味さを感じています。例えば、『学校から言論の自由がなくなる――ある都立校長の「反乱」』(岩波ブックレット、2009年)は、東京都教育委員会による言論弾圧を次のように批判しています。

「自分たちに批判的な意見は徹底的につぶし、自分たちの意見だけを押し通す。これを言論弾圧と言わずして、何と言えばよいのでしょうか。」

「都教委は、すべての校長は自分たちの言いなりになると思っています(だからこそ私が都教委批判をした時、私を呼び出して脅せばすぐに黙ると思っていたに違いありません。ところがどっこい、私は黙るどころか社会に公にしたので都教委はあわてているのです)。」

「電話で口頭による回答をしてきて、「これを公表したら主義義務違反だ」などと脅すのです。私は、文書で回答をお願いしますと、公に記者会見を開いているわけです。記者の方だって、当然、文書で返ってくると思うでしょう。そして、それを、私たちが記者たちに開示するのは、ある意味で、当然の手順ではありませんか。」

御社および御社組合の皆様は、この批判がまさしくご自分に対してこそ向けられるべきものであるということを、どうか明確に認識され、金光翔さんに対する一切の嫌がらせを今すぐやめてくださるようお願い致します。なお、御社が金さんに一部削除を要求されたブログ記事の引用を含む「首都圏労働組合 特設ブログ」の最新記事(「岩波書店、ブログ記事に対して一部削除を要求」)は、私の個人ブログに転載させていただきました。宮部信明専務取締役は「外部の人間によるもの」であれば「自由」であると発言されていますので、何ら差し支えないとは思いますが、万一差し支えがありましたら、二度のメールへのお返事と合わせてご連絡いただければ幸いです。

繰り返しになりますが、どうか岩波という名に伴う社会的な責任を自覚し、その社長として、役員として、あるいは社員として、それに恥じない選択をしてくださるよう(せめて憲法と労働法だけでも遵守してくださるよう)、改めて強くお願い申し上げます。

敬具



2010年10月4日

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【転載】岩波書店、ブログ記事に対して一部削除を要求

 以下に本日付の「首都圏労働組合 特設ブログ」の記事を転載します(ただし画像は除く)。理由は追ってお知らせします。

 首都圏労働組合 特設ブログ:「岩波書店、ブログ記事に対して一部削除を要求」
 http://shutoken2007.blog88.fc2.com/blog-entry-30.html


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1.

岩波書店による非正規社員の「雇い止め」の件(「岩波書店、非正規社員を雇い止め」) だが、その後、9月14日に、会社は「雇い止め」提案を撤回する旨を明らかにした。例によって、方針変更の理由説明はない。

とりあえずよかったとは思うが、では、これほどあっけなく撤回するならば、そもそも岩波書店はなぜ「雇い止め」をやってきたのか、ということになる。前回書いたように、岩波書店は「イメージダウンは仕方ない。長期的な判断」などという啖呵すら切っていたのである。急な撤回に関しては、この首都圏労働組合特設ブログで書かれてしまい、社外から抗議が来たとか、ちょうど三六協定関係で集団ヒステリー状態になっている岩波労組に格好の批判のエサを与えてしまったといったことが原因か。いずれにせよ、結局何がやりたかったのかは不明である。

ところで岩波書店は、このところ2度にわたって、私の個人ブログ「私にも話させて」のある記事への修正を要求してきている。2010年8月31日の記事「岩波書店への弁護士会照会」から、名前の挙がっている岩波書店の社員名をすべて削除せよ、というのである。9月17日、9月27日の2度にわたって要求してきている(二度とも会社側は宮部信明専務取締役、小松代和夫取締役)。

会社によれば、

①ある社員がある部署(この場合は『世界』編集部)に所属しているまたは所属していたこと、
②ある社員が岩波書店社員に在籍しているということ

は、個人情報・プライバシーであり、金は社員として知りえた情報を用いて個人情報・プライバシーを侵害している、したがって削除せよ、とのことである。

念のために、問題だとされている箇所を改めて引用しておこう。


「(注・『週刊新潮』の)荻原記者はその陳述書の中で、私に関して「岩波書店関係者」がもたらした情報について、以下のように述べている。

「これらは岩波、とりわけ『世界』編集部に非常に近い関係者が、編集部員から直接、耳にしていた話であり、内容も具体的です。また、取材中も、曖昧な点や不明な点は、再度、その場で、編集部員に確認してもらっていました。」

ここで荻原は、『世界』編集部員が関与していると主張しているが、これが事実ならば、調査は極めて容易なはずである。『世界』編集部員の人数は限られており、2007年11月時点で編集部員は、編集長を含めて6人のみである。このうち2名は、私が『世界』編集業務から外れた2006年12月前半以後に入社してきた人物であるから、それは除くとすれば、残りは

岡本厚・伊藤耕太郎・清宮美稚子・中本直子

の4名のみである。この4名は、私の『世界』編集部在籍時から継続して在籍している人々である。

また、この「岩波書店関係者」は『世界』編集部に非常に近い関係者とされているが、これが意味する可能性が高いのは、近い過去に『世界』編集部に在籍していた者、ということであろう。2007年11月から過去10年に『世界』編集部にいた社員のうち、2007年11月時点で社員として在籍している社員は、上田麻里、太田順子、大塚茂樹、小田野耕明、馬場公彦、三輪英毅、山川良子、山本賢の8名である(全員現在も社員として在籍している)。」


2.

私は、はじめに会社の主張を聞いたとき、何を言っているのかさっぱり分からなかった。

まず、①に関してであるが、私が名前を挙げた人物は、すべて『世界』誌上その他で、『世界』編集部員であることが明示されたことのある人々である。そもそも『世界』では、座談会の司会やインタビュアーを務めた際、編集者が実名を掲載するのが原則である。

しかも、その実名掲載原則を編集部員に課しているのは、取締役でもある岡本厚編集長である。『世界』配属にあたって岡本と面談した際、私は、私のような在日朝鮮人が『世界』の編集方針を肯定していると読者に受け取られたくなかったので(という理由は岡本編集長には言わなかったが)、インタビュアーや対談の司会者として自分の名前を出すのをやめたい旨述べたが、岡本はそれを認めなかった(私の裁判の「陳述書」参照)。岡本によれば、新聞では署名記事がもはや常識であり、自分の発言が出る担当記事において実名は出すのは当然、とのことであった。

念のために、2007年11月より前に、伊藤耕太郎・清宮美稚子・中本直子の実名がそれぞれ『世界』誌上に掲載されていることを画像つきで示しておこう。

伊藤耕太郎(2007年10月号)

清宮美稚子(2007年6月号)

中本直子(2007年11月号)

その他の人物については面倒なので画像は挙げないが、それぞれの名前の後に「世界」と入力してgoogleで検索すれば、彼ら・彼女らが『世界』編集部員であったことを示す記述が出てくる。

また、『世界』の連載が単行本化された場合、謝辞などで『世界』編集部員として名前が挙げられるのも珍しくない。要するに、彼ら・彼女らが『世界』編集部員である(あった)ことは、私が社員であるかどうかにかかわらず、公刊されている雑誌や書籍から知りうるものであり、何ら秘匿性はない。

例えば朝日新聞の政治面に、Aという記者が実名で記事を書いていた場合、それを「政治部 A記者」と書くようなものだ。私が会社に、新聞の場合は「個人情報・プライバシーの侵害」にならないということか、と聞くと、会社(小松代)は、それはその新聞社が判断することだから答えられない、と言う。こんな議論を大真面目にやっているのである。

また、②に関しては、会社は「全員現在も社員として在籍している」という私の記述を問題にしており、「ある社員が現在、在籍しているか退職しているかも個人情報・プライバシー」(宮部専務取締役、9月27日発言)とのことである。

だが、そんなことを言い出せば、会社の電話案内の人物は、Aという社員に代わるようにという外部の人間の電話に対して、Aが退職していた場合、どう答えればいいのだろうか。会社の主張に従えば、「Aはもう退職しました」と答えるのは個人情報・プライバシーの侵害にあたるのだから、この場合、「Aが在籍しているか退職しているかは個人情報・プライバシーに属するのでおつなぎできない」とでも言わなければならないのだろうか。会社の主張は一般常識から懸け離れたものである。そして、私が挙げた人物は、すべて遠くない日時に岩波書店社員であることを公表している人々なのであるから、個人情報・プライバシーの侵害であるはずもない。

しかも、私が会社に対して、「会社の主張にしたがえば、『週刊新潮』が私に関する記事の中で私が『世界』編集部に所属していたこと等を書いたことも、個人情報・プライバシーの侵害にあたるはずですが、なぜ会社は新潮社に抗議しなかったのですか」と聞いたところ、二人とも一瞬虚を衝かれた感じであったが、宮部取締役は、「それは外部の人間によるものだからまた話が違うよ。取材の自由があるから」と答えている(9月17日)。だが、それならば「個人情報・プライバシーの侵害」などという会社の主張はますます意味をなさなくなる。支離滅裂である。


3.

会社がこのような言いがかりとしか思えない主張を私にぶつけてきたのは、荻原記者の証言が正しければ、私が名前を挙げた人物に、『週刊新潮』に密告・協力した人物との嫌疑がかかってしまうということも理由かもしれない。

だが、だとすれば、会社は弁護士会照会に対してまともに応答し、調査の結果、密告した人間がいなかったのならば、その旨回答すればよいだけの話である。

ところが、会社の9月17日付の文書による回答は、こちらの質問に対して、「わかりません」「お答えできません」の一点張りという、まともに応対する気があるとは思えないものであった。要するに、会社は、照会に応じて嫌疑を晴らせばよいにもかかわらず(もし密告していなければ、だが)、それをせずに、言いがかりをつけて名前を削除せよと主張しているのである。

会社は、照会にまともに応じて、「新潮社からの取材に協力した<『世界』編集部員>も<『世界』編集部に非常に近い関係者>も存在しない」などと答えれば、被告である新潮社・佐藤優に不利になると考えて、このような態度をとっているのだと思われる。本末転倒とはこのことである。

なお、私が名前を挙げた人物が、「自分は『週刊新潮』に密告も協力もしていないのだから、そのような嫌疑がかかるのは嫌なので、削除してほしい」と私に言ってくるならば、私も当然それには応じるが、会社側(小松代取締役)によれば、私への注意は名前を挙げられた人物の要請があったからではないとのことである。また会社は、私が「社員として知った情報」を漏らした云々とは主張しているが、『週刊新潮』に密告・協力した人物との嫌疑がかかるから問題だとは一言も述べていない。それを言うと、照会書にまともに答えればよいではないか、ということになるからであろう。


4.

会社側の主張は、荻原記者の陳述書と照らし合わせると、より珍妙なものになる。

荻原は、取材経緯について、以下のように述べている(強調は引用者)。

「金氏の以前の所属部署であった『世界』編集部にも電話をし、金氏の評判、異動の経緯などを取材しようとしましたが、岡本厚編集長は「金氏がかつて所属していたのは事実だが、総務部に一任しているので取材には応じられない」という返答でした。
「本件記事のスタート時において、私は『IMPACTION』に金光翔氏の論文が掲載されたことは疑いようのない事実であるため、まずすべきことは金氏が岩波の社員であるということの裏付けだと思いました。この点は、取材の中で、岩波書店の2名の関係者から証言を得ているだけではなく、岩波の校正部のクワバラ氏、『世界』編集部の岡本編集長、更に、岩波の総務部も認めていましたので、私は事実に間違いないと判断しました。


したがって、荻原の陳述書のこの箇所の記述が事実であるとすれば、岡本取締役(『世界』編集長)は①に違反しており、また、岡本取締役、桑原正雄取締役(「クワバラ氏」)は②に違反していることになる。また、総務部長である小松代取締役も、総務部の②に関する違反に責任を有するであろう。

また、荻原の記述が事実でないとすれば、会社が荻原や新潮社に対して抗議等を行なわないのはおかしい。荻原の陳述書は、法廷で陳述されたものであるから、一般公開されているものであり、また、私は全文をウェブ上で公開している。

荻原の陳述書をウェブ上に公開していることや、その中で荻原が『世界』編集部員らが自分の取材に協力したと述べていることは、私のブログで何度も触れており(例えば2010年7月23日付「第9回口頭弁論期日報告」)、会社は私のブログを(今回の注意からも分かるように)見ているとのことであるから、会社が荻原の陳述書の存在を知らないはずがない(一応、9月28日にコピーを正式に提出した)。それでいて放置しているのであるから、①も②も、会社は本音では大して重要だと思っていないか、単なる言いがかりなので昔読んだときに読み飛ばしたか、どちらかではないか。


5.

以上、会社の主張が単なる言いがかりとしか言いようがない、支離滅裂なものであることを指摘してきたが、もう一つの問題は、なぜこの時期にこのような主張を会社が行なってきたか、である。もちろん、上で述べた、名前を挙げた人物への嫌疑の件もあるかもしれないが、私が考えているのは、岩波書店労働組合の主張との関係である。

実は、この「岩波書店への弁護士会照会」の記事に関しては、岩波労組執行委員会からも、9月9日に、個人名を削除するよう文書で要求が来ている。それによれば、この事態は、「組合員個々人が外部からの暴力や妨害にさらされることなく安心して出版活動に就くための配慮に関わる視点からみて不適切であり、労働組合として看過できません。該当部分の速やかな削除を求めます。」とのことである。

「外部からの暴力や妨害」云々の意味が分からなかったので、文書を渡しに来た渡辺尚人委員長と山田まり委員に質問した。それによれば、『世界』編集部にはかつて、右翼が抗議に来たことがあるから、実名を出すのは「外部からの暴力や妨害にさらされる」恐れをもたらすから問題、とのことであった。

私が、『世界』誌上で既に名前が出ているではないか、と答えると、渡辺らは、「それは本人が了承しているから問題ない」と言う。

私が、「以前、『世界』への配属の際に、自分の名前を出すのをやめたい旨述べたが、岡本編集長は断固として認めなかった。誌上に名前が出るのは、会社の方針なのだから、「外部からの暴力や妨害にさらされる」のをあなたたちが本気で危惧しているならば、抗議して編集部員の名前を出さないようにさせるべきではないのか。また、これまでこの件について組合として会社に抗議したことはあるのか。」と聞くと、渡辺らは、「抗議したことはない。それは会社が決めることなので、この件とは別」と言う。この人たちとは会話が通じない。

岩波労組は多分、私が名前を挙げた人物に『週刊新潮』に密告・協力した人物との嫌疑がかかってしまうということで、上のような抗議をしたのではないか。ところがそれを言えば、会社が照会書にまともに答えればよい、という話になりかねないので、そうは言わず、恐らく誰も本音では信じていない「外部からの暴力や妨害にさらされる」云々と主張しているのだと思われる。

さて、興味深く思われるのは、岩波労組による私への注意の後に、会社による私への注意が来ている点である。

前回記事で私は、岩波労組内部で、金および首都圏労働組合に対する会社の弱腰を非難し、会社に弾圧させようと扇動する動きが活発化している点を指摘した。今回の会社の私への注意は、その一つの現われと捉えることもできるように思われる。

会社側は、高まる岩波労組の私への不満に対して、岩波労組をなだめるために、私への言いがかりとしか言いようがない削除要求を行ってきているのではないか。このところ、岩波労組員による、経営責任を追及せよという主張が出始めているが、経営陣には、2002~3年の大幅賃下げ時に、社長の辞任をはじめ、役員体制が大幅に変わらざるを得なかったことが念頭にあるのかもしれない。

もしそうならば、経営陣による今回の削除要請は、個人ブログへの干渉として道義的・倫理的に大きな問題があるのはもちろんのこと、愚劣かつ陋劣な振る舞いを続けている岩波労組のような集団に経営陣が振り回されていることを意味しているのであって、企業体としての将来性に疑問を投げかけると言わざるを得まい。

(金光翔)

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